▼ 星の小瓶/加州清光(極)
『眠れないの。』
スマートフォンの画面へ表示された短いメッセージを見て、加州は溜息をつく。
勿論、メッセージを送信してきたのは主と分かる。
…というか、こんなメッセージを送ってくる相手は彼女以外いないから、送り主を確認するまでも無いのだが。
「大体『眠れないの』って、当たり前じゃん…。」
まだ寝る時間じゃないんだし。
…つぶやいても始まらない。
とりあえず、加州は一度消したヒーターの電源を入れ直してみる。
そうして、一応彼女と自分二人だけのトークルームに入り『眠れないの』の他に何かメッセージが入っていないか確認するが、特に何もない。
───彼女が時間を問わず『眠れないの』と短いメッセージを送ってくる時は、必ず『どこでもいいから連れ出せ。』尚かみ砕くと『デートして、』という意味が含まれている。
そんなわけで、彼は今し方身にまとっていた内番用の着物を乱雑に脱ぎ捨て、箪笥から平服…いわゆる『現世に行く時の服』と呼ばれている洋服を引っ張り出した。
こうして眺めてみると、なかなかの量だ。
ここのところ全く袖を通していなかったし、最早箪笥の肥やしと化していたそれらは、新品同様と言っても差し支えがないくらいの状態で、ちょっぴり嬉しくなる。
「(毎日着るものじゃないんだから、痛まないのは当たり前…ってね。)」
そうは言っても、毎日着る戦装束とはまた違った雰囲気のある現世の服は、なかなかに興味深いものだ。
機会があればもっと買い揃えても良いのだが。
「ま、今日の所はこれでいいか。」
主を待たせるのはアレだし…。
そんな思いもあって、並べた物の中から適当に服を選び出すが早いか、すぐ身につけてヒーターを消す。
主からメッセージが来て10分もしないうちに、加州はばっちり身支度を整え、本丸の庭へ置かれた時空転送装置の前へ急いだ。
部屋を出てからというもの、誰ともすれ違わないのが不思議だったが、各部屋に点々と明かりが灯っており、なおかつ酒の匂いやどんちゃん騒ぎが聞こえている事から、今年最後の日に皆気の合う者同士で酒盛りをしているらしい事が覗える。
そういえば、自分の所にも方々から宴会の誘いが来ていたが、気が乗らなかったので、珍しく全部断ってしまったのを思い出した。
長谷部すら見かけないのは意外だったが、会ったら会ったで『こんな時間に現世の服を着て何をするつもりか、』と聞かれてしまうだろうし『主と二人で出かける。』なんて言ったら、それこそ面倒くさくなる。
だから、ラッキーと言っちゃラッキーなのだ…多分。
なるべく、ただ通りかかっただけを装って数々の部屋の前を通り過ぎ、辿り着いた先には、既に主が待っていた。
まさか大分長い時間ここに居たのではないか、という不安が過り、慌てて側へ近寄っていくと、彼女はふいに頭を上げた。
「あれ、」
思ったより早かったね。
縁側に座った主は、驚いた、とでも言いたげにこちらを見る。
勿論彼女も、この前買ったばかりだという冬物のワンピースに、揃いの色のブーツとコートを身につけて…と言う具合に、ばっちり出かける準備をしていたが、その身体には特に雪が積もって居るわけでもなく、特別体が冷えているというわけでもなさそうだ。
ひとまず安心して『…で、こんな時間に俺とどこ行きたいわけ?』と言うと、彼女はにんまりと笑って小さく『初詣デートしよ、』と返してくる。
彼女の口から出た『デート』という言葉にどきりとしたが、それを気取られぬよう、行くよと腕を差し出せば、主はいつもの調子でそれに手を入れて、脇にぴったりくっついてくる。
コート越しに伝わる体温を感じながら連れ立って歩き、転送装置をいじる。
…本当は、仕事以外に審神者と時間を超えるのはいけないとされているが、今日くらいは大目に見てもらおう。
どうせ政府の監視センターも、年末年始は休みなんだし…ばれたらばれたで始末書書けば良いしね。
ちゃっかりそんな事を思って、加州は転送装置を起動させた。
***
煌々と明かりが灯り、道の両端には、正月の引き出物や、食べ物を売っている出店が並ぶ。
賑やかな道を加州と連れ立って歩きながらも、まだ遙か遠くにぽちりと見えるばかりの鳥居を眺め、私は質問をした。
「…ええと、加州。この時代について聞いてもいい?」
「平成30年12月31日の深夜23:00。丁度年明けの一時間前ね。」
「平成最後の年越しの瞬間だよね?」
───あの、何でこの場面?
質問の端に疑問を隠して、再度そう聞けば、彼は脱力した笑みを浮かべてこちらを見下ろした。
「…そーね、それもあるけど、ほら。俺と主も、一緒に居て随分たつじゃん?だから、平成…とまでは行かないけと、これからも節目節目、一緒に過ごせたら良いなーと思ってさ。」
だからこの年代にしてみたんだけど、主そういうの嫌な人だっけ?
ごく優しく問い返され、思わず頬が赤くなる。
咄嗟に言葉を返せずに居ると、加州が顔を覗き込んできて『どーなの、』と悪戯っぽく言うから、たまらず顔を背け、矢継ぎ早に言葉を発す。
「…い、嫌じゃないよ?むしろ、初期刀にそう思って貰えるなら、嬉しいというか…さ、審神者冥利に、尽きるっていうか…。」
「なら良かった。折角の初詣デートで主のツボ外しちゃったらショックだし…何より、誘ってくれた方に満足してもらわなきゃ『デート』なんて言えないしね、」
いつの間にやら腕を組むのではなく、繋ぐだけだった手に指を絡められ、心臓が跳ねたが、女性同士、もしくは男性同士で初詣に来ている人の視線が突き刺さり、上がった熱が一気に冷めていく。
…正直、人目が多い所で心底安心した。
別に、加州と自分の仲の良さを見せつけたいわけではない。
このまま、加州と二人きりになんてなれば、付き合ってもいないのに、互いにもっととんでもない事を口走ってしまうに違いなかったから。
「…っと、時間食っちゃったね。」
行こ。
手はそのまま。
もうどちらが誘ったのか分からないような有様で、私は加州に連れられ、社の方へ向かった。
思えばこうして誰かと初詣に行くなんて久し振りすぎて、神社を参拝する作法をすっかり忘れていたから、私も加州も、周囲にいる人の見よう見まねで手や口を清め、神社に参拝し、おみくじを引いて結んでみたりした。
行き交う人は大抵、来年の元号の話をしていたり、どんなことがあるのか、と希望に満ちた話をしていたが、歴史的な部分を大抵知り得ているこちらとしては不思議な心地がした。
だからといって、未来の事をみすみす教えたりはしないし、仮に教えたとしたって信じては貰えない。
それらの行為をしてしまっては、歴史修正主義者と同じになってしまう恐れがあるし、下手をすれば歴史が変わる場合だってあるから。
加州と共に足早に社を後にし『休憩』と称して缶コーヒーを買い、暖かなそれを飲みながら夜空を見上げると、先程までは気が付かなかったが、濃紺の空へちかちかと光る星々が見えた。
「星が綺麗だね、」
何気なく呟くと、彼はそーね、とだけ返す。
「やっぱり、2000年代初頭の空って、私の時代と比べて、すごく広くて綺麗だね…あの星の中のどれか、瓶か何かに詰めて本丸に持って行きたいなぁ…。」
「主、相変わらず面白い事言うね…聞くだけ聞くけどさ、瓶に星詰めて、何に使うわけ?」
「───そうだなぁ、眠れない時に布団の側にでも置いて。そして、眠くなるまで、瓶の中の星を眺めてようかな。時々、眠れないまま朝になるってのも乙なものだと思うけどね。」
本当に子どものようにそう言ってやれば、加州はまた『へえ、』と短く返事をして。
次の瞬間、いきなり空いている方の手を握られた。
「ひゃっ…!?」
色気のない声が漏れてすぐ、慌てて謝ると、彼はいーよと笑った。
「さっきの話の続きなんだけど『眠れない』時はさ。瓶に詰めた星を見るんじゃなくて………。」
そこまで言って、彼は一つ溜息をついた。
「いや、ごめん。さっきのは忘れて。もう、眠れなくても、眠れても。どっちでも良いんだ。主…このまま、俺とどっか遠くに逃げちゃおっか?」
冗談めかしているようで、全くそうではない。
この場の端に底知れぬ真剣さを滲ませ、彼は懇願する。
「逃げるとしたら、どこがいい?俺は主の行きたい所に合わせるけど…今なら、誰が来たって、何が来たって。主を俺一人で守り切れる…なんだったら、別に今じゃなくたって良いんだ。だから、全部終わったら、とか。そういう時でいいから、」
一緒に逃げちゃおうよ。
いっそ清々しいほど言い切った彼は、いつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。
「そうだね………清光と二人なら、逃げちゃうのも良いかな。」
加州の語尾を引き取り、そう言うと、彼は笑みを深くし、挑発するように言う。
「二つ返事で乗っちゃって大丈夫なわけ?俺はともかく、主まで長谷部に大目玉だよ?」
「ここまで来てそれ言っちゃうの?最初に乗ってきたのはあなたなのに…私はもう、とっくに覚悟は出来てるよ。」
多少主としての貫禄を見せつけられただろうか?
ノリ良く答えると、加州は心底楽しそうな表情を浮かべた。
「…じゃ、お互い了承得たって事で。これから2019年、審神者と初期刀で正月休みツアーコース突入ね!」
「イェーイ!数年ぶりの正月休みだね!!楽しみぃー!」
顔を見合わせ、テンション高めに『今晩どこに泊まるか、』と話をしている最中、バッグに入れたままのスマートフォンがけたたましく鳴り響くが、一切無視。
自分だけでなく、加州ですら鳴り響く自身のスマートフォンの電源を切り、乱雑にポケットに突っ込んだから、思わず吹き出してしまった。
それでも、何かの拍子に繋がってしまったのか、鞄の中から『主…?今どこに居るんだい?加州君も一緒だよね?悪いことは言わないから、外に出てるなら、長谷部君に見つかる前に戻っておいで!!』と、燭台切の声が聞こえた。
その瞬間。
『審神者と初期刀、正月休み入りまーす!!』と、高らかに二人で叫んで、通話を終了した。
『は、え………何言ってんの!?祢々切さんどうするつもり!?ちょっと!!!』
燭台切が何かもちょもちょ言っていたけど、あえてスルーだ。
今までにない痛快な気分でコーヒーの空き缶を屑籠に放り、加州と手を繋いで歩き出す。
イベントで疲れ切った審神者と初期刀は、喜び勇んでカラオケボックスへ突入し、今世紀最高の年明けの予感を胸に、浮き足立った。
たまにはこんな事があっても、笑って許して欲しい。だって審神者と初期刀だもの。
それはさておき、今年はウルトラ楽しい正月になりそうである。
end.
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