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▼ 花暦/髭切

*審神者が刀剣男士に好かれている表現が多々あるため、注意。



寝床から起き出してそっと障子を開けると…そこには、花が一輪だけ置いてあった。

まだ薄暗い廊下を見回すが、やはり誰の姿も見えない。


今日も見られなかったな…と、ほんの少しがっかりしながら再度花を眺めると、いつものように茎の部分に赤い紐で『あげまき結び』がしてあった。

言わずもがな、手の込んだ装飾を施された花が、まさか、偶然に落とされるはずはない。

もっと簡単に考えれば、何者かによって故意にここへ置かれた物だという事は明らかである。


毎度の事ながら、いかにも『受け取ってくれ』と言わんばかりの丁寧な置き方に感銘を受けつつ、そっと花を手に取れば、蜜の甘い香りが鼻孔をくすぐった。



***



「…へぇ。じゃあ、今日も君の所に花が届いたんだ?」


髭切に促されるまま鏡台の前に座ると、鏡に掛けていた布が取り払われ、手前に座る自分と、背後で微笑む彼の姿が映る。

続いて、彼の手が鏡台に付いている小さな引き出しの取っ手を掴み、つげの櫛や、ゆず油の入った瓶を取り出した。


こんなふうに、ごく自然な動作ですら綺麗に見えるのは、彼が源氏の重宝だった故か。

それとも、神様だからなのか。


考え事をしている最中に、彼の白い手が優しく頭を撫でて、朝から髪に挿しっぱなしだった赤い簪をするりと抜き取った。


「ところで、誰が花をくれるのかは分かったの?」


「いいえ…毎朝早くに起きて確認しようとはしてるんですけど、私が部屋の障子を開ける頃には、もう花が置かれていて。」


誰がそんな事をしてくれるのか、さっぱり分からないのだという旨を伝えれば、彼は笑みを崩さぬまま、無難に頷く。


…それもそうか。

何せ『審神者部屋の前に赤い紐であげまき結びを施された花が置かれる』という現象は、丁度一月程前から一日も途切れずに起こっているにも関わらず、誰一人として花を置いていく瞬間を見た者はいないのである。

最近では、誰が花を置いていってくれるのかが一向に分からないので、特に何の捻りも無く『花の人』と呼ばれ、本丸内のあちらこちらで噂されているくらいにまでなってしまった。


ただ、少し前に。
『今日も見られなかった…』と、いつものように花を拾い上げようとした際に、廊下中に誉桜と思われる桜の花弁が多量に散らばっていた事実から、どうやらこの粋な贈り物をしてくれるのは刀剣男士のうちの誰かで間違いないらしい、という所までは憶測できた。

…憶測したのはいいが、依然として、誰が花をくれるのかは謎のままである。


大事な事なのでもう一度確認しておくが。

本当に。
誰一人として件の刀剣男士が審神者部屋の前に花を置いて立ち去っていく瞬間を見た者はいない。

以前、業を煮やした長谷部が審神者部屋の前に陣取り、一晩寝ずに誰が花を置きに来るのかを確かめようとした事があったが。


−−−なんと、その際には、花は長谷部の居た廊下側に置かれていたのではなく、彼女が寝ていた部屋の中に。
それも、書類の散らばった文机の上に置かれていたのだった。

何をどうやったのかは知らないが、長谷部曰く『誰が来るかを見張っている最中、部屋の中は静かで、主の寝息しか聞こえて来ませんでした。』と狼狽えながら言うから驚きである。


しかし、これでやっと『花の人』は確実にこの本丸に居るらしい、という所まで明らかになった。

まずもって、もし余所の本丸の刀剣男士が来ているならば、長谷部が部屋の前に居るとは分からないだろうし、ここに来るまでの間、絶対に他の者に姿を見られているはずなのだ。


根本的な所から言えば、『花の人』の正体を長谷部が寝ずの番をしてでも突き止めようとしていた事は、外部に漏れるはずもなし。

万が一漏れたとしても、ほんの少し話題に登るくらいで、すぐに忘れられてしまうだろう。


とにかく、この二週間で手にした僅かばかりの情報と、自分なりの憶測を合わせ『花の人』が誰なのかを絞っていくと。

情報を把握する事に長け、尚且つ本丸の通路を隅々まで分かっている者…。
いわゆる、古株に当たる刀剣男士のうちの誰かが花を置いていってくれるのではないか、という考えに至るのは、ごく自然な流れだと思ってほしい。


いささか自分勝手な推測ではあったけれど、とりあえず聞いてみなければ分からない、ということで。

折を見て、心当たりのある刀剣男士にそれとなく花の話題を振ってはみるのだが『花を見ると心が安まりますね、』『花か…確かに、そんな事ができたら風流だね。』というような肩透かしな答えが返ってくるばかりで、核心に迫るような話は聞けなかった。


それにしても、ここまでして当事者が名乗り出ない辺り、何か特殊な事情があるのかもしれない。

彼女としては、もう『花の人』を探すのは諦めようかと迷っているところなのだが、それでも気になる者にとっては余程美味しい話題のようで、飽きもせずに『花の人』に対する自分なりの見解を其処此処で話し、楽しんでいるようだった。


「髪の毛、どこか絡んだり痛かったりしたら教えてね?」


掛けられた声に反応し、反射的に鏡を見ると、ゆず油を馴染ませるために、手袋を外してまで髪をいじってくれている髭切と目が合い、思わずどきりとしてしまう。

鏡越しとはいえ、蜂蜜のようにとろりとした色の瞳がこっちを見ている…。

それを意識するだけで妙に気恥ずかしくて、苦し紛れに目をそらすと、今度は優しく『どうしたの?』と問われてしまい、泣きたくなった。


「何だか顔が赤いみたいだけど、大丈夫?」


「これは、あの……、」


ああ、なんて言い訳しよう…?

風邪と言っても通じなさそうだし、事実を素直に告げてみたとしても、うっかり墓穴を掘ることになりかねない。


そもそも、廊下ですれ違いざまに『簪が取れかかってるよ、』と教えられただけでなく、彼に手を引かれて自分の部屋に戻り、こうして髪を直してもらっているだけでも十分恥ずかしいのに。

赤くなった顔をこれ以上見られまいとして俯いていると、彼はちょっと首を傾げて。

何を思ったのか彼女の髪を一房持ち上げ、顔同様に赤くなっている耳に向かって、ふぅ…と息を吹きかけたのだ。


「〜っ!?」


ぞわり、と。
全身が粟立つような初めての感覚に怯え、震えているうちに、彼はまた首を傾げ、さらに熱を帯びて赤くなった耳に触れる。


「ありゃりゃ…?何でだろ、今度はうなじの方まで赤くなっちゃったね。」


かわいいなぁ…と、どこか楽しそうに言って、彼はにこりと笑った。


それだけならまだしも、彼の手が耳の形に沿ってゆっくりと動いていたかと思えば、今度は丁寧に髪を反対側に避け、露出したうなじにそっと指を這わす。

彼の指先は、想像していたよりも冷たく、硬い。


触り方自体は、決していやらしいわけではなく、下心は微塵も感じられないのに、つい変な声が出そうになるから…。
みっともない所を見られて笑われないようにするための応急処置として、自分の口を塞ぐ他方法がなかった。

その間、髪につけてもらったゆず油の爽やかな香りが場違いに漂い、髭切が纏うほのかな香りと程良く混ざって鼻孔に届くものだから、彼のすぐ近くに居るのだという事を嫌でも意識せざるをえない。


きっと、私は彼にからかわれているんだ…。

涙目のまま口を両手で塞ぎ、顔のみならず、耳やうなじの辺りまで真っ赤にして震えている自分は、彼の目にはさぞかしみっともなく。
もしくは、面白く滑稽に見えることだろう。

穴があったら入りたいくらいの恥ずかしさに唇を噛み締め、口を覆っていた手を退けると、彼はようやっと櫛を手に取り、髪を梳いてくれた。


「痛くない?」


同じような問いかけにやっとの事で頷くと、彼の表情が和らぐ。

つげの櫛の細い歯が頭皮に当たり、スルリと髪を流れ落ちていく時の何とも言えない気持ち良さをどこか遠くに感じながら、ちょっと考えてみる。


たまに、刀剣男士に身支度を手伝ってもらう事があるのだが、着物を着付けてもらうにも、髪を梳いてもらうにしても、細かな部分に各々の個性が出るから不思議なものだ。


例えば、燭台切や青江は、その時の服装にあった髪型に纏めてくれるけれど、何を使うか、という所にあまりこだわりはないのか、櫛や整髪剤は、あったら使うという感じ。

一方で、歌仙や蜂須賀は大分目が肥えているせいか、これはここの物が良い、というのがちゃんと分かっていて、一言二言伝えれば、それだけで髪型や着物。
履物や小物に至るまで、こだわり抜き、しっかり整えてくれる。


個体差を考慮するため、一概にこうなのだとは言えないが、うちの刀剣男士は、大まかにいうとこのどちらかに分けられる…というのが、ほかの審神者と話す時のネタの一つなのだが。


「そういえば。君がいつも使ってるこの櫛、とてもいい物みたいだけど…。」


『自分で選んだの?』という問いかけが飛んでくるが、彼女はゆるく首を振った。


「その櫛は、私が審神者に就任した記念にって、初期刀の蜂須賀からもらったんです。あの頃私は何も分からなかったし、この本丸も始まったばかりで、お金も資材も手伝い札もなくて…。」


なのに、初めて行った遠征先で、無理して買ってきてくれたんです。

審神者に就任して一年しか経っていないというのに、やけにしみじみと語ったところで、髭切りが『はちすか、んー…。はちすか…?』と繰り返しているのに気が付いた。


「あの、」


「?」


「もしかして、蜂須賀が分からなくて困ってらっしゃいますか?」


「…すごいね、どうして僕の考えてる事が分かったの?」


ごめん。実はど忘れしちゃったんだ、と呑気に笑いながら、彼はまた櫛を動かす。


…考えている事が分かるも何も。

毎日数時間おきに繰り返される彼と膝丸のショートコントのようなやり取りを毎日のように見ていれば、いい加減対処の仕方も分かってくる。


「じゃあ、ちょっとずつ思い出しましょう。まず、どこまで分かってますか?」


「ええと。髪が紫色で、弟が居て、よく君の近侍をしてるんだよね?」


「その外に、何か思い付くことはありませんか?」


「そうだなぁ…よく厨にいるとか、出陣の時はマントを羽織ってる?とか?」


「……その刀剣男士は、短髪で、文系を自称している割に大分強くて、“雅”“風流”といった言葉を多用していませんか?」


「あ〜、そうそう!彼がその…、猫須賀阿修羅?だっけ?」


…何で蜂須賀からいきなり猫須賀になった。

しかも阿修羅って何なの?
何故に虎徹から、いきなり阿修羅になった!?


間違いもここまで行くと、全くの別人である。

開始早々心が折れそうになるが、こればっかりは仕方が無い。
髭切だって、わざとやっているわけではないのだ…多分。


「途中まではあってますけど、後半が大分違います。惜しいですけど、髭切が言っているのは蜂須賀じゃなくて歌仙ですね…。」


何とか持ち直し、そう伝えると、彼は不思議そうな顔をする。


「あれ…?髪が紫色なのが猫須賀だったと思ったんだけど…。」


「猫須賀じゃなくて蜂須賀です、蜂須賀。確かに紫色ですけど、蜂須賀は髪が長い方ですよ。」


ついでに言うと、身に着けてる物が金色です。金色。

そこまで言ってからやっと『うん、分かった!』という答えが返ってきたが、本当に分かっているかどうかは怪しい。

あえて聞き直して確認するのは骨が折れるので割愛するとして。


この話が終わってすぐ『これは?』『あれは?』と。

彼は、まるで何も知らない幼子のように、部屋の中に飾っている物や彼女が身に着けている物に対し、櫛の下りと同様に、どこで手に入れたのか、誰かにもらったのかと聞いてくるものだから、息を着く暇もなかった。


この着物は次郎に見繕ってもらったものだ、とか。
この帯留めは、乱が買ってきてくれた、とか。

最初は何の気なしに彼に求められるまま答えていたが、こうして、誰が何をくれたか確認してみるだけでも、自分がいかに刀剣男士達から贈り物をもらっているかという事に気付かされる。


その場では一応断ってみて『いいからもらってくれ』と、まだ勧められるようであれば礼を述べて受け取り、それで終わりにしてしまっているが…。

よくよく考えてみれば、着物も簪も、決して安いものではないはずだ。


彼等からの貰い物は、現代に流通している通貨で値段を換算すると、下手をすれば数十万から数百万単位。

彼女からすれば、値札を見るだけで卒倒しかねない程の代物も少なからずあるだろう。


いくら政府から給料が出ると言ったって、数百以上歳の離れた小娘への手土産のため、毎月のように財布を空っぽにしているのではあまりに気の毒である。

今度からは、三回に一回は断るようにした方がいいだろうか?


…しかし『お土産だよ』と、既に買ってきてしまった化粧筆や帯を突っ返したところで、向こうも困るに違いないのは想像に難くない。

加州や次郎ならまだいいかもしれないけれど、それを買ってきてくれたのが、もし和泉守か長谷部だったとしたら…。
きっと、あの時点で受け取った方が無難だった−−−と思わざるをえない結果になりそうな展開が浮かび上がる。


「君『何でこんな事ばっかり聞くの?』って顔してるね。」


いつの間にかすっかり髪を綺麗に纏め上げ、挿した簪の位置を少し調整しながら、教えてあげようか、と彼は笑う。

よく考えもせずに頷くと、髭切の顔から笑顔が消えた。


「正直言うと、僕は…他の皆と君が仲良くしてる所とか、もらったものを大事にしてるのを見てると、羨ましいなぁって思っちゃうんだよね。」


他人に嫉妬とか、良くないって分かってるんだけどね…。


「主、こっち向いて。」


そう言うから、顔だけを後ろに向けると苦笑されてしまう。

体ごとこっち向いてほしいな、とお願いされ、指示通り膝を繰って彼と向き合えば、その直後に、ぽすっ、と。
何の前触れもなく、彼の頭が膝の上に乗った。


勢いが良かったためか、彼の白く柔い髪が乱れ、紅梅があしらわれた彼女の着物の上で広がる。

紅い梅の上に真っ白な彼の髪が広がる様は、花に白雪が降りかかっているような美しさを持っていて、思わず息を飲んだ。


それを知ってか知らずか、彼は甘えるように手を伸ばして緩く指先を絡ませてくる。


「やわらかくて、あったかい…思った通り、主の膝の上は居心地がいいや。」


心底幸せそうに呟いて、髭切は猫のようにうっとりと目を細める。

余程気分が高揚しているのか、彼の周囲には、本来戦帰りの際によく見られる薄桃色の誉桜がふわりふわりと漂い始めている。


髪を纏めてもらっていた時と同様、彼と体が密着しているからか、心臓がうるさいほど跳ねるのが自分でもよく分かった。

これが彼に聞こえていやしないかと、内心ひやひやしながら必死に別の事に意識を向けようとしても、顔の方に熱が集まっていくばかりで、結局どうにもなりはしない。

しばらくこのままでいてもいいという気持ちはあるが、多面的に問題が生じているために、どうやらそれは叶わないようだ。


どうしよう。

今日何度目か知れない思いを胸に抱き、相変わらず自分の膝の上でくつろぐ髭切を眺めていた最中、彼はいきなり起き上がり『ねえ、』と話しかける。


「主は、誰が『花の人』なら嬉しい?」


「え……、」


いきなり最初の方の話題に戻ったので、切り替えが出来ずに固まると、彼はまたふわりと笑った。


「今答えられないなら、後でもいいから教えてほしいな。」


「……………はい。」


「うん、いい子いい子。」


じゃあ、またね。と告げてそっと立ち上がり、彼は静かに去っていく。

翻る白い上着が見えなくなるまで待って、彼女は落ち着かない気持のまま、畳の上に散らばった誉桜を見つめた。



***



翌日の早朝。

いつものようにドキドキしながら障子を開けると、そこには白梅の一枝が置いてあり、やはり赤い紐であげまき結びがしてあった。

ただいつもと違っていたのは、あげまき結びの他に、おみくじくらいの大きさの紙が結び付けてあった事。


やっぱり今日も見られなかった…。

白梅の枝を拾い上げ、結び付けられた紙を解いて広げてみると、そこには走り書きで『白い色は好き?』と記されている。


梅の花は、赤くても白くても綺麗だから、色はそんなに気にしないんだけど…。

何気なく考えてみて、はっとした。


この『白』っていうのは、そっくりそのままの意味じゃなくて…。

紙に書き付けられている問いかけの意味をよく考えているうちに、みるみる顔が熱くなっていく。

たまらず、白梅の枝を胸に抱いたまま、誰に見られているというわけでもないのに彼女は薄い寝間着の袖で顔を隠して、そのまま座り込んでしまった。


庭の桜はまだ咲いてはいないはずだが、廊下には桜の花弁が所々に舞い散っていた。

───春は、すぐそこまで来ている。


end

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