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▼ 思うに別れて思わぬに添う/明石国行




壁を一枚隔てた本丸の外では、冷たい雨がしとしとと降り続いていた。

雪ではないからまだ許せるような気がするが、それでも寒いものは寒い。


刀の姿をしていた際には感じることの無かった不快な感覚を現在進行形で味わいながら、彼は火鉢の傍で手を擦り合わせる。

…本当のところ、こたつでゴロゴロしていたいところだが、つい先程『もう…明石、邪魔!』と、何やら楽しげな蛍丸と愛染に部屋から摘まみ出されてしまったのだ。
どうやらあの二人は、粟田口の短刀を始めとして、三条の今剣や、左文字の小夜を呼んでカルタ取りをする気らしい。


今しがた一期一振と歌仙が引っ張られていくのを見たから、どうやら彼等は読み手として付き合わされるようである。

そんな事があって。
彼は仕方なく自分で火を起こし、今現在火鉢を抱えるようにして暖を取っている、というわけだ。


「…何であんなに元気で居られるんやろな、」


カルタ取りをしている部屋は大分遠いというのに…。
かなり白熱しているせいか、楽しげな声がここまで聞こえてくる。

それはそれで悪くないとは思うが、今更あえて中に入っていく気も起きない。


頭に浮かぶ最初の厄介事といえば、この寒い廊下をまた歩いて渡らねばならない事。
…何より、この暖かな火鉢の傍から離れねばならないことが、身を斬られる程辛くてたまらない。

考えただけでも寒いような気がするから、大分重傷である。


それこそ、やっとこさ自力で小さな墨を見つけて寄せ集め、火箸で位置を変えながら必死に火を起こすという苦行に耐え忍んで今の状態に落ち着いたというのに。

みすみすここから離れるなんて、どんな拷問なんや…。


わがまますぎる持論を展開し、彼は大きな体を震わせ、外を眺める。

…やけに寒いと思ったら、冷たい雨はいつの間にか雪に変わっていた。


ちらちらと降ってきては、辺りを白く覆っていく雪が忌々しい。

雪が積もったら、内番にはまた新たに『雪かき』なるものが加わるのだろうか…。


気が滅入っていくのを感じつつ、火鉢を押して部屋の奥へ移ろうと重い腰を上げた途端。

右隣の部屋に通じる襖がいきなり開いて、彼がこの本丸内で、蛍丸や愛染と並ぶくらいにえらく気に入っている人物…審神者が現れた。
いつもならば、じゃれつくなり、ひたすらにちょっかいをかけるなり…とにかく思い付く限りの方法で彼女を構い倒すところだが、今はそんな空気ではない。


それもそのはず。
彼女は見るからに元気がなく、別人と見紛う程に暗い顔をしていた。

…何か辛いことでもあったのだろうか。
俯けた顔にかかった黒髪の隙間から、薄らと紅を塗ったように赤くなった目元と、涙の跡が見える。


「主はん…どないしはりましたんや、」


思わずそう声をかけると、彼女は視線を泳がせ、後ろに隠し持っていたらしい封筒をこちらに突き出し、蚊の鳴くような細い声で『これ、燃やして…。』と頼んできたのだ。

あまりにも弱々しいその様に気圧され、何も言えずに固まっていると、小刻みに彼女の肩が震えだし。
−−−程なくして、彼女の頬を大粒の涙が伝い、拭っても拭っても止まらないそれは、あっという間に畳の上へ垂れて小さな染みを作った。


彼女はもう立派な大人であるはずなのに、その姿は幼子のようにも見える。

それにしたって、顔を合わせて数分もしないうちに泣かれるとは予想外だ。


ただ面食らってそれを眺めているうち、彼女は短く嗚咽を漏らして、また涙を流していく。

思えば、少年が…厳密に言えば五虎退が夜中に『怖い夢をみた』と言って泣き、一期一振に抱き上げられているのは見たことがあったが、女が泣く場面に遭遇したのは、これが初めてであった。


「(まぁ、ええけど…。)」


ずれてきた眼鏡を押し上げ、彼は静かに立ち上がった。

こういう時にどうするべきかはよく分からなかったが、いつまでも泣き声をたてていたのでは、いずれ他の者に見つかって、自分がどうしようかと悩んでいる隙に、彼女を掠め取られてしまう。


他に先を越されてなるものか。

その一心で、彼女の肩に恐る恐る手をかけ、何とか火鉢の傍に誘導して座らせてみたが、事態は一向に好転しなかった。


火鉢の隣に二人並んで座ったのはいいものの、彼女は手紙を緩く握りしめて、相変わらずしくしく泣いているだけ。

対して、明石は火箸を使って炭の位置をせわしなく変えながら、極力優しい声で話しかける。


「なあ、主はん。その手紙、燃やす前にちょっとだけ見てもええですか?」


顔を覗き込むようにしながら問いかけると、彼女は顔を俯けながら、握りすぎて皺が寄り、涙で少々ふやけた手紙を弱々しくこちらへ差し出す。


「…おおきに、」


受け取った手紙は、見たところ恋文というわけでもなさそうだ。

封筒からして、それとなくおめでたい雰囲気を感じはするが。


既に上を切られて口の開いたそこから、肝心の中身を取り出して目を通してみるものの、特に泣きたくなるほど落ち込むような事は書かれていない。

それどころか『この度は、結婚する次第となりまして…。』などと、やはりおめでたいワードのオンパレードである。


他に何か入っていないかと封筒をひっくり返した拍子に、底の方に引っかかっていたらしい薄手の紙が、音もなく畳の上に舞い落ちた。
どうやらそれは、結婚式の招待状らしかった。


これを出すか出さないかで出席するか否かを伝えるものであるらしく、後々入りようかと思って手を伸ばすと、それよりも早く彼女の手が伸びて、止める間もなく、すぐ火鉢に放り込んでしまった。


「あ〜あぁ…、ええんですか?」


今やったら、拾ったらまだ何とかなるかもしれんけど。

とりあえず声をかけてみたものの、返答は無い。


彼女は、もう泣いてはいなかった。

…そのかわり、火が薄い紙に燃え移って広がり、完全に灰になるのを見届けているのだ。


何だか彼女は、いやにぼんやりしてしまっていて。
このまま放っておいたら、悟りでも開いて俗世離れしてしまいそうな感じである。

あまりにも悲壮感漂う表情で、見ているばかりのこちらも少なからず感傷的な気分になってしまうのだが…。


ここまで来て、気が付いてしまった。

改めて封筒を裏返して差出人の名前を見てみると、そこには、彼女が強く慕っていたあの男性審神者の筆跡で、名前の代わりに特殊な記号が記されていた。


この審神者には、明石も何度か実際に会ったことがあったが、見た目はなんて事の無い三十路過ぎの男だ。

しかしながら、天性のお人好しが祟ってか、知らず知らずのうちに勘違いを起こした女性から恨みを買う事が少なくないという、何とも気の毒な男でもあった。


…こうして言ってやるのもあの男を認めるようで何だか悔しいが、あれは『良識のある大人』の部類であり、善人でもあったため、彼女も、あの審神者を信頼しきって、わざと子どもっぽい言動を取ってみたり、甘えたりしていたのだろう。

それが、どうだろうか。
あの男が『結婚する』という文を寄越しただけで、これである。


これで全てがはっきりした。
彼女は、自身と干支一回り以上も歳の離れたあの審神者に恋をしていたのだ。

若く未熟で、声を上げずとも、拙くとも。
ただ一生懸命に心の内側で密かに思い、もしかしたら…と、小さな期待を重ねながらあの男を想ってきたのだろう。


「(…そういうことなんか、)」


てっきり、彼女は自分を好いてくれているものとばかり思って、あからさまなくらい好意を寄せてきたのに。
それは勝手な思い込みで、盛大な自惚れ兼、彼女に対して一方通行の想いを持って空回っていたということである。

色恋沙汰に疎い方でもあるまいし。
はっきり言って、迂闊だった。


『 思うに別れて思わぬに添う』という言い回しがあるくらいに男女の仲は難しいもので、これに沿って言うなれば、彼女は『思うに別れて』。

つまり、想いを寄せるあの男と一緒になれなかったのである。
…すると、後に残るのは『思わぬに添う』の方か。


傷心の彼女には悪いが、これは明石にとっては願ってもないありがたい展開だ。

失恋で傷手を負い、落ち込む彼女を慰めてこちらに意識を向けさせればいいだけのこと。


彼女が自分を好いてくれさえすれば、これまでの滑稽な一方通行も自惚れも帳消しになり、上手くいけば晴れて恋仲にだってなれるだろう。

今はまだ『思わぬ』の方であっても、そのうち『思う』方になる予定なのだから、この際、細かい事は気にしない。


まだ手元にあった手紙を破り捨てて火鉢に投げ入れると、明石は彼女に向き直ってそっと手を握った。

涙に濡れて、紅でも塗ったように赤くなった目元は何とも痛ましく、庇護欲がそそられる。


「あんまり泣いたら、主はんの可愛ええ顔が台無しや。それに…そんな顔して出てったら、蛍も愛染も心配しますやろ?」


悪い事は言わん。
あの男の事は、もう忘れた方がええんとちゃいますか?

そう問いかけると、彼女は『でも、』『だって…』と、ぐずぐず言い始める始末。


それほど好きだったのか、と呆れる反面、やはり頭をもたげてくるのは強い嫉妬心だ。

ああ…、しゃくり上げ、なおも溢れる涙を懸命に拭う仕草の何といじらしいことか。


「(かわええこと、)」


ここは笑う場面ではないと分かっていても、自然と口角が上がっていってしまう。

それを隠すように『可哀想にな』『ひどい話や』などと、彼女に同情するような言葉をかけて抱き寄せれば、また泣き出すので、腕の中に大人しく収まっているこの少女が余計に可愛らしく思えた。


しばらくは、これでいい。
問題は、どうやって彼女の想いを自分に向けさせるかだが…。

それはまた後で考えればいい。


綺麗な両の目の奥に狂喜の色を滲ませながら、明石は含みのある笑みを浮かべた。




end


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