▼ ないしょの話/前田藤四郎
瑠音は、審神者の仕事が片付くと決まってする事がある。
まずは、襖を開けて。
廊下に誰もいないかを確認してから。
その後は、そおっと。
極力音を立てないように部屋に引っ込んで、仕事机の下に隠している漆塗りの箱を取り出す。
他の皆には『この中には重要書類とか、その他にも大切な物が入ってるから、覗いたり衝撃を与えたりしないで欲しいな』とやんわりお願いし、さながらパンドラの箱のように慎重な扱いを受けるこの器は、彼女にとっては生命線のような物である。
審神者として常日頃忙しく働いていなければいけない彼女にしてみれば、この箱の中に入っている物を取り出して一息つく時がささやかな楽しみの一つなのだ。
子供のようにわくわくとしながら、パカ…と箱の蓋を開くと、中には竹の葉を模した紙に包まれた饅頭が入っていた。
−−−お分かりのとうり、この箱の中身は『重要書類』ではなく、彼女が元いた時代から取り寄せた『和菓子』なのである。
本来、和菓子はこんな大層な細工の箱の中に隠してこそこそ食べるものではない。
それは重々承知している。
早い話、本丸にいる全員の分を取り寄せればいいだけなのだが、毎度毎度そんな事をしていたのでは、あっという間に給料が飛んでしまう。
審神者というのは誰にでも出来る仕事ではないため、決して安月給というわけでは無いが…。
やはり、ちょこちょこと万屋に行って、足りない物や刀剣男士の分の日用品を買い揃えてみると、自分の手元に残る額というのは多くはない。
刀剣男士達もめいめいに給料をもらっているようだが、ほとんどが遠征の時のお土産費用に消えてしまうようだった。
こんな理由から、彼女は手元に残った僅かなお金をやりくりし『自分へのご褒美』と称した和菓子を取り寄せ、こっそりと隠して仕事終わりに食べているというわけなのである。
ボーナスが出た時には特に美味しい和菓子をいくつか思い切って取り寄せ、全員に好きなだけ食べさせているから、それでプラマイゼロ、となるはずだろう。
…とりあえずそう思うことにして。
今度は窓際に寄り、そこにいるであろう彼を仕事終わりのお茶にお誘いするため、コンコン…と軽く二回壁を叩く。
すると、やっぱりそこで待っていてくれたらしい彼から、すぐに三回壁を叩く返事が返ってきた。
程なくして聞こえてきた幼い足跡に頬を緩ませながら小皿とお茶を用意していると、襖の前でそれはピタリと止まり、やや緊張した硬い声が投げかけられる。
「主君、お呼びでしょうか?」
「……入っていらっしゃい、」
そう声をかけて初めて襖が開かれ、彼…おかっぱ頭に軍服、マントという特徴的な容姿の刀剣男士、前田藤四郎が姿を見せた。
見れば見るほど、少年のような容貌に似合わず、彼はいつでもしゃんとしている。
それは、あの一期一振の弟だからなのか。それとも、これが元々の彼の気性なのか。
考えている隙にも、前田は『失礼します』と声をかけて入室し、丁寧に襖を閉めたかと思えば、すぐこちらへ来ようとはせずに、律儀にもまた襖のすぐ近くに正座してしまう。
最近はよっぽどあどけない一面も見せてくれるようになったが、ここだけはどれだけ親しくなっても変わらないらしい。
「前田君…そんなに立派にしてなくてもいいんだよ?」
ちょっと困ったように告げてみたものの、彼は緩く頭を振る。
「そういうわけにはいきません…、一応、主君の部屋に入るわけですから。」
礼儀を疎かには出来ないのだと繰り返す彼に溜息をつきつつ、こっちにおいで、と手招きすれば、案外すぐに隣に来てくれた。
前と比べると大分信頼してもらえるようになったから、この近さまで来てくれるようになったのだろうか?
会話もそこそこに、机の上に乗せたままだった包みを解くと…まっ白で軟らかそうな皮の下にぎっしりと餡子を隠し込んだ饅頭達が現れた。
仄かに甘い香りを漂わせ、すましたように品良く並んでいるそれらは、何とも美味しそうで。
その様をすぐ隣で目の辺りにし、彼も見た目の年齢相応の反応を示す。
「これは…、良いものですね。とても美味しそうです!」
「そうでしょう?これはね、私が住んでた場所の近くにある老舗のお饅頭屋さんから取り寄せたんだ。本当は朝早くから列に並ばないと買えないんだけど、どうしても食べたくなっちゃって。」
とっても美味しいのよ!
食べてみて、と小皿に饅頭を一つ取り分けて彼に渡そうとすると、前田はびっくりしたような顔をしてそれをこちらに押し返した。
「主君がまだ召し上がっていないのに、自分が先に食べるなんて…。」
「そんなの気にしなくていいの。私が前田君と一緒に食べたくて取り寄せたんだから、」
「でも………。」
尚も言い淀む彼に半ば強引に皿を渡すと、やはり好奇心には勝てなかったのか『ありがとうございます』と、しっかり頭を下げてから受け取ってくれる。
「遠慮しないで、食べていいのよ。」
あんまりにもわくわくした顔で饅頭を見ているものだから、たまらずそう言うと。
彼は予想通り、丁寧に『頂きます』をした後に、その小さな口いっぱいに薄い饅頭の皮と甘く滑らかな漉し餡を含み、もぐもぐと咀嚼した。
口の端にちょっぴり付いた餡子がまた可愛らしいが、幸せそうな顔をして饅頭を頬張っている姿もたまらなく可愛らしい。
男性に“可愛い”という言葉をかけるのは、ほとんどの場合失礼に当たるから、口に出す事はないけれど。
前田君や、他の短刀の子達は、見ているだけで、自分に子供がいたらこんな感じなのかな…と少しくすぐったいような気持にさせてくれる。
「美味しい?」
思わず口をついて出た言葉にも、彼はすぐに答えを返してくれた。
「ええ、とっても。甘くて優しい味で…こんなに美味しいお饅頭は、初めて食べました!」
「気に入ってくれたみたいで良かった。まだ沢山あるから、好きなだけ食べてくれて構わないし…あ、でも、皆には内緒よ?」
しー…、と人差し指を唇に当てる仕草をすれば、彼も同じような仕草をして楽し気に微笑む。
「はい、もちろんです。いち兄にも皆にも“ないしょ”の……主君と自分だけの秘密ですね?」
ないしょ、ないしょ…。
ないしょの話はあのねのね…。
どちらともなく小さな声で唱えて、それからやっぱり静かに笑いあった。
***
幸せで楽しい一時は、今日もゆっくり過ぎていく。
あれだけあった饅頭は残らず自分と前田君のお腹の中に入り、お茶もすっかり無くなる頃に、二人だけのお茶会はお開きになるのだ。
審神者の彼女は、お茶会が終わった後に、いつだって小さな神様と“指切り”をする。
次は、もっと美味しいお茶とお菓子で君をおもてなしするから、また私の所に遊びに来てね、と。
小さな神様も、またお誘いして下さいね、という意味を込めて、彼女の指に自分の指を絡める。
甘くて優しくて可愛い約束は、きっと、これからもずっと続く。
end
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