▼ 賛美歌/へしきり長谷部
今日は12月の25日。
早くも、年の瀬である。
自分としてはそれくらいの認識しかないのだが、主曰く、昨日に引き続き本日までは『クリスマス』と呼ばれる行事があるのだそうだ。
何でも、皆で集まって一緒にご馳走を食べたり、1年間いい子にしていた子供は、赤い服を着た恰幅のいい老人から贈り物をもらえるらしい。
確かその老人の名前は、『参田』。
いや、『斬多』だったか…?
とりあえず、主が昨日の夜中に赤い服を纏い、眠っている短刀達の枕元に、綺麗な包みの箱を置いていたのは目撃した。
何分、数日前に得たにわかの知識のため、詳しいことはよく分からないものの、この本丸内でも、それらしい事があった。
昨日の夜は、大きな鳥の肉を中心とした洋物の食事を囲み(主以外のほぼ全員が、がっつくように食べ)今日は『ケーキ』と呼ばれるらしいふわふわして甘い洋菓子を食事の後に食べた。
主は『クリスマスだし、みんな沢山食べてね!』と、張り切って料理を振る舞ってくれたが、果たしてそれの意味を正しく理解している者が何人いたか怪しいところである。
主と一緒に厨房に立っていた歌仙や燭台切、堀川の辺りは、ごくやんわりとクリスマスを分かっていたようだが、大半は『クリスマス=旨い物が食べられる行事』という認識に留まっているのではなかろうか。
今回は期間が短かったこともあって、ろくに説明も済ませぬまま行事に突入したせいもあったが、先が思いやられるような結果となりつつあるのも確かだ。
とにもかくにも。
来年に備え、多少なりとクリスマスに関する知識を持っていた方がいい、という気真面目な考えの元、長谷部は単身で書庫に向かっていたのだが…どうやら先客がいたようである。
書庫の隙間から漏れる灯りを眺め、彼は歩みを止めた。
こんな時間に誰なのだろう。
中にいる相手が出てくるのを待ってもいいのだが。
そこまで考えて、彼は先日自らが起こしてしまった珍事を思い出し、顔を引きつらせる。
あの日も、長谷部は調べ物をするために書庫を訪れたが、今のように既に先客がいて、戸の僅かな隙間から灯りが漏れていた。
中にいる人物は余程書物に熱中しているせいか、『入っていいか』と伺いを立てても何も言わない。
それなら仕方がない。
少々待ってやるか…。
そんな入らぬ親切心が我が身を滅ぼした。
そうして、半刻程書庫の前で待っていただろうか?
慌てた様子で廊下を走ってきた鶴丸国永と出くわし『灯りを消し忘れてしまった』と言われた際には、あまりの怒りに抜刀しかけたのが記憶に新しい。
つまり、自分は誰もいない。
ただ灯りが着いた部屋の中に人がいると思い込んだ挙げ句、その居もしない人物に入らぬ心配をかけて半刻も部屋の外で待ち惚けを食らったのである。
あれは忘れもしない…。
自分がこの本丸に来て初めて、大恥をかいた事件だ。
その教訓から、長谷部は人が居るか居ないか微妙なラインの部屋に入る際には、必ず指が三本やっと入るくらいに戸を開けて、中の様子を見るようにしていた。
今回も例に漏れることなく、ほんの少しだけ戸を開いて中を確認していると。
そこに居たのは、彼の主だった。
ならば、彼女の許可を貰って戸を開け、中に入ればいいだけの話だが、声をかけて良さそうな雰囲気ではない。
彼女は、黒いファイルに閉じられた何かを懐かしむように眺めていた。
ページを行ったり来たりしていたが、次の瞬間。
主は、その柔らかそうな胸いっぱいに息を吸い込み、言葉でなく、音として外へ吐き出す。
それを幾度か繰り返し、大きく咳払いをした後。
彼女は、小さく歌い出した。
声は細いけれど、決して弱々しくはなく、芯がある。
高く柔らかな声音が書庫に置いてある物に反響し、よく見慣れた場であるというのに、空気がそっくりと入れ替わってしまったかのような格調高い雰囲気が漂ってくる。
残念ながら、彼女の歌っているのは日本の国の言葉ではないようで、何を言っているとか、歌の意味はさっぱり分からなかったが、不快なものではない。
しばらく彼女の声に聞き惚れていると、不意に彼女と視線がかちあう。
歌は、残念ながらその途端に止まってしまった。
−−−両者の間に、気まずい空気が流れる。
彼女は驚いたような顔をしてこちらを眺めながらも、すぐに『入りなさい』と声をかけてくれたので、素直に従った。
近くに、とのことだったので、隣に腰かけると、彼女は照れたように笑った。
「…長谷部は、いつからそこに居たの?」
「主が歌い始める前からですが、」
「え、」
「あまりにもお美しい声で歌っていらしたので、つい聞き惚れてしまいました。」
本心を述べた後に、申し訳ごさいません、と言って頭を下げれば、彼女は焦ったように頭を振る。
「あ〜…、違う違う。長谷部に謝って欲しいわけじゃないの。ただ、今度からは、覗いてるだけじゃなくてちゃんと一声かけて欲しいかなって…、」
言い訳をするようにごちゃごちゃ、と言葉を並べてしまってから、恥ずかしさのためか、彼女は耳まで赤くして、何も言わずに俯いてしまった。
大丈夫ですか、と顔を覗き込もうとすれば、今度は白く柔らかそうなその手で、赤く染まったお顔を逃げるように覆ってしまう。
…ああ、年相応な恥じらいを見せる主の、何と可愛らしいこと。
叶うことならば、このまま自らの腕で彼女を抱きしめ、お顔の火照りが引くまで優しく慰めて差し上げたい…!!
妄想はさておき、主の手元へと視線を落とせば、見慣れない記号と、幾つも引かれた線の上に散らされたオタマジャクシのような黒点。
そして黒点の下には、異国の文字…いわゆる『英語』と呼ばれる物が書かれている。
この黒い物も英語と同様に、一応文字のような物なのだろうか?
相変わらず、何が書いてあるのかは検討も付かなかった。
「主、少々お願いが。」
「?」
「先程の歌をもう一度聞かせていただけませんか?」
「えぇ…?いや、その………、」
「いけませんか?」
ねぇ、主?
逃げ道を塞ぐように問えば、彼女は渋々首を縦に振る。
強制的に見られるかもしれないが、構わないだろう。
何せ、ここには俺と主しか居ないのだから。
今は夜。
余程の事がない限り、誰かが起き出してくる事もなかろう。
困ったような顔をしながらも、手を胸の前で組み、また息を吸い込んで歌う準備を始めた主の姿を眺めながら、長谷部は心底嬉しそうな笑みを浮かべる。
清楚で可憐な。
まだ男を知らない清らかな彼女から発せられる歌は、賛美歌のように心地よい響きを伴っていた。
end
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