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▼ 三笠の山/白龍

・夢主さんは、「遣煌使」として倭から煌帝国に来ています。
・異国の地でほんのり漂う祖国への郷愁、みたいな…。
・白龍君も、夢主さんも大人です。(結婚済み。)
※名前未入力の場合、表記は全て「瑠音」で統一。


〜煌帝国 禁城内〜


「ここに来て、何年目だっけ…?」


瑠音は、自分に宛がわれた広い個室の中で呟いた。

その問いに答える者はなく、必要最低限の物しか置かれていない部屋の中に、声が虚しく反響する。


それがまた寂しく、自分の孤独を余計に意識させてきた。

…こうも気持ちが沈むのは、季節のせいだろうか?


煌は今、秋真っ只中。
と、いう事は…自分の故郷の国、『倭』も秋の盛りの頃だろう。

そういえば、庭先にあった大きな紅葉の木は、今年も忘れずに見事な赤色に染まって、両親や兄妹達の目を楽しませてくれているだろうか…?


先程まで暇潰しにやっていた刺繍を再開する気にもなれず、布に針を刺しっぱなしにしたまま、すぐ傍にあった卓の上に放り出した。


ふと窓の外を眺めると、倭とよく似た風景の庭が目に入る。
倭を懐かしんで泣いていた瑠音を可哀想に思い、庭に倭の国の物とよく似た植物を夫の白龍が植えてくれたのだ。


それに感謝はするが、この庭にあるのは、倭の植物のようで倭の植物ではない。
それがより一層瑠音の傷付いた心を抉り、殊更倭への郷愁の念を煽っていた。


瑠音は、倭で女性として初めて遣煌使になった少女だった。

瑠音が遣煌使に選ばれた日、彼女の家の中は、今でもはっきり思い出せるくらいに騒がしく賑やかで…まるで祭りの時ように楽しかった。


祖父母、父母、兄や姉は勿論の事。

顔も知らないような親戚に至るまで、皆瑠音の元に駆け付けてお祝いしてくれたのだ。


女性で…しかも、『初代の女性遣煌使』に選ばれるなんて、瑠音の家の者にとっても、瑠音本人にとっても、素晴らしく名誉な事だったのである。

倭を出る際には、それはもう様々な人物が彼女を見送りに来てくれて、“頑張ってこい”と、口々に暖かな激励の言葉を贈ってくれた。
多少の名残惜しさと異国の地への不安を胸に抱いて船に乗り込んだのが懐かしく思い起こされる。


煌に着いてすぐ、遣煌使船の船長が、『五年経ったら迎えに来る。』と、確かにそう教えてくれた。


その言葉を信じて全く疑わなかったから、倭の王から預かってきた文を煌の皇帝に預けてしまってから“五年なんて、長いようで短いから…。”そう考え、ずっと煌について勉強していた。


おかげで、瑠音は「漢字」と言うものを読めるようになり、多少難解な書物でも何とか理解できるくらいの教養を身に付ける事が出来たし、文化や風習と共に、煌の宮廷作法も習った。


それらは全てが楽しく、とてもやりがいがあった。
煌の高度な文化を自分の国に持ち帰る事ができるんだ…。

様々な物を習得していく度、倭の国の人々が喜んでくれる顔を思い浮かべていのだが…それらは、ここ数年で木端微塵に砕け散った。


瑠音や他の遣煌使達を迎えに来てくれるはずの遣煌使船が、煌に来るまでの間に、全て沈んでしまったのだ。

次の遣煌使船を待っている最中、煌では戦が始まり…倭では、煌は危険だ、との判断が下ったために、遣煌使は廃止された。

これで瑠音達は本当に母国に帰れなくなってしまったのである。


それを気の毒に思ったのか、煌の皇帝は遣煌使達を禁城内に住まわせ、地位と職を与えてくれた。

しかし、まだ若かった瑠音は倭に帰りたい一心で、『私は職や住処、地位などは欲しくありません!!船を一槽下さればそれで十分なのです…。』などと、大変に無礼な事を口にした。


本来ならばそこで衛兵に捕らえられて、打ち首にされてもおかしくないくらいの罪だったが…皇帝の寛大なる処置により、何故か彼女はこの国の皇子『練白龍』の妻となった。

未だにそれは何故だか分からないが、皇帝はその頃の瑠音の勢いを見て、異人の娘と自分の息子との結婚を進めさせたのかもしれない。

そんな事があってから、怖いものなど何もなく、世間知らずだった勝ち気な少女…瑠音は、この異国の地でいつしか分別を弁えた大人の女性になっていた。


ふと外を見れば…月が明るく光っている。
今夜は十五夜か。

夜風と虫の鳴き声に誘われ、ふらりと中庭に出た。


***


綺麗に晴れた夜空には、『黄金』と呼べる程美しい月が浮かんでいた。

手が届きそうなくらい近くに見える満月の周りには、幾千の星々が控え目ながらも輝きを放ち、夜空を華々しく彩る。


子供の頃に聞かされた昔話のワンシーンのような雰囲気に息をのみ、しばしの間夜空に見入った。
虫達の鳴き声や、秋風に吹かれて微かな音をたてる草花はに囲まれたこの場はとても趣深く風流だ。

この場所に詩人や歌人がいたなら、きっと大喜びするだろうに。


「天の原 ふりさけ見れば 春日なる 三笠の山に 出でし月かも…。」


倭を出る前に父から教えられた歌が口をついて出る。

確か…この歌を詠んだ人物も瑠音と同じように遣煌使として煌に来たものの、倭に帰れなくなってしまい、生涯を煌で送ったのだ。


「何だか私と似てる…。」


自分も、もう倭に帰れないのかもしれない。
何度目か分からない溜め息をつき、俯いた。

感傷的な気分に追い討ちをかけるように冷たい風が体に当たる。


「(上衣を一着でも羽織ってくるんだった。)」


腕を擦って何とか暖をとろうとするものの…やはり寒い。
痩せ我慢は出来ないから、部屋に戻ろうか?

そう思い始めた矢先、ふわりと肩に上衣がかけられた。


「…?」


それと同時に、誰かの暖かな手が冷えきった瑠音の指先を優しく包み込む。


「ダメじゃないですか、冬も近いのに、何も羽織らないで外に出たりして…。」


「白龍…、」


「体もこんなに冷たくなって…。」


可哀想に、と彼が体を擦ってくれたお陰で大分寒さは和らいだが…。


「また、寂しくなりましたか?」


悲しげな顔をして問うてきた夫の質問に答えたくなくて、すぐに背を向けた。

夫の白龍は、出会ったばかりの頃の『笑顔のよく似合う少年』から、『物分かりの良い気のきく大人』に成長した。


でも、瑠音が倭の国に関する何かを思い出しているのを誰より敏感に感じ取り、悲しげな表情を浮かべて、必ずこう聞いてくるのだ。

『寂しいですか?』と。

若い頃はその一言にどれ程の意味が込められているかも知らず、素直に“倭に帰りたい、寂しい。”等と言っては、白龍に慰めてもらっていた。


しかし…これだけ一緒にいれば分かってくる。

白龍の言う『寂しいですか?』の本当の意味は…『煌に居たくないのか?』と、間接的に、かなり遠回しな言い方で聞いてきているのだ。


「…いえ、平気です。」


嘘。
本当はとても寂しい、倭に帰りたい…。

両親に、兄妹に、祖父母に、友人に会いたいのに…!


喉までせり上がってきた悲痛な叫びをギリギリの所で押し殺し、潰す。
大事な人に悲しい思いをさせないために。


「そうですか…それなら良いんです、」


寂しくない、と同等の否定の言葉を口にした彼女の嘘に気がつきもせず、彼は心底安堵したように優しい微笑みを浮かべる。
多少の罪悪感が付きまとったが、そんな事はいい。

この国での、自分のたった一人の味方…今や『身内』と呼べる関係になっている白龍には、せめて笑っていてほしい。


例え、このまま…。
一生自分の気持ちに嘘をつき続ける事になったとしても。

もう、二度と故郷に帰れなくなったとしても。


それで白龍が幸せだと思ってくれるなら、それでも構わない。


密やかに落とされた彼からの口付けを受け止め、瑠音は静かに涙を流した。

目蓋の裏には、倭の国の三笠山に月が浮かぶ美しい情景が…両親達の姿が、自分の生まれ育った家が、歩き慣れた小道の風景が次々に浮かんでは消えていく。


抱き締めてくれた白龍に甘えるふりをして彼の胸に顔を埋め、服の袖で涙をそっと拭った。


「そろそろ戻りましょうか?」


「そうね、」


努めて明るい声で答えれば、白龍は本当に幸せそうに頬を緩めた。


楽しそうで悲しそうに微笑む彼女の横顔に、青白い月がそっと影を落とす。
そのぼんやりとした光は、彼女が心の内に秘めた悲しみの色によく似ていた。

誰にも言えない思いを抱え、彼女は異国の地で、また一つ大人になていく…。


end

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