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▼ ある、ついてない日に/ジン(名探偵コナン)

今日は、世間一般で言う所の厄日に当たるのだと思う。


一昔前の人ならば『チョベリバ』。

現代っ子的に言うなら『マジでついてないありえない死んだ』。


まあ、言い表し方なんてこの際どうでもいい。

自分の持ち得ている語彙力の範囲内で、今日1日の『ついていないエピソード集』を総括する───最も適切な言い表し方を考えるという作業よりも、一日という短いスパンの中で、あまりに酷い災難が我が身に降り注いでいるという事実と向き合う事の方が遥かに重要なのかもしれない。


最もらしく考えて、彼女は目の前でホコホコと湯気を立てる湯船に爪先をそっと差し入れ、肩までどっぷりと浸かる。

…その瞬間、体中に出来た大量の生傷にお湯が染みて、危うく死にかけた。
もっと正確に言うと、それなりに耐え難いレベルの激痛が体中に走り、数分は温かなお湯の中で悶えた。


ラーメン店で、ダシを取るため、という名目でぶつ切りにされ、大鍋で茹でられる豚や魚もこんな心地がするんじゃなかろうか。

何はともあれ、これで『ついてないエピソード集』には、めでたく話数が追加されたわけである。


家に帰ってきてもこれかよ、と言わざるをえない出来事に辟易しつつ、湯船の縁に腕をかけ、特に代わり映えのしない周囲を眺めてみると。

シャンプーボトル、石鹸…そんな具合に、見慣れた物達を眺めていくと、丁度シャワーと並ぶような場所に取り付けられた大きな鏡が目に留まる。


立ち上る湯気に触れらたために薄ら曇り始めたそれには、生気の無いぐったりとした表情の自分が居て。
やはり自分と同じく、疲れ切った情けない表情でこっちを眺めていた。


なんて日だ。

思わず声に出しそうになってしまうのは、どうにか今日を凌ぎきった自分の頑張りに免じて大目に見てやってほしい。


───とりあえず、一介の女子高生に過ぎない自分がこれ程までに追い込まれた元凶となっている出来事を整理する所に立ち戻りたいのだが、自分でも、何がどうなって今に至るのか。

正直、理解が追い付いていない部分が多々ある。


朝起きてから、現在のお風呂タイムまでに起こった不幸な出来事を事細かに思い出す…となると、それこそ正気でいられる自信がない。

だから、ここからはなるべく簡潔に。
もう変えようのない事実を振り返っていく事にするとしよう。


まず、朝は未だかつてないほどの盛大な寝坊をし、大急ぎで学校に向かったものの、丁度4限目の授業終わりに焦って教室に飛び込んだのが間違いで。

遅刻理由を尋ねられ、ここで嘘をついても仕方が無い、と諦め、正直に寝坊したという旨を白状した後、担任とクラス中から大爆笑をもらってしまった。


…尚、この時点で友人から指摘され、制服の襟元に付けるはずのリボンを忘れてきた事に初めて気付いた。

よく見たら、携帯の電池が切れていた事も判明した。


昼は昼で、さらにひどかった。

寝坊したのだから当然弁当等は無く、財布を持って購買に出向いたのだが。

残り一つのパンを目の前で掻っ攫われた挙げ句、財布の中に現金がいくらも入っていない事に気が付き、結局100円のパックジュースを1つ買って餓えを凌ぐ事になってしまった。


あと、買ったパックジュースが思いの外不味いわ、側が立派なのに反して量が極端に少ないわで泣きそうだった。


放課後となると、もう目も当てられない。

部活動の合間にミスを連発しただけならまだしも、これまた盛大に備品の一部を壊してしまい、顧問からこっぴどく叱られ。


帰り際『イケメン過ぎる店員さんがいる、』と巷で噂になっている喫茶店があった事を唐突に思い出し、自然とそちらへ足が向いたまでは別に良い。

とりあえず、何でも良いから元気を出すきっかけを作りたくて。
…とまあ、自分でも呆れるくらい非常に不純な動機で件の喫茶店へ足を運んでみたが、今日は臨時休業日であった。


この時点で、彼女のメンタルはもう粉々と言って差し支えない。

しかし、さらに悪かったのはこの後である。


今日はなんてついてない日だ。
いや、立て続けにこんなに沢山悪い出来事が重なるなんて、いくらなんでもおかしい。

私はこの町の法則で、何らかの事件の被害者…もしくは加害者になるんじゃなかろうか。

嫌な予感が脳裏を過ぎる。


事件にしろ、事故にしろ。
この二つの出来事だけには、一生遭遇したくないし、起こす側にもなりたくない。

切実な願いを持って歩き続けていた時、またしても運悪が足を引っ張ったのは言うまでもない。


***


いつもはなんて事無い、コンクリート製の階段。

人通りがほぼ無いような場所に設置されているにも関わらず『小さな子どもでも容易に登れるように、』というデザイナーの粋な意図が見え隠れする、少々低めに作られたそれが命取りとなった。


履いていたローファーが、階段の僅かな段差を掴みきれず、ずるりと滑り。

脳内で『あ、これヤバイ。』なんて理解した時には、自分の数歩先を行っていた、黒いコートを着て、銀の長髪を颯爽と揺らしながら歩く人の背中に、顔面から突っ込んでいくような形で転びかける。


───その人だって、いきなり後ろから奇襲をかけられるなんて夢にも思っていなかったろう。

それでも『ぐっ…。』という低い呻き声を吐き出しながらもどうにか堪えきってくれたおかげで、大惨事に繋がらずには済んだ。


…その代償、という事なのか、自分の鼻と額は重症で、何か垂れてくるような感覚があったから、応急処置よろしく袖で鼻を拭うと、白いシャツがあっという間に鮮やかな赤に染まり、何が何だか分からなくなる。

目の前の広い背中にもたれ掛かったままの体をどうにかセルフで引き剥がし、止まらない鼻血にわたわたしていると、どうにか私を受け止めてくれた人がこちらを降り向く仕草があり…仕草に従って翻った長い髪の一部に顔を叩かれた。


───きっとシャンプーもリンスも毎日欠かさずにしているのだろう。

さらさらでイイ匂いの上に、柔らかい。

とにかく、へぶし…等と叫び声を上げるほど痛くはないが、手を掠めた一束に、指の隙間から漏れ出た鼻血がついてしまい、申し訳なく思ったのは絶対内緒だ。


華麗に見返ったその顔は、今まで見た誰の物より中性的で、あまりのクオリティに心臓を鷲掴みにされたかのような気分になる。

しかしながら、自分にぶつかってきた対象を即座に見つけ出した切れ長の目が、こちらを射殺さんばかりの気迫を持って眺め下ろしてくるものだから『何だか少女マンガみたいな展開かも〜!きゃ〜!』なんて思う間もなく萎縮した。


殺気立ったその視線を高い位置から受けつつ、苦し紛れによく見たら。

黒い帽子に、黒いコート。オマケに、靴まで黒。


人を見た目で判断するな、とは言われるが、見た目にしろ、纏う雰囲気にしろ。
このイケメンさん、ヤバイ職の人ではなかろうか。

───それ程ヤバくはなくとも『人に言えない。』もしくは『大分危ない、』方面の職に就いてらっしゃる、というのは想像に難くない。


私がこの町に来たばかりの人なら『単に黒が大好きな人なのかもしれない、』とか『適当に服を選んでみたら、全身黒になっちゃっただけかもしれない。』というように思うかもしれないが。

事件発生数が異様に高いこの米花町では、全身黒服の者は、傾国級のイケメンだろうと、人畜無害そうなほわほわした老婆であろうと、疑ってかからねばならないという謎の法則がある。


とにかく、全身黒は危険。

幼い頃からの刷り込みと相まって、脳内で警鐘が鳴っている気がする。


まだ衣替えも始まらぬゴールデンウィーク明け数日目の今日。

この上なく虫の居所が悪そうなイケメンさんと視線が交わると、暑くなんてないはずなのに、汗が止まらなかった。


継続して与えられる威圧に耐えきれず。
目を逸らした時点で、奇しくも私は、イケメンさんのポッケからこんにちはしている物に、目が点になってしまう。


ポケットからほんの僅かにはみ出したそれは、どこからどう見たって銃の一部分だと予測出来てしまって、白目を剥きかけた。


えっ、これ。
待って、ちょっと待って。本当に待って下さい、3分間でいいから。

私、終わったんじゃない?
消されるんじゃない…?


確かに、ここにはイケメンさんと私しか居ないし、銃声を聞きつけた誰かが来て、事件に発展させてくれるかもしれないけど。

正直、目撃者が居ない時点でお蔵入りにされる気がしてならない。


あまりの急展開に、不吉な妄想を伸び縮みさせ。
また、非日常的な場面に生まれて初めて遭遇した私は、思わず奇行に走ってしまう。


ありえない被害妄想を止めた直後。

私は、鼻を覆って血まみれになった両手を患部から離し、肩にかけていたスクールバックを地面に叩きつけて、勢いよく両手を上に上げた。

…肘も指先も、ぴん、と空に向かって伸ばして。


もちろんまだ鼻血は止まらず、だくだくと両の穴から溢れて顎を伝い、リボンをしていない襟元にも、盛大に血が跳ね飛んだ。

まるでホラー映画のワンシーンの如き有様である。
これは流石に自分でも引いた。


とりあえず、撃たれたくない一心で手を上げてみたのだったが。
…向こうからすると、どう考えても華麗なるバンザイを決めて相手をおちょくっているようにしか見えなかったろう。


しかし、この奇行に引いているのは、イケメンさんも同じようだった。

先程までの殺気は何処へやら。


今、目の前にあるのは、呆れた顔だ。
加えて、珍妙な生き物を見るかのような目線が痛い。


「………。」


「………。」


互いに黙って数分。
沈黙に耐えきれず、私はおずおずと言葉を発する。


「…あ、あのう、」


さ、さっきは、いきなりぶつかっちゃって、ごめんなさいでした…。


変な日本語でそう謝り、腕を下げ、頭も同じように下げると、まだ止まらない鼻血がパタパタと地面に落ちて生々しい形を描く。

あ、よく見たらハートの形に垂れたわ、ちょっと可愛いかも。


そんな風に思いながら頭を下げ続けるものの、相手はうんともすんとも言わない。

不審に思ってやや頭を上げ、お兄さんの反応を伺ううちに、私はとんでもない事に気が付いてしまう。


「(よく考えたら、この人、日本人じゃ無いよね…多分、見た目的に。)」


こんな根本的な事に、どうしてもっと早く気が付かなかったものか。


しかし、本当にそうだった場合、日本語での謝罪が通じているかどうか怪しい。

英語でもギリギリ通じるかどうか、という気はするが、片言といえど、謝罪をしないで逃げ去るよりは、謝罪をしてから逃げ去る方が幾分かマシだろう。


再び訪れた混乱と共に、とんでもない持論を展開し、なけなしの英語スキルを発揮して『Sorry!!!』と声高に叫ばんとした時、急に。


「───おい、」


恐らく、自分を指したらしい声掛けが頭上から降ってきたのに驚き、恐る恐る体を起こす。

日本語、通じてた…。
っていうか、繊細な見た目に反して、えらくドスの効いた日本語を使うタイプの人であるのが意外だった。


完全に体を起こした瞬間に、鼻先に何か柔い物を押し付けられ、思わず息が詰まる。

押し付けられた物はどうやらハンカチらしく、何だかいい香りがしてときめきそうになるが、鼻血が布にどんどん染みこんでいってしまうのを目の当たりにすると、ロマンもクソもない。


イケメンさんの私物らしいそれを汚してしまうのが忍びなくて思わず後退りすると、やや面倒くさそうな仕草でハンカチを掴んだ手が追い掛けてくる。

しかし、尚も後退ろうとするこちらの態度に焦れたのか、彼は軽く舌打ちをして一言。


「使え、」


それだけ行って、こちらへ無造作にハンカチを押し付け、華麗に身を翻して何処かへ歩いて行ってしまった。


***


あの時の事を振り返ると、いっそこの世から居なくなった方がマシだったのではないかと思うくらいだが、やってしまったものはもう仕方ない。


…それにしても、あのお兄さんはかなり格好良かった。
銃を持っていて、大分雑な言葉遣いの人だったけど。


それ以前に、ハンカチどうしよう…。

一応、あれから家に着くまではきっちり使わせてもらったから、鼻血は止まったものの。


そこまで考えたところで『洗濯して返す、』という選択肢が高らかに躍り出たが、今後あのお兄さんと出会う事はあるんだろうか…と思うと、どうも無理な気がしてきてしまう。


───柄にもなく乙女チックな溜息を吐き出し、数秒後。

そういえば、自分がかなり長い時間お湯に浸かっていたままであったことを思い出し、慌てて立ち上がると、くらっときて再度湯船に沈んでしまう。


あかん、こりゃのぼせたな。

とにかく体を冷やさんとして蛇口を捻るも、そこからいきなりお湯が出て来て焦る。


…やっぱり、今日はついてない一日だった。
全身茹で蛸のようになって湯殿に沈みかけながら、私はただただ水を求めた。


end

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