1
「俺の目、よおく、のぞいてみてください」
脈略もなく、倉間がそう言ったので、南沢は彼の左目を覆い隠している前髪を掻き上げ、そのまま押さえてやった。
すると、黒滔々とした瞳が揃い、それは南沢に新鮮な印象を与えた。南沢は暫く、その顔を見ていると、また、倉間は口を開いた。
「実は、普段隠している方の左目は、異世界へと繋がってるんですよ」
「へえ、面白い」
南沢は口の端を釣り上げる。
「是非とも、その、異世界って奴に連れていって欲しいものだな」
いいですよ、と倉間は肯定の意を述べて、鼻先が触れ合う寸前まで南沢の顔を引き寄せた。
「ほら」
頭を両手で固定され、南沢の視界は倉間で埋め尽くされる。
「もっと、俺の目にだけ、意識を集中させて」
言われた通りに、南沢は、より、倉間の目を覗き込もうとする。互いの息遣いが鮮明に聞こえるようだった。
「もっと、深く」
ゆっくりと、倉間の声に惹き込まれていく感覚であった。黒々とした目玉は反射を許さず、正面の南沢が映り込む事すらなく、ひたすらに闇をしたためていた。
2
「? 何も変わってないだろ」
暫くして、南沢が教室を見たが、先程と然して、変わらぬ光景が広がっていた。
「本当にそう思います?」
倉間がニヤリと悪戯っ子のような笑みを浮かべ、机に置かれていた鞄を探ると、新聞紙を取り出した。
「日付、見てくださいよ」
素直に指示に従い、南沢は新聞紙の日付を確認した。そこには、[平成24年 4月1日]と、やはり南沢の認識する゛今日゛と違わぬ数字が記載されていた。
「そうしたら、記事も読んでみて下さい」
倉間の意図がよく読めぬまま、南沢は活字を追う事にした。
「……っ」
南沢は息を呑む。
「総理大臣が、円堂守、だと」
「他もきちんと読んでみたら良いと思いますよ」
南沢は速度を上げて、時には斜め読みをしながら新聞を捲っていった。
どれも、南沢が知っている国内情報とは程遠く、とても、南沢が生きている日本と同じものだとは思えなかった。
同じ様に見えて、全く異なる。
これは、まるで……南沢が結論を出そうとした所で、倉間が言った。
「そう、ここは、パラレルワールドですよ」
南沢は目を見開く。
「そん、な……」
そして、ある程度落ち着きを取り戻すと、抗議を始める。
「非、現実的だ!」
「でも、南沢さん、アナタはもう、その非現実を現実として体験してしまった」
「倉間が、化物だったなんて!」
「うっわあ、ひどいひどい、異世界に連れて行けって言ったのは南沢さんなのに、ここに来て俺を非難するんですか?」
「冗談だと思ったんだよ、なんたって今日は……っ」
「……今日は?」
3
「エイプリルフール!」
二人は、声を揃えてそう言った。
そうして、一寸ばかり、沈黙が訪れる。
二人は、互いに目を合わせ、無言の中で見詰め合った。永くも、短くも感じられる、不思議な時間に思えたが、恐らくは一分にも満たないものだったと思われる。
まず最初に、南沢の方が堪えきれずに小さく吹き出し、それに引きずられた倉間が弾かれたように大きく笑った。
「あー、楽しかった! 南沢さん、意外とノリ良いんですね」
「お前こそ、随分と手の込んだ新聞じゃないか」
「それ速水に作って貰ったんすよ。枚数もそれなりに有って凄いですよね」
勿体無いんで家で取っておきます、と倉間が言ったので、南沢は速水お手製の新聞紙を丁寧に整えてから返してやった。
倉間は鞄に新聞紙を入れ、ファスナーを締め切ると、何か食べにいきませんか? と南沢を誘った。
南沢はそれも良いな、と言い、いくつかの店の候補を思い浮かべた所で、思い出したように倉間に向き直った。
「ところで倉間、俺の目、普通とは違うと、思わないか?」
脈略もなく、南沢がそう言ったので、倉間は訝りながらも返事をした。
「ええ、まあ」
そうして、一呼吸を置いてから、南沢はこう言った。
「実は、異世界と繋がってるんだ」
2012/04/01