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▼ §忠義を貫く/平野藤四郎(極)

*かなりのシリアス展開注意。


今日とすべきか昨日とすべきか。

そんな曖昧な時間帯に、平野は目を覚ました。


喉が渇いたとか厠に行きたいとか、そんな単純な理由で起きたのではない。

何だかいやに静かすぎるのだ。

いつもは聞こえてくるはずの誰かのいびきも、鳥の羽ばたきも。
ともすれば、風の音すら聞こえてこない。


本丸全体が、違和感を感じずには居られないほど不気味に黙りこくっていた。

妙に胸がざわつくのを感じながら周囲を見渡すと、自分の兄弟達がぐっすりと寝入っているのが目に留まる。


そこにあるのは、いつもと何ら変わらぬ光景。

薬研に厚。後藤と信濃。
それから、前田に秋田に五虎退。乱、博多、包丁。


何度数えても、脇差しや打刀や太刀を除いた兄弟や仲間達は皆ここに。
この部屋の中に、自分と共にいるというのに、変な胸騒ぎは消えない。


体中から、力が抜けていくような。

どうとも言い表せぬ微妙な感覚を味わいつつ、平野は自らのこめかみの辺りから垂れてきた冷や汗を拭って立ち上がった。

このままでは、どの道よく眠れやしないだろう。


広い本丸内を歩き回っていれば、そのうち気持ちが落ち着いて眠くなるかもしれない。


そんな考えに突き動かされるようにして、障子をほんの少し開けると、途端に冷たい風が部屋の中に吹き込み、冬特有の香りを運んでくる。 

一瞬の肌寒さは感じたものの、彼は寝間着の上に何も羽織らず、明かりになるような物も持たぬまま部屋を抜け出た。


廊下をひたひたと音を立てて歩くうち、素足に冷たい木が直に触れ、幾分も歩かぬうちに足先の感覚が痺れだしたが、それでも平野は暗い廊下を行く。

特に『何処へ用事がある』とか『何かを取りに行きたい』とか、そういった意識はまるで無かったが、足はひとりでに動いて、平野に暗所をひたすら進ませる。


手入れ部屋の前を通り過ぎ、厨の傍を回り。

それから、各刀剣男士の部屋を少しずつ覗いて回ったが、やはりどこもかしこも静かで。

───強いて言うなら、物凄い寝相で眠っている者が数名見受けられただけだった。


こういった具合に夜中の本丸をうろつくうち、いつの間にやら、平野は審神者部屋の近くにまで来ていた。

こんな時間だというのに、僅かに空いた襖から薄ぼんやりとした橙色の明かりが漏れ出し、そこから隙間風が吹き込むためか、時折ちろちろと灯りの源が揺れるのが見える。


暖かな光に吸い寄せられるようにして、たまらず部屋の前まで歩み寄れば、襖越しに彼女の気配がした。


刀剣男士が居住している所からは少し離れた場所にあるこの部屋には、自分達と約一世紀分以上も齢の離れた年若い女人が住まっている。

その女人こそが、当本丸を切り盛りする主なのだ。


顕現された時には、彼女の齢を聞いて驚いたものだが、演練や審神者会議の場で見掛ける審神者は、ほとんどが主と同じくらいか、少し上か下、というように、前線に出ている審神者は比較的若い層が多いようである。


彼女は特別何かをする事に長けている…という訳ではなかったけれど、非常に温和な性格をしており、いつでも良くしてくれるので、彼女に好ましい感情を抱く者は数多くいる。

平野自身もその一人なもので、戦や遠征さえなければ、四六時中後を付いて回りたいくらいには彼女を慕わしく思っていた。


それだから、もしや主はまだ仕事をしているのだろうか、と不安になり、指がやっと一本入るかどうかくらいの隙間から中を覗うと、彼女は、いつも仕事をする時に使っている漆塗りの文机の上に伏している。

───疲れて眠っているのだろうか?


いつもの癖で体が先に動き、主に接触しようと自らの手が襖に触れるも、急に擦り寄ってきた肌寒さが平野の頭を冷やした。


…そういえば『短刀とは言え、この体になったからには、夜警中に緊急の事でも無ければ、夜分に主の部屋へ気軽に出入りしてはいけない。』と。

ここへ来たばかりの頃に、近侍を勤めていた長谷部から教えられたのを思い出した。


今は、特に急を要する用事があるわけでも、緊急事態でも無い。

ただ単に主が心配であるという理由から入室しようとしているが、当の部屋の主は眠っているようだし……。


考えた末、平野は思い切って襖越しに声をかける。


「主、夜分遅くに申し訳ございません、平野です。よろしければ、入室の許可を頂きたいのですが…。」


もちろん、少し待っても返事はない。

深く寝入っているのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。


「………………失礼、いたします。」


とうとう我慢できなくなって、彼は自らの冷えて所々赤くなった手を襖に添え、出来うる限り音を立てぬようにそっと押し開ける。

そこには、先程見たままの姿をした主が居た。


開け放しのままでは寒い思いをなさるだろうと、部屋に体を滑り込ませてすぐさま襖を閉め、改めて周囲を見渡してみる。


右手には、ゆらゆらと揺れる光を内に秘めた行燈と、文机に伏す主。
左手には、畳まれたまま置かれた布団。

奥には簡素な化粧台と、女人が好むような細々した物が並べられている。


しかしながら、再び彼女の方へ視線を向けてすぐ、平野は眉根を寄せた。

寝間着の上に薄い羽織を掛けてはいるものの、足は裸足のまま。
彼女のすぐ隣には火鉢があったが、大分前に火が消えてしまっているためか、温もりは残っておらず、部屋は隅から隅まで冷えていた。


このままではきっと、お風邪を召してしまわれるだろう。

そんな思いが脳裏を過ぎり、とりあえず床を整えて彼女の方を見やる。


余程疲れているのか、眠りが深いのか。

主はぴくりとも動かない。


「お待たせしました、床へお運びいたしますね。」


一声かけて、彼女を文机から離し、抱き上げようと触れた途端。

彼は思わず体を震わせ、反射的に手を引っ込めた。


冷たい。

そう。
彼女の体が、あまりに冷たすぎる。


寝ている時は多少なりと体温が下がると言ったって、普通ならほんのりと温かいはずなのに。

それなのに、彼女の体はまるで氷でも触っているかの如く、あまりに冷え冷えとしていた。


「…………主?」


何やら不穏な気配を感じ、軽く揺さぶってみるものの、反応は返ってこない。

それから、血の気がなく、雪のように白い彼女の頬に触れてすぐ、平野は自らの鼓動が激しく脈打つのを痛いほどに感じる。


「主…、あるじっ………!?」


そこから先は、もう夢中で。

酷く取り乱し、主、主…と彼女を呼びながら手を握ったり、赤味のない唇の端に触れてみたり、悪いと思いながらも彼女の鼻や口に手をかざしてみたり、胸元に耳を当てて心臓の音を確かめたりたりと様々な事をしたが、結局、彼女から反応が返ってくる事は二度と無かった。


目を覚ました瞬間に感じた違和感の正体は、こういう事だったのかも知れない。

冷たい主の体を抱え、今まで耳にしたことのない嗚咽が自らの口から溢れ落ちる以外は、あまりに閑かすぎる夜だった。

先程まで灯っていたはずの行燈の火は、いつの間にやら掻き消えて、内側に生温い温度のまま蕩けた蝋燭をいつまでも匿っていた。


***


全てが嘘なら。
夢なら良かったのに。

そんな考えばかりがぐるぐると頭を回り、ただでさえ辛くて今にも潰れてしまいそうな心へ、更に傷を付けていく。

綺麗に化粧をされ、白い着物を着せられた主が横たわる部屋で、平野は膝を抱えてぼんやりとしていた。


あれから何がどうなったのか。

どう頑張ってみても、断片的にしか思い出せない。


自分と同じように何かを感じ取ったらしい初期刀の陸奥守が血相を変えて審神者部屋へと飛び込んできた事。

続いて、慌てたようにやって来たこんのすけからは『審神者様は、立派に仕事を成し遂げられました。』という一言が寄越され。

そうして、主亡きこの本丸は、彼女の葬儀が終わり次第解体される事が決定した旨。


聞きたくない言葉ばかりが周囲を飛び交い、もう耳も心も疲れ果ててしまった。

ふと主から目を離し、他の場所を見やると、畳の上には、大小様々な刀剣が散乱しているのが目に留まる。


ここに置かれているのは、全て主に最後の挨拶を終えた刀剣男士の本体だ。

皆、いつ頃から主の事を知らされたのかは分からないが、朝から昼にかけて、彼女が寝かされたこの部屋に訪れ、労るように優しく手を握ったり、頬を撫でたりしながら別れの言葉を述べたり、自らの思いの丈を伝えたりした後に、自分の本体を置いて去って行った。


そこかしこから聞こえてくるのは、悲しそうな啜り泣きと嗚咽ばかりで、本丸にいつものような活気はない。


平野はと言うと、皆が主に話し掛け、刀剣を置いては部屋から出て行く様子を見ながら、何も食べず、飲まず。

ただただぼんやりと過ごして、とうとう主に挨拶をしていない最後の一人となってしまった次第であった。


兄達や、兄弟からは『主には御世話になったのだから、しっかり御礼を言っておいで、』とは諭されたものの。

彼はどうしても、最後の挨拶をする事が出来なかった。


『今までありがとうございました。』

『主にお仕えできて幸せでした。』


…こんな言葉を口にしたが最後、彼女とは永遠に離れてしまうような感じがして。

それがどうしても嫌で、膝を抱えたまま彼女の傍に控えている事しか出来なかったのだ。


彼女を責めるつもりはない。

むしろ、生前から。
彼女には、ここまで自分に目をかけて可愛がってくれた恩がある上、感謝してもしきれないほど様々な事を教えてもらった。

修行にも、数多く居る短刀の中でいの一番に出してもらい、つい一月前に帰ってきたばかりで。


何もかも『これから』という時の大きな損失が、ただただ悲しかった。


こうしていると、彼女はただ眠っているだけのように見える。

もしかしたら、彼女はまだ生きていて。
こんのすけや、政府が嘘をついていて。

傍らにいれば、彼女がひょっこりと起きて『どうしたの?平野、』と、優しく声をかけてくれるような。

そんな気がしてならないのだ。


「主…。僕は、まだ信じられません。」


僕が、もう主のお側に居られなくなるなんて。

主と、もうお会いできなくなるなんて、そんなの………!!


「………そんなの、嫌です。」


小さくと呟くと、膝にぽたりと涙が垂れる。


すると、塩辛い小さな泉はみるみる広がり、大きな海になった。


主のお話をもっと聞かせてほしかった。
主に聞いてほしいことがたくさんあった。

主にずっとお仕えしていたかった。
主にずっと大事にしてもらいたかった。


涙を流して想いを吐露し、小さな体を震わせて飲み下せぬほどの哀しみを噛み締めるその様は、まるで本物の人間のようで…。

端から見れば、非常に気の毒であった。


相変わらず返事もせずに横たわったままの彼女を眺め、平野は溢れ出る涙を乱暴に拭ってそちらへ寄っていく。


生前と変わらず、すべすべとして白い彼女の手や頬は、冷たいながらも懐かしい香りが薄らと残っている。

それを求めて彼女の手に自らの頬を擦り寄せると、何とも言いようのない思いが込み上げ、目頭が熱くなった。


「僕は、主をお慕いしていました……ずっと。ずっと前から。だから、どうかこれからも主のお傍に置いて下さい。」


自分でそうは言ったが、彼は刀の付喪神である。

例えここで折れてどう頑張ったとしても、彼女と同じ場所へ行く事は出来ないだろう。


───それならば。

平野は、腰に帯刀していた自身の本体を彼女の片手に握らせ、泣き続けてひりひりする顔で精一杯の笑顔を作る。


「これから主の行く先には、何かと困難な事が多いと聞きます。僕は付喪神ですから、最後までお供する事は出来ませんが…途中までは御一緒致します。」


……さあ、気をつけて参りましょう。

勤めて明るく言い放ち、平野は主の手を握ったまま、寄り添うように自らの体を畳の上に横たえた。


途端に、泥のように濃く重い眠気が平野にのし掛かる。

不思議と、恐ろしい気はしなかった。
もしかしたら、主も最後にこんな眠気を感じていたのかもしれない。


そう思うと、何故だか嬉しいような気もする。

向こうへ行けば、ほぼ確実に彼女と途中で別れる事になってしまうだろうから、せめてこちらにある物だけでも、彼女の傍らにいられたら………。


自身の最初で最後の我が侭がどんな形で受け入れられるのかを見届けぬまま、平野の意識は混濁し、ゆっくりと深い場所へ沈んでいくように消えていった。


***


『本丸を任せていた若い審神者が息を引き取った』という報告があって数日後。

政府に上がってきた報告書には、写真付きで、珍しい現象があったと書き記されていた。


【調査のために立ち入った本丸の奥の間には、この本丸の元審神者と見られる女性の亡骸が布団に寝かせられ、周囲には大量の刀剣が無造作に置かれていた。】

【それらは、主たる彼女の霊力が流れてこなくなった事により、人の形を保つことが出来ずに刀に戻ったと見なせる物だったが…例外が一つ。】


【彼女の手元には、短刀『平野藤四郎』本体が握られ、彼女の傍らには、何故か人の姿を保ったままの平野が寄り添うように体を横たえていた。】

【何故、審神者が死して尚刀に戻らず、人の姿を保っていられるのか…。】


【今までにこういった不思議な現象が全く報告されてこなかったわけではなかったが、どの報告例も“練度の高い初期刀”が最も多く、短刀はこれが初めてだった。】


【この若い審神者と短刀の間柄は今となっては知る由もないが、おそらく互いに思いあっていた所があったのだろう。】

【また、この平野藤四郎は極の状態になっていた事から、もしかしたらそれが人の姿を保っていられる要因なのかもしれない。】


数十枚にも及ぶ報告書の最後には【この短刀と審神者を引き離すのはあまりに酷であり、せめて共に弔ってやるべきだ。】と、調査した者の主観が入りすぎた一文が添えられていたが、意外にもこんのすけがそれに賛同したらしい。

そのため、表向きの理由では『離して埋葬すれば後が怖い』との事で、政府によって葬儀が執り行われ、その平野は審神者について同じ墓へ入る事となった。


…果たして、これが良い事なのか、悪い事なのか。

答えは誰にも出せなかったが、この一件は、他本丸の審神者や刀剣男士の間ではいわゆる『美談』の類として認識されているそうである。


end

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