桃と鬼 | ナノ
 02:刀に火男

すう、と。
わざと音が出るように息を吸えば、硫黄の匂いが溶け込んだ空気が肺へ充満し、体の内側…それも、臓物の端から端までもが温まっているかのような、何とも不思議な感覚を味わう事が出来る。

今浸かっている湯殿は他の場所にある物より熱めなのだが、絶えず立ち上る湯気のお陰で辺りには程好い湿り気があり、これなら喉にも良いだろう。


そんな事を考えながら何気なく空を眺めやっていると、ひらひら、と。

風に煽られ、どこから飛ばされてきたものか。
すっかり黄色くなった銀杏の葉が、音もなく湯船の上へ舞い落ちてくる。


湯に浸かったまま、何とも目を引かれるその黄色の内一つを拾い上げて。

随分と昔、大好きだった双子の弟と色とりどりの落ち葉を集めてきては押し葉作りに勤しんでいたのを思い出し、あまりの懐かしさに自然と頬が緩む。


以前はもう会えなくなってしまった家族の事が脳裏へ浮かぶ度辛くなってしまうのが嫌で、薄情にも昔の出来事はなるべく思い出さないようにしていたし、ここ一月の間、立て続けに不幸な出来事ばかり起こっている為か、随分と心が弱っている感じがしていて。

以前より涙脆くなったり、ちょっとした事で落ち込んでなかなか気持ちの切り替えが出来なかったりと、一時期は通常の任務にすら支障を来しかねない状況であったため、自ら願い出て刀鍛冶の里の護衛の任についたものの。


「はっ、初めまして!仁科の新しいご当主様!!代々のご恩に報いられるよう、丁重におもてなしさせていただきます!滞在中、ご遠慮なさらず何でもお申し付け下さいね!」

「いつまでも眺めていられそうなお顔といい、凛とした佇まいといい…何から何までお若い時分の前のご当主様ににそっくりで驚いちゃう!仁科様、今夜お部屋へお話ししに行っても構いませんか?」

「さぁさぁ仁科様、こちらへどうぞ!自慢の鍛冶場へご案内しまさぁ、」

「いいえ、仁科様は長旅できっとお疲れでしょうから、まず我が里自慢の温泉へ浸かってごゆるりとなさって下さいまし!ねっ?」


…とまあ、こんな具合に。
護衛先へ着いたその日から、やけに張り切った様子の里の者達による熱烈な出迎えを受け、しばし呆然とし。

そこで『随分前の代の頃から、仁科家は個人的な意向で刀鍛冶の里へ資金援助を続けている、』と。
以前父に聞かされていたのをぼんやり思い出したわけだが。


まさかここまで歓待されるとは微塵も思っておらず、いざ里の内で見回りをこなしながら暮らすとなれば、誰からも毎日のように大なり小なりもてなしを受け。

見回りが終われば、歩く道すがら様々な人に話し掛けられては亡くなった父の話を聞き。
その流れで、随分前に亡くなった為に全く面識がなかった自分の祖父の事を知りえる等、外との交流に制限がある場での暮らしとはいえ、決して退屈しない…むしろ、鬼を狩りながら東京中を流れていた以前の暮らしよりか、ずっと充実した日々を過ごせている自覚がある。


勿論初めの数日間こそ、慣れない場所で見知らぬ人に囲まれてという状況にいたく緊張し。
話し掛けられる度に身構え、酷く気疲れしていたものだったが…他者から向けられる純粋な優しさや気遣いが妙に嬉しく、嫌味や下心のない多くの親切が弱りきっていた心に染み渡ったのは確かで。

近頃妙に人恋しくて寂しかったのも手伝い、元より好意的である里の者達に勇気を出して自分の方から歩み寄れば、びっくりする程すぐに打ち解ける事が出来た。


そうやって、自分に優しく居心地の良い環境に身を置き、求めていた物を得られたからか。

まだ以前のようにとはいかないが少しずつ精神も安定し、急に涙ぐんだり落ち込んだりという事もめっきり減り…毎日着実に元気を取り戻しつつある今、里人への感謝は当然欠くべからざる物であるとして。

気持ちを直接伝えたくとも、それを乗せる声は出ないので。
未だに会話の際は帳面と鉛筆を持ち歩かねばならないのがどうも不便で仕方なかった。


湯に浸かっている内噴き出してきた汗を拭い、もう一度深く息を吸い込み。
いつの間にか上下でぴったりと張り付いてしまっていた唇を剥がして。


「─────ぁ、」


自分としては、あー…と声を出したつもりだったのに。
喉の奥からはいつもと変わらぬ息を押し出す音と共に、頼りない掠れ声だけが漏れ出てくるのみだったものだから、がっくり来てしてしまう。


いい加減、以前のようにきちんとした声を出せるようになりたい、と。

喉に効く温泉が沸いている場所を聞き回り、毎日そこへ足繁く通うだけでなく、小半日は湯に浸かってみているというのに、効いているという感じがまるで無い。


正直なところ、声が出にくくなった原因にはっきりと心当たりがあるし、随分前から悩まされている味覚の異常や不眠といった症状も同じ原因から来ているんだろうなという予測も着いていて。

だからこそ、諸症状を全部纏めてどうにか軽くする事も出来なくはないのだが…なるべく取りたくない手段であるから、温泉に浸かるなり、効果のありそうな民間療法を出来るだけ試してみるなりと、出来る範囲で手を打っているわけだ。


「(それが、私にどれだけ不利益を生むのだとしても。)」


何の罪もない他人を巻き込んだ挙げ句、その人の人生を台無しにするのなんて御免だ。

ふぅ、と溜め息混じりに浅い湯殿へ体を沈めて空を眺め上げている途中、がさがさ…と。
奇妙な音がしているのに気がつき、湯煙の中目を凝らす。

何だかんだで忘れていたが、里人からこの湯の場所を教えて貰った際に『一応私共で管理はしとるんですが、ちょいと里から離れた場所にありますもんで…ごくたまに獣が出てくる事があるんですわ、』と聞いたような気がする。


しばらく息を潜めて探っていると、どうも自分が服やら荷物やらを置いていた所から音がしていて。
濃い湯気越しに辛うじて分かるのは、低い位置で荷物をごそごそと漁っている…猪らしき影が動いている事くらいだ。


恐らく、湯から上がったら食べようと持ってきた饅頭の匂いにつられて出てきてしまったんだろう。

早いとこ食べて満足してもらい、どこへなりと行ってくれればそれで良いのだが…今の自分は裸である上、丸腰である。
万一向かって来られでもしたら流石に太刀打ち出来ない。


ならば、このまま近くの木にでも登って。
あちらさんが居なくなってから荷物を回収するかと作戦を練った所で、猪らしき獣の影が前触れなくこちらを向くのが見えた。

悪い予想なぞして身構えていたせいか。


とにもかくにも、今は逃げるが勝ち。

こちらの居場所はもう割れているのだから、今更構うまい。
立ち上がり、背を向け。飛沫を上げながら木の生い茂る反対側へ逃げようとした途端。


「おい……そこのお前、待ちやがれ!!」


いやに圧を感じる野太い声の塊が背中へぶつけられ、一糸纏わぬ肌がざわりと粟立つ。

何事かと振り返ると、猪が蠢いているとばかり思っていた小さな影が人の形を取っているのを目の当たりにして驚くも、動物が人に変じるなぞあるわけもない。

最初は、単にしゃがんで荷物を見ていて。
今しがた立ち上がったというだけの事か。


───獣でなければ盗人か。
警戒しながら後ずさっていると、程なくして。

湯煙の中から、火男の面を身に付けた…里人らしき男が、草履も脱がずに湯殿へ入り、ざばざばと音を立てながら寄ってくる。


「………?」


見慣れた面にほっとしたのも束の間。
随分急だが、何か用があるのだろうか。

頭へ乗せていた手拭いで前を隠すのも忘れ、そんな事を思っていると。


「お前、仁科の当主か。」


再度放られた声に聞き覚えはなく、姿形も見た事がないような気がしたが…僅かに独特の訛りが入った口調からして、やはり里人であるのは確かであるらしい。

頷くと、彼は一歩距離を詰めて。


「あの刀、折ったのはお前か?」


あの刀、とは。
以前の任務で折れてしまった黒刃の日輪刀の事だろうか。

考えているうち、また距離が詰まる。


「今の刀の持ち主はお前で、お前が刀を折ったんだな?」


ゆっくり、探るように問われ、頷きかけた途端。


「…やっぱりそうか、」


いやにはっきりとした言葉が投げ捨てられたのと同時に、目の前の彼は躊躇無くこちらに掴みかかる。

咄嗟の事に避ける間も無く。
申し訳程度に後退したが、それすら見越していたのか。
厚く固い皮の張った手は、獲物を逃すまいとする鷹のように確りと肩を捕らえて。

その手の熱を感じ、身構える猶予すらなしに…間髪を入れず激しく揺さぶられた。


「クソがっ…!!何でだ、オイ、何で折りやがったっ!?!?」

「………………!」

「今時、あんっなに完璧で素晴らしい非の打ち所のねぇような現役の古刀ってのは早々お目にかかれねぇんだ!!つまり、あの刀ってぇのはこの世に二つとねぇような貴重品だったんだよ!!!!」

「……………、ぁ……せ、」

「あぁ!?何か言ったか…まぁいい、話は続けるからな。分かるか、貴重品だぞ!!『貴』に『重』に『品』で、貴重品。き、ちょ、う、ひ、ん!!!!」


そこんとこ、きちんと分かって使ってたんだろうな!?

衰える事の無い声量に晒されているのに加え、絶えず揺すられているのも手伝って。
身体だけでなく、頭の中まで揺れているような感じがした。


それがあんまり長く続くので。
いよいよ、乗り物に酔った時のような薄らとした気持ち悪さと吐き気が込み上げてくる。

とにかく、何とか落ち着いてこちらの話を聞いて貰おうと、必死で合間に言葉を捩じ込もうとするのだが…彼は更に声を張り上げ、首の辺りまで真っ赤にしながら怒り続けるばかりで埒が明かない。


「ったく、持ち主が変わりゃこのザマか!!どうしてくれんだこの小娘がよぉっ、」

「…ぅ……け「まさか、刀は処分か!?処分したのか!?」」

「……そ、は、」

「あぁ!?だから、聞こえねぇっつってんだろ!!さっきからこそこそこそこそ……さっぱり聞こえやしねぇんだよ、云いたい事があんなら、はっきり言ってみろ!!」


…難なく声が出せたら、今頃こんなに苦労していない。

彼に当てられているなという自覚はあれど、ほんのりとした怒りが湧き出してくる。


いつまでも声が出しにくいのは『然るべき手段を取らないから』という前提はあれども。

言いたい事をゆっくりと伝える暇もくれず、一方的に責め立てて来るあちら側にも多少非があるのでは?


こんな風に思ったが最後。

やられっぱなしは癪だという負けん気が頭をもたげてすぐ、考えるより先に手が出た…といっても、相手を殴り付けるなんて穏やかではないやり方はしない。

未だこちらの肩を掴んで揺すり続ける大きな手を振り払い。
隙をついて胸倉を掴み、自身の唇があるところまで彼の頭の位置を引き落として。


「何分、声が満足に出ませんもので───申し訳ありませんが、しばらくこれで失礼させていただきます。」


手拭いに覆われた。
恐らく、耳があると思しき場所に向かって囁きかけると、彼が面越しにこちらを睨み付けたようだったが、気にせず言葉を続けた。


「刀を折った事に関しましては、大変申し訳なく思っていますわ…あの刀は、私が隊士に上がってから実父より譲り受けて以来、ずっと任務を共にこなしてきた戦友のような存在ですから、折れてもそう簡単に諦めきれなくて───今は里長殿に全てお任せして、また使えるように面倒を見て頂いている最中です。」


どうにかこうにか伝えれば『本当か…!?』と。

少しだけ彼の声音が明るくなったと同時に、刺々しかった雰囲気が徐々に和らいでいく。


「あの刀は…まだ、生きてるって事か……。」


追いかけるように出た、心底ほっとしたような声。

こちらに対する敵意はもう無かろうと踏んで。
掴んでいた胸元からそっと手を離すが、放心しているのか、彼は僅かに頭を上げただけだ。

よく見てみれば、着ている服の所々に草と泥が付いており、足元も随分汚れている。


「(やり方は荒々しいし、怒りっぽくて話が通じないような所もあるけど…、)」


先程からのあれは、刀を何より大事に思っているからこその言動だったのだろうなと考えれば、無理もない……そんな気がして。

彼の表情を覆い隠す火男の面を黙って眺め上げていた時。


「それだけ分かりゃ十分だ───おい、今から見に行くぞ。」


お前も来い、と。
さも当然と言った風で腕を引っ張られ。

転びそうになった拍子に、頭へ乗せたままだった手拭いがバシャンと勢い良く湯殿へ落ち、そういえば裸だった事を急に思い出す。

今まで丸出しだったくせ、急に恥ずかしくなるというのも変だが、意識してしまうともう駄目で…僅かに身をよじって彼から視線を逸らし。
恥ずかしさを堪えながら、合わせたままだった唇を割り開いた。


「あの……お願いがあるんですけれど。ちょっとだけ、後ろを向いて…というか、少し顔を背けて頂けると…。」

「あぁ!?何でだよ…これから里長の屋敷に直接行くんだからとっとと「あのっ、あの…私…裸ですので、せめて服を着させて頂きたくて…。」」


だめ、ですか。

湯気に?き消えてしまいそうな程、か細く頼りない声。
先程のよりかもっと小さなそれをよくぞ拾い上げてくれたものだ。

こちらの腕を逃がすまいとするように確り捕まえていた手は、そろそろと引っ込められ。


「お前─────馬っ鹿じゃねぇのか!!何っで今まで黙ってんだよ!?そういうのはもっと早く言えっ!!!!」

「す、すみませんっ…言い出す隙がなかったというか私もすっかり忘れていたというかっ「だぁーっ…!!言い訳するより先に早く何か着てこいっ!!!!」」


圧倒的な声量が半身に叩きつけられ、反射的に体が動く。

手拭いを拾い上げるのと同時に、恐々声のした方を眺めやると…彼は火男の面の目がある辺りを両手で覆い、俯いていた。


その配慮に感謝し。
湯殿から上がって体に付いたままの水滴を拭き取り、隊服を置いた場所へ向かう。

大慌てでさらしを胸に巻き付け、隊服を羽織って───その間中、律儀な事に彼がこちらを見ることは一度もなかった。


***


「いやぁ、蛍が色々迷惑かけた上にとんだ無礼も重ねてもうて…すまんかったのぉ。ワシが謝ったところでどうにもならんのはよう分かっとるけど、どうか堪忍なぁ……。」


若干困ったような。

けれど、これが常だからと割りきったような里長の口調に、件の彼はいつ誰にでもあんな感じなんだろうなというのが垣間見えた気がして、思わず苦笑してしまう。


『いえいえ、私の方は特に気にしておりませんので、そちらもどうかお気になさらず』

月並みな文章を帳面に書き付けてそちらへ差し出せば、里長は幾分かほっとしたのか。


「流石は仁科のご当主様よの…蛍より百瀬殿のが、ずーっと大人じゃわい。」


一つぼやいて、縁側の方へ目線をやり、深々と溜め息をつく。

つられてそちらを向けば、舞い落ちてくる紅葉を歯牙にもかけず、一心に黒刃の日輪刀を眺める刀鍛冶の姿があった。


湯殿で妙な出会い方をしたこの里人…『鋼鐵塚蛍』という何とも可愛らしい名の男に引き摺られるようにして里長の屋敷へ来てから、そろそろ半日が経とうとしている。

にも関わらず、持ち主である自分の元へ刀が回ってこないのはちょっと不服だ。


とはいえ、飽きもせず。
何時間と刀を眺め続ける様も、本当に刀が好きである故の行動か。

里長から聞いた話によると、黒刃の古刀は、辛うじて無事だった茎から上身の半分より少し下…反の無い箇所を再利用し。
元の刀自体が肉厚な作りであったのも考慮して、鎧通しとして整える事に決まったのだそうである。


遠目から見れば短刀とぼんやり分かる程度であるが、近くで見れば鎧通しなだけに茎が長く、反が殆ど無い───近接での戦闘においては、相手を刺して不意を突いたり、深く刺突して動きを止めたりと、小回りの効く使い方が出来そうだなと思ったものの。


これ自体は基本的に右の腰へ差しておくのが主力であり。
尚且つ、右手で抜く事を前提とした武器だから、様々便利に使いこなす前段階としてかなりの練習が必要だろう。

まあ…本当のところを言えば、使う機会が無いというのが一番だが、窮地に陥った時に使える武器はなるべく多いに越した事はない。


一番始めに自分の面倒を見てくれた育手の師範の口癖を思い起こし、目を細めながら鋼鐵塚の手元の刀を眺めていると。


「かぁ〜っ…もう夕方になるちゅうに、まぁーだ刀を離さん!ほんにお前は……!」


隣の里長が焦れったそうに声を上げたが、彼は動じないどころか、全く聞こえてすらいないようである。
それに呆れてか、里長は深々と溜め息をつき。


「ほんにすまんの…何ちゅうてお詫び申し上げたらええか。見ての通り、蛍は刀の事になると途端に目の色変えてかじりつきよる……その間は何言うても無駄じゃけ、放っとく他にあらへんのよ。端から見りゃ馬鹿馬鹿しい上に理解できんかもしれんけど、」


堪忍なぁ…。

今日何度目か分からぬ謝罪に首を横に振り、少し考えてから帳面へ文字を書き付け。


『いえ、そんな事は。それにしても、蛍殿は余程刀がお好きなのですね』


差し出した物を読み取るなり、里長は僅かに唸る。


「うーむ…好きちゅうか、困った性分ちゅうか。この際やし、話しとくかぁ…鎧通しに直したあんたの刀。あれな、蛍にとっての初めての刀やったんよ。」


はじめて、とは。
どういう事かと聞こうとして帳面へ鉛筆を走らせたのを里長が手で制す。


「まだ蛍が小さい時…百瀬殿の父上が現役の水柱だった頃かいの。ある日、例の古刀を預かって手入れをしとったんやけど、そこへ蛍が来てな。邪魔やからて何べん部屋を追い出しても、刀触らせろて暴れるもんで。本当はあかんのやけど、後ろから手ぇ添えて、こう、何回か油拭き取らせてやったら、病み付きになってもうたんやろなぁ。以来、俺もいつかあんな刀作るんやて、勝手に仕事覚えてでかくなりおって…今じゃ柱の刀も担当する刀鍛冶や。」


ま、蛍は元があんなんじゃけぇ…長く刀の世話させてくれる剣士様がほとんどおらんゆうのが目下の悩みやけどな。

からからと笑う里長の声は、静かすぎる室内へ妙に響いた。


「そんな訳やから、蛍はあの刀への思い入れも尋常やない。あんたの次くらいにはあの刀を気にして、大事に思っとるて事は許したってな。」


一つ頷いて見せると、彼はまた話を続ける。


「ただ、ワシも長らく面倒見とる刀やけぇ、情がある。百瀬殿が『折れたけど諦めきれん』『また使えるようにして欲しい』て。破片を殆ど全部拾い集めるだけやのうて、布にまで包んで大事に大事に刀を持ってきてくれた時、驚きもしたけど嬉しかったんよ。」


その辺りで、里長の声がやや震えているように聞こえたが、気付かぬふりをして。


「基本的に、剣士様方は刀が折れたらそれで終いで、次々新しいのを打って欲しがる。やから、今時剣士様からこんなに大事にされてる刀がまだあるんやって、無性に嬉しゅうて。この度は久々にええ仕事が出来て満足やった───本当に、ありがとうなぁ。」


本来なら、こちらが頭を下げねばならぬ側だというのに。

稲穂のように深々と下げられた里長の頭を見てはっとし、長らく握りしめたままだった鉛筆を持ち直して帳面へ滑らせる。


『私の方こそ、家宝の刀をあんなに綺麗に直して頂いて、何とお礼を申し上げたらいいか。この度は本当にありがとうございました。刀、これからも大事に使わせていただきますね』


帳面を差し出すのと共に、出来る限りの笑顔を浮かべたつもりであったが、上手くいっているのかは定かでない。

だが、笑みになっているのかいないのか…ごく曖昧な表情であっても、里長の柔らかな雰囲気が崩れる事はなかった。


「そうかぇ…そう言って頂けるんは有り難いが、刀自体はかなり古い。これから先、どんなに大事に扱ったとしても、急に折れたり欠けたりする事があるかもしれん。けど、粉々になってしまわん限りは何べんでも使えるように上手く直すさかい、諦めんでまた持ってきてな。それはそうと、おい…蛍!!」


いい加減百瀬殿に刀返さんかいな!!

これまでより幾分か大きな声が縁側へ放られたと同時に、周囲へ僅かな沈黙が落ち───刀に見入っていた鋼鐵塚の視線がいきなりこちらへ向けられる。


面を被っているために、相変わらず彼の表情を読み取る事は出来なかったが。

呆れたような溜め息と共に、剥き出しだった刀身を鞘へ納めて立ち上がったかと思えば、即座に大股でこちらへ歩み寄り。
目線を合わせるようにしゃがんで、面に空いた穴から確りとこちらを見据えて。


「───いいか。さっきも言ったが、この刀は今の世に二つと無ぇ貴重な品だからな!!打刀から鎧通しになったところで、価値はそう簡単に落ちゃしねぇ…そこんとこ、よぉ〜〜っっく考えて使え!!」


分かったか……分かったな!?

いやに圧のある念押しに頷けば、短くなった刀を胸の辺りへ押し付けられ、慌てて両腕で抱えた。

そんな様子を鼻で笑うように見届け、彼は単身襖の方へ向かう。


「お前……少しそこへ座れ。」


明らかに怒りの籠った里長の声を背へぶつけられても、その足は止まらず。
すうっと襖を半分まで開け、振り返りざま。


「仁科の当主……いや、百瀬とかいったか?」


急な問いかけにびくつきながらもまた頷くと、彼は険悪な雰囲気を隠そうともせず、舌打ちをし。


「刀を折ったり雑に扱ったりする奴は誰であろうと容赦しねぇ。これ以上刀が短くなるような事があってみろ!!後で酷いからな、」


吐き捨てるように言うが早いか、さっさと部屋から出ていってしまった。


「────コラ、蛍っ!!待ちや!!!!」


無愛想に襖が閉まる音と里長の怒声が被るも、彼の足音は遠ざかっていくばかりで。

何を言ったとてこちらへ戻って来る気が無さそうだというのだけは分かり、残された里長と顔を見合わせるしかない。


「ったく、最初から最後までなんちゅう無礼を……ほんまに申し訳ないなぁ。そもそも、本人に悪気が無いんが何より悪いちゅうか、何ちゅうか…堪忍な、」


先程と変わらぬ並びの言葉達を聞き流し。
ふと視線を落とすと、鋼鐵塚から受け取ったばかりの刀が目に映る。


元より大分軽くなりはしたし、痛みが目立ち始めていた拵えも全て綺麗に取り替えられていたり、作り直されていたりと、見た目は随分変わっていたが。

試しに僅かばかり鞘から抜いてみると、見慣れた黒い刀身が姿を表してほっとする。


「(折れてしまった時はかなり焦ったけど、)」


またどうにか使えるようにしてもらえて良かった。

心底そう思って元のように刀を鞘へ納め、早速ベルトを引っ張り、右の腰へ差してみると……これが、びっくりする程よく馴染む。


形が変わっても、やはり一番長く使っている刀というのはしっくり来るものだと実感ながら、これ以上短くなってしまわぬように……今までよりももっと刀を大切に扱おうと決めた。

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