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▼ 昔話/三日月宗近

その日は、大層に月の綺麗な夜だった。

一片も欠けた所のない見事な満月が白く薄らとした光を湛えている様は、まるで薄化粧をしたかのように見える。


…とはいえ、こんな夜中では一緒に月見と洒落込んでくれる者は無く、湯気を立てる茶と少し甘めの菓子をお供に、自分一人だけで月を愛でていた。


ちびちびと茶を飲みながら耳をすましてみても、秋ではないから虫の声はお預け。

夏も近いというのに、蛙が合唱する声すら無い。


かわりに届くのは、誰かのいびきと、流れる水の音くらいである。

皆疲れているのだろうなと思う反面、こんな時間まで起きているのは私だけなのだろうな、と妙な虚しさを感じた。


今日の所は、これで部屋に引っ込もうか。

そんな事を思いながら、やや小さめの干菓子を口の中に放り込み、即座に広がるべっとりとした甘さを冷めた茶の渋さで掻き消す。


続いて、品良く皿の上に載っている饅頭を取ろうと手を伸ばした途端、“のしり”と。

体に、温かで程良い重さの何かがのし掛かった。


それと同時に後ろから伸びてきた大きな手が視界を覆い隠し、完全に月明かりを遮断する。

フェイントで目隠しをしてくるあたり、真っ先に鶴丸を思い浮かべたが…頭上から降ってきた声は予想していた人物とは大きく違っていた。


「主、月はそうまじまじと眺めるものではないぞ?」


そんなに見ていたのでは、月の者がこちらに気が付いてしまうかもしれんからな。

大真面目に。
しかし、どこか楽しんでいるかのようにそう告げる彼は、きっと背後で笑っているのに違いない。


「三日月様、いつまでこうしておられるつもりですか…手を退けて下さい!!」


「聞けぬ。すまないが、頼み事はそれ以外にしてくれ。」


「でも、ずっとこのままなんて嫌です。」


いつものように流されてなるか、と素直に本音を口にすれば、少し間を開けて手が退けられ、彼が離れていくのが分かった。

何だか妙に素直な三日月の行動に違和感を感じたものの。


それとなく距離を取って落ち着こうと体をずらすと、いきなり腰のあたりをがしりと掴まれ、彼のすぐ隣へと引きずり寄せられた。

そうかと思えば、彼は帯刀していた自らの本体−−−刀の方の『三日月宗近』を、何故か瑠音の膝の上にそっと乗せる。


「あの、三日月様…?」


ずしり、と重みのあるそれを落とさないように支えながら問うと、彼はその様を眺めて淋しそうな笑みを浮かべた。

刀剣男士にとって、自分の本体である刀は、当然ながらとても大事な物だ。
それを分かっているから、審神者である自分も滅多な事では触れたりしないよう気を付けているのに。


それを他人の膝の上にわざわざ乗せるとは…。

この男は何を考えてこんな事をしているのだろう。


とりあえず、何処にも傷を付けぬうちにこれを返さねば。

しかし、それを見越していたと言わんばかりに、三日月は刀を握る彼女の手に自らの手を重ねる。


「なあ、主…嫌でなければ、だが。その刀を持ったままで、じじいの昔話に付き合ってはくれまいか?」


「……昔話、ですか?」


「そうだ。無理にとは言わん。ただ、聞いてもらえれば有難い。」


彼がこんな申し出をしてきたのは、これが初めてだった。

それで彼が満足するなら、とよく考えもせずに頷けば、彼は何処か遠くを眺めながら話し出す。


「あれは…俺が作られてからどれくらい経った頃だったかな。その時の俺の持ち主は、ある貴族の姫君でな−−−夜になると、彼女の膝に乗せられてよく月見の供をしたものだ。」


ゆったりとした口調の裏には、彼が少なからずその姫君を慕わしく思っていたのが伺える。

三日月がこんなに嬉しそうに話すのだ。
きっと、その人はとても素敵な女性だったのだろう。


「三日月様は、そのお姫様としばらくの間一緒だったんですよね?」


先が気になってつい急かすように聞くと、彼は笑みを崩さぬままで緩く首を振った。


「よくよく数えてみると、俺が彼女と一緒に居られたのは、ほんの十日だけになるなぁ…。」


「と、十日!?」


「ああ。俺は、遠く離れた場所にいる高位の貴族に献上されるためにたくさんの者に運ばれながら旅をしていてな。彼女の家は、今で言う『ちゅうけいちてん』の一つだったというわけだ。」


その時は人の形をしていなかったから、別れ際、姫君に礼を言うことも叶わなんだ。


ほとんど独り言のようにそう言いきってしまった後、彼の瞳が切なげに揺れる。
深い青の中に浮かぶ三日月も、薄い涙の膜にすっぽりと覆われて、いよいよ美しく輝いて見えた。

まるで本物の月のように…。


話の内容を噛み砕いて理解する事も忘れ、その次に語られる言葉を一言も漏らさずに聞き取ろうと耳を傾けていると、三日月は淡く微笑む。


「…残念だが、俺の話はこれで終いだ。」


「え…もう?」


その後の話は無いのだろうか?

聞きたい事は尽きなかったが、彼は深く追求されたくないためか、どこかすっきりとした笑みを瑠音に向ける。


「さあ、もう月も沈む。主も眠るがよかろう。」


「そうですか?じゃあ、これ…お返しします。」


詮索を諦め、ずっと膝の上で大人しくしていた刀を彼に手渡せば、何か物言いたげにこちらを眺めてきたが、それを振り切り、彼女は三日月と別方向へと足を踏み出す。


「それじゃあ、お休みなさい…また昔のお話、聞かせて下さいね?」


「あいわかった。それではまたな、」


背後から見守るような三日月の視線を感じながら、彼女は静かに自室へと戻っていった。



***



「(はて…何故あんな昔の事を主に話してしまったものか。)」


それにしても、主は姫君によく似ている…。

しずしずと歩き、闇の中に消えていく今の主の姿に姫君の面影を見出しながら、三日月は受け取ったばかりの刀の柄をそっと握った。


今の自分は、ただの刀ではなく人間の姿をしているから、言葉を語らう事も出来るし、その気になれば何にでも触れられ、愛おしいと思う者を腕の中に抱いて慈しむ事だって出来る。

今になって姫君によく似た女…瑠音に出会ったのは、彼女を守り、愛せという暗示なのだろうか?


神と人では契を結んでも、そう永くは一緒にいられぬというのに。
何とも皮肉なものよ。


自嘲気味な考えに苦笑いしながら、三日月は出ない答えを求めるように白み始めた空を眺める。

次々と姿を消してゆく星々より、遥か遠くから。
空に浮かぶ月が別れを惜しむかのように、白くやわらかな残光をこちらに向けていた。



end

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