バレンタインに向けて









 まさか、現実にこのような事が起こり得るだなんて思わなかったのだ。
 倉間はなんの気もなしに机の中に手を入れた。そうすると、コツンと指先に当たるものが有ったのだ。
 これは、もしかしなくても、そうだろう。だって、今日は、2月の14日なんだもの。それ以外、考えられないだろう。
 倉間は胸の鼓動を高鳴らせながらそうっとソレを引き出してみた。
 ソレは倉間の期待を裏切る事がなく、落ち着いたベージュの箱に、映えるような赤いリボンでラッピングされた、間違いなくチョコレートの包みであった。
 極め付けは箱とリボンに挟まれたメモ用紙。そこには端正な文字で"倉間へ"と刻まれている。
「き、きた……」
「なーにが!? おおおお! チョコじゃん! 倉間すげえー!」
 倉間が感嘆の声を漏らした瞬間に後方から思いきり浜野が飛び付いてきた。浜野は倉間の手元を覗き込むと、やったじゃんと持ち上げてくれたのだが、ある一点に目を止めると調子を変えた。
「ちゅーか、その字……」
「字? 分かるのかよ、誰? もしかしてA子?」
「いや、違うんだけどさあ」
 A子とは、学年でトップクラスの可愛さを誇る少女である。勿論、倉間も本気でA子からチョコを貰えたとは思っていないのだが、それはともかく浜野に心当たりが有るのならば教えて欲しかった。
「おはようございますう、はあ、もう今日は朝から憂鬱ですよお。全く誰がバレンタインデイなんて考えたんですかね……って、あーーーー!!!! 倉間くん!! それ!!」
 速水の絶叫と共に倉間はすっかりチョコをくれた人物を聞き損ねてしまったのである。




 何はともあれ、倉間は授業中、ずっとチョコの事で頭が一杯だった。たった一つのチョコだけれど、数なんて関係ないのだ。大切なのは自分を憎からず思っていてくれる人物が丁寧なラッピングを施して、机に偲ばせてくれたという事実なのだ。
 "倉間へ"
 そう一言だけ書かれた文字がこんなにも自分を悩ませるだなんて思わなかった。くんも、さんも付いていない。名字だけで呼び捨てにされた自分の名前。
 この時期になると店頭に並ぶ、定番のハート型なんかではなく、小綺麗に纏められた箱。もしかしたら、明るい感じではなく、大人っぽく、落ち着いた子なのかもしれない。同じ学年とは限らないし、サッカー部に所属していると自然に目立ってしまうから、年上の先輩だったりして。
 倉間の連想ゲームは止まらず膨れていき、最終的には何故だかサッカー部の先輩である南沢篤志を思い浮かべてしまった。
 ばかっ、俺のばか、さすがにそれは無いだろ!
 倉間は必死に南沢の姿を脳から追い出そうとした。とは言え、一度、像を結んでしまった南沢はなかなか消えてくれなかった。
 それどころか、南沢が朝早くこの教室にこっそりと入り、鞄から箱を取り出すと、そっと机に置いていく場景をやたらとリアルに想像してしまった。
 そうなると、倉間はもうこれが見知らぬ女の子からのものとは思いたくなかった。
 南沢さんが俺にチョコをくれるだなんて、とんだ妄想だ。願望だ。でも……そうだったら、良いのになあ。
 倉間は机にうつ伏せになり、止まらない空想をやり過ごした。




「こんな日でも部活は有るんですよねえ。皆、やる気、出るんでしょうか。俺はとてもじゃないけど」
「出るんじゃね? 神童とか霧野、凄かったし」
「神童くんはチートですよ! チート!」
「何それ?」
 速水は浜野に対して、チートとは直訳でズルだと言う事、神童は稲妻町有数の財閥なのでモテない訳がないという事を説明していた。
「まあ、あれもチートみたいなものですね。これだからイケメンは……」
 そう言った速水の視線を追いかけるとそこには女子に囲まれた南沢がいた。普段、倉間と共にいるせいか、あまり気にならないのだが、南沢もそこまで背が高い訳ではない。少しばかりチョコに思考を奪われていたのと、女子に埋もれていたせいで倉間は南沢に気付けなかった。
「南沢くん、今年も大会頑張ってね!」
「これ、本命だから、きゃっ、言っちゃった!」
「余ったから南沢くんにもあげるね」
 本命、義理、入り乱れてはいるものの、あれだけ南沢があからさまにモテていると女子も渡しやすいのか、南沢にはたくさんの女子が群がっていた。
「ひゃー、さっすが南沢さん」
「神童くんもすごかったけれど、こっちもなかなかですよねえ」
 南沢は決して嫌な顔をせずに全てのチョコを受け取っていた。持ち切れない分を鞄に入れようとしたところで、鞄には既に大量のチョコが覗いていた。
 倉間は自分の鞄の中に潜んでいる箱を改めて思い浮かべた。先程までの自分は、一体何を考えていたのだろう。南沢はそもそも、貰う側の人間なのに、どうしてそんな人がただの後輩である自分にチョコをくれるだろうか。
 勘違いも、甚だしい。
 そうなると、倉間はもう、チョコに対して喜びを感じなくなっていた。結局、これが本命であるかも分からないし、大体にして、好きでもない人からチョコを貰っても、どうしようもないではないか。倉間には元々、チョコを貰った数を誰かと競う気もないのだから。そう思うと、このチョコは、本当に無意味な物に思えてきた。
「あれ、倉間くん、どこへ?」
「南沢さん見ていじけたんじゃね?」
 そんな必要、ないと思うのになあとは言わなかった。浜野と速水はどこかへふらふらと向かっていく倉間と、それをさり気なく追いかける人物を見届けた。




 持っていても、空しくなるだけだ。
 けれども、このチョコをくれた人が見たら傷付いてしまうかもしれない。
 そう考えた結果、倉間は人目には付きづらい、校舎の影に隠れたゴミ捨て場までやって来た。
 倉間は鞄から箱を取り出すとそれを見た。抵抗はあるけれど、もう、これを持っていても気分がひたすらに落ちていくだけだ。
 倉間は箱を、ゴミ捨て場に投げ入れようとしたところで、手を止めた。
 それと同じくして、後ろから声がかかる。
「捨てるのか?」
「!」
 慌てて倉間が振り向くと、そこには廊下で女子に持て囃されていた筈の南沢がいた。倉間は弁解した。
「だって、俺なんか、どうせ義理に決まってますし」
 南沢はそれをつまらなさそうにして聞いていた。
「ふうん、好きにしたら」
「偉そうに」
 どうせ、南沢に自分の気持ちは分からない。分からなくて良い。自分とは違う世界の人間だから、きっと、好きになってしまったのだから。それでも、もう少し、優しくしてくれたって良いのに、なんて倉間が考えていると、南沢は衝撃の言葉を口にした。
「渡した本人の前で捨てる方が、よっぽど偉そうだと思うけどな」
 今、なんて……
「え?」
 倉間は自分でも間抜けだと感じるような声を出した。
「ん?」
 南沢は首を傾げる。
 暫く二人は見つめあっていた。
 倉間は目尻からじわじわと涙が溢れてくるのを感じていた。今日は、なんて忙しいくらいに気持ちが変わってしまうのだろう。つい数分前までの暗さはどこへやら、すっかり倉間の頭は、綺麗な花が満開に咲いていた。
「どう見ても、そのメモは俺の字だろ、うわっ! 何で泣くんだよ……」
 嬉しいからに、決まってるでしょう!
 けれどもそれは感動のあまり言葉にならなかった。倉間はこの満ち溢れる歓喜を抑えきれず、正面から南沢に抱き付いた。
 南沢は、変なやつ、と呆れながらも倉間を抱き締め返してくれたのだった。









2012/02/02




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