「空を飛びたいんだ」
 拓人が空を飛びたくなったのは、今日の事である。鳥を見ていたからでも、飛行機を見ていたからでも無くて、飛べないから飛びたくなったのである。
 残念な事に、拓人には空を泳ぐ為の羽が無かった。何故ならヒト科に産まれてしまったからである。
 これまで拓人は飛べない事に何の疑問も持ち合わせなかった。地面を淡々と歩いていくのが当然であると思っていた。
 けれども今日、拓人はふと気付いてしまった。
 どうして、俺は飛べないのだろう。
 物理的に、とかではなくて、本当に、どうして飛べないのか、考えれば考える程にムズムズしてくる。
 瞬きのタイミングを意識してしまうような、呼吸をするのに、一々、吸って、吐いてと数えなければいけないような、急に今まで唾をどうやって飲み込んでいたのか分からなくなるような、そんな感覚だった。
 飛べないのならば、飛べば良い。
 しかしながら、拓人が両手を動かしたところで宙に向かって浮遊していく事は無いのである。
 霧野は、拓人の腕を掴み、動きを抑えるとこう言った。
「神童飛べるよ! 良い考えがあるんだ」
 拓人は感激した。さすが、霧野である。拓人の悩みはいつだって彼が解決をしてくれるのだ。
「まずは、高い所に行かなければならない。景色が綺麗なら尚、良い。神童が、より飛んでいる時間を長く体感出来る場所が良い」
「高い所、綺麗な場所、真っ青な海が一望できる崖とか?」
「神童が飛んでいるときに見たいものが見れる場所をお勧めするさ」
 こんな訳で、拓人は霧野と一緒に、素敵な場所を探し始めた。
 拓人が街を見下ろしたいと言ったので、二人は絶景のビルやマンションを廻っていた。
 なかなか、難しいのである。下が、道路だけだと寂しいだとか、ここは違う建物にぶつかってしまいそうだとか、なかなか拓人の理想にぴたりと合う場所は無かった。
 最終的に、拓人が気に入った場所は、大きな噴水が見えるショッピングモールの屋上だった。霧野も、確かにこれは良いかもしれないと思った。
 ここから下に見える噴水には、快晴の青空が映り込んでいて、とても美しいのだ。
 これなら空を見ながら飛ぶ事が出来る。
「良い場所じゃないか」 
「霧野もそう思うか。よし、そうしたら、ここにするよ」
「楽しんで来いよ」
「ああ」
 拓人は短く返事をすると、白い柵を越えて、噴水に向かって飛んでいった。
 風圧が気持ちよく、拓人を爽快にさせる。
(霧野、俺飛んでる! 飛んでるよ! 初めて空を飛んだ、飛べたんだ……っ!!!!)
 拓人は全身で歓びを感じていた。
 この楽しさを一人で味わうのは、格別な贅沢のように思えた。拓人の目には、水面の空が見えた。
 飛んでいるこの瞬間が、拓人のあるべき姿なのだと、空に還る幸福を噛み締めた。




「ああ! 惜しい!」
 潰れた彼を見て霧野は言った。
 後、もう少し右に寄れば噴水に入れたのになあ、惜しい、実に惜しい。それでも、多分、拓人は空を見る事が出来ただろうと思うと、こちらまで嬉しくなってきた。
「よかったな、神童」
 柵に手をかけて、霧野は満面の笑みでそう言った。
 下では、拓人を見た女の子が、何が起きたか理解出来ずに放心している。女の子の手元を離れた赤い風船が、高く、高く、空へと羽ばたいた。







2012/02/20



人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -