・題名通り








 下着泥棒に遭った事がある人は、決して少なくは無い筈だ。
 南沢も被害者の一人であり、柔軟剤が配合された洗剤でもって清潔になった衣類をベランダに干すと、翌日には消えている、なんて事をここ最近、ずっと体験していたのだ。
 一度、犯人を突き止めようと見張っていた事も有ったが、下着は南沢が余所見をした一瞬のうちに奪われてしまった。
 下着だなんて、頻繁に買うものでもないし、南沢の衣装ケースは日に日に中身を失っていった。




「俺が美しいのは分かるけど、ほぼ毎日盗まれるとなあ……」
「部屋干しにすれば良いでしょうに」
「乾いたときの質感が違うんだよ」
 南沢は後輩である倉間にその事を話していた。
「警察に被害届出しましょうよ」
「逆恨みとかされたら後が大変だし」
「……そんなんだから盗まれるんでしょうよ」
「どうかしましたか?」
 会話を割って入ってきたのは拓人だった。南沢は前述の事を掻い摘んで話してやった。それを聞かされた拓人は神妙な面持ちになると、困ってますか? と言った。
「それなりにな。なんてったって、金が嵩むんだよ」
 その発想は無かったと言わんばかりに拓人は驚いていた。倉間が呆れながら補足を加える。
「神童みたいに誰もがお金を湯水の如く使える訳ないだろうがよ。お前、下着とか自分で買わないだろ。ほぼ毎日盗まれていたら、その分買い足さなきゃいけない。一般人には負担が大きいに決まってるだろ」
「なるほど……」
「何もなるほど、じゃねえよ」
 けれど、拓人は本当に倉間の言葉に考えさせられた様であった。拓人は霧野との約束を思い出したと言ってグラウンドへ行ってしまったが、南沢も倉間も、改めて拓人は金銭感覚がずれているなあと思っていた。
 倉間は南沢に向き直るとこう言った。
「とにかく、警察に行ってください!」




 倉間の助言を無視し、南沢は警察にも行かず、洗濯をし、やはりベランダに衣類を干して寝た。ここまで来ると、下着泥棒などに生活のサイクルを変えられて堪るかと言う様な意地も出てきていた。
 そうして、朝を迎えたとき、少し変化があった。
 勿論、靴下やシャツは風に游いでいるというのに、下着はぽっかりと姿を消していた。
 変化と言うのは何かというと、郵便受けに、風変わりな封筒が入っていたのだ。封筒自体は、スーパーでも購入が出来そうなものである。しかしながら、その封筒には切手も、消印も捺されてはいない。
 ただ、行書体で、「下着代」とプリントアウトされていた。
 南沢が糊も塗られていない封筒を開くと、五枚程の一万円札が出てきた。
 これは、過去に盗られた下着を合計しても及ばない金額であった。南沢は一万円札を封筒に戻した。
(……朝食、作ろう)
 南沢はお金が貰えるなら良いかと自決した。




「南沢さん、警察には行きましたか」
 朝練のとき、三国や車田が必死になって練習をしている中、南沢と倉間はベンチでそれを見ながら話をしていた。サボりである。
「行ってない」
「何で!? 昨日散々に念を押したのに!」
「それより、封筒が入ってたんだよ」
 南沢は今朝の出来事を倉間にそのまま伝えた。倉間はうわあ、と声を漏らす。
「ますます危ないじゃあないっすか。そんな金よく受け取れますね。俺なら外に投げ棄てときますよ」
「実質被害は下着だけだし。元が取れるならそれで良いだろう?」
「無理無理! 絶対無理! 相当生活に困っていたら手を出すかもですけど、得体が知れないし、というか後で金返せとか言われそうだし、とにかく無理です!!」
「お前って意外と潔癖だよなあ」
「馬鹿な事を言わないで下さい! 速やかに封筒は放棄すること、良いですね? どうなっても知りませんよ!!」
「考えとく」
 南沢は生返事をした。




 考えとく、では済まないかもしれないと南沢が思ったのはそれから二週間後の事だった。
 部活の後、南沢は倉間と遅くまで遊んでいた。携帯で時間を確認すれば、既に針は11を指していた。
 帰宅し、アルコールジェルで手を消毒すると、歯を磨いて眠ろうと思った。
 洗面所に立って歯ブラシとコップを掴んだときに、違和感を感じたのだ。何となくだけれど、妙に真新しくなっているような気がするのだ。
 歯ブラシはともかく、コップに関しては一年以上継続して使用しているものだった。表面に出来てしまった筈の細かい傷が一掃されているように見える。
 そこまでならば、思い込みで済まされたかもしれないが、捨てた記憶がないのにゴミ袋が消えていたり(南沢の保護者がそのような事をするとは非常に考えにくい)するのだ。
 更に、ベッドの布団が、まるで打ち直しをしたみたいに整っている。真新しく、南沢が振り掛けたはずの香水の匂いが全くしなかった。
 物が、新品に摩り替えられている。
 その事実は南沢の中で確定した。
 そして、恐らくは、下着泥棒と同一人物の仕業である。
(さすがに、まずいだろう)
 お金に余裕が有るのかどうか、南沢の知る所では無いが、ここまで来ると南沢も黙ってはいられない。
 問題は、屋内に侵入されているという事だった。相手の目的はあくまでも南沢の使用した物なので、貴重品の有無などの心配は無いにしても、変態がこの室内を歩いたかと思うと少し許せないものがある。
 寝ようとしている場合ではない。
 南沢は家の中の隅々まで調べ、下着泥棒がいない事をよく確認した。
(警察とは言っても、証拠がなあ……監視カメラを付けて、映像を納めてからじゃないと難しいよな。物が新品になるのは、嬉しいけど、勝手に部屋に入られるのは嫌だな)
 南沢は制服を脱ぎ、寝間着へと着替えると、上着とスラックスを残して、シャツなどを洗濯ネットに入れ始めた。
(というか、警察より先に親か。どうしよう、滅多に帰って来ないし)
 スイッチを押せば、洗濯機が稼動する音がした。その音を聞きながら南沢が出した結論とは、とりあえず、寝る事だった。
 特に気にする事もなく、新品の布団を被り、南沢は眠りについた。




 起床をすると、普通に差し替えられた歯ブラシで歯を磨いた。案外、南沢は神経が図太いのかもしれない。
 それにしても、休日の朝とは穏やかなものだ。南沢は洗濯槽から濡れた衣類を取り出すと、ベランダに干そうとした。
 ベランダに行く為には、まず、リビングに行かなければならない訳だけれど、南沢はおかしな事に気が付いた。
 どこか、人の気配がするように思えるのだ。
 何かが当たる音がする。食器の音とでも、言うべきか。
 南沢はそうっとドアを開けた。
 隙間から、顔を出して中を見る。
「……神童?」
「おはようございます、南沢さん」
 何故、お前がここにいるのか。
 リビングでは、拓人がティーカップを片手に読書をしていた。南沢は、そうか、食器の音はカップとソーサーが当たる音かあ等と考えた。
「お邪魔してます。布団、どうでしたか? 前のものにそっくりかつ通気性の良いものを選んだんですけど……」
「ごめん、あんまり分からなかったわ。それよりお前、不法侵入って言葉は知ってるか?」
「不法? あの、どうして不法になるんでしょうか。俺、きちんと鍵を使いましたよ」
 そう言って拓人はポケットから鍵を取り出した。確かにそれは、南沢の家の物に思える。
「……どうして持ってるんだ」
「霧野が、そんなに好きなら合鍵を作れば良いと言っていたので、昼休みに南沢さんの鞄から持ち出して作りました」
「どっちにしろ犯罪だな」
 こいつのお友達はなんて適当なアドバイスをするのだろう。そして、それを実行する拓人は頭の螺が跳んでいるとしか思えない。
 拓人が読んでいる本の題名は「人間失格」であった。南沢は、お前が人間失格だろと思った。
「そうだ、そんな事より! 南沢さん、下着が無くなると困るって言っていたので今日はお金だけじゃなくて下着も持ってきたんですよ。俺、ランジェリーショップで選んでみたんです。ほら、この黒いのとか、南沢さんに似合いそうですよね」
 清純そうな神童はいつも通りの調子でそう言い、床に置いてある大きな紙袋からかなり際どい女性物の下着を取り出すと、少女漫画の王子様みたいに柔らかい笑顔で微笑んだ。
 南沢は、洗濯物を床に置くと、リビングに設置されている固定電話の受話器をとった。
――――警察に、行ってください!!――――
 倉間の声が、ぱっと脳内再生される。
 南沢は、とりあえず、110番を押した。






2012/02/13




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