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▼ §凩/江雪左文字

※一部の刀剣男士の刀剣破壊描写があるため、注意。
※最初からシリアス、鬱展開につき注意。


景観を変えたせいか、庭の木々は色付き始め、あのように燦々と振り注いでいた太陽の光は日増しに弱くなっていくようだ。

誰しもあの暑さに顔を顰めていた夏と比べれば、格段に内番が捗る今日この頃。


言い付かった畑仕事の合間にふと見上げた空はやけに高く、空全体を覆った鰯雲の切れ間から、控え目な青さを覗かせて。

…上に気を取られているうち、いつの間にやら近付いてきて、自身の横を通り過ぎた風の冷たさに身震いする。


ただの刀剣であった頃には感じようの無かった感覚は、まさしくこの身であるからこそ味わえる物であろう。

実際この体は便利なもので、自分が思っているよりずっと優しく物に触れることが出来、尚且つ自分の思い通りの行動を起こす時等には非常に重宝する。


その反面、この器を得てからは『暑さ』『寒さ』をより直接的に感じるようになった他、『空腹』『眠気』等の生理的な感覚から、『喜び』『憂い』といった人間の持つような感情まで。

刀であった頃と比べ、内外を問わず、あまりに多くの事を受け取りすぎるような気もするのだ。


常に心穏やかに過ごしたい。

そう思う反面、近頃は自らの内から生じてきた様々な感情に惑わされ、必要以上に精神を磨り減らしたり、いつまでも思い悩んでしまう事が多い。


───思えば『その力が必要であるから、』と顕現され、肉の器を得てから、既に三年が経とうとしていた。


戦はあまり好きではないものの、ここに居るからには月に幾度かは戦場へ出向かねばならない。

そういった場に足を運ぶというのは、いつでも無傷で帰ってこられる保障はない。


命のやり取りをしているから当たり前だ…と言えば分かりやすいが、やはり刃物で傷つけ合う事も伴って、致命的な傷を受ければただでは済まない。

程度にもよるが、時には折り砕かれる事もある。


形がある物はいつか必ず壊れる時が来る、とはよく言ったもので、まさに『物』である自分達はその法則に則って戦場で散っていくのだ。

それを『仕舞い込まれて朽ち果てるよりか余程華々しく名誉のある終わり方だ。』と思う者が大多数である中、自分はそのようには感じない部類である。


所詮、刀は戦のための道具であり、世に平和が訪れれば何処かへしまわれるというのが常。

それ以降、二度と日の目を見ずに。
誰からも忘れ去られて朽ち果てる事になろうと、自分としてはそちらの方がずっと良いように思う。


最早自分は刀の付喪神ではなく、日用品か何かの付喪神になりたかったと思い始めたところで、視界の端に何か黒い物が映り込んだ。


「(………あれは、)」


緩く首を捻って黒い物を追い掛けると、それは上から下まで真っ黒な装束に身を包み、その細腕に白布で包んだ小箱を抱えて音もなく庭先を歩いていく主だった。

一体こんな時分に何処へ行くのかが気になったが、その表情はどこか悲し気で、声をかけて良さそうな雰囲気ではない。


どうしたものかと思いながら目線で彼女の姿を追い掛けているものの、当の本人はこちらには全く気が付いていないらしい。

彼女はそのまま歩みを進め、本丸を囲う壁に取りつけられた数少ない出入口をそっと押し開けたが早いか、そのまま外へ出て行ってしまった。

立ち尽くしたままに黒く小さな背中を見送った彼の胸の内には、疑問と同時に言いようのない違和感が居座る。


まずもって、こんな時間にあんな格好で万屋に出かける、と言うには無理があるだろう。

さらに、ある一部の特殊な場合を除けば、何処に出掛けるにしても審神者の外出には刀剣男士が護衛として付くのは絶対、と政府の規定として定められているにも関わらず、審神者が一人でふらふらと出て行ってしまうとは、余程の理由があると見て良さそうだ。


とりあえず、ちょっとした外出にも『必ず着いて行く。』と言って聞かない不動の姿が見えない辺り、誰かに出掛けるという旨を伝えているわけでもないようだから尚のこと心配になってくる。


「(……あまり気は進みませんが。)」


一人で何処へなりと行かせて危ない目に遭わせるくらいなら、多少罪悪感はあれど、自分が彼女の後ろからそっと着いて行けば良いだろう。

───そう判断し、再び吹き始めた凩を避けるようにして、彼は主の後を追うべく足を進めた。


***


『付かず離れず。』

『気が付かれないよう、細心の注意を払って。』


この二つを絶えず意識して歩いたためか、幸いにも彼女がこちらに気付く事は無かった。


…それ以前に、彼女自身が『後を付いてくる者はいるまい、』とでも思い込んでいるからなのか、歩いていく最中も後ろを振り返る素振りは全く見せない。

彼女が本気でそんな事を考えていようものなら、初期刀の山姥切が卒倒しそうなものだ。


「(それに…。)」


彼は周囲に目を配り、そっと溜息を着く。


ここには身を隠せるような藪や木々が無く、目に見える範囲には延々と草地が続いているだけだ。

今、もし敵に襲われればひとたまりも無いだろうに。


無意識に思った時、常に『戦は嫌いだ』『戦いたくない』なぞと口では言っているものの、存外自分の意識が戦場に向いているらしい事に気が付き、身震いした。

所詮、自分は刀。
そこに本質が見えたような気がして、何だか空恐ろしい気さえする。


完全に気配を消したまま、引き続いて後をつけていくと、不意に彼女の背中が随分と高い位置に見え始めた事に違和感を覚えた。

何事かと辺りを見渡して初めて、彼女と自身が居る場所がなだらかな丘であった事に気が付く。


そうして自らが足を止めているその間に、随分と遠くまで行ってしまった彼女の背中が、日没前の茜色を受けて草の上へと長い影を落とす。

───その様がどうにも物悲しくて、突如胸が締め付けられるような感覚に陥った。



彼の本体…即ち刀身には、胸など無い。

そんなもの、確実に無いはずだ。


それなのに、仮初めの肉の器は、まるで彼自身が人間であるかのように規則正しく感情を発露させ、それに応じた間接的な痛みを与えてくる。

…胸の奥底から沸き上がってくるような内側からの痛みは、焼けるようでいて静かだ。


青白い炎が嘆くようにのたりくたりと体の中を這い回っているのを感じながら、ただ呆然と立ち尽くす。

これだから、人の体は疲れる。


気が付くと、主の姿は無い。

冬の香りを抱き込んだ風に吹かれ、彼はこの場に一人きり…何故だか、そうしているのが無性に寂しかった。


さて、主は何処へ行ってしまったのか。

完全に彼女を見失ったわけではないが、微かな焦りを感じつつ、仮説を立ててみる。


先程の進行方向から見て、彼女は丘の先にいるらしい事は分かるが。

…果たして、このまま後を付いていって良いものか。


今更ながらに沸いて出て来た考えではあったが、進むのを躊躇するには充分すぎるくらいの考えだ。


しかし、ここまで来ておいて、素知らぬふりをして帰るというのも良心が痛む。

…結局、少々悩んだところで歩みを進める事となった。


草地を踏みしめ、少し歩けば、安易に丘の頂上へ到達出来てしまう。



その頂から見下ろした少し先。

大きな木の下に、彼女の姿があった。


しかし、ただそこに居るだけではない。

夕闇が迫り始めていたために、太刀である彼には少々見えにくかったが、周囲のぼんやりとした輪郭を辿って推測する限り、彼女はその身を屈め、木の根元を一生懸命に掘っているのだった。


先程まで手に抱えていた小箱こそ、避けられた土の横に置かれていたが、その白い手が土まみれになり、地に足をつけているせいで着物が汚れるのも気にせず、彼女は一心不乱に土を掘っているのだ。


「…何を、」


しているのでしょう。

不意に漏れ出た声は自身の耳には聞こえたが、彼女には届かない。


だから、彼はただ近寄っていった。

後を追ってきてしまった事を咎められるのでは無いか、という考えが頭の隅を過ぎったが、それより今は好奇心が勝る。


一歩。また一歩と近付いていき、手を伸ばせば彼女に触れられる所にまで距離を詰めた時。

ようやく彼女はこちらを向いた。


「江雪………?」


こちらの姿を認めてすぐ、彼女は『何故ここにあなたが、』とでも言いたげな顔をしていたが、咎めるような言葉は何一つとして出てこない。

代わりに、彼女はそれきり黙って背を向け、またせっせと土を掘り始めた。


「あなたは…、」


ここで、何をなさっているのです?

極力角の立たない言い方で問いかけてみると、ぴくり、と彼女の動きが止まる。


「…………。」


少し待っても、彼女からの返答は無い。


「少々、不躾に聞いてしまいましたね…。」


失礼、いたしました。

謝罪の言葉を述べた直後、彼女の肩は震え出す。


…余程怒らせてしまっただろうか。

もっと謝った方がよいのだろうか。


考えているうち、たっぷり間を取って、彼女はか細く話し出す。


「………雪…は、……国、をっ…。」


「………?」


「江雪は…同田貫、正国を…っ、覚えて、いますか…?」


小さく、か細く。

哀しみを堪えているようにひどく震えた声であったが、辛うじてそう聞き取れた。


「ええ……覚えていますよ。彼は確か、兜割を成功させた…。」


そこまで答えた所で、今度は目の前に白布で包まれた小箱が差し出された。


「………これは?」


彼女の手から小箱を受け取りはしたものの、どうすればよいか分からずに問うと、ただ『中を、』とだけ返される。


中を見てもよい、という事だろうか。

再び土を掘り始めた彼女を困惑した眼差しで見下ろしながら、そっと包みを解き、箱を空けて中を覗き見ると。


小さな箱の中へ僅かに詰められていたのは、指の先で摘まみ上げられられる程の金属片だった。


直後。

自身の脳裏に、何時でも刀としての本質を忘れず、嬉々として戦場へ進んで飛び込んでゆく勇ましい男士の姿が過ぎる。


「………………。」


…全て、合点がいった。

彼の身に何が起こったのか。
彼女が何故共も付けず、人目を憚り、たった一人でここへ来たのか。


「それ…、同田貫なんですよ。」


予想していた通りの言葉に頷き、箱の蓋をそっと閉めて元のように白布で包む。

その最中も、彼女の言葉は途切れる事は無い。


「…今日の、出陣で。折れて……彼の刀の破片、…同じ部隊に居た者達が、出来うる限り…拾ってきてくれました。」


でも、『損傷がひどかった』って…。

『粉々に砕けてしまったから、これだけしか拾ってこられなかった、』って…。


「皆『そんなに気を落とすな』って…、励ましてくれました……。でも………、でもっ…誰も…っ、だれ、も…私を、責めなかった………っ!」


言葉の端を耳に入れた瞬間、彼は眉根を寄せ、震え続ける彼女の小さな背中から目を逸らした。


「主、それ以上は…。」


言わずともよいのだ、と。

そう伝えたが、彼女の口からは、止めどなく言葉が吐き出される。


「同田貫が、こんなになってしまったのは…わた、し……わたしが、悪いのに、みんな…みんなっ…どうして、なんで………っ!」


頭を抱え、ひたすら同じ事を繰り返す様は何とも悲壮感が漂う。

原因は無数にある。
きっと、彼女だけが悪いという事は無い。


それなのに、彼女は自分のせいだと言って涙をあふれさせている。

その気持ちに共感は出来るが、物である自分としては、仲間であった刀の終わり方を見届けながらも、非常に心穏やかでいられる気がした。


「……それだけ、あなたに大事に思われていたのなら、彼も満足だったでしょう。」


やたらと、自分を責めるものではない、と思いますが…。

思ったことを口に出してみたが、彼女の涙は依然として止まらない。


ごく静かな動きで。

今朝まで一人の刀剣男士として存在していた金属片が収まった件の箱をそっと差し出すと、彼女はただ無言でそれを受け取り、未だ濡れたままの頬を寄せる。


『いつか必ずこうなる日が訪れる』というのは、誰でも覚悟をしていた事。

今世の持ち主として大事にしてくれた彼女に感謝こそすれ、恨みに思う者は誰一人居ないだろう。


…折り砕かれ、今や小さな箱へ静かに収まった彼も確かにそうであったように、また自分もそうなのだ。



辺りはすっかり暗くなっている。

彼女の手によって掘られた穴を、凩が弔うようにそっと撫ぜ、白い箱には、眼からこぼれ落ちた熱い雫がほたほたと染みこんでいった。


***


「………ごめんなさい、こんな時間まで。」


前方を歩く彼女から、不意にそう言葉を投げかけられた。

『構いませんよ。』と相槌を打ちながらも、辺りの暗さと相まって、丸みを帯びた肩に置かせてもらった自身の片手以外に彼女を認識する手立ては無い。


今の彼には、薄ぼんやりとした青色の袖や、そこから延びる生白い自分の腕。

少し離れた位置にいる主の背中…こんな具合に、狭く限られた範囲のみが薄ぼんやりと見えるのみで、その外は全く分からない。


人工物かそうでないかはさておき、これで少しでも明かりになるような物があればまた違ったのだろうが、今夜は月も星も無い、ごくごく静かな夜だった。


耳には二人分の足音だけが届くばかりで、前方を歩く彼女がどんな顔をしているのか窺い知る事は出来ない。

それ以外には特に話をする事も無く、黙っていればこのまま本丸へ向かうこととなるはずだ。


そんな中、前方の足音がふと止んだ。

彼女の肩に置かせてもらっていた手も、予期せぬ動ききに戸惑い、迷った末、結局宙へ浮かんですぐ近くに戻ってくる。


「あの…江雪、」


「………何でしょう。」


背中越しに放られた声を拾い上げ、応えてやると、やや間があり。


「…もし、私が………。」


ごく小さな声が、もごもごと言葉を紡ぐ。


「すみません……もう一度…、言って下さいますか。」


そう言うと、彼女はくるりとこちらを向き、視線をあちらこちらに彷徨わせながら再度言葉を声に乗せる。


「…もし、私が…その、何処かへ出掛けていって。…もう、この姿で帰ってこられないような事になったとしたら。」


江雪は、悲しんでくれますか………?


そう呟いた彼女の顔はひどく儚げで、今にも消えてしまうのではないかと思うくらいに脆い。

彼女から突然に放られた質問を反芻する間中、彼の頭は、何か固いもので殴打された後のようにぼんやりとしてしまって、考えがまとまらなかった。


もしも、彼女に二度と会えなくなったとしたら。

───そうなれば、どんな理由があろうと憤るであろうし、悲しむだけではすまない。


いつか必ず訪れるであろう静かな哀しみを予感した胸が、きゅう、と切なく疼く。

自分とてこうなのだから、他の皆もこうなのだろう。
あるいは、もっと激しい感情を持つのか。

それは一体………、


「江雪…?」


彼女の声で現実に引き戻され、どうやら自分が思索に耽っていたらしい事に気が付く。

しかし、それよりも衝撃が大きかったのは、視界が突然滲み、ゆらゆら揺れ出した事だった。


まるで、水の中にいるような…。

そう思っているうち、視界を曇らせ、彼女の顔すら滲んで見せていた右目のそれが目尻から迫り出し、ぷっくりと膨らんで。


自分の体温よりも遥かに熱を持った液体が、さぁ、と勢いよく頬を流れていくと同時に、視界が晴れていく。

何の前触れもなく内から沸き出でてきた熱い雫に驚き、何度か瞬きをすると、今度は左目からも同じ物が流れる。


「───江雪、」


再度名を呼ばれてそのまま視線を下げ、目を懲らすと、暗がりの中でぼんやりと彼女の顔が見えて。

常人よりも黒目がちな瞳をこれまでに無い程大きく開き、じっとこちらを見上げていた。


それからほんの少しの間、彼女は表情を変えずにこちらを眺めていたが、すぐに目を逸らして『ごめんなさい、』と謝罪の言葉を寄越した。


「戯れにしても、酷な事を聞いてしまいましたね……。」


呟くようにぽつりと述べ、白く小さな女人の手が袂からハンカチを取り出し、すいとこちらへ差し出す。

僅かに石鹸の香りを纏った布を恐る恐る受け取ると、そこで彼女は初めてゆるい笑みを作った。


「…でも。何だか少し、安心しました。」


『神様も涙を流す事がある…って、気付けましたから。』


そう言われて、自分が涙を流していた事実に気が付く。

これは一体どうした事だろうか。


今までは、どれ程悲しい気持ちになっても、人のように泣く事など一度も無かった。

そんな自分が、涙を流す日が来ようとは…。


息をつこうとすると、ぐす、と鼻が鳴る。
まるで、泣き止む間際の子どものようだ。


「さぁ……帰りましょう?」


背を向ける彼女に置いて行かれそうになり、言いようのない心細さから思わず手を掴むと、また僅かに口角を上げ、彼女は微笑する。


「大丈夫。私は、急にいなくなったりしませんよ。」


「しかし、あなたは……、」


「………さっきのは、例え話です。」


忘れて下さい。
どこか寂しげにそう言われてしまえば、それ以上会話を続ける事は出来なかった。


その日は、静かな夜になった。


本丸に帰っても、永らく誰も口をきかない。

悲しく深い海の底に沈んでしまったような夜だった。


end

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