∴喰らひ櫛/加州清光(上)

空は晴れ渡り、強い日差しがそこかしこに降り注いでいた。

───こんな日は、自分一人だけでどこにでも行けそうな気がして。

夏独特の無謀さと暑さとが混じり合って袖口に纏わり付き、しきりに外へと誘う。
…それにまんまと乗せられ、外に出た瞬間に激しく後悔したのは言うまでもない。


『夏というのは、実に厄介だ。』

やたらそう感じるのは、きっと人の身を得たが故の悩みなんだろう。

今にも溶け出してしまいそうな頭でそんな事を思い、遥か遠くで自身の帰りを待っているであろう本丸を目指して、田園風景の中を自転車でふらふらと進む。


なぜ彼がこんな状況に陥っているのか。

ごく簡潔に説明をさせて貰うと、暇を持て余した鶴丸主催のジャンケン大会に強制参加させられたから、である。


運が良かったのか、あの人数を相手に奇跡的に勝ち残り、加州は確かに栄えある勝者となった。

ここまではちょっと嬉しかったので良しとする。


しかし、例に漏れずこれから先が大問題だった。

ビリになってむくれていた鯰尾の『何だかスイカが食べたいですね。ほら、あの種がないやつ。』という一言と、鶴丸の気まぐれによって、勝ち抜いた王者であるはずの加州が何故がお使い係に任命されてしまい、この炎天下の中、万屋まで種なしスイカの調達に行かされる羽目になった。


せっかく勝ったのに、これではまるで罰ゲームだ。

…正直な所、強制参加とは言ったものの、最後の方は何だかんだ自分も楽しんでいたし、あの空気の中で主催者の提案に乗らないというのも、逃げるようで分が悪い。

加えて、そこに初期刀なら誰もが持ち得るような『しょうがないな、』という気持や『自分より後から来た男士の提案の一つや二つ、笑って受け止めきれなきゃ初期刀じゃない。』というような変なプライドが邪魔をして、誰にも手伝いを頼まずに一人で出て来てしまった次第であった。


───つまんない意地なんか張らなきゃよかったな。

汗を拭って見やった後ろの荷台には、箱に入った大きなスイカがくくりつけられ、前のかごには、それから比べるとやや小振りではあるが、やはりスイカがもう一玉積まれている。


「(…それにしたって、)」


スイカなんて、買ってきたところですぐ食べられる物じゃない、という事に気が付いている者は、はたして何人いるんだろう。

この暑い盛りだから、最低半日は冷やさないと温くて口にできたものじゃないだろうに。


湧き上がる疑問を汗と一緒に拭い、自転車の脇を流れていく温い風を感じながら、加州はぼんやりと前方を眺める。


本丸に帰ったら、この重たいスイカを厨にいる誰かに預けて汗を流しに行こう。

すっかり体を綺麗にしたら…そうだな。


自分の部屋に戻ってエアコンをつけて涼むにしても、部屋を冷やすには時間がかかるだろうから、主の部屋に行ってちょっとだけ昼寝をさせてもらうというのはどうだろう?

あそこなら年がら年中適度な温度が保たれていて快適だから、きっとぐっすり眠れる。

それで周囲がうるさくなければ、もう最高なんだけど。


…それ以外は何も考えつかないくらい、今の自分は史上最高にダサい格好をしていた。


下ろしたばかりの白い半袖のシャツは汗を吸い込んでじっとりと湿り。

あまりの熱さのせいでイライラしているから、異様に険しい顔をしているらしい事は容易に想像がつく。


一応出掛けに、申し訳程度には日焼け止めを塗ってきたし、そのままでは辛かろう、と小烏丸が貸してくれた麦わら帽子をありがたく借りてかぶってはいるが、突き抜けるような夏の日差しの前ではそれらも気休めにしかならない。


自身の皮膚がじりじりと焼けるのを感じながら、加州は麦わら帽子の影の下から遥か先を睨む。

───もう少しすれば本丸が見えてくる、はず。


早くこの暑さから逃れたい一心で、ペダルを踏む足に力を込めた時だった。


彼の本丸では、よく『万屋へ向かう時の道の目印』として使われている大きな木の下。

その異様な暗さを保つ日陰には、見慣れぬ大きめのゴザが敷かれ、様々な物が置き去りにされているのが見えた。


「(何これ………、)」


本丸を出て来た時には何も無かったはずなのに。

一体いつの間に…いや。

それ以前に、ここは原則的に審神者と刀剣男士。
もしくは政府の関係者しか入ってこられない特殊な空間であるはずなのに、誰が、何の目的であのように物を運んだのだろう。


もしかして、これが噂の不法投棄というヤツか。


物珍しさと疑わしさ半分でそちらの方へ近付くにつれて、周囲に人影がないことに気が付く。

やや離れた場所に自転車を停め、そこからじっと日陰を見やると、想像していたよりも数段まともな品ばかりが並べられていた…。

というよりか。
売り物らしき物品が置いてあるというような配置から察するに、どうやらこれは田舎によくある無人販売店のようだった。


ぱっと見た感じ、男性が好む物、というよりかは女性が喜びそうな物を主に取り揃えているようて、可愛らしい小瓶や、見たことのないような細工の小物入れ等が所狭しと並べられている。

個人的にはこういった物を見ているのは嫌いではないし、主の持ち物を見繕う事もあるため、実用性を気にするよりも、何となく華やかな見た目をしている物や、部屋に置いて映えそうな物に目が行ってしまう。


一度は疑った店の品を眺め回しているうち、彼の目はとある一点に留まる。

様々な品に囲まれるでもなく、ゴザからはみ出るかはみ出ないか。
そんなギリギリの場所へ並べられた鮮やかな真紅に吸い寄せられ、加州はそこへしゃがみ込んだ。


自身の爪の先より、もっと濃く深い。

こんな暗い場所でもはっきりと存在を主張してくるそれに、どうしようもなく心惹かれてしまい、感嘆の溜息を漏らしながら拾い上げて初めて、それが櫛であった事に気が付く。


丸くぽってりとした形のそれは、明らかに女性向けの品物であるというのに不思議と自分の手に馴染み、触れている時間が長くなっていくにつれて、この櫛が欲しい、という気持が強くなる。

加えて、見れば見るほど素晴らしい物のような気がして、手放すのが心底惜しくなった。


一目惚れというのは、正にこういう事を言うんだろう。
…まあ、欲しい物はしょうがない。

こんなに気に入ってしまったのだから、多少値が張っても絶対に買おう。


心に決めて、この櫛がいくらなのか確かめようとしたところ、そこでとんでもない事に気が付く。

というのも、櫛はおろか。
何度見たところで、ここの店に並べられた物品には、どこにも値札らしい物が付いていなかったのだ。


それだけならともかく、金銭を入れる箱すら見当たらず、途方に暮れた。

さてどうしたもんか。


とはいえ、櫛を持ったまま悩んでいても始まらない。

なんなら、適当に代金を置いていってしまおうか。


そこまで考えたところで、加州はまたもや妙な物を見つける。

並べられた品物に埋もれるようにして、ゴザの一角に名刺程の大きさの紙が山積みにされている事に気が付く。


店の名前でも書いてあるんだろうか?

軽い気持ちで紙を摘まみ上げ、裏をかえしてみると、端から端まできっちりと文章が書き連ねられている。


…ただし、あまりにも薄い墨で書かれた字だったために、読み取るのには難儀したが。


「夏、の……ワケあり、だい…。大特価、セール…?」


その先の文字を読むと、どうやらここにある物は全てセール品であるらしい事が伺えた。

なんでも、生産途中でほんの少し塗装が剥げた物だったり、肉眼では分からない程度に傷がついていたりして売り物にならない品がここに並べられているようだ。


『わけあり』というのは、そういう事か。

そんな理由で売り物になるか否か決まる、というなんて…と、自分も物であったが故の同情を寄せながら、文字の解読に力を注ぐ。


「この、商品…は。全品、お代は頂かずに…提供、させて、いた、だきます…、どれでも…お好きな物を、お好きな、だけ、お持ち…下さい………?」


一瞬、我が目を疑ったが、何度読んだところで内容は変わらない。

しかし、あまりに出来過ぎではないだろうか?


今までは、おまけと称し、店側の好意で代金を払わずに物をもらったことはあれど、この手のタイプは初めてで戸惑ってしまう。

もしかしたら誰かの悪戯ではないか、と身構えて、その外の紙もひっくり返して確認するが、どれにも目を細めてやっと見えるくらいの薄い字で同じ事が書かれているだけであり、代金を入れる箱も見あたらない。


最早、疑う余地もないだろう。

それどころか、持って行けるならどれでも持って行ってくれ、という店の姿勢に脱帽した。


「…なら、お言葉に甘えて。」


もらってくね。

誰もいない場所に向かって律儀に声をかけ、加州は真紅の櫛を大事に服のポケットに仕舞い込む。


一時は本気で怪しいと思ったが、存外良い品物を置いてたし、それもタダと来たものだ。

次に来る時は、主や乱を連れて来てあげよう。
そう思うくらいには、この無人販売の店が気に入った。


上機嫌なまま、加州は停めておいた自転車に乗り、本丸を目指して進む…一度も後ろの無人販売店を振り返らずに。

───客が居なくなると同時に、無人販売店は音もなく消え失せていた。

***

自転車をこいでいる最中に決めた通り、彼は本丸に着いてすぐ厨に顔を出し、たまたまそこに居た日本号にスイカを預けてから、風呂場へ直行した。

何だか仕事帰りみたいだな…と思いながら汗を流し終えた彼は、今現在審神者部屋へ向かって足を進めている。


もちろん、アポイントメントなんて取っていない。

場合によっては摘まみ出されるかもしれないが、彼女と自分の仲だから、それはないだろう。


妙な自信を持って障子に手を掛け───やめた。

いくらなんでも、何も言わずに部屋に入るのはいけない。


不意に頭をもたげた常識的な考えに突き動かされ、加州は自ずと声を発する。


「おーい、主ー…?」


今中にいる?

いつもなら、この時点ですぐ返事が返ってくるはずなのに、今日はそれがない。


「(…今日、会議だっけ?)」


そんな事無かったと思うんだけど。


「入るよ、」


再度声を掛け、思い切って障子を開けた途端、全身に冷たい風が当たり、一瞬にして体温が下がったような気がした。

…いくらなんでもこれは寒すぎる。


まるで冷蔵庫だな、と顔を顰めて部屋の中を見回すも、文句を受け止めてくれる相手の姿はない。

かわりに、エアコンが冷風を吐き出す音が延々と耳に届くばかりだ。


後ろ手に障子を閉め、部屋の中を見回すと、着きっぱなしのパソコンや、まだ湯気が立っているコーヒーが目に入り。

そして、彼女の自室となっている隣の部屋へ通じる唯一の経路である襖が、ほんの少しだけ開いているのを見つけた。


もしや昼寝か。

今度は躊躇する事無く隙間から覗き込むと、そこには主がいた。


ただ、自分が思った通り、昼寝をしていたわけではなく、鏡台の前に座っていた。

彼女の近くには、何事かと思うほどに黒髪が散乱しており───徐々に視線を上に持っていくと、子どもが自分の髪に誤って鋏を入れてしまった時のような。


下手をすればそれ以上に酷い有様に切られた髪が目に入り、彼女がまた髪に鋏を入れようとした瞬間、加州は襖を勢い良く開け、思わず叫んでいた。


「ちょっと…何やってんの!!!」


その瞬間、彼女が気まずそうな顔をして此方を振り返る。


しかし、余程切れ味の良い鋏であったのか。

彼女が振り返った途端に刃に触れた髪の一房がざっくりと切れて畳に落ちたのを目の当たりにし、加州は青い顔をして鏡台の方に駆け寄った。


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