∴§待ち人/堀川国広

秋も深まり、寒くなってきた今日この頃。

秋だから、と何かを始めるほど余裕もないが、病にかかるほど多忙でも無く、私はいつもの通り、政府が所有する建物へ足を運んでいた。


詳しく説明するとなると、審神者を始めてからそれなりの年月が経過し、年功序列、という事で最近偉くなったから、である。

…と言っても、給料がほんの少し上がっただけで、職務内容がまるきり変ったわけではないが。


毎日の出陣や日課を本丸でこなす他、一週間に一回から二回くらいの頻度で政府所有の会館やホールへ呼び出され、会議に出て。

…と、こんな具合に、プラスアルファでやる事を付け足されたような感じと言えば分かりやすいだろうか。


その他変わった事といえば、ごくごく稀に、だが。

現世に刀剣男士数名と共に出張して、時間遡行軍が潜んでいるとされる場所に張り込み、現れるのを待ち伏せて始末する、非常に手間のかかる任務をやらねばならなくなった事か。


ただ、こんなふうに。

刀剣男士を動かす、というよりかは、自分もそれにくっついて動いたり、自分から動き回る仕事が多くなったのは確かだ。


そのせいもあるのか、以前と比べると、目に見えて分かるくらいに痩せたので、本丸の面子…殊更、脇差の皆にかなり心配されているのが心苦しい。

…ついでに言うと、何の心配りか、最近彼が何かと理由を付けてお菓子をくれるのだが、この年齢でそれを平らげ、普通の食事も残さず食べる、というのは流石に辛いものがある。


まあ、それも全て彼なりの気遣いだ、と思えば可愛いものだが、些か行き過ぎな気もしないでもない。

さて、今日それを伝えるか否か…。


割とナイーブな所だから、指摘したらしたでまた別のやり方を考えてくるのは目に見えている。

お菓子の次は肩をもまれるのか、それとも…等と考えつつ、私は携帯端末を操作し。

そうして、某会話アプリを立ち上げ『堀川』と表示されたトークルームに入り、会議が終わった、という旨を文章で打ち込んだ。


すると、程なくして端末が震えたので、何かと思って開いてみると、もう彼からの返信が来ていた。

『迎えに行くから、ちょっと待ってて。場所はいつもの所でいいよね?』


いつもの所…と言っても、実質、堀川とここの喫茶店に来たのは数える程しかない。

それでも、彼に『いつもの』と言われるくらいにはこの喫茶店の話をしているのを思い出して、ああなるほど、と自己完結した。


だから『うんそうだよ、ありがとう。いつもの店で待ってるね。』と、ごく簡潔に返事をした。


まあ、迎えに来てもらう程遠くには来ていないし、本丸に備え付けられている転送装置を使えば何処であろうと秒で来られるのだけれど。

でも、せっかく向こうがこう言ってくれているわけだし、私としても、それを少なからず嬉しいと思っているから良しとしよう。


『何だかデートみたいだなぁ、』なぞと呑気に思いながら、荷物を持って立ち上がり、既に無人となっていた会議室を後にする。

そうして、新調したヒールを軽快に鳴らしながら廊下を歩き、件の喫茶店へと向かった。


廊下の突き当たりにある木製のドアを軽く押すと、上に取り付けられた鈴がチリンと可愛らしく音を立て、新たな客が入ってきた事を店内中に知らせる。

相変わらず、このドアはコンクリートで出来た建物にあまりマッチしていないような気がしたが、一度店内に体を滑り込ませてしまえば、違和感は立ち消えた。


ブラウンやクリーム色を基調とした店内には、香ばしい珈琲の香りが漂い、現代的な電子音楽ではなく、ちゃんとサキソフォーンやピアノで演奏されたらしいジャズが微かに響いている。

こじんまりとしていて、居心地が良い───まさに大人の隠れ家を体現したかのようなこの空間が、とても気に入っているのだ。


「いらっしゃいませ、」


お好きな席へどうぞ。

店員さんからにこやかに声をかけられ、機嫌よく席を決めて座ると、すぐさまお手拭きやメニュー、水が運ばれてくる。

子どもの頃には既に見られなくなってしまった生身の人間によるこれらのサービスは、人工知能が気を利かせて行う物よりもずっと温かみがあって嬉しい気分になるから、大好きだ。


『コミュニケーションが面倒くさい、』だの『いちいち話し掛けられたくないから人工知能の方が楽。』だの。

賛否があるのは重々承知だし、人口知能に接客されるのが好きな人を否定する気はない。

しかし、どこの施設にも必ず一つか二つはある、生身の人間が調理や接客を全て行うタイプの店を、私はこの上なく愛していた。


幸運な事に、今日は平日であるからか、店内には然程客が居ない。

それを良いことに、お冷やとお手拭きを受け取った直後、早速店員さんに声をかけ、オリジナルブレンドのホットコーヒーを頼む。


「少々お待ち下さいね。」


簡素な言い回しに頷き、店員さんの背中が遠ざかるのを見送って、私は再び液晶画面を眺めた。

画面には、暇つぶし用に…とダウンロードしてみたは良いものの、一度も開いていないアプリがずらりと並んでいる。


『いらないアプリは積極的に消すべき、』等と、よくアドバイスされるけれども。

何分、私自身が『一度も開かずに消すのは勿体ない、』と思う派の人間であり、なかなかそれを実行出来ずにいるために、アプリの飼い殺しが起こってしまうのであった。


それはそれとして『堀川やコーヒーを待つ間、何で暇を潰すべきか…?』というのが、一番の悩みである事に変わりはない。

最近話題の、よく分からない生き物を延々と育成するゲームに、謎解きをしながら真相に迫っていくタイプのノベルゲーム。
はたまた、鳥に旅をさせる癒し系ゲーム…等々、悩めば悩むほどアプリを開けなくなってしまうもので、こういう時の自分の優柔不断さが本当に憎らしい。


それとも、いっそゲームで暇を潰す、という行為自体をやめにしたってそれまでだ。


『…こうして、振り出しに戻る。』

なんて。


一人で思って一人で笑った所で肩に手を置かれ、『待たせたね、』という声が耳へ吹き込まれる。

その瞬間、私は驚きのあまり跳び上がり。
その拍子に手から滑り、テーブルに叩き付けられた挙げ句、床の上へダイブした液晶を確認せんとして勢い良く屈んだ。


…最悪の事態を覚悟し、神妙な面持ちのまま拾い上げたスマホには、幸いにも傷一つついておらず、ホッと胸を撫で下ろす。

僅か数秒の間とはいえ、盛大な恐怖体験をしてしまったなあ…と体を起こし、確認せずとも分かる声の主を求め、右、左、後。


色々探しているうち『こっちこっち、』と。

テーブルの向かいから声がしたので、急いでそちらを見やれば、彼はいつの間にか向かいの椅子へ腰掛け、頬杖をついてこちらを眺めている。


見慣れたその顔には、何処か悪戯っぽいような笑みが浮かび。

なおかつ、この場の状況を思い切り楽しんでいるように見えて───何だか憎たらしいような気もしたが、目の前でこうもにこにこされてしまうと、怒るに怒れず、憎いとも思えない。


堀川は、こういう所が本当に狡いと思う。
…まぁ、そういう所も全部引っくるめて、彼が大好きなんだけれども。

『何てチョロいんだ、自分。』なんて考えつつ、私は神妙な顔付きで口を開く。


「ちょっと…何だったのよ、いきなり。来てたんならちゃんと教えてよね。」


スマホ落としちゃったし。

文句を言いがてら、慣れない事はしてくれるな、と釘を刺す。


それも、金槌でガンガン叩くのではなく、ごくソフトに、ふうわりと。
…例えるなら、指の先でちょっぴり釘を押し付けるくらいの感覚でそう言う。

堀川もそれをよく分かっていて、いつもの通りなら『ごめんね、主さん…許して!』と言うが早いか、顔の前で手をパチンと合わせ、少し首を傾げながらお茶目に許しを請う…という具合に、大いに楽しみながら茶番に付き合ってくれるはずだ。


本丸を立ち上げてからずっと一緒、という気安い間柄である故か、本丸を持った頃から二人の間でのみ交わされている、年季の入った楽しいおふざけであるからか。

ちょっぴり期待しながら、さあ、いつ乗ってきてくれるものかと待っていると、彼はいつもと異なる反応を示した。


「ごめんね、悪気はなかっただけど…その、端末の方、大丈夫だった?」


こんな具合に、いつもとは真逆の。

一般的に正しいとされるような謝り方で来られたので、思わず面食らってしまう。


「(…おかしいな、)」


いつもなら、こういう時には、とびきりお茶目に謝る茶番をしてくれるはずなのに。

どうにも拭い去れない違和感に不安を感じながら、私は自分の良く知る堀川の『いつも通りでない』点を幾つも拾い上げてしまう。


まず、私の堀川なら。
着いたらきっちりと『着いた、』と、私のスマホへ連絡するはずなのに、チラリと確認した彼とのトークルームには、新しいメッセージは見受けられないし、着信もない。

それに、私の堀川なら。
こういった場所に来る時はなるべく雰囲気を壊したくないから、と何処からか調達してきた洋服を纏って出て来るはずなのだが、今目の前に居る彼は完全に戦装束を纏っており、帯刀までしていた。


それまでだと言われればそうだけれど、今日の堀川はいつもと違いすぎる。

もしかしたら、他所の本丸の堀川が間違って声を掛けてきたのではないか、と思うくらいにはいつもとの違いをまざまざと見せつけられ、少なからず困惑する。


たまにそんな日があるのは仕方の無い事として処理出来るのだが、今目の前に座っている堀川は、明らかに自分の所の堀川でない。

どこから沸いて出たのかは分からなかったけれど、そんな確信を持って、私は再び口を開く。


「……………ねえ。」


「どうしたの?」


意外にもすぐに帰ってきた返答に怯みそうになるも、違違和感を持ったという事実を上手く隠せるわけもなく、息を吸うために薄らと開けた唇から、ぽろりと言葉が零れる。


「…あなた、私の所の堀川じゃないね?」


自分の口から出たにしては、あまりにもはっきりとしていて。

言葉が静かな店内で僅かに響き、テーブルの上へ落ちて蹲るようだった。

そんな問い掛けに対し、目の前の彼は笑みを浮かべたまま、こちらを眺め続ける。


「…どうして、主さんはそう思ったの?」


正直、そんな事を言ってしまったのを激しく後悔したし、まずい、とも思った。

当然ながら、険しい顔をして問いただされるのを覚悟した。


しかし、またもや予想が裏切られ。

比較的穏やかな口振りと表情のまま居てくれた彼に、どこかほっとしたのは内緒だ。


「それは───審神者としての勘、かな?」


本当の事を言うわけにもいかず、適当に濁してぎこちなく笑みを浮かべると、彼はとびきりの笑顔を返してきた。


常に持ち上げられっぱなしの口角が。

海のような色の瞳が。

ふわりとした微笑を貼り付けたその顔が。


…どこか儚げに見えたのは、きっと気のせいではないだろう。

そのまま、しばらく見合って。
先に目を逸らしたのは、彼だった。


「やっぱり…かなわないなぁ、」


主さんの言うとおりだよ、

とびきり寂しそうにそう言って、彼は目を伏せた。


「あの…、」


何か、言わなくては。

途端に立ち込めた気まずい雰囲気を打破しようと、口を開く。


「もしかして…待ち合わせ、してたの?」


あなたの所の、審神者さんと。

安直な推測から漏れ出た質問を切れ切れに発した途端に、彼は緩く首を振ってそれを否定する。


「僕に主はいないんだ…誰を待ってるってわけでもなかったし。」


目を伏せて、ごく簡潔に返された答え。

これが本当なら、彼は政府が所有する堀川国広なのだろう。

それならば。


「私に、何か用事があったの?」


政府の誰かから伝言を頼まれ、私に声を掛けるに至ったのかもしれない、と。

ごく自然な流れで出た質問を投げると、彼はまた首を横に振った。


「そういうわけじゃないんだ…僕が、あなたに声を掛けたのは…………、」


────僕が、あなたの堀川国広になりたかったから。

耳を疑うような一言に、息を飲む。


どうしてそんな考えを持つに至ったのか。
そもそも、君と私は初対面なのではないか。

湧き上がる疑問を遮るように、彼はまた言葉を発する。


「少しだけ、僕の話を聞いて貰えますか?」


懇願するような調子に押され、したかった質問を飲み込んで頷けば、堀川は泣き出しそうな顔をして口を開いた。


「政府主催の会議で、何度もあなたを見ていたし、あなたの所には、もう僕が居る事も分かってました。でも…僕は、仲良さそうに、幸せそうにしているあなたと、あなたの隣に居る僕を見て『僕も、あんなふうに大事にされてみたい、』って。どうしても、我慢出来なくて、」


だから、


「今日、あなたに声を掛けてしまったのは、あなたが僕を大事にしてくれるかもしれないって…もしかしたら、あなたの所の僕と入れ替われるんじゃないかって、思ってしまったからなんです。」


ごめんなさい。

言ってすぐ、彼がテーブルに額がついてしまいそうな程深々と頭を下げたので、こちらからは、堀川どんな顔でいるのかが分からない。


寄越された謝罪の言葉は、今までもらってきた、どんな『ごめんなさい。』という言葉の中でも格別重くて。

今日のこの時間に至るまで、全く彼の事を知り得なかった自分が、それを受け取るに価するのか…という思いが渦巻く。


どうするべきか分からずに黙り込んでいると、彼はようやく頭を上げた。


「…ごめんなさい、本当に。いきなりこんな事言われたって、困りますよね。」


決して視線は合わせずに。
俯いたまま呟く堀川の顔を覗き込んで、驚く。

声さえ出さなかったが、息が止まりそうになって。
彼の顔を見た事を心底後悔した。


ほんのちょっとだけ、表情を盗み見ただけ───それだけでもはっきりと分かるくらい、今目の前にいる堀川は、先程とは別人のような顔をしていた。


何を馬鹿な、と言われるかもしれない。

しかし、自分の所にいる堀川も含め、比較的見慣れた顔であるにも関わらず、覗き込んだ拍子に見えたのは、彼女や他の審神者が知っている堀川国広の顔とは、似て非なる物であった。


大きな青い瞳は、虚ろな色を宿してどこか一点を眺めたまま動かず。
しかし、口元には薄い笑みが張り付いたままで。

さながら、虚ろな目をしたまま微笑を続ける、古い人形のようだった。


あまりに生気の無い。
ただ、物としてそこにあるような有様が、心底恐ろしくてたまらない。

店内は暖房が効いている筈なのに、体の震えに合わせ、奥歯がカタカタと鳴って。
そこで初めて、自分がいつの間にか震えていた事に気がついた。


どうにか平静を保とうとするも、それは叶わない。

最終的に、私は額や背中に脂汗をかき、震えながら堀川と向き合うような格好になってしまう。


彼は相変わらず俯いたまま何も言わず、動きもしない。

重たい雰囲気に耐えきれず、こちらもついに俯くと、彼はいきなり派手な音を立てて立ち上がった。


「あなたの傍は、居心地がよくて…つい、長居しちゃいましたね。」


じゃあ、僕はこれで。

傍に来た時とは違い、えらくあっさりと言い置いて彼が去って行くのを視界の端に捉え、はっとする。


白いズボンを履いた足が颯爽と自身の傍を通り抜けていくのを目で追い、彼が完全に店を出た証拠である鈴がなった途端、私は脱力し、テーブルに突っ伏した。

周囲を見回すと、客は自分を除いて誰も居らず、カウンターの奥で店員がコーヒーを淹れているのが見える。


漂ってきた良い香りを肺腑の奥まで抱き込み、どうにか気持ちを落ち着かせる。

その時『僕ら、もう二度と会う事はないですね…、』と。

今し方店を出て行った筈の堀川の声が、すぐ傍で聞こえた気がした。


***


コーヒーのいい香りが鼻を擽り、目を開ける。

…どうやら、机に突っ伏したまま寝てしまったようだ。


目を擦り体を起こすと、テーブルの上には、ほこほこと湯気を立てるコーヒーが置かれており。

向かいには、こちらを気怠げに見ている堀川と目がかち合い、思わず飛び上がった。


『二度と会う事はない、』だなんて言いながら、ばっちり会っているじゃないか。

寝起きであるからか、軽いパニック状態に陥り。
無駄な動きを繰り返した挙げ句、近くにあったスマートフォンを床に落とし、慌てて拾い上げた。


…何だか概視感がある。

だが、よく見てみると、画面には『堀川』と表示された枠の下に『着きました、』と簡素なメッセージが表示されていた。


「大丈夫!?主さん…、」


ぱっと見、どうやったって一般人にしか見えないような洋服を着て。

向かいの堀川は、元々大きな瞳をもっと大きく見開き、何があったのかと問うてくる。


「い、いや…その、」


まさか、さっきまでの事を馬鹿正直に告げるわけにもいかず。

いきなり正面に居たからびっくりした、等と適当に言えば『ごめんね、主さん…許して!』と言うが早いか、堀川は顔の前で手をパチンと合わせ、少し首を傾げながらお茶目に許しを請うてきた。


───よかった。
今度こそ、私の堀川だ。

ほっとしたのは内緒。


それにしても、明らかにホラーの部類に入るような先程の体験は、果たして『ただの夢』と断言出来るのだろうか。

未だ生々しく思い出される、あの堀川国広の顔や一挙一動を思い浮かべ、身震いする。


何だか、体の芯から冷えているような気がして。

湯気を立てるコーヒーカップを持ち上げるが早いか、砂糖もミルクも入れずに、黒いそれをがぶがぶと飲み干した。


口内へ入り、喉元を伝って暗い胃の底へ滑り落ちていくコーヒーのお陰で、少しは体が温まったような…そんな気がした。

だが、しばらくするとまた悪寒が襲ってきたので、やむを得ずメニュー表を広げ、何か量が多くて体が暖まりそうな飲み物を頼もうと独特な字体の文字列を眺めだす。


堀川は、こんな私の行動を珍しく思っているだろうか。

ふと気になって、メニュー表越しにちらと彼を見やれば、当の本人は特に気にする事も無く向かいに座ったままだった。


「…堀川も、何か飲む?」


苦し紛れにそう問えば、彼は少し考えるような素振りを見せ。


「そうですね…じゃあ、僕はカプチーノにします。」


にこり、と。
人好きのする笑みを浮かべて、そう答えた。


「主さんは、何飲むんですか?」


「あー…ええと、私も、堀川と同じのにしようかな…。」


そう答えて初めて、堀川は心底意外そうな顔をした。


「つけ合わせ、って言うと変かも知れないけど…ケーキとか、パフェとか。いつもみたいに、甘い物はいらないんですか?」


「…………うん、今日はいいや。」


とてもじゃないけど、甘い物で誤魔化せるような感じじゃない。

でも、と食い下がる彼にゆるゆると首を振って見せれば『…そういう事もありますよね、』と軽く流し、近くに居た店員さんを呼んで注文を伝えてくれた。


「少々お待ち下さいね。」


簡素な言い回しの後、店員さんの背中が遠ざかるのを見送ってからすぐ。

彼は『そういえば、』と前置きして唐突に話し始める。


「主さんは、ここのフロアにまつわる都市伝説、知ってます?」


都市伝説、というワードを聞いた瞬間、意図せず眉間に皺が寄る。


「…ううん、知らない。」


事実、知らない物は知らないので、あまり気乗りはしなかったが、どういった物かと問えば、堀川は『審神者の間では割と有名なはずなんですけど…。』と首を傾げ、また話し出す。


「実はここのフロア一帯は、二年前まで、政府所有の刀解部屋として使われてたみたいで。顕現されたはいいものの『審神者に従わなかった、』とか『審神者に対して強い執着心を持ってた、』とか。後は、元々政府所有が所有していた刀剣男士の数が増えすぎたりすると、ほぼ必ずこの階に集められて、問答無用で刀解されていたんだそうです。」


ただ、


「その中でも、何もしていないのに刀解されたっていう男士も少なからず居たみたいで───刀解部屋を片付けて、空いた部屋を会議室や喫茶店として使っている今でも、ここのフロアには、刀解された男士がその事に気が付かないで、自分の主になってくれそうな審神者を探してうろうろしてるとか。」


…まあ、都市伝説って言われてるだけみたいですし、僕も信じてないんですけどね。


単なる御茶請け、とでもいうかのように。

さらりと都市伝説の概要を告げた堀川とは対照的に、私は震えが止まらなかった。

彼が言った事が全て本当ならば、自分が先程出会った堀川も幻ではなかったのだ。


…もし、あそこで。

あの堀川が、自分の所の堀川ではない、と見抜けていなかったら、一体どうなっていた事か。


『もしもの場合。』が脳裏を過ぎり、私は改めて恐ろしくなった。


***


こうして文章に書き起こしてみても未だに怖くなるから堪らない。

私の話は以上です。


追伸。

それ以降も喫茶店には通っていますが、今の所、あの堀川とは一度も遭遇していません。

これを見ている審神者の皆さんも、私が体験したのと同じような事がいつ起こるかも分かりませんから『××ホールの二階で会議、』なんて事になった際は、十分お気を付け下さいね。


『待ち人』end.


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