・電波の香り







 透明人間になりたい。
 透明になれるのなら、何をしようか。服屋に入って、端から端までありったけの服を盗むと言うのも楽しそうだ。それとも、授業中に気に入らない教師のカツラを剥いでやると言うのも爽快だろう。
 考え出せば止まらないけれど、あ、そうだ。南沢さんに触れるだなんて、どうだろうか。髪をそっと揺らしてみたり、手の甲を撫でてみたり、普段は出来ない触り方をしてみたい。


 倉間は大体そのような事を考えていた。
 どんなに科学が進歩した所で透明人間など夢のまた夢だろう。そんな事はとっくに理解している筈なのに、つまらない授業は度々倉間を思考の迷路に追いやった。
「その願い、叶えましょう!!」
 突然響いたその声に、倉間はばっと現実に引き戻される。……いや、これを現実と言って良いものだろうか。寧ろ、倉間は異空間へと連れて来られたのかもしれない。
 先程まで教室を支配していた教師も、必死に黒板の文字をノートに写す勤勉な生徒達もいない。
 倉間の眼前にはサッカー部の後輩である松風天馬が異様なオーラを放ちながら立っているだけだった。いつの間にか、一瞬にして世界は姿を変えてしまったのである。
「なにこれ……」
 まず、倉間の口を衝いた言葉はそれであった。
「倉間先輩、実は俺、超能力者なんです」
 天馬は切実そうにそう言った。
 はははっ、冗談がきついんだよ電波ヤローとは言えなかった。現に今、教室は非日常を生み出しているのだから。天馬の告白を一蹴りには出来なかった。
「じゃあ、サッカーが悲しんでるとか、アレは、」
「ええ、サッカーと会話していたんです。勿論、超能力で……」
「うわあ」
 絶対俺、サッカーに嫌われている。サッカーは人間じゃねえよだとか、思いきり暴言を吐いた覚えがある。口は災いの元とは強ち間違いじゃあない。
 倉間は過去の自分を悔やんだ。
「とにかく、気が向いたので先輩の願いを叶えようと思います!」
「ちょっとまて、急には! 急には無理だから!!」
 右手を天高く振り上げた天馬を見て倉間は慌てて制止に入るが、無情にも天馬はパチンと小気味の好い音を立てて指を鳴らしてしまった。




「やめろ!!!!」
 倉間は思いきり椅子から立ち上がった。
 けれど、天馬の姿はどこにもない。教室だって、いつも通りの風景が流れている。
 しまった、夢だったか。
 倉間は冷や汗が流れるのを感じた。今、相当に恥ずかしい行動をしてしまったのだから。
 生徒達の視線は勿論倉間に集まったように見えた。絶対に笑い者にされてしまう。倉間は顔が熱くなっていくのが分かった。
 しかしながら、生徒達の反応はどうだろう。どこか青ざめてはいないだろうか。
 A子が耐えきれないとばかりに言った。
「今の、見た?」
 するとクラスメイトは次々に便乗を始める。
「そこの席、誰もいないのに……っ」
「幽霊だ、心霊現象だ! ポルターガイストに違いない!!」
 教室は、あっという間に授業どころでは無くなってしまった。
 一体どういう事なのだろう。
 あの、いつも威張り腐った教師ですら、気味悪そうに倉間(正しくは倉間の座っていた椅子)を見ている。
「マジか……」
 そう呟く倉間の声も教室には届かないようだった。
 倉間は改めて自分の身体を見た。別段、透けては見えない。今度は明確な意志を持って机を蹴っ飛ばしてみた。教室からは悲鳴が上がる。皆、机を凝視していた。
 そうして、誰一人倉間には気付かない。
 倉間は窓ガラスに目をやった。そこに、自分の姿は映っていなかった。
 本当に、透明人間になってしまった。
 倉間は呆然としたが、やがて悪戯っぽい笑みを浮かべた。


 休み時間になり、三年生の教室へと走ると倉間は談笑している南沢を見付けた。
 その隣には天城と三国、そして車田。それなりに見掛ける構図であった。
「それで、そのときの天城ったらよお」
「なっ、それは言わない約束だド!!」
 南沢は穏やかな表情ではしゃぐ二人を見ていた。倉間は少しばかり、不機嫌になる。倉間がいなくとも、南沢は楽しそうではないか。
 倉間は、壁に寄り掛かる南沢に近付くと、鮮やかな手付きでベルトを引き抜き、スラックスをすとーんと下ろした。
「……はっ?」
「えっ」
「お、おお……?」
「…………だド……」
 上から、南沢、三国、車田、天城の順である。幸い、周りにあまり人はいなかった。しかし、その為に、数少ない人々は皆、南沢を見た。仕上げとばかりに、倉間は引き抜いたベルトを床に放した。ベルトの金具が床に落ちると、カチャン、という高い音がした。
 空間が凍り付いた。
 けれど、直ぐ様に南沢がそれを打ち破った。
「これは、もう、世界が俺のナマ足を求めているとしか思えないな」
「いや、それで済まないド! 今のズボンの落ち方はおかしかったド!!」
「済むだろ。面倒くさいなお前」
「ベルト、明らかにおかしな位置に飛んでるんだが……」
「知るか」
 南沢にダメージを与える事は出来なかった。倉間の中に一層の悔しさが募る。
 忘れていた、南沢はナルシストなのだ。自分の体の髪の毛一本から爪先に至るまでを愛している男にこんな事をしても喜ばせるだけだ。
 失敗だ、倉間はそう思った。


 俺は、色々な南沢さんの顔を見たい!
 倉間の欲求は膨れ上がってしまった。
 どうせ透明なのだから、誰にも気付かれないのだから、何をしたって許されるだろう。
 倉間は三年生の教室でじっと南沢を眺めていた。放課後になると車田や天城なんかは我先にと部室へ走って行く。
 解放感からか、教室はガヤガヤと騒がしく、三国と南沢が何かを話している様だったが会話が聞き取れなかった。
 けれども、それから南沢が顔色を変えたのはよく分かった。倉間は二人に近付いた。
「嘘だろう?」
「南沢こそ変な事を言って俺をからかっているのか?」
「三国、本気で言っているんだな」
「当たり前だ。嘘だと思うなら他の奴にも聞いてみるといいさ」
 話は中途半端で事情が掴めなかった。
 南沢が鞄を引っ掻けて教室を出ていくので、倉間も急いで後を追い掛けた。


 南沢は二年生の教室の扉を開けた。
 浜野と速水は3DSで通信対戦をしていたらしく驚いて飛び上がった。
「ひっ! 南沢さんすいません!! 部活サボる気は全く無かったんです! ただちょっとゲームしてから行こうかなあみたいな!」
「あああ、すみません! すいません!」
 南沢は二人の手元を一瞥し、溜め息を吐く。
「それは、どうでも良い……、それより」
「え、部室に来ないから怒りに来たんじゃないんすか?」
「違う、倉間は?」
「クラマ?」
 南沢がそう尋ねると、二人は顔を見合わせた。
「ええと、それって二年生の誰かですか」
「何言ってるんだよ。同じクラスだろ、お前ら……」
「ええ!? 南沢さんでも冗談言うんですね。知りませんよ! クラマなんてやつ」
「…………そうか、邪魔したな」
 南沢は来た道を戻っていく。
 倉間は、ただただ立ち尽くしていた。
 目の前では浜野と速水がゲームを再開している。軽快な音楽が静かな教室に響く。
「ちゅーかさ、授業中。焦ったよね」
「ええー、俺は今の南沢さんの方が焦りましたよお」
 器用にゲームを操作しながら二人は話す。
「それもそうだけどさ、つうかあの席なんであんの?」
「ほら、B君が転校したからそのままにして有るんですよ。席替えまではあのままじゃあないですかねえ」
「ああ、そうだそうだ。でもさ、先生もビビってたから、明日のロングホームルームは席替えじゃね」
「何だったんでしょうねえ、あれ」
「……クラマってやつの仕業だったりして」
 その言葉に、二人は顔を見合わせた。そして、弾かれたように笑い出した。
「ありえねー!!」
 浜野が自分の発言に突っ込みを入れる。
 倉間は居ても立ってもいられなくなり教室を飛び出した。









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