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▼ 初恋は春の日の如く/大和守安定

*名前変換無し。



部屋の窓からは、カラリと晴れ上がった青空をのんびり流れていく雲と、散りかけの桜が風に吹かれて空中に舞い上がっていく様子が見える。

半開きの障子から吹き込んだ暖かい春風が、ぱたぱた、と、身に着けていた白衣の裾を引っ張り、薬研をしきりに外へと誘う。


それにつられるようにして眺めたその先には、はしゃいでそこら中を走り回る今剣と、自分の兄弟達の姿があった。


桜の木に登って得意気な顔をしているのが、先日来たばかりの信濃。
それを見上げているのが秋田と五虎退。

前田と平野と今剣は、桜の木の近辺で激しい追いかけっこをしているようで、目まぐるしく鬼が代わっていくのが見て取れる。


一見、ごく普通の。
いわゆる『平和な風景』のようではあるが、これはほんの束の間の出来事に過ぎない。

今、自分が息を吸って吐くほどの僅かな時間でさえ、戦を忘れていられる貴重な日常なのだと思うと、あれ程見事な桜の花も、抜けるような青空も、途端に色を失ってしまうように見えるから困りものだ。


いっそ自分もあんなふうに我を忘れるくらい激しく遊び回れれば気が楽なのだろうが、如何せん、自分は遊びに熱中出来るほど純粋な精神をしていないばかりか、少しの気恥ずかしさも手伝って余計にあの輪の中に入っていく事が躊躇われる。

もし仮に。
珍しく気乗りがしたとしたって、今日は先約がいるのだ。


それを一時の気の迷いのせいですっぽかす事など出来やしない−−−。

そういったわけで、待ち合わせ場所として指定された部屋に腰を落ち着け、ひたすら待っているのだが…。


「来ないな…。」


そう。

折り入って相談があるので…と、自分を部屋に招いたはずの張本人が、なかなか現れないのである。

もしや体の具合が悪いのではないか、と、一応『聴診器』や『体温計』といった道具が一式入った箱を持ってきてはみたが、使うかどうかは分からない。


いよいよ暇になってきた。

かけていた眼鏡を白衣のポケットに突っ込み、退屈しのぎに自分のいる部屋を再度見回してみて、まるで女人の住む部屋のようだなと思った。


もちろん、ここに住んでいるのはどちらも男だという事は重々承知の上だが、簡易的な鏡台の端にまとめて置かれた化粧道具やら、見た目だけでは用途が想像できない置物。

ちょっとした隙間に置かれた、やわらかそうな縫いぐるみ…等々。


この一室の持つ雰囲気は、薬研の今の主が寝起きする審神者部屋を彷彿とさせた。

兄弟以外の刀剣男士が暮らす部屋に招かれたのはこれが初めてだったが、住む者が違えば同じような間取りの部屋でも、まるっきり別世界のように見えるから不思議なものだ。


さて…こうなると、他の部屋は一体どんな様子なのか。

変に勘繰ってはいけない部分ながら、非常に興味が沸いてきてしまう所存である。


他に珍しい物は無いか、と、再度部屋の中をぐるりと見渡すと。

文机の上に、脱ぎ捨てたままの形で放置された浅葱色の羽織がだらしなく横たわっており、更にその奥には、中に咲きかけの白い椿を入れた小瓶が置かれていた。


傍に寄って行って眺めてみると、瓶の中は水で満たされていて、椿の花が何かキラキラした物と一緒に沈められている。

これは一体何に使うのだろう?


これが主の時代の便利なカラクリの一種ならば、どこかに『きどうぼたん』に相当する出っ張りがあるはずだが、それらしき物は特に見当たらない。

美術品の類いならば、この瓶詰め椿を観賞するだけで良いのだろうが、生憎自分は、雅な事はよく分からない。


旦那には悪いが。
…まあ、ちっとばかし触ったって簡単に壊れるもんじゃあるまいし。

短刀らしく、純粋な好奇心に身を任せて置物に手を伸ばした途端。


「それ、綺麗だよね。」


ちょっと前に、主から貰ったんだ。

半開きの障子の隙間から、突然声がした。

ただただ驚き、勢いに任せて振り返ると。
そこには、湯気の立つ茶と茶菓子を盆の上に乗せた大和守安定が、優しげな笑みを浮かべて立っていた。


とりあえず手を引っ込めて彼の方に向き直り、いつの間にやら跳ねていた息を整える。

部屋の物に無断で触ろうとした事を咎められるのだろうか…と冷や汗をかいたが、狭い隙間から体を滑り込ませて部屋に入り、器用に足で障子を閉める間にも、人当たりの良い笑みが消える事は無い。


「遅くなってごめんね、僕が部屋まで呼んだのに。」


「いや、気にしないでくれ…俺っち、今日は出陣も内番も無いんでな。」


近くにある小さめのちゃぶ台の方へ手招きされたので、促されるままそちらに膝を繰ってすぐ、緑茶と茶菓子が差し出された。
苦し紛れに茶菓子を口に放り込んですぐ、控えめな甘さが広がる。

その間も、やはり怒っているような感じは見受けられず、むしろ平常時より穏やかな気もするが、腹の内はどうなのだろう。


「あ、そうだ。清光が使ってる方だけ変にごちゃごちゃしてるけど、気にしないでね。」


何気なくかけられた言葉で初めて、彼らは生活空間を分けているらしい事に気が付く。

ここから見て右側の、鏡台がある方が清光の住まうスペースだろうか。
反対に、文机とわずかな物しか置かれていない左側は、安定の居住している方なのだろう。


ただ、どちらにも女性が好むような可愛らしい形の雑貨が見受けられるが。


「…安定の旦那は、清光の旦那に厳しいな。」


「そうかな?」


「違いねぇ…ところで『相談事』ってのは?」


随分と強引な話の持っていき方だと思われるかもしれないが、そこは割愛してもらいたい。

安定は清光と並んで、主のお気に入りだ。


主は無自覚のようだが、見ていれば大体分かる。

いつも主に世話を焼かれ、優しい言葉を溢れるくらいに貰って、手厚く扱われ、傍に置かれ。


これ程目をかけられて、常に幸せそうな彼が、一体何を悩むことがあるというのだろう。

興味半分、嫉妬半分といった気持ちのまま向かいのちゃぶ台を見やると、彼は小難しい顔をして唇を噛みしめ、庭先を睨み付けていた−−−それも、今までに無いくらい眉間に皺を寄せて。


先程とはうって変わり、安定の機嫌は一瞬のうちに急降下したようだ。

庭に黒猫でも居るのか。
彼の睨む先を恐々見て、ああ、そういう事かと納得した。


安定が見ているのは、未だ走り回って遊んでいる信濃達ではなく、更にその先。

門を潜って外に出ようとしている主と、護衛として着いていくらしい加州の姿である。


恐らく、安定が腹を立てているのは、主と加州が互いの指をしっかりと絡ませ、いかにも仲睦まじそうに手を繋いでいるという点であろう。


「(しっかし…、)」


よく見えるな。

呆れ気味に胸の内で呟き、冷めて苦くなった茶を飲み込む。


ここから目測で見ても、門までの距離は100m弱。

余程目の良い脇差しや短刀も目を細めなければ気が付かなそうなものを、安定は瞬時に視界の内に捉えたのだ。


元々同じ主に使われていたといえど、彼等自体、“かなり仲が良い”というわけではないらしい。

犬猿とまではいかないものの、何か言い合いになった際には的確に相手の欠点を抉れるよう、日頃から互いの行動を観察しているというのだから、驚くどころではない。


「…ベタベタ擦り寄って媚び売って、」


彼が最後の方に物凄い形相のまま『首落ちろ』と吐き捨てたのは、あえて聞かなかったことにしようと思う。

安定は確かに気に食わなそうな顔をしていたし、機嫌が悪そうだったが、それにも増して、どことなく悔しそうなのが気にかかる。


ぎゅう、と内番用の着物の袷を力任せに掴んで浮かない顔をしている辺り、割に深刻な問題のようだ。


「おい、旦那………大丈夫か?」


「分かんない。でも、ちょっと苦しいかな…特に、この辺が。」


力無く笑って、彼は自身の薄い胸元を指差す。

先程のように、近付いてくる物を全て萎縮させるような空気を放ち続ける姿は何処へやら。
今はただ、その見た目に合ったしおらしさがあった。


それならば、と。

今までずっと脇に控えさせておいた箱の口を開け、整列している医療機具の中から、聴診器を掴み取る。


耳にイヤーチップを装着し、チェストピースと呼ばれるあの部分を安定の胸に当てて肺の音を聞いてみたが、別に異常はない。

その後も、脈を取ったり、検温を行ったり…。
審神者にならばまだしも、刀剣男士相手に、これは適切な検査の仕方なのか、と突っ込まれても仕方が無いくらい丁寧に体の具合を診てやって、薬研の予想は確信に変わる。


「動悸、息切れもなし。脈拍も正常。」


「どうき………?」


「…ああ、こっちの話だ。一通り見せてもらったが、どこも悪くないぜ。」


手作りのカルテに書き込みをしながらそう伝えると、険しかった彼の表情が綻んだ。


「とりあえず、変な病気じゃないならよかったよ。」


主にね、『あなたも人の体を持った限り、もしかしたら風邪をひく事があるかもしれないから、大事にしなきゃ』って言われちゃったし。

ごく普通に告げてはいるものの、安定の口調は優しく、どこか嬉しそうである。


「(さてと…旦那は無自覚、か。)」


参ったな…。

下手をすると少女のように見えてしまうような可愛らしい笑みを浮かべて『そういえば、』と、昨日主の近侍をしていた際の事を話し出すもので、薬研はちょっと困ったように彼の横顔を眺める。


本人がはっきりと意識していないならば、それはそれで幸せだろうに。
ここではっきりと指摘するというのは、野暮というものではないか?

安定よりも年上の彼は、激しく悩みに悩んだ末、カルテの“備考”の項目に、小さく『恋患い』とだけ記した。


これで、何もないよりかは幾分かマシだろう。

春の日の如く、表情を曇らせてみたり、晴らしてみたり。
清光とはまた違ったやり方で、今の主へのささやかな好意を示す姿は何とも初々しい。

目視する事は叶わないばかりか、まだはっきりとした形にすら固まっていないそれを守るかのように、そっとカルテを伏せた。


end

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