▼ §巻き添え/ジャーファル
※夢主は『占い師』設定。
※原作との時系列はほぼ非対応。鬱描写、シリアス展開につき、閲覧注意。
彼女が朝起きてから『すぐにする事』といえば、占いである。
鏡を覗き込んで、寝ているうちに寄ってきた魔を振り落とし、慣れた手つきで髪を梳かして結い上げる。
それから、占いの際に用いる髪飾りを挿して、ごく簡単に化粧を施す。
後に、夜着や肌着を全て脱ぎ捨て、体を水で清めてから絹製の白い薄衣を纏う。
準備が整ってからすぐ、大広間へ出て。
部屋から持ってきた純金製の器へ綺麗な水を注ぎ込み、目を閉じて祈りの言葉を唱えながら、決められたタイミングで器の中に貝殻を投げ入れていくのだ。
ぽちゃん、ぽちゃん…と。
一定の間隔を開けて放り込んだ貝殻の量の偏り具合や欠け具合等で、その日の吉凶と、今後何が起こるかを見極めるのである。
ただ、最近は占いを信じない者があまりにも多く。
…それでいて、占いは若い女性向けの物しか無い、という固定観念から客足が遠退いてしまい、なかなか本領を発揮できる場が無くなってきているのだ。
しかも『占い師は、どうもきな臭くて好かない』だの『ただのぼったくり』『あんな物滅多に当たらない』だのと、世間は言いたい放題で、占い師業界は只今絶不調かつ、衰退し始めんとしているのだ。
本物の占い師である自分としては、三流のペテン師等と一緒にしないで欲しい、というのが本音で、この手の風評被害には大変に迷惑しているのだが、これもこれで仕方が無い。
世界の動きや、その時々の社会情勢により、占いは廃れたり栄えたりするもの。
代々続いてきた占い師の職が自分で最後になろうとも、仕方がないだろう………。
齢の割には夢のない事を言うようだが、実際そうなのだから、自分一人の力ではどうにもならない。
煌帝国の内輪揉めの戦争が、第一皇子である紅炎の死と、紅明、紅覇両皇子の国外追放によって終結してしまってからは、世界は急速に様変わりした。
魔法は、人々の暮らしの近くに。
それも、ごく当たり前にある物となった。
───要するに『魔法によって、何をするにも物凄く便利になった』のである。
代表的な例を上げるとすれば、現在、シンドリア商会が市場を独占している『飛空挺』という空飛ぶ乗り物の台頭だろうか。
とりあえず、この乗り物に乗れば、煌帝国からレームへ…といった具合に、移動に莫大な時間をかけなくとも、簡単に遠方へ出掛ける事が出来るようになってしまったのである。
これまでは、陸路と海路を使い、途方もない道のりを旅しなければ行けない場所に位置する国にも半日程で着いてしまうのだから、それこそ数年前の状態からから考えてみれば、夢物語が現実にそっくりそのまま出て来たようなものだろう。
ただ、そんな便利な飛空挺の欠点と言えば、乗るにはシンドリア商会のパスか、高額なチケットが必要な事。
そして空には頻繁に空賊が出て、毎度のように飛空挺を襲いにかかるために、一度の乗車につき、大変な危険を伴う事である。
空賊の大半は、件の大戦で職を失った兵士やら、世の中の流れに乗れなかった───もしくは乗り損ねて失業した生活困窮者の成れの果てらしいが、各々がそれなりに腕が立つ集団であるため、各地の自警団もかなり手を焼いているらしいという以外確かな情報は無いのであった。
祈りの言葉を全て唱え終わり、ふと器を眺めると。
小さな貝殻は、自分から見てやや右上に偏っており、そこから左下、中央の方にかけて天の川のように広がっている。
自分の得意とする占いの界隈で、この形は非情に珍しい物であり、生きているうちに見ることは一度あるかないか、というくらいの希さである。
これが出たら器ごと拝んで感激する占い師もいるそうなのだが、彼女の場合、そうはいかない。
…よく見ると、天の川の始まりたる場所には、その堂々たる流れをせき止めんとするかのように大小様々な貝殻がゴロゴロしているのだ。
どう見たって、これが吉兆の証であるわけがない。
それこそ、凶兆の。
…これから起こるであろう悪い事の証のように思えてならないのだ。
「……また、これなのね。」
自分で自分を落ちつかせるようにそう言って、額に浮いた汗をやや乱暴に拭う。
大きく息を吸い込み、体内に溜まった悪い気を全て吐き出すため、ゆっくりと深呼吸を繰り返し。
大分落ち着いてから器の底を睨み付けてみても、どうしようもない。
出来るなら、この占い結果は見なかった事にするか、器と貝殻を洗い清め、もう一度占い直しをしたいのだが…。
こう何度も同じ結果が出るというのは、最早これは避けて通れぬ道として定まっている、というようにしか思えなかった。
冷や汗が滝のように流れ出し、順風満帆であった行く末に暗雲が立ち込めているような息苦しさが胸の奥を締め付ける。
丁度その時。
背にしていた扉が不意に開き、数人分の足音がこちらに向かって来るのが聞こえた。
己の呼吸が乱れている事を気取られぬよう、首だけを動かして後ろを見てみると、そこには、諸々の面子を引き連れたシンドバッドが立っており。
───そこまでは良かったのだが、とある人物が一人混じっているのを目に留め、彼女は盛大に顔をしかめる。
…その人物は、人畜無害そうな笑顔を浮かべているくせ、嘲るような冷たい眼光をたたえてこちらを見下ろしていた。
あまり大きな声では言えないが、今やシンドリア商会の最高顧問という座を手にしているこの女の体は、元々は煌帝国の皇女であった練白暎の物だ。
気が付いている者はごく少ない…いや。
大半がその事実を知る由もないのかもしれないが、ここに居る白暎は、白暎自身ではない。
あえて詳しく言うならば、体は白暎であり、その中には人知を越えた“何か”が入り込んでいる。
その“何か”は、白暎の体を完全に乗っ取っていると見て差し支えないだろう。
そうなれば、意識の方の白暎皇女は、一体何処へ行かれてしまったのだろうか…。
弟の白龍皇子も、今現在は行方不明であるというのに、これではあまりに不憫だ。
「(…出来ればなんとかして差し上げたいけど、)」
白暎の皮を被った“何か”と視線がかち合う度に、自分ではこれに太刀打ちするのは無理だ、というのが即座に分かるのが悔しい。
自分がまだ産まれて間もない小さなオラミーだとすると、相手は南海生物級か、それ以上。
実力の差があまりに大きすぎるのだ。
仮に勇気を出して掴みかかったとしたって、真相を知らない者からしたら、自分は頭のおかしい占い師認定され、最悪、最初から居なかったものとして存在自体を抹消される可能性も無くは無い。
そのために、大変歯痒い思いではあるが、彼女は黙っている他ないのだ。
「(………………。)」
シンドバッドもシンドバッドだ。
昔よりもやや窶れた彼の顔には、今でも子どものような屈託のない、自信に満ち溢れた笑みが浮かんでいる。
近くにあんな異質な物を置きながら、平気で笑みを浮かべられる彼が…我が主人ながら、どこか薄気味悪さを感じられずにはいられない。
もう一筋、たらりと汗がこめかみを伝い、胸元へと流れていった。
そのうち、シンドバッドの近くに控えていたジャーファルがちらとこちらを見て。
途端に顔を歪め、いきなり駆け寄ってきた。
「どうしたんです?ルネ…。」
───真っ青じゃないですか。
彼からそう指摘されて初めて、自分が青い顔をして震えている事に気がついた。
「…これは、その……。」
詳しくは言えるはずがない。
言った所で、理解してもらえるかどうかも分からないのだから、何ともしようがないのだ。
そのために必死に誤魔化しにかかるが、彼はますます眉間の皺を深めてこちらの手を握ったり、熱が無いかどうかを確かめようとするものだからたまらない。
「具合が良くないんですね?なら、誰かに医者を呼ばせて…。」
「こっ…これは、その…持病のような物、ですし……。しばらく、暗い部屋で大人しくしていれば、自然と良くなりますから…。」
私は、これで失礼いたします…!
とにかく、この場から逃げたい一心で。
ぶっきらぼうに頭を下げ、床に置いていた占いの道具を掻き集めるが早いか、足早に立ち去る。
「あっ…コラ!待ちなさい、ルネっ……。」
後ろからジャーファルが慌てて追い掛けてくるのが分かったが、それも構わず、彼女は自分の部屋のある方向へ一目散に走った。
***
「……ルネ、ルネ!!聞こえているなら、いい加減、ここを開けなさいっ…!!」
分厚い扉越しに、何故か物凄い剣幕で怒るジャーファルの声がガンガン響いてくる。
それと一緒に、木が削れるような音や、扉に何か固い物を叩き付けているかのような音までしてくるから、出入口の方へ近付くのは得策で無いらしいと判断し、ひとまず寝台の上に避難した。
それにしても…。
「まさか、ここまでしつこく追い掛けてくるなんて…。」
忙しい忙しいと言いながらも、執務官というのは存外暇な職業なのかもしれない。
呑気にそんな事を考えていると、怒鳴っても無駄らしいと諦めた彼が、幾らか優しい声で話し掛けてきた。
「ここを開けるのが嫌なら、さっきいきなりシンの前から逃げた理由を教えてもらえませんか…?」
───君が心配なんです。
ポツリと呟かれたそれにはさすがに偽りがあるとも思えず、彼女は寝台に腰掛けたままで答えを返す。
「ジャーファル殿程鋭い方ならば、心当たりは幾つかあるものと思いますが…。」
含みのある言い方をすれば、何か勘付いたためか、彼はすぐさま黙った。
思案しているのか、その間は物音の一つさえしない。
そろそろ頃合か。
寝台から降りて静かにドアを開けると、その僅かな隙間からジャーファルが滑り込むようにして入ってくる。
すかさず扉を閉め、近くにあった紙とペンを掴んで差し出せば、彼は小さく礼を言ってさらさらと文字を書き出した。
“魔力の流れは感じませんか?”
書き出された内容に頷くと、彼は安心したように表情を緩める。
“なら、私達の話が傍受されたり、遠隔透視で何をしているのかが見られる可能性は無さそうですね。”
確かにそうだ。しかし、用心するに越したことはない。
もう一つ。
床に転がっていたペンを拾い上げ、彼女はジャーファルから見て上の方へ文字を書き付けた。
“このまま、筆談で話を進めましょう。”
万が一にでも、誰かに聞かれては厄介な事ですので。
そう書き足さぬうち、彼はまた新たな文章をペン先から生じさせる。
“先程の話に戻りますが、ルネが気にしているのは、白暎皇女の事ですか?”
“ええ、如何にも。”
もしや、彼も彼で何か違和感を感じているのかも知れない。
その違和感が、どうか私と同じ物でありますように…。
切に願いながら、彼女は必死にインクを白い紙の上へ滑らす。
“私が見る限り、今の白暎皇女は恐らく白暎皇女自身ではありません。彼女の体には、他の何かが入り込んでいて、白暎皇女の意思とは関係無しに、様々な事を行っている。言わば、あれは皇女殿下の皮を被ってはいるものの、中身は人知を超えた…、”
『化け物です。』
きっぱり書き切ってしまってしばらく、彼は目を見開き、インクが滲んで文字が潰れ始めたのをじっと眺めていた。
“ジャーファル殿は、白暎皇女のおかしな行動を目撃した事はありませんか?”
ダメ押しでそう書き足すと、彼は顔を顰め。
そして、のろのろと筆を走らせる。
“確かに。私もこれまでは彼女の言動に違和感を感じながら、はっきりとした確証は持てませんでしたが。”
そちらの方面に明るいルネがそう言うのであれば、本当にそうなのかも知れませんね。
何とも曖昧な言葉に、彼女は不安を覚えた。
“私の占いでは『近々シンドバッド殿の行く末に、必ず陰りが出る』と出ています。それも、何度占い直しを試みても、ここ最近ずっと同じ結果ばかりが出て。これは恐らく、避けては通れない、という事だと思いますが、”
その文章の下へ『これは私的な見解ではありますが、』と付け加え、彼女は更に文字列を増やしていく。
“シンドバッド殿があの化け物を傍に置くのをお止めになれば、事態が良い方へ動くかもしれないのです。この辺りでジャーファル殿からシンドバッド殿へあの者をしばらく遠ざけるよう進言してみては如何でしょうか?”
彼女が書き終わるが早いか、いつの間にやら文字でいっぱいになった紙の端へ、ジャーファルが簡素に書き付ける。
“君の勇気ある進言はとても有り難いし、確かに私もそうするのが正しいとは思う。”
でも、
“それは出来ません、”
その一文が見えた途端、我が目を疑った。
シンドバッドの近くに皇女殿下の皮を被ったあの化け物が居る限り、本来ならば何とかなるはずの禍をそのまま受け止めねばならなくなる事。
あの妙な者を遠ざければ、シンドバッドの行く末は平和で何事もない元の路線へ戻るかもしれないという事。
この二つの説明が上手く伝わっていなかったのだろうか?
物分かりの良いジャーファルに限ってそれはないだろうと思う反面、彼女は自身の良心的かつ平和的な考えが何故受け入れてもらえないのかが分からなかった。
思いもよらないような展開に出くわした事によって、思考は完全に停止する。
「なぜ、ですか………?」
ペンを持った手を震わせたまま、気付けば声が出ていた。
「なぜですか。」
ジャーファル殿っ……、
縋るような声を上げれば、彼からは小さく『すみません、』と謝罪の言葉が寄越されるのみだ。
それだけではあまりに納得いかない。
もう一度、説明をさせて欲しい。
そう言うつもりで開いた口は『静かに、』という短い言葉のみで、閉じざるをえなくなった。
不満げに灰色がかった瞳を見上げると、彼は持っていた紙とペンを床に落とし、彼女の体をふわりと抱きしめる。
「なにを、」
するつもりです?
体を硬くし、声を震わすと、ジャーファルは極めて穏やかな声音で『そのまま聞いて、』と彼女を窘めた。
「もう遅いんですよ、何もかも。シンは、また新しい事を始めようとしている。それを遂行する為には、何を使ってでも。どんな危険を伴っても、必ずそこへ辿り着く……一度勢いがついてしまったら、誰もそれを止められない。私はそれがどんな結果であれ、責任を持って見届ける義務があります。」
もし仮に、世界中の誰もが、シンの起こす『新しい事』の影響を受けるのだとしたら、今更どこへ逃げようとも、何を言おうと、もうどうにもならない。
「そうは思いませんか?」
静かな諦めを含んだ言葉が、彼女の頭上から重々しく降り掛かる。
…それ以上に、思いの外スケールの大きい話へ着いて行けず、頭がぐらぐらした。
新しい事…?
世界中の誰もが影響を受ける…?
何がどうなっているのか。
一介の占い師である彼女には、さっぱり見当が付かない。
「もし、世界が終わるような。…『最後』が来る時は、ルネは私の傍に居てくれますか?」
抱き締める力が強くなるのと比例して、言葉の語尾が小さくなっていく。
『この人は、きっと。その終わりを一人きりで迎えるのを恐がっているのだな、』
心の内でぼんやり考え、彼女は初めてジャーファルの背中へおずおずと手を回す。
「もちろん…私だって、シンドバッド殿の部下ですから。」
あなたと一緒なら、どこまでもお供する覚悟です。
震える声でそう告げれば、彼の方から指を絡められ、柔く握られる。
白く大きなその手は冷たく、やっぱりほんの少し震えていた。
これから、私達の身にはどんな事が降り掛かるのだろう。
言い知れぬ不安に薄ら寒さを感じ、彼女はジャーファルの胸元へ顔を埋める。
部屋に戻るなり、ろくな手入れもせずにばら撒いてしまった貝殻は、幾つかが真っ二つに割れてそこら中に散乱していた。
仄暗い絶望が擦り寄ってきたのを感じ、彼女は現実から目を逸らすようにそっと目を閉じる。
───きっと、終わりの日は近い。
end
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