▼ 暴きあい、羨みあう/山姥切国広
「ねえ、山姥切。」
彼女は、いつものように飽きもせずに何度だって話しかけてくる。
薄く紅が引かれた口元にはとても綺麗な笑みが浮かんでいるのに、顔の上から半分は何かの獣を象った面に覆い隠されているため、彼女が自分にどんな顔を向けているのかは定かでなかった。
放っておいてほしいのだ、と言っても、必要以上に構われるのが嫌だ、と教えても。
彼女はそれをまるで聞いていないのか『ああ、そうなの?…ところでこの間ね、』という具合に、いつの間にやら話題をすり替える。
女というのは、誰も彼も、このようなものなのか。
それとも、彼女に限ってこうなのか…。
とりあえず、山姥切は自分の主のそういった所が何とはなしに苦手であった。
山姥切は彼女の“初期刀”であり、この本丸では一番の古株である。
苦楽を共にしてきた仲とでも言えば聞こえはいいのだろうが、彼は彼女についてそれほどたくさんの事を知っているわけではなかった。
彼女の本当の名前がなんというのかも知らないし、これだけ長い間一緒にいても絶対に面を取ろうとしないため、どんな顔をしているのかも分からない。
ただ単に、自分が写しだから名前も教えてくれないのかもしれないし、素顔も見せてくれないだけなのかもしれないが。
…逆に言えば、自分が彼女についてはっきり認識しているのは『よく喋る女である』事と、『過度な物好きである』事。そして、『林檎が好き』という事くらいであった。
「……でね、この前も加州が『爪折れた』とか言いながら部屋に飛び込んできて。」
宥めるの、すごく大変だったの。
隣で楽しげに話しながらも、シャリシャリ…と器用に林檎を剥く彼女を眺め、山姥切は溜息をつく。
毎度のように思うのだが、何故彼女は自分ばかりを話し相手に選ぶのだろう?
相手から共感を得たいだとか、一緒に盛り上がりたいといった思惑があるのなら、燭台切や鯰尾辺りを相手に据えればいいものを。
味気ない返事しか返せない自分に、余分な雑談をわざわざ持ちかけてくる彼女の気が知れない。
彼女にとって会話というものは、呼吸や食事や睡眠と同等の価値を持つほどのものらしく、唇から紡がれる言葉はどれも楽しそうに弾み、女性独特の高く優しい声音に乗せられて耳に届く。
それはまんざら嫌いでもなかったが、ただ流れていくとりとめの無い話達に口を挟んで掘り下げ、広げていくという作業をする気にもなれない。
だから、彼は彼女の話を無言のままに聞いていた。
「それにしても、国広は相変わらず綺麗ね。」
いきなり呼ばれた下の名前にびくりと肩を揺らすと、彼女の唇が弧を描く。
ふと彼女の手元に視線を落とすと、どこから出したものか。
青みがかった小さな皿の上に可愛らしい兎林檎が二羽、ちょこんと乗っかってこちらを見上げているではないか。
…ご丁寧なことに、その二羽の隣には何本かの爪楊枝が添えられている。
眺めている間に、つう、と小皿が目の前に移動してきた。
彼女が林檎を剥くのに使っていた包丁は近くの卓の上に置かれていた。
いつもなら、ここで『綺麗とか言うな!』と大声を上げているところだが、今はそんな気にもなれない。
器用なものだな、と兎林檎を凝視していると、不意に高めの声が耳に届く。
「ちょっとごめんね、」
途端に彼女の小さい手が伸びてきて、山姥切が被っていた白布を一息に取り払った。
一瞬のうちの出来事に、頭がついていかない。
まるで背後から不意打ちを食らったような気分だ。
それでも無意識のうちに、自分の手は奪われた白布の後を追う。
勿論、布は掴めない。
それどころか、彼女は奪い取った白布を後ろに隠してしまってから満足そうに頷く。
「やっぱり、布はかぶってない方がいいわ。こっちの方がよく顔が見えるもの。」
「…おい、」
それを返せ、と言う代わりに片手を差し出せば、彼女はいよいよ愉快そうに笑うだけだ。
「あら、やっと私とお話してくれたわね。」
…なんて。
脳天気に言い出すものだから、彼は少々語気を強めて彼女に詰め寄る。
「主…、さっさとそれを返してくれ。」
「どうして?」
「無いと困るんだ。」
「本当かしら…そういえば、林檎食べないの?早く食べなきゃ色が変わっちゃうわよ。」
「…………。」
これだから、あんたは…!
そろそろ我慢の限界が迫り来ている。
短刀ならば諸手を上げて喜ぶようなフルーツカットの演出も、彼にとってはちょっと困った物になる。
山姥切は、呆れと怒りの籠もった目線で『勘弁してくれ、』と訴えかけた。
しかしながら、じっとりとした雰囲気を漂わせ始める山姥切とは対照的に、彼女の口元は美しく弧を描いたままだ。
まったくもってどこまでもおかしな女である。
自分とは違って、日々を何の悩みもなく…むしろ謳歌しているかのように過ごしている。
おまけに。
刀剣男士でも躊躇うような事をやってのけるくらい大胆な気概もあるくせ、それ以外の箇所は幼子のように馬鹿正直で素直と来たものだ。
見ていて危なっかしいのや、時々とんでもない事をやらかすのも含めて、刀剣男士達は皆いつの間にやら彼女を慕う。
山姥切には、主の生まれ持ったその気性が羨ましくもあり、憎たらしくもあった。
少なからず自分にも忠誠心というものはあるし、彼女を慕わしく想う事だってあるのに…ついそれを嫉んでしまう。
アンタが羨ましい、嫉ましい、と自分の中でどす黒い感情がいつでも渦巻いているのを、彼女は知っているだろうか?
いつの間にやら額に寄っていたすさまじい皺をちょん、と押したくらいにして、彼女は小さな両の手で山姥切の顔を挟み込む。
「そんな怖い顔しないで。私は優しい顔をしている時の国広が好きなのよ、」
「優しい…?」
「うん、普段はとっても優しい顔をしてるじゃない。」
飴色の硝子越しに、彼女がどんな目をこちらに向けているかは分からない。
最近鶴丸がしきりに噂しているのを聞く限り、どうやらあの面にはめられた硝子には、何でもかんでも必要以上に綺麗に見せるという仕掛がしてあるらしい。
あからさまに嘘っぱちだと分かるそれを信じる気にもなれないし、馬鹿馬鹿しいとも思うが。
もし、それが本当ならば…あの硝子を透さないで俺を見た時、彼女はどう思うだろうか?
やっぱり写しだな、と納得するのか。
それとも、幻滅して俺を捨てるか。
直に自分を見た際に、主がどう出て来るか。
恐ろしいのに、知りたくてたまらない。
その一心に突き動かされ、山姥切は無意識の内に目の前の女の手を強めに握った。
自分の物ではない温かな体に触れ、自分の胸の奥底で何かがふつり、と煮える。
捨てられたくない、捨てないで欲しい。
この後に及んでそんな想いがしつこく纏わりつき、じわじわとこびり付く。
「(何を今更、)」
我ながら笑える。
自分と彼女の間を隔てていた皿を脇に避けた拍子に、林檎で作られた兎と目が合った。
丸くつぶらな目が、責めるような視線を投げかけている。
『これから何をする気だ』とでも言いたげなそれらを一瞥し、静かに皿の縁をつまんでぐるりと半周回すと、兎がこちらに背を向けている格好になった。
おまえ達は見ていなくていい。
「国広…?」
少々不安気に、彼女は俺の名を呼んだ。
「もしかして…怒った?」
探るように顔を覗き込んできたタイミングを見計らい、彼女の体をがしりと抱き込む。
まるで人間の男と女が逢い引きをする時のような動作だ、と場違いにもそう思う。
それに浸ることもなく、山姥切は彼女の後頭部を探り…面を結わえている紐に辿り着く。
しきりにそれを解こうと指を動かすが、固結びになっているようでなかなか解けない。
何度も繰り返しているうち、流石に彼女も危機感を持ったようだ。
『駄目よ、止めて!』と言いながら胸を押してくるが、止めてやる気は毛頭ない。
「あんただって、さっき俺から布を引き剥がしたんだ。それなら、俺があんたに同じような事をしたって構わないだろう?」
理由をこじつけ、なおも結び目を摘まんでみるが、やればやるほど硬くなっていくようだ。
構えば構うほど余計意固地になる様が自分と似ている気がして、山姥切は自嘲気味に口角を上げた。
捻くれて外れないなら、絶ち切ってしまえばいいだけのこと。
目に留まった卓の上の包丁を無造作に掴み取り、その切っ先を解けない紐へと押し当てると。
刃物の切れ味が良かったせいか、ぱら…と、存外簡単に紐が解れ、面が畳の上に落ちる。
騒ぎながら着物の袂で顔を隠そうと躍起になる彼女の腕を掴み、ぐいと引き離す。
山姥切はそこで初めて自分の主の顔を目の当たりにした。
大きな瞳はキッと怒ったように吊り上げられ、薄化粧の施された顔がどことなく幼く見える。
彼女は成人済みのはずだったが…とにかく、年齢がどうであれ、彼女の見た目は少女のように可憐で。
思っていたよりか、ずっと若々しかった。
放心したまましばらく彼女の顔を凝視していたが、またいきなり横から伸びてきた白い手が強めに頬を抓り、山姥切の意識は一気に現実へ引きずり戻される。
「こら、国広…ごめんなさいは?」
「…………。」
「それと。女の人の顔は、ジロジロ見ちゃいけないのよ?」
「…そういうものなのか。」
自分が予想していた言葉は全く降ってこず、何だか拍子抜けしてしまう。
「あーあ…、とうとう見られちゃったわね。」
少し困ったような顔をしながら彼女は畳の上の面を拾い上げ、伏し目がちになりながら続ける。
「でも、私の顔を一番最初に見たのがあなたで良かったわ。それにしても、わりと派手にやってくれたものね…紐を付け替えなきゃ。」
これ以上、他の人に顔を知られるわけにはいかないもの。
とりあえず部屋へ戻るつもりなのか、彼女はそっと立ち上がった。
「なあ………あんたは、」
自分らしくもなく、引き留めるようにそう言いかけた途端。
彼女は怒ったように勢いよくこっちを振り向く。
「私は『あんた』って名前じゃないのよ?………私の本名は『瑠音』。嫌じゃなければ覚えていて。ま、これを他に漏らしたりしたら承知しないけれど。」
とびきり悪戯っぽく笑い、それからすぐに、彼女はヒラヒラと手を振りながら部屋を出て行ってしまった。
言うだけ言って出て行くとは…何とも彼女らしい。
辺りは妙に静かで、自分と彼女の今のやり取りは誰も聞いていなかったようだ。
その場に取り残されたのは、呆けた顔をして彼女が歩いて行くのをただ眺める山姥切と、腹を立ててすっかり自らの体を茶色っぽく変色させた兎林檎が二羽だけだった。
end
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