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▼ 酒の飲み方/日本号

*職業掛け持ち審神者につき、注意。


―――頭がくらくらして、上と下の区別がないような感じがする。


目の前の景色もぐるぐると回っているように見えるし、舌の付け根の辺りから喉。
さらに、胸やら胃の辺りまでが焼け爛れているかのように熱く、息をする事すら辛いから、最悪明日は丸一日寝て過ごす事になるかもしれない。


それにしたって『二日酔いが酷いので休みます。』だなんて正直に言ったら、即、クビが確定してしまう。


短大に在学していた際、彼女は“絶対就職”を目標として掲げ、とりあえずニートにだけはなるまいと硬く決心し、死に物狂いで就活を行っていた。

書類の上では、真面目で有能な学生を何とか演じきり、面接では『書類にあったのと違う…。』というようなズレを面接官に感じさせないために、無理に愛想を振りまくという大分強引な売り込みを行う等していたものだ。


そのかいあってか、今の会社に就職が決まり、見事OLデビューを果たしてからやっと一年が経ったばかりである。

―――それなりの苦労をして入った会社をわずか一年でクビになったとなれば、就職の際に大変お世話になったゼミの先生や、OBの方々や、全力で後押しをしてくれた身内の面々に申し訳がつかない。


しかも、どんなに仕方の無い理由があるにすれ、悪い噂は伝わるのが早い。

それだけならまだしも、いつの間にか一人歩きを始めるだけでなく、びらびらと余分な尾ヒレがつくものだ。


もし。
万が一解雇を言い渡され、アパートを引き払って実家暮しに戻ったとして。

部屋に閉じこもれば、それこそ自分は近所のおばさん達につつき回された挙げ句、家族からもいらぬお節介やら生温い気遣いを受け、もっと傷付いてしまうに違いなかった。


ちょっと前までは何もかもが順風満帆であり、ボーナスを貰った事もあってホクホクしていたのが何だか遠い昔の出来事であるように感じるから不思議だ。


いつもとは違い、言うことを聞かない自分の体をどうにかこうにか制御しながら、あっちへこっちへ…いわゆる千鳥足でネオン街をあてどもなく練り歩きながら、彼女は明日会社を休むための口実を考える。

そうしながら、ぺたんこにしぼんだ気持を紛らわせるのに必死だった。


今日は、二十代のうちで一番。

いや…もしかすると、人生で一番嫌な日かもしれない。


本当なら、今の時間は付き合って二ヶ月になる彼氏と楽しくデートをしているはずだったのに…。

事の発端はつい先程。
待ち合わせ場所で、突如彼氏が二股をかけている事が発覚し、問い詰めた所『お前以外にも女は沢山いるんだからな!』等と逆切れされた上、最低な捨て台詞まで吐かれてお付き合いは即終了。

ゴシップ誌的に言えば、めでたく破局となったのである。


それだけならまだしも、一軒二軒…と、一人で人生初のヤケ酒をしながら酒場をふらふらしている最中、うっかり財布と定期を落とすわ、大般若みたいなノリの変なおじさんに絡まれるわ。

挙げ句の果てに、財布を探して立ち寄った交番のお巡りさんに何故か職務質問をされるわで、気分はこれ以上ないくらいに沈んでいた。

…悲しきかな。
財布はまだ行方知れずである。


家まで歩くとなるとここからは大分遠いし、電車やタクシーに乗りたくても、財布も定期もないからどうしようもない。

第一、飲みすぎて気持ち悪いし、今日に限って下ろしたてのハイヒールを履いていて。
その上、右足も左足も酷い靴擦れを起こしており、歩くのが辛いときた。


泣きっ面に蜂とは、まさにこの事を言うのだろう。

とぼとぼ、と。
あてもなく夜の街を彷徨い続けていて、ふと見たショーウィンドウには、酷い顔をしたOLが…。

いや、自分が映っていた。


目の周りは、酔いのためか。
はたまた、泣いたせいか、赤く腫れ上がっている。

真一文字に結んだ唇には、申し訳程度に口紅の赤がしがみついていたが、それでは見栄えが悪いから、とハンカチを取り出して一気にその色を拭い去って早々、後悔した。


元々薄化粧な上に、最後の砦となっていた口紅を剥がしてしまった事で、ほぼすっぴんになった自分が情けなくこちらを見つめ返す。

…そこに居たのは、短大生だった頃と何ら変わらぬ自分だった。


就職が決まり、いつの間にかいっぱしの大人になった気でいたのに、私はまだまだ甘いのだ。

だから変なおじさんに声をかけられるし、悪い男にも騙されるし、財布と定期も落としてしまったに違いない。


考えているうちに余計惨めになり、そそくさとその場から離れたものの、今度は唐突に吐き気と倦怠感が襲ってくる。

結果的には、さっきよりももっとひどい歩き方になってしまい、道行く人の視線が自分の皮膚に突き刺さるようだった。


「…………うぅう、」


もう無理。
泣きたいし吐きたい。

どっちかにしたいけど、片方だけにするのは出来なさそう……。


我慢の限界値は、とうに達していた。

彼女は急いで人気の無い路地に駆け込み、片方の手は壁に付き、もう片方は口に宛がう。
そのうち立っている事も危うくなり、とうとう、雑草が生えた地ベタに座り込んだ。


「しゃいっあくぅ………、」


消え入るように呟き、コンクリートの壁にコツンと頭をぶつけてみると、存外ひんやりとしていて気持ちが良かった。


***


―――それから、どれだけその冷たさを享受していただろう。

自分の座り込んでいる路地の前で誰かが足を止めた音を敏感に聞きつけ、彼女はびくりと肩を震わせる。


「(まさか、気付かれてない…よね?)」


こんなみっともないところ、まじまじと見られてるわけないよね…?

そんなはずない。
いや、あってたまるか。


―――しかし、願い事に近い彼女の思惑を見事に打ち砕き、その『誰か』はこちらに近付いてきて、彼女の上に薄らとした長い影を落とす。


「誰かと思えば。」


…大丈夫か?

何やら聞き覚えのある声が耳を掠め、馴れ馴れしくも背中にそっと置かれた手の感触に、思わず飛び上がった。


「何だ、潰れてるわけじゃなかったか。」


呑気に放られた声を背中て受け取り、彼女はそれまでひたすら地面を見ていた目を瞬かせ、恐る恐る顔を上げる。


何度も言うが、先程から満身創痍の自身を労るような言葉を囁く声には、多少なりとも聞き覚えがあった。

素面の時ならば声だけで誰かを聞き分けるのは容易いだろうが、今までにないほど酒を煽った代償であるのか、急に眠くなり出すわ、一度は完全に収まったはずの吐き気が復活してくるわで、まさにらりぱっぱな今の状態からすると、何をするにも難儀する。


そのため、彼女は、今は全くあてにならない他の四感を捨ておき、視覚からの情報を持ってして、自身に声を掛けてくれた者が誰であるのかを判別しなければならなかった。



…ああ。

もしこれが取引先のお偉いさんとか、あんまり話をしない会社の同期とかだったらどうしよう。


気まずい云々以前に、それこそ人生が終わるかもしれない。

せっかく苦労して入った会社なのに、入って一年とちょっとで訳の分からない部署に左遷されるような事態になったらどうしよう。



―――体調が優れない他、精神的にも弱っているせいか、いらぬ不安があぶくのように湧き出し、脳内がちょっとしたパニックを起こしているのを感じる。

もうこの際、全く面識のない人がキャッチ目的で声をかけてきただけならどれだけ良いか。


僅か数分の間に考えを巡らせながら、もうその時はその時…と思い切って顔を上げると、灰色のスーツを着た体格の良い叔父様が、なんとも言えない表情でこちらを見下ろしていた。


「……………。」


パッと見、誰だかは分からなかった。

しかし、よくよく気を付けて上から下まで眺め回すと、本来はこちらに出て来る事など絶対にない知り合いに、それはもうよく似ていた。


「…にほんごー?」


脳裏に浮かんだ名前をついつい腑抜けた声に乗せて口外してしまったが、その途端に、他人の空似という可能性を思いついてばつが悪くなる。

言われた本人だって、心当たりのない名前をいきなりぶつけられれば、驚いてしまうに違いない。


やっちまった。

一瞬大きく目を見開いた日本号似の叔父様にすまなく思ったが、次に寄越された『よく分かったな、』という言葉で戦慄した。


何だ、知り合いかよ。

…やっぱり、世間は狭いのだ。


いや。そもそも、いつ頃から世間が広いだなんて錯覚していたんだったか。

兎にも角にも『絶対』はありえないのだと改めて察した瞬間であった。


考えがあまりにも纏まらないので、まあいいかと勝手に自己完結する。

そうして、酔い醒ましのために目の前の壁へ、再度コツンと額を当てると、日本号は『そっちはやめとけ、』とだけ言って、優しい手つきで彼女を壁側から引き剥がした。


「………あーぁあぁ、せっかくの冷えピタがわりらのにぃ、」


「いや、これ建物だぞ…それ以前に、こんな狭くて暗い場所で。しかも一人っきりで酔い醒ましたぁ感心しねえな、」


「うぐっ………。」


その一言が、ぐさりと心に刺さる。

恐らく、向こうからしてみれば特に意図せず発した言葉なのだろうが、こちらとしてみれば僅か数時間前に訪れた大失恋と、大事な物の紛失という二大不幸を見透かされたような気がして面白くなかった。


いっそ『もうほっといて!』だとか『私なんかに構わないで、』とでも言ってしまえれば良いのだが、小心者故に、酒の勢いに任せて棘のある言葉を口にする事すら出来ない。


年齢的にはもういい大人のはずなのに。
文句の一つも言ってやる事が出来ないだなんて辛すぎる。

自分の駄目な部分に辟易しつつ、彼女は明後日の事をぼんやり考え出す。
次に本丸に出勤するのは、確か明後日のはずだったが、こんなみっともない所を見られた後、果たしてどんな顔で日本号に会えば良いのだろう。


『この間はごめんね−!』

『どうか黙ってて下さい、後生ですから。』


…ざっと百通りはあるんじゃないかと思うくらいのシチュエーションを考え出し、いちいち言い訳を付け加えていったところで、気まずい事には変わりない。

その事実に絶望し、彼女は思わず壁を叩く。


「えらく荒れてんなぁ…。」


これまた的確な日本号の呟きを受け取りはしたものの、返す言葉も見当たらず。


「そうれす、荒れてまふ───。」


…未だかちゅて無い程の大荒れれす。

呂律が回らない事は気づかないふりをして簡潔に語り、彼女は項垂れた。


限界まで酒を煽ったのが初めてだからなのか、色々あって疲れているせいなのか。
地面と睨めっこしているうち、やたら眠くなりだした。

原因は定かでは無かったが、なかなか覚めない酔いは、体のありとあらゆる感覚を鈍らせ、彼女を眠りの淵へと誘い出していた。

日本号との一件はまだ進んでいる途中だし、家の鍵と財布と定期のセットだってまだ見つかっていないというのに、眠気はそれを察してくれない。


ここで眠ってはいけない、という事は本当によく理解しているつもりなのに、眠るな、眠るな、と暗示をかけようとするほど、生理的な涙が瞳の両縁からボロボロと流れて止まらなかった。

元を辿れば自業自得であるのも重々承知であるが、やはり人間は生理的欲求に抗うのは難しいようだ。


「今度は何だ…まさか、こんな所でおねむか?」


やや呆れを伴って寄越されたのであろう一言に頷いたすぐ後。

どうとも形容しがたい心地のまま睡魔に蝕まれ、ぐらりと行きそうになった彼女の体を、危うく日本号が抱き止める。


その腕は、やはり短刀や脇差の面々とは違い、ガッチリと隙間なく筋肉に覆われていて固い。

受け止めてもらっておいて、決して文句を言える立場ではないのは分かっているが───正直なところ、今はもう少しクッション性のある、比較的柔らかめの短刀達の腕の質感が恋しかった。


「……ごめんにゃひゃい、」


しゅぐはなれまふから、

回らない舌を懸命に動かし、どうにか体を離そうと身動ぎした時点で『止めとけ、』と。

再び日本号から制止がかかる。


「…ったく、」


あんた、本当自由だよな。

もはや諦めさえ見える小言と共に、一度腕の温もりが離れ。


次に彼女の目の前に現れたのは、灰色のスーツに覆われた広い背中だった。


「………?」


何が何だか分からず、今にも閉じようとする目をこじ開け、擦りながら首を傾げると『家まで送ってくから乗れ、』という声が耳に入ってくる。


「…………おんぶれすか、」


まさか、この年になって。

気恥ずかしさからそう言ってみたものの、もう足腰が立たないのは事実であり、日本号は頑として譲らないつもりであるのか、こちらに背を向けて待機したまま動かない。


また何か言おうとした所で、再度『乗れ、』と促され、もう他に選択肢が無さそうな事を察した彼女は、覚束ない足取りで日本号の背中に近付き、布越しでも分かる筋肉質な肩に手を乗せる。

…それから、如何するのだったか。


誰かを背中におぶる事はあっても、自分がおぶられる事なんて、ここ五、六年なかったものだから、ついつい身構えてしまう。

はて。
足は…どの位置にしておくのが正しかったろう。


半分眠った頭で懸命に考えていると、日本号の腕がいきなり自身の膝裏へ入れられ、ベージュのストッキングに覆われた両足の質感を確かめるかのようにがっちり挟まれる。

それがあまりにいきなりだったので、跳び上がらんばかりに驚いたのは言うまでもない。

しかし、更に酷いのは。


「…………いてぇ、」


そう。がっちり挟まれた部分が妙に痛いのである。

いつだったか、ボロボロになった長谷部が日本号におぶられて帰還した事があったが、彼もこんな痛みを味わっていたのだろうか。

それとも、男士からすればこれくらいどうって事はないのかな。


何にせよ、自分は男士と比べれば、圧倒的に非力で弱々しい人間の部類であるので、出来るだけ優しく取り扱って欲しいのだが。


「落ちるなよ、」


…悲しきかな。

日本号には、彼女の叫びが届いていないらしい。


前置きされた後、慌てて肩に置いた手に力を込めると、彼はそのまますうと立ち上がって歩き出す。

しかし、継続的にもたらされる痛みのため、こちらはたまったものじゃない。


言葉が届かないなら、行動で示すまでだ、と。
憤る赤子のように体を動かし続けていると、流石に持ちづらいのか、腕の力が僅かばかりに緩んで幾分か痛みがましになった。


そこで初めて、自分が一人で歩く時には到底拝めぬような高さから地面を見下ろせている事実にまで頭が回る。

先程までの荒れ様と暴れ様は何処へやら。
子どもの頃、父や母の背中におぶられ、体感した物に近い…いわゆる、心地の良い揺れに身を任せ、彼女は右の頬を日本号のスーツにくっつけた。

まるで、背中に居る自分の重さなど感じていないかのような動きに、やはり日本号は刀剣男士なのだな、と感心してしまう。


ここで『重い?』なんて無粋な事は聞かない。
その代わり、彼女は特に何を考えるでもなく、気まぐれに口をきいた。


「ねー、にほんごー…。」


甘えて間延びした声に、彼は答えない。
それでも、彼女はまた話を始める。


「いつか…にほんごうが、暇なときで、いいから。だから…わたしに、お酒の飲み方…おしえてくれなぃ………?」


酒場の香りが染み付いた背中に?を寄せ、まだ酒を口にした事のない少女のようにそう告げると、前から盛大な溜息が返ってきた。


「あのなぁ…『飲み方云々』よりも、あんたにゃ基礎が足りてねぇんだ。」


まずはそこからだろうが。

説教じみた言葉が素面になりかけの耳に入ってくるが、眠気も相まってか、意味までは拾い上げられぬまま、それらは屑籠に捨てられていく。


貰ったお小言を華麗に聞き流し、彼女は緩く目を閉じた。
それを知らずに、彼は淡々と言葉を重ねる。


「まず、空きっ腹のままか、疲れてる時なんかは酒の回りが早くなるから飲むのは控えた方がいい。」


「確かに…そうらねぇ、」


「あとは、自分が楽しい程度で止めとくってとこだが…、」


「それ、とってもよくわかるぅ…。」


ここまで言った所で、彼女の眠気はぐっと強くなった。

お小言に交じってつらつらと続けられる話は、まるで子守歌だ。


それでも、自分から強請って話して貰っているようなものだから、と。

眠い中でも妙な律儀さが頭をもたげ、彼女をただ『うんうん、』と、ワンパターンな相槌を打つだけのお荷物に仕立て上げる。


「───おい、ちゃんと聞いてるか?」


「………うん、」


たっぷり間を取って、やっぱりそう返せば、それきり話は終わってしまった。


正しく言えば、聞いていない、と判断されたからなのだろうが。

ちゃんと聞いてはいなくとも、断片的な内容を拾って理解していたし、日本号の低い声音はなかなか耳ざわりが良かったので、酒の飲み方に関する話が聞けなくなったのを、彼女はどこか残念に思った。


そのうち、日本号は彼女をおぶったまま暗いビルの隙間から抜け出て、ネオン街の雑踏に紛れ込む。

静かで暗い雰囲気から一変して、人の話し声や、客寄せをする声がごちゃ混ぜになり、薄目の隙間から入り込んでくる灯りが喧しく存在を主張を繰り返す。


その喧騒はすぐ近く。

手を伸ばせば楽に届く範囲にあるというのに、遥か遠い場所の出来事のように感じられて、何だか不思議だ。


華やかな雰囲気に当てられるような事もなく、彼女は呑気にうとうとし始めた。


疲れも、嫌なことも、酷い酔いも。
喉元を過ぎれば、案外どうとでもなるものである。

でも、やっぱり。


「(…今度お酒飲む時は、程々にしとこう。)」


きっとそうしよう。

年甲斐もなく、そう何度もおんぶで運ばれるなんて嫌だし、こうして運んでくれる者にも申し訳ない。


次こそは、どうにか。
そこまで考えて、彼女の意識は完全に落ちる。

萎みきった気持ちは、いつの間にやら元のように膨らんでいた。


end

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