「とんでもない事になりましたねえ」
「ちゅーか、予想もしてなかったよねえ」
 速水と浜野は電車に乗り込み、ボソボソとした固い座席に坐っていた。車内はそれなりに人が詰め込まれていて、体臭だとか、人工的なフラグレンスなどが絶妙に雑ざり合っていた。
 人々は本、新聞、携帯などに目を向けながら皆、一様に沈黙を貫いているというのに、この限られた長方形の中に密集している、それだけでどこか煩く思えた。
「それにしても、ちょっと異常じゃね?」
 浜野が言えば、速水も天井からぶら下がるポスターを見て、そうですよねえ、と同感を示す。
「倉間君なんか、ショックで寝込みましたからね」
「ま、衝撃的だよね」
 浜野はぐるりと目だけで辺りを見渡した。
 視界は、やたらと紫で溢れかえっている。その紫は、髪の色である。本の表紙、キーホルダー、新聞紙の一面、携帯の画面の中、ぬいぐるみ、ポスターに印刷されたインク、あらゆる形で、至るところに、紫は感染していた。
 中でも一際目を惹くものが、このポスターである。
【南沢篤志ニューシングル 〜おまえたちに現実ってもんを教えてやるよ〜 絶賛発売中!! /税込37330円】
 そこには、元・サッカー部の先輩である南沢が決めポーズをとっている姿と共に上記のような宣伝が華々しく輝いていた。
 速水は、はああ……と溜め息を吐き、ワザとらしく頭を抱えた。
「CDなんかも発売されちゃいましたし、これからこの国はどうなって行くんでしょうね」
「ねえ〜」
 現在の日本には、ウイルスの如く、南沢が蔓延っていた。インフルエンザのように重く、窒素のように数多く、酸素のように世間へと浸透しながら、南沢は拡がり、ついに世界は彼の庭へと変貌を遂げた。
 下手をすると、南沢の影響力は総理大臣よりも大きく、次の選挙では南沢がその座を勝ち取るかもしれないと懸念されている。
「でも、南沢さんが雷門から姿を消してから、アイドルになるだなんて、思いもしなかったっちゅーか、変なカンジ……」
「アイドルというか、宗教の域ですよ」
「崇拝や敬愛を受けるって意味ではアイドルも神様も一緒なんじゃね」
「まあ、そうなんですけど」
 南沢が転校をしてから、口には出さずとも各々、彼の動向を気にしていた。三年生や、彼と親しかった倉間は特にその気持ちが強く、より心配をしていたものだから、南沢が地上波に流れたときなどは酷く驚いていた。
 画面に彗星の如く現れた南沢はお菓子のCMから始まり、とんとん拍子で芸能界を駆け上がり、アイドルとしての絶対的な地位を築き、彼が執筆した「内申書」という題名の本は奇跡的な売り上げを記録し、南沢自身のカリスマ性も拍車をかけ、カルト的な人気を誇るまでになった。
 今や、南沢の一言が、世界を動かすまでになったのである。……ちなみに、サッカー界の革命どうのこうのは、この、南沢旋風によって掻き消された。
「怖いですよねえ、こんな世の中」
「うーん、気味が悪いけど、俺は、年金が貰えるならこのままでもいいかなあ」
「お気楽ですねえ」
「でしょ」
 浜野はもう一度、電車の微弱な振動を感じながら、しっかりと前を見る。
 やはり、人々は本、新聞、携帯などを熱心に見ている。ipodで音楽を耳にしている者などもいたが、確かめるまでもなく、中身は見え透いていた。




2012/04/01








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