神童が目を閉じてピアノを弾いていると、その背後にマリア様が画かれたステンドグラスが現れ、穢れを知らない天使達が飛び交い、優しく、温かな光が拡がっていくように見えた。
 神童は、妖精だとか、そういう類いの物なのだと思う。少なくとも、人間ではない。
 その証拠として、彼の呼吸は空気を浄化する花のようで有るし、瞳からこぼれ落ちる涙は乾いた砂漠を潤す一滴の雨粒よりも高潔である。
 とにかく、美しい神童の見る世界は美しくなければならない。これは、小学生のときから思っている事である。
 だから、俺はエロ本が道端に落ちていれば、神童が目にする前に足でそっと電柱の影に追いやったし、カラスの死体が転がっていれば、いつもと違う道を通ったりした。
 エロスもグロテスクも、神童の世界には必要がない。神童が見るべきは、快晴の青空だとか、真珠の耳飾りの少女だとか、色彩豊かな花畑だとか、そういうものだけで良いのだ。
 ああ! いつだって、世界が神童に優しくありますように! そんな事を考えながら歩いていると隣から、虚を突かれたような声が上がった。
「わっ」
 そう言って神童はよろめいた。俺は慌てて手を伸ばしたが、嘆かわしくも、指先は、神童の制服を掠めただけであった。
 結果として、神童はアスファルトに向かって倒れていった。
 ズサァ、という音と共に神童の手元を離れた鞄が地面の上を滑る。
 はう、だとか、あ、だとか、意味の成さない音が俺の舌の上を歩いてから、改めてうつ伏せになってしまった神童を見据え、俺は彼の名前を大きく叫んだ。
 そうしてすぐに、ううう、と呻く神童に駆け寄り、ありったけの優しさで神童の手のひらを掬い、起き上がらせてやった。
 俺は、神童の汚れた膝を叩きながら、怪我や痛みの有無を訊ねる。
 すると神童はニコリと微笑んで、「大丈夫、少し擦りむいただけだ」と手の内側を見せた。
 ひっ、と叫びたくなる気持ちを抑えながら、俺は神童の手をよおく確認した。
 幸い、出血はなく、表面の皮が少しばかりささくれだつ程度で済んでいた。
 頭のなかで必死に、神童の傷を消毒する手順を組み立てていると、神童が鞄を拾いながらこう言った。
「この歳になって石に躓いてしまうだなんて恥ずかしいな」
 ふわふわと照れながら笑う神童を真顔で見つめてから、俺も和やかに笑い返した。
 取り敢えず、俺は鞄をまさぐり、ウェットティッシュ、マキロン、絆創膏を取り出すと、神童の手当てに掛かった。



 神童と別れてから、空が暗くなった頃、俺は地面に這いつくばっていた。
 それからしばらくして、両手いっぱいに石を抱えると家に持ち帰り、机の上に並べた。
 歪な形をした塊達が禍々しく見える。
 俺は予め用意していた金槌で、軽く石を小突いてみたが、石はびくともしなかった。
 そうなると、急に石が憎く見えたので、今度は力を入れて、丁寧に、石を打ち付けた。幾らかそれを繰り返すと、石はパカリと割れて、更に続けると、砕けて、砂利のようになった。
 一つ、砕き、また一つと石を砕いていく。
 その都度、神童が倒れていく姿や、神童を掴んでやれなかった瞬間などが思い出されて、俺は悲しくなり、気付けば泣きながら石への制裁を続けていた。
 ズズ、と鼻を啜り、手の甲で涙を拭うも、止まらず、ついには全ての石を砕ききっていた。
 所々がヘコんでしまった机の上に広がる砂を見て、俺は神童がまっすぐ歩いていく風景を想像し、ほっと胸を撫で下ろした。



 晴れやかな朝、俺はいつものように神童の世界が優しく、清らかで、素晴らしくあることを願いながら登校した。
 教室に入るとそこにはすでに神童が着席をしていて、浜野、速水、倉間の三人が彼を囲んでいた。
 どうやら、四人で本を読んでいるようであった。
 近付くと、机上にあるものがはっきりと見えた。
 エロ本だった。
 訂正しよう、ドエロ本だった。
「こういうプレイは楽しそうだな」
 ハードなSMが一面に拡がるページを見ながら、神童はフェアリースマイルでそう言った。
 しん、ど、う? と俺は震えながら立ち尽くした。
 神童はすぐにこちらを向き、やってしまったと言うような顔をしながら、「……霧野」と呟いた。
「どうして」
 俺は、そう言うのが精一杯であった。
 急に目の前が真っ暗になるのを感じ、そのまま見えない何かに後ろへと引っ張られていくようだった。
 最後に、神童の背後で、マグダラのマリアと、堕天使たちが微笑む姿が、見えたような、気がした。



2012/06/23




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