▼ また会いましょう/スパルトス
今日は数ヶ月ぶりに南海生物が来た事もあって、夕方頃から急遽マハラガーンが催される事となった。
迷い込んだアバレウツボが大物だった事や、たくさんの貿易船が来港していたり、観光客の訪れるシーズンである事等、諸々の事情が重なった結果、今回はいつもの倍以上の盛り上がりを見せている。
こんな時には、堅物だと言われる自分もついつい周りに流されて浮き足立ってしまうもので…。
先程から勧められるがままに酒を何杯か煽っているのであった。
「おおーい、スパルトス。お前もこっちに来いよ!!」
楽しいぜ?
女性を膝に乗せたシャルルカンが上機嫌で手招きしているのが見えたが、遠慮する、と言う代わりに首を横に振れば、今度はマスルールを捕まえにかかる始末。
正直なところ、人の目もある中であんな風には振る舞いたくないものである。
顔をしかめてまた酒を飲もうとすると、今度は背後から声をかけられた。
「あら、珍しい。あなたもお酒飲むのね?」
「…嗜む程度には。」
咄嗟にそう答えれば、その人物は自分の正面やすぐ隣ではなく、わざわざ一席分間を開けて座ってくれる。
今はシンドリアにいるものの、故郷のササンで幼い頃から刷り込まれてきた教えを守るスパルトスにとって、女性にむやみやたらと近付いたり、婚約した女性以外と目を合わせるのは禁忌。
もちろん彼女はそれをよく分かっていて、自分と会って話をする際に、一定の距離を保つという作業を行ってくれる。
つまり、必要以上に女性に近付けないこちらの事情を考慮してくれた上での行動なのだ。
…出会った当初から一向に詰まることのない不自然なこの距離は、二人にとっては既にお約束のような物になっていた。
「こんばんは、スパルトス君。」
「こんばんは、ルネ殿。」
お互い全く目線を合わせず器用に挨拶をしてしまってから、彼女はこちらの横顔を眺めた。
「最近どうよ?仕事は上手くいってるの。」
「おかげさまで。」
何とかなっている、という旨を伝えると、彼女は満足そうに『そう、』と言って横を向く。
今度は、こちらから彼女の方を眺め、先程向こうから寄越された問いかけと変わり映えしない内容の質問をすれば『ぼちぼちってトコかしらね、』という答えが返ってきた。
ここまでは、いつもと同じ。
しかしながら、お約束のようなこの社交辞令の先は、滅多に会話が続いた試しが無い。
それが何故なのか。
考えた事も無いからよく分からなかったが、とにかく彼女と一緒にいると言葉というものが要らないからか。
たとえ目が合わせられなくとも、何も言葉を発せずとも、このルネという女の隣はとても居心地が良いのである。
そのためか、彼女と居る時ばかりは、沈黙の中に気まずさを感じた事はなかった。
今夜も、無言のうちに互いに酒や果物を勧め合って少しずつ味わいながら、静かでゆっくりした時間が流れていくのだろう…と思った矢先、彼女は杯の底を向いたまま話し出す。
「そういえばね、私が今働いてる工房がしばらく休みになるみたいなの。もちろん『近いうちに』…って事だったから、いつ頃から休めるのかは分からないけど。」
とにかく、休みに入ったら、実家に帰ってみようかなー…なんて思ってるとこ。
そう言って、彼女は手にしていた果実酒を煽り、皿の上に乗ったアバレウツボの刺身を口に放り込んだ。
「実家、というと…?」
「…あれ?あなたに言った事なかったかしら。私、実はレーム出身なの。あっちでは、元々親の手伝いをして暮らしてたんだけど。丁度18の誕生日の夜に、結婚の事で両親と大揉めに揉めて…で、頭に血が上って、たまたま飛び乗った船でシンドリアに来たのよ。」
───今から10年も前の事だけどね。
つとめて明るくは言うけれど、大きな刺身をちびちびと食べる彼女の背中は不安気で、どこか寂しそうでもある。
彼女は、大分若いうちからシンドリアにいるらしい、というのは噂に聞いていたが、まさか本当だとは思いもしなかった。
工房の親方曰く、彼女は工房に勤め始めてから一日たりとも仕事を休んだ事がないらしく、未だ無敗の皆勤記録を更新し続けているようだから、おそらく、そのレームの実家には一度も帰っていないのだろう。
故郷の家族の元へ帰らなかった理由を問う、というような野暮な真似をする気はないが、自分とて、人の話に対し、ずっと質問をしないでいられるような質ではない。
程よく回ってきた酔いを味方に、空っぽになってしまった彼女の杯に酒を注ぎ入れるが早いか、スパルトスはなるべく言葉を選びながら彼女に話しかけた。
「…こちらにはいつ戻るつもりで?」
「……………。」
たっぷり間を取っても、彼女は問いかけに答える事は無く、その代わりに、憂いを帯びた溜息をつく。
普段は苦痛に感じる事はないような。
むしろ心地よくすらあるその沈黙が、今は邪魔でしかなかった。
…それから、大分時間が経ち。
マハラガーンも、そろそろお開きになる…というような頃合になってから、彼女はやっと口を開いた。
「………ごめんなさい、それはまだ分からないの。」
「決めていない、のではなく?」
「痛いところを突くのね。まぁ、そうとも言うわ。ただ、長い間ろくに連絡もしてなかったし…もし仮に、レームの両親がまだ健在で。いきなり飛び出していった親不孝者の私が、親に会って、謝ってから真っ先にしなくちゃいけない事って、わりかし沢山あるのよ?」
親孝行を頑張ってるうちに、いつの間にか身動き取れなくなっちゃって『好き放題に出来たのは、シンドリアにいた頃くらい…!』だなんていう状況になる可能性は、無くはないでしょ?
とびきり明るく言って、彼女は笑みを浮かべる。
いつもと何ら変わりない笑顔のはずなのに、そこには固い決意が見え隠れしていて、それ以上は何も聞けなかった。
顔を俯け、まだ酒の入った杯を眺めていると、彼女が腰掛けていた辺りから、ガダリと音がした。
どうやら、もう行くつもりらしい。
「…何だか、飲みすぎちゃったみたい。ごめんね。スパルトス君、こんな時間まで付き合わせて。」
でも、すごくゆっくりお話しできて、楽しかったわ。
…だから、
「………また会いましょう。」
また、きっと…ね。
そう言い残して、彼女は人もまばらになった市場の中に消えていった。
ぼんやりと空を見上げれば、夜の帳はいつの間にか姿を消し、次第に白んでいく夜明けの色が見える。
どうやら自分も度を超して飲みすぎたらしく、強い眠気が彼の意識を襲う。
彼女は去り際に『また会いましょう、』と、気丈に言っていたが、果たしてまた会える日が来るのだろうか?
朝一番の船が沖へ出て行く合図を何処か遠くに感じながら、彼は重い目蓋を閉じ、泥のような眠りに落ちていった。
end
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