倉庫 | ナノ


▼ 彼女を迎えに/薬研藤四郎

「はぁ…………、」


何度目か知れぬ溜息をつき、薬研はずり落ちてきた眼鏡をついと押し上げる。

そうしてから『誉を取った褒美に』と、もらったばかりの“腕時計”という小型のカラクリを眺めて時刻を確認するのだが…。
先程同じ動作を繰り返してから、まだ五分も経っていなかった。


彼の背後では、燭台切が着々と昼餉の準備を進めており、既に味噌汁の美味しそうな匂いが漂ってきている。

そこで初めて、今の今まで自分の手が止まっていた事に気が付き、薬研は急いでまな板の上に乗った大根を切り刻んだ。


しかしながら、次は人参に手を伸ばそうとした途端、またもや動作が停止し、目線は完全に腕時計へ向く。

彼は朝から、ずっとこんな調子であった。


彼自身それは十分に良く分かっていて、『こんな事を繰り返していないで、自分に割り当てられた内番の仕事をさっさとこなさねばならない』とは思う。

しかしながら、今朝方からずっと薬研の頭の中に悩みの種として居座っているのは、彼の主兼思い人…瑠音だった。


昨夜のこと。
各本丸に配置されている審神者宛に、政府からの緊急招集を知らせる文が届いた。

どうやら重要な会議を開くらしく、『現場で動く者から是非意見を聞きたい』との事で、不特定多数の審神者に文が送られたらしい。


これを持ってきた例の狐は『断っても構わない』と言っていたが、明らかに拒否出来なさそうな雰囲気に気圧され、彼女は結局行くと返事をしてしまったのである。

…後から聞いてみたところ、『断った場合は政府からの援助が一定期間途絶える』との立派な脅し文句付きだったそうだ。


まったく…揃いも揃って“タヌキ”である。

こんのすけは狐だし、政府の役人が誰も彼も相当歳を取っているとは断言できないが、遣り口は妙に知恵のついた古狸のようでどうにも気にくわないというのが本音だ。


それでも、一度返事をしてやったからには、無断欠席を決め込むわけにもいかなかった。

今朝、あくせくと必要な書類を鞄に詰めていた彼女の支度を手伝ったのは、他でもない薬研である。


様々な審神者や、政府の重鎮が集まる場に出向くのだ。
それなりの格好をしていった方が良いだろう、と考え、普段は袖を通す事すら躊躇うような高価な着物を引っり出して着付け、唇に紅を塗ったりと、何から何まで世話を焼き付くし、朝靄の中彼女を送り出したのが記憶に新しい。

…本当のところ、出来れば自分も彼女について行きたいところだったが、文には『刀剣男子は連れてこないように』と記されてあり、彼女の伴をするのは諦めるほかなかった。


日頃から見ている限り、危なっかしくてどこか抜けた所のある彼女である。

会場で、他の審神者や政府の役人に虐められたりしていないだろうか?
他の男審神者に絡まれたり、声をかけられたりしていないだろうか…?

こういった諸々の心配事のせいで、薬研はちっとも仕事に手が付かないのであった。


また一連のサイクルを繰り返さんとした時、見かねた燭台切りが横から声をかける。


「何だか全然身が入らない見たいだけど、大丈夫?」


「ん?……ああ、」


どこか上の空で生返事を返す彼を眺め、燭台切は呆れた、とでも言うかのように肩を竦めた。


しょうがないなぁ、と彼の手から包丁を取り上げ、乱雑に切られた食材の大きさを調整しながら、食器を出してくれるよう頼むものの。

ほとんど無意識の内だと思われるが、薬研が出かけているはずの主の分の茶碗と箸まで出そうとしているのが目に留まる。


「あの子の事、気になる?」


彼は無言で頷く。


「主は確かにちょっと危なっかしい所もあるけど、結構逞しい方だし、そんなに心配しなくても大丈夫だと思うよ?」


そう言ってはみたが、如何せん彼には届いていないらしい。

今にも皿を割らんばかりの手つきで必要以上の食器を出し続ける。


食器はもういいから、今日本丸に残っている刀達を呼んできて欲しい、と頼めば、薬研はフラフラと台所から出て行き−−−すぐ近くの柱に勢い良く頭をぶつけた。


おそらく、前方をよく見ていなかったせいであろう。

その拍子に足が滑ったのか、今度は畳の上で盛大に尻餅を着くのが見える。


「やれやれ、重症だな…。」


明らかにいつもとは違う彼の様子に、燭台切はただただ苦笑する。

薬研はよっぽど主の事が好きなんだろう。


“人間である審神者と、付喪神である刀剣男士”という、本来ならば到底有り得ないような組み合わせであり、ともすれば主従間の絆を通り越して政府がご法度としている関係にも発展してしまいそうだが。

…あの二人の様を見ていると、どうしようもなく微笑ましくて、つい応援してやりたくなってしまう。


もっとも、肝心の瑠音は、夕方頃にならないと帰ってこないのだが。

やれやれ…主があっちに泊まってくる、なんて事になったら、一体どうなるやら。


今度はたまたま通りかかった太郎太刀に激突し、危うくひっくり返りそうになった薬研を見やり、燭台切は困ったような笑みを浮かべた。



***



いつの間にやら日は傾き、夕暮れが迫る時刻となっている。

次第にぼやけていく茜色を窓からぼんやりと眺めながら、薬研は自分の体中に出来た生傷の手当てに追われていた。


昼間台所を出てからというもの、彼はろくな目にあっていない。

大部分は考え事をして注意力散漫になっていた自分が悪いのだが、そのせいで柱に頭をぶつけて額を切ったり、廊下でものの見事にすっ転んで膝を擦ったりと、今の時間までに相当な数の傷を作っていた。


おかげで、足も指先も。
顔の一部も含めて絆創膏だらけである。


「手合わせしたわけでもないってのに…大将が見たら何て言うか。」


自分の事ながら、呆れてしまう。

それと同時に、こんな状態の自分を瑠音に見られたくないな、とも思った。


彼女の事だから、こちらが何も言わなければ、きっと何も聞かずに手入れしてくれるのだろうが、それも心苦しい。

受肉したばかりでもないというのに、何だか変な感じだ。
この体になってからは、どうも学ぶ事が多い。


傷口に薬を擦り込むようにして塗り、絆創膏を貼って。

これで良し、と薬箱を片そうとした時だった。


突然、ゴロゴロ、という大きな音がしたかと思えば、間もなくして、ざあっと叩き付けるような雨が降ってきた。

はっとして再度窓の方を見やると、先程まであんなに晴れ渡っていた空は茜色を引っ込め、その代わりに墨でも垂らしたかのように真っ黒な雲を充満させていた。


それでも、向こうの空の方は明るいから、すぐに雨が止むであろう事は想像できたが、考えるより先に体が動く。

廊下は走らないように、とは教えられているが、そんな事を気にしているわけにはいかなかった。


途中で長谷部とすれ違い、何かを言われたようだったものの、そんなのは気にしていられない。

玄関口で靴に足を突っ込み、傘をさして本丸を飛び出す。


行き先は、もちろん自分の主のいる所。
彼女が招集された場所は、本丸からそう遠くない場所にある山寺だったはずだ。


運悪く雨に当たってなきゃいいが…。

そんな事を考えながら、薬研は雨の中をひたすらに走った。



***



「あー…、やっぱり降ってきちゃったか。」


空が急に暗くなってきたから、まさかとは思ったけれど…。

急な雨により、瑠音は会議の会場となっていた山寺で足止めを食らっていた。


会議がやっと終わって、さあ帰れる、といった矢先に雨に降られるだなんて、運が悪い。

他の審神者は寺から傘を借りるなり、自分の刀剣男士に迎えに来てもらうなり様々な方法で散っていったが、特に雨に濡れずに帰る策を講じるわけでもなく、彼女は真っ暗な空を眺めるだけだった。


自分の元居た時代は、雨に汚い物質が含まれているから浴びてはいけない、とされていたけれど、この時代の雨はとても綺麗らしく、頭から被っても人体に害が及ばないらしい。

出来れば、この雨に打たれたいのだけれど、これだけ高価な着物を着ているのだ。
そんなつまらない事で着物を台無しにするのは気が引けた。


仕方が無いのでまた雨が振る様を眺めていると、脇からにゅっと手が伸びて、彼女に傘を差し出した。


「よろしければ、使いませんか?」


はっとして顔を上げると、そこには、隣に天狗のような格好をした男の子を従えた男性審神者が立っていた。


「えっと…、」


「いきなりすみません、困っていたように見えましたので、つい。」


苦笑いしながら頬をかく彼とは対照的に、天狗のような格好の男の子は珍しそうにこちらを眺めている。

帯刀している所を見る限り、この子も刀剣男士なのだろう。


「お気持ちは嬉しいのですけど、私に傘を貸してしまったのでは、あなた方が帰れなくなるのでは…?」


「いえ、平気ですよ。この他にももう一つ傘がありますし、僕は迎えに来てくれた今剣と同じ傘に入って帰れますから。」


ね、とお互いに微笑み合う彼等はとても仲が良さそうで。
互いの信頼関係の強さの断片を目撃しただけだというのに、何とはなしに心が和む。

せっかく親切にしてくれているのだ。ここで相手に恥をかかすわけにもいかない。

日本人独特の思考を展開させ、それなら…と、傘を受け取ろうとした矢先、誰かがこちらに向かって走ってくるのが見えた。


「大将…!!」


泥が飛ぶのも構わず、彼は一目散にこちらに駆けてくる。

白衣を背後にはためかせ、こちらにやってくるのは、他でもない彼女の刀剣男士…薬研藤四郎だった。


息をきらして玄関口に飛び込んできた彼を何とか抱き留め、体を見やった時に目に留まったのは、そこかしこにペタペタと貼り付けられた大量の絆創膏だ。


「薬研、大丈夫?…もしかして迎えに来てくれたの?」


そう問えば、彼は何度か頷き、どうにか息を整える。


「ああ。どうせ大将は傘なんか持ってかなかっただろうし、たまには迎えに行くってのも悪くないと思ったんでな。」


他の刀には内緒だぜ?

どこか悪戯っぽく笑う薬研がとても頼もしく見え、それと同時に鼓動が跳ねる。


彼は何時だってそうだ。
困った時に駆けつけて、助けてくれるのだ。

危うく口をついて出そうになった淡い気持ちを何とか宥め、彼女は感謝の言葉を述べた。


「ありがとう、薬研。」


「どういたしまして…さて、帰るか。」


差し出された彼の手に自分の手を重ねると、そのまま愛おしむかのように優しく握られる。

それが嬉しくて、無意識の内に薬研に体を寄せれば、無言で受け止めてくれた。


そのまま彼女達は男性審神者と今剣に頭を下げ、仲睦まじく山寺を後にする。

初々しくもあり、可愛らしいその様は、まるで恋人同士であるかのようだ。


政府の役人が見れば顔をしかめるような光景を暖かく見守り、男性審神者は頬を緩めた。


「彼女に傘は要らなかったみたいだね。さ、僕達も帰ろう。」


ここまで来るのに疲れただろうから、と今剣を片腕に抱き抱えて傘を開き、歩き出すと、小さな刀剣男士は羨ましそうに彼女達が帰っていった方を眺め、無邪気に呟く。


「あるじさま、あのおふたりは、とってもなかがよさそうでしたね。しあわせになってくれればいいなぁ…。」


「そうだね。誰かを好きになるのはとても素敵な事だし、それが刀剣男士と審神者って組み合わせでも悪くないと思うんだけど。」


上が五月蝿いからね。

そんな事を言いながらも、彼は、互いを慕いあう彼女達の恋愛成就を願わずにはいられなかった。


end

prev / next

[ back to top ]


×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -