・安部公房さんの短編、「デンドロカカリヤ」のパロのようなオマージュのようなもの。
・展開などはまるで違います。









 霧野蘭丸は可笑しな人だ。
 これが狩屋の霧野に対する評価である。
 なんてったって、狩屋が一日中、喋りもせずに、黙って突っ立っていたって、霧野は世話を焼いてくれるのだから。
 食事も、身体を清潔にすることも、言葉にするのには少しばかり躊躇ってしまうようなことも、霧野は率先して行うのだ。
 時々、狩屋は霧野に対して悪態だとかを吐いて暇を潰しているのだけれど、一度としてそれらを咎められた事はない。それどころか、狩屋が癇癪などを起こしたりすると、より一層霧野は優しくなり、どこかから見目麗しい菓子を調達してきたり、必死になってご機嫌とりを始めてくるのである。
 今日もまた、霧野は真っ白な白衣(白いから白衣だと言うのに、頭の悪い表現で申し訳無い。しかし、日の光を受けると押し返してしまうくらいに目映く、純粋な白なのだ)を着て、狩屋に尽くし始めた。
 霧野はポケットから体温計を抜き出し、狩屋の脇に差し込んだ。それから、部屋の空調まで念入りに整えている。狩屋は用紙に引かれた升目に様々な数字を書き込んでいく霧野に聞いてみた。
「霧野さんって俺のなんなわけ」
「ははは、狩屋。お前は何も考えなくて良いんだぞ。あと十五分くらいしたら朝食を持ってくるからな」
「良いから教えてってば」
「狩屋、前に似たような話題が上がったときにも俺は話したよな。この世には色々な疑問が在るけれど、それら全てを知らなくても生きることに支障は無いんだ。考える、だなんて無駄な事だとは思わないか?」
「でも、霧野さんは考えて生きてるじゃん」
「そうだ、俺は考えて生きてる。でも、考えるだなんて愚かなことを本当はしたくないんだ。所詮、世界の膨大な秘密は暴ききれない。だからこそ、考えるだなんて下らないことに狩屋の時間を割かせたくないんだ。狩屋が何も考えずに生きられるように俺が考えるから、せめてその気持ちだけは汲んでくれないか」
 はいはい、と霧野の演説を引き延ばしたくない狩屋は意志の伴わない返事をしたが、最初の質問への答えが返ってきていないという事には気が付いていなかった。


 次に霧野が現れたとき、霧野はいつも通り、両手に盆を持ち、その上に食べ物を載せていた。果物や野菜が彩りよく盛り合わせられ、バランスよく仕上げられていた。
 霧野がフォークで身が白く、皮が赤い果物を突き刺すと、狩屋の開いた口に運び込んだ。狩屋が咀嚼し、霧野がまた入れてやるのを繰り返していると、「これ、なんて名前だっけ」と独り言みたいに呟いた。
 霧野は優しく、女性的な笑みを作り上げ、「名前だなんて、必要ない。不味くなければ、それで良い筈だろ?」結論を突き付けた。
「名前が必要ないだなんて、そうしたら霧野さんの名前が呼べなくなっても同じことを言うんですか」
「当たり前だ。固有名詞だなんて、無くたって問題ないだろう。名前がなくても、生きられるんだから」
 ほら、そんな事より、食べないと、と続けて霧野は次の食材を促した。狩屋も、なぜだか、そうだ、食べなければならないという気持ちにさせられたので、食事を噛むことに専念することにした。
 狩屋は、光に満ちていて、青々とした植物に囲まれたこの部屋にいると少しずつ物事がどうでもよく思えてきた。霧野が、白衣をきたこの男がなんだってしてくれるのだから。


「どうだ、デンドロカカリヤの様子は」
 パーソナルコンピュータと向かい合っている霧野の背後から声がかかる。霧野が椅子をくるりとまわして振り向けば、同僚の神童がマグカップを手渡してきた。
 霧野は一言、礼を述べるとカップに口をつけた。液体が喉を流れたところで、霧野は口を開いた。
「順調だよ。以前のように攻撃的な面も無くなってきたし、最近は俺の指示に素直に従ってくれるよ」
「そうか、よく手懐けたな。デンドロカカリヤの育成に関しては三人程投げ出しているし、霧野にしか出来なかっただろうな」
「手懐ける、だなんて」
 霧野は淡く、はにかんだ。
「でも、これでようやく、植物園への展示に移行できるんじゃないか?」


 狩屋が寝静まったころ、男は突然にやってきた。彼は草花に埋もれて眠りに染まる狩屋の肩を遠慮も、配慮もなく揺さぶった。暗闇のなか、仕方なく、薄く目を明けて、狩屋は振動の原因を見る。
「霧野さん?」
 狩屋は手を伸ばし、相手の存在を探ろうとしたが、どうにも上手く届かなかった。代わりに、夜に慣れてきた瞳でもう一度、よく前を見て、狩屋は飛び起きた。
 狩屋が口を大きく開けると、男は掌を口元に押し付けた。
「落ち着いて、俺は君の味方だ」
 男は小さな声で、それでいて狩屋を諭すような話し方をした。狩屋が、目で訴えかけると男は手を元の位置に戻した。
「あまり大きな声で喋るとここの職員が来ちゃうから。聞き取りづらいかもしれないけどよく聞いて」
「アンタ、誰だよ」
「それも今から話すから……時間は多くないんだ」
 男は何処からともなく、名刺を取り出すと狩屋に渡した。
【日本特殊植物愛護団体/M・T】
「特、殊、植物、愛護、団体?」
「君は、狩屋マサキくんで間違いないね」
 狩屋が頷けば、男、Tは安心したように顔を綻ばせた。
「良かった。君にはまだ、自己を認識する能力が残っているみたいだ。俺はこの植物園のように、特殊植物を見世物に仕立てあげようとする組織から特殊植物を保護しているんだ。幸い、君には他者と会話をする力もあるし、すぐに人間として社会復帰することが出来るさ。そうと決まれば、早くここを抜け出さないと」
「ま、待って」
 強引に狩屋の腕を掴むTに思わず制止の声をかけた。
「話が解らないんだけど」
「ちょっと早口過ぎたかな。俺はこの植物園のように、特殊植物を見世物に仕立てあげようとする組織から特殊植物を保護しているんだ。幸い、君には他者と会話をする力もあるし、すぐに社会復帰することが出来るさ。そうと決まれば……」
「えっ」
「アッ、もしかして、理解能力が落ちているのかな。大丈夫、日本特殊植物愛護団体では心のケアから頭のケアまで万全だから、なんとかなるさ」
「……特殊植物って」
 途端に、Tは嫌な顔をした。
「知らないの? それとも、忘れたの? 君達のような、普段はまるで人間と変わらないけれど、人間としての思考や生活を失うとに身体を植物へと変形させてしまう存在。それが特殊植物だよ」
「俺は、人間だってば」
 Tはまるで可哀想なものでも見るかのように、憐れみを含んだ眼差しで狩屋の腕を、狩屋自身に見せ付けた。
「これが、純粋な人間の腕だとでも、君は言うのかい」
 狩屋は息を詰まらせた。右腕に、寄生するように絡まり、生い茂る、緑の蔦が有った。狩屋はそっと、その蔦に手をかけ、引き抜こうとしたのだが、Tがそれを阻止した。
「ダメだよ。乱暴をすると肉まで千切れるからね。君がこれから俺の言う通り、日本特殊植物愛護団体の施設で治療を受けるのならば、君の症状を改善することが出来る」
「う、うそだ、俺が植物だなんて、霧野さんはそんなこと一言だって言わなかった」
「霧野さん、ね。彼にはとても困らされたよ。君の情報をとんでもないセキュリティでひた隠しにされたんだから」
 Tは狩屋の蔦から伸びる葉を指先で撫でた。
「特殊植物には取り決めが有ってね。特殊植物が自我を喪失し、完全な植物になった場合、特殊植物からは人間としての権利が剥奪されるんだ。そうなれば、こちらとしても特殊植物を保護することは出来ない。狩屋くん、君は危なかったんだよ」
「霧野さんは、変だけど、優しくて、俺を植物にしようとするような人じゃ」
「優しい、か。具体的には?」
 Tの厳しい追撃に、狩屋はたどたどしくも言葉を紡いでいった。
「毎日、手ずから食事をくれたり、身体を洗ってくれたり、欲しいものはなんだって用意して、くれたり、俺が何をしても、逆に何も言わなくても、優しく、て……他にも!」
 狩屋が声を荒げそうになったところで、押し黙って言葉を拾っていたTが遮った。
「要するに、甲斐甲斐しく身の回りの世話をぜえんぶ、やってくれたんだね。君は自分から動かず、なぜこんなところで生活をしているのか疑問を抱くことも忘れて、考える事すらも放棄し始めていた」
 ――――植物のように。
 Tは冷たく、そう吐き捨てたが、すぐに人当たりの良い、営業マンのような笑顔を取り戻して、狩屋にむきなおった。
「さあ! 職員に見付かる前に、施設に向かおう! 狩屋くん、もう一度人間としての一歩を踏み出そう!!」


「そういえば、霧野は知ってるか」
「勿体ぶった言い方をするなよ」
「はは、すまない。大した事じゃない。いや、もしもこれが事実なら、大事だけどな」
 神童は十分に前置きをして、霧野の隣に椅子を置くと、そこに腰をおろした。
「特殊植物の愛護を謳う団体が出来たみたいなんだが、どうも、特殊植物を見つけ出しては、保護を名目に強奪し、裏で解剖をしたり、高値で売買をしてるらしい」
 噂程度の話なんだけどな、と神童は話を締め括り、カップに入っているスプーンを掻き回した。
「嫌な話だな」
 霧野は眉をしかめる。
「噂とはいえ、特殊植物が増えてきたのも事実だし、それをつけ狙う団体が出来てもおかしくはない。……俺達、植物園がより多くの特殊植物を保護して、沢山の人々に特殊植物の貴重さを示して、守るべきものだという風潮を作り上げないとな。その為にも、狩屋には頑張って貰わないと」
 神妙な面持ちで霧野が言えば、神童は考えるように空中を見上げてから、また霧野を見た。
「カリヤ? デンドロカカリヤの略称か」
「違うよ、狩屋マサキ。デンドロカカリヤが人間として使用していた名前だよ」
 神童はカップからスプーンを引き抜いた。
「霧野、そんなに入れ込んだら、デンドロカカリヤが喋ることもできない、完全な特殊植物になったとき、辛いんじゃあないか」
 霧野は、パーソナルコンピュータのキーボードを叩いていた手を一度、止め、次に何もない場所を彷徨わせ、結局はコンピュータの電源を落とした。
「……狩屋は、殆ど人間に近かったし、多分、人間として生きていくことも出来たと思う。そんな狩屋を俺達の都合で、より多くの特殊植物の救済の為に、展示用の無害で、何も考えられない、動けない、本物の植物同然にしようとしてるんだから、酷い話だよな」
 酷い、などと言いつつも、霧野は、まるで恋人にでも捧げるような、愛しさと、慈しみを目一杯に織り込んだ笑い方をした。
「俺は、生涯を狩屋にあげることにしたよ」
 それから、霧野は立ち上がると、白衣を羽織り、デンドロカカリヤの部屋へ、弾むような足取りで消えていった。




2012/08/09



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