時間を自由自在に止めてみたい。
 もし、それが可能ならば、テストの時間に悠々と教科書を開いたりだとか、同じクラスのA子を裸で椅子に座らせて置くだとか、面白いかもしれない。
 けれど、それなら、A子ではなくて、動かなくなった南沢さんにこっそりキスをするとか、クローゼットの中身を全て総レースの女物の下着に変えてしまうだとか、そういう事がしてみたい。


 倉間は大体そのような事を考えていた。
 というのも、現在絶賛抜き打ちテスト中であったからである。何故だか覚えている部分は全て語群が書いてあり、どうせ大した配点では無いだろうと無視した部分が完全に覚えていなければ解答出来ないものになっていた。
 倉間は激怒した。かの邪智暴虐なテストを除かねばならぬ……等とメロスをリスペクトしている場合では無かった。
 けれども、倉間はテストの点数に対し執着などはまるで無かったので、最終的に、そこそこ取れればそれで良いという結論に至った。
 よって、倉間の脳内は今、時間を止めれたらあれをしよう、これをしようという様な空想に取り憑かれていた。
「その願い、叶えましょう!!」
 突然響いたその声に倉間はばっと現実に引き戻された。……いや、これを現実と呼ぶのには、少々異質ではなかろうか。
 寧ろ、倉間は異空間へと連れて来られたのかもしれない。先程まで教室を支配していた沈黙も、必死に解答用紙に文字を書き込む聡明な生徒達もいない。
 倉間の眼前にはサッカー部の後輩である松風天馬が異様なオーラを放ちながら立っているだけだった。
 いつの間にか、一瞬にして世界は姿を変えてしまったのである。
「デジャヴュを感じる……」
 まず、倉間の口を衝いた言葉はそれであった。
「既視感と言って下さい。気取ってフランス語を使わないで下さい。政治家はすぐにそうやって横文字と日本語を組み合わせて曖昧に物事を回避するんだ! と言うのは置いといて、倉間先輩、実は俺、超能力者なんです!」
 天馬は朗らかにそう言った。
 はははっ、冗談がきついんだよチョココロネ野郎とは言えなかった。何故だかは分からないのだけれど、倉間は身を持ってその事実を知っているような気がしたのだ。
「とにかく、先輩の願いを叶えようと思います!」
「いきなりかよ!?」
「時間を止めるコツは、強く念じる事です」
 右手を天高く振り上げた天馬を見て倉間はやはりデジャヴュ改め既視感を覚える。
 天馬はパチンと小気味の好い音を立てて指を鳴らした。




「説明が足りねえっつの!」
 倉間が叫ぶと、女教師が腑抜けた顔でこちらを見た。教室は、ごくあり触れたテスト風景を取り戻していた。倉間は心からしまったと思ったが、タイミングがどうも良かったらしい。
「……ですから、問9の下の段の語群に訂正が有ります。黒板に正しいものを記載しましたので各自直すように……、宜しいですか、倉間さん。それと、目上の者に対する言葉遣いには気を付けるようになさい」
 女教師はきつく倉間をたしなめた。
 倉間もすぐに、すみませんと口だけの謝罪をする。
 それよりも、先程の光景は、夢だろうか。しかしながら、倉間にはハッキリ天馬との会話を思い出す事が可能だった。
 物は試しである。
 倉間は念じる事にした。目を閉じて、時間が止まりますようにと丁寧に頭の中で唱えてみる。
 一分程そうして、音が無くなった事を確認し、倉間が目を開けると、そこは、全てが写真のように固まった世界が完成していた。
「すごい」
 倉間は素直に感動を言葉にした。
 堂々と立ち上がり、教室を見渡す。
 テストに励む者、諦めて落書きを始めている者、筆記用具を駆使して小さなタワーを作り上げている者、内容は様々であったが、どれも一貫している事は、動かないという事であった。
 倉間はそれらが面白くなり、巡回をしてみる事にした。
 げっ、浜野寝てる。速水は、真面目に解いてるけどどこか上の空だなあ。これは、C美だっけ。うわ、なんだこれ。
 倉間はC美の問題用紙を持ち上げた。その余ったスペースには男同士が絡んでいる絵が描かれている。顎が尖っており、唇が厚く、肩幅の広い特徴的な画風ではあるが、何となくそれは、南沢と神童のように見えた。見えたと言うよりは、完全に意識をしているように思える。髪型は一致するし、何より南沢の個性に溢れた瞳が忠実に再現されていた。
 どうせなら俺と南沢さんにしろよ! と倉間は訳の分からない事を思ってしまったが、勝手に南沢を神童と絡めた不満からC美のシャープペンシルを取り上げる。すかさず倉間はC美のシャープペンシルでC美の作品をぐちゃぐちゃに塗り潰した。
「ざまあみろ」
 にやけたままのC美に対して倉間は吐き捨てた。
 次に倉間はC美のネタにされていた神童の解答用紙に目を向ける。神童は行儀よく手を膝の上に載せていた。それもその筈で、解答用紙はすでに空欄が無くなっていた。倉間は、ここは○○だったかあ等と答えを確認しつつ、神童は恐らく満点だなと思った。
 神童の解答用紙を元通りにしてやると倉間は女教師に近付いた。つんと済ました、差別が激しいと評判のオバサンである。倉間はとりあえず、タイトスカートを捲り上げておいた。剥き出しになった肌色のストッキング越しに見える派手な紫色の下着に倉間はなんとも言えない気持ちになった。
 倉間は席に付き、何事も無かったかのように問題を解き始める。
 そう言えば、止めた時間はいつ動くのだろう。
 倉間がそう考えると、急に教室の雰囲気が変わる。カリカリと鉛筆が紙の上で動く音が再び教室を埋め尽くす。まるで、ダムが壊れ、川の水が飛び出すような感覚だった。
「ひっ、」
 窓際から女子の短い悲鳴が聞こえた。すぐに、C美だと分かった。知らぬ間に黒くなった絵に驚いたのだろう。
「どうかしましたか?」
 女教師がC美に近付いていくのが足音で分かる。そして、女教師が歩けば歩く程に、教室の空気はどこか困惑を漂わせる。
 倉間は口元が歪んでいくのを抑えるので大変だった。
「先生……スカート」
「スカート? スカートがどうしたのかし、ら……っ!?」
 女教師の絶叫が響き渡った。




 放課後になり、倉間は部室へと走る。勿論、南沢に会う為(サッカーも大事だけれど)である。
 それにしても女教師の崩れた顔は倉間を爽快にさせた。隣のクラスの教師までやって来て最後には笑い者にされていた。
 倉間は上機嫌のままサロンに入ると、そこには南沢がいた。
「みなみさわさ、」
 言いかけて、やめる。
 眼前では、南沢と、神童が話していたのだ。
 神童は大抵の場合、霧野と過ごしているし、南沢だって倉間がいない時は同じ学年の者といるのが常だった。
 この取り合わせは珍しい。しかも、会話が弾んでいるのか至極楽しそうである。
「それにしても、南沢さんも○○読んでいたんですね」
「ああ、表紙買いだったけど読んだら止まらなくて。途中で葉蔵がああなる所とか」
「分かります! それなら○○とかは?」
「読んだ読んだ。食べ物が美味しそうで凄いよな」
「牛乳とトースト!」
「そうそう」
 これは? あ、それは知らない。本当に、なら今度貸しますよ!
 とてもじゃないけれど、本より漫画の倉間にはついていけない話であった。話はトントン拍子で進み、神童は南沢を家に招こうとまでしていた。
 普段の倉間であれば、そこまで気にかける場では無かったかもしれない。けれども、倉間の中では先程のC美の絵が事細かに再生されていくようで有った。
 自分にはここまで妄想癖が有っただろうかというくらいに、神童が邸宅のベッドに南沢を押し倒す所まで想像できてしまった。
 駄目だ。そんなのは駄目だ。許されない。俺が許さない!
 止まれ!!
 倉間が強く思えば、辺りはやはり、教室と同様、よく出来た模型を見ている気分にさせてくれた。
 倉間は衝動に任せて笑ったままの神童を突き飛ばした。神童は倉間の加えた力に従って床へと打ち付けられる。
 不自然な体勢で倒れた神童を見届けると倉間は距離を取った。倉間が満足気に息を吐くと、時はまた、活動を始めた。
「神童?」
「あれ、どうして俺、倒れて……」
 大丈夫か、と南沢が問い掛けながら神童を立ち上がらせる。
「なんだろう、倒れた記憶が全く、」
「痛くないか?」
「……言われてみたら、痛いかもしれません。でも俺、打ち付けた実感が無くて」
「俺も、お前が倒れるところ、見てないんだよ。気付いたら倒れていたみたいな。違和感だらけだ」
 考え込む二人を見て、倉間はやり過ぎただろうかと思ったが、上手い具合に話題の方向を変える事に成功したので結果としてはまずまずだった。
「あれ、倉間、いたのか?」
 神童がこちらを見てそう言った。
「ずっといたけど」
 倉間はぶっきらぼうに返す。
 南沢が訝しげに倉間を見ていたのだが、それに気付く事は無かった。


 それからの倉間はもう、絶好調であった。
 気に食わない事には全て能力を使ったし、南沢に近付く者がいれば直ぐ様に制裁を与えた。
 お陰様で、倉間はべったりと南沢の隣を独占する事が出来た。まさに、薔薇色の日々である。天馬にお礼の一言でも言いたいくらいだったが、どうやらあの日以来、天馬の存在は消えてしまっている様だった。
 それにしても、こんなにも簡単に、南沢さんとより多くの時間を共有出来るだなんて!
「南沢さん、今日はどこ行きます? 商店街とか?」
「……行かない」
「何でですか?」
「最近疲れてるんだよ……時間の感覚が、なんか可笑しいんだ。受験も控えてるし、休ませてくれよ」
「そんな事言わずに、行きましょうって!」
「倉間」
 制するように南沢が名前を呼んだので、倉間は押し黙ってしまった。
「お前、何か、やってるだろ」
「え、どうして」
「気付くよ、流石にな。俺の周囲でばかり変な事が起きるんだからさ」
「……っ」
「否定はしないんだな」
 確かに、倉間はこれまで前後の繋がりを考えずに時間を止めては色々な人を蹴散らした。常識から一線を引いた能力だから、絶対に自分は疑われないとどこかで慢心していた。
 けれど、聡い南沢は、気付いてしまった。
 南沢は冷たい目で倉間を見た。
「俺、お前のこと」
「嫌だ、聴きたくない……っ!!!!」
 倉間は、時間を止めた。
 恐らく、続きは、見損なっただろうか。軽蔑した、だろうか。どちらにせよ聞きたくなった。
 南沢に嫌われるだなんて、倉間には耐えられない事のように思えた。それでも、時間はいずれ、再開をしなければならない。そうすれば、自然とこの言葉の続きを聞かなければならなかった。
 もう一度、やり直したい。
 南沢さんにバレてしまう前に! こんな変な能力を授かる前に!!
「その願い、叶えましょう」
 天馬は静かにそう言った。
 いつの間にか、天馬は倉間の背後に立っていた。相変わらず、彼は世界の理から外れた位置に佇んでいる。

「ちなみにね、倉間先輩。お前のこと、の続きは……好きだったのに、ですよ」

 すでに聞き馴れた、指を弾く音がした。






2012/02/09




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