▼ 13:窮鼠
血の匂いを掻き消すような…強くべったりとした桃の臭気が充満する、夜に沈んだ広い屋敷の中。
妙な静けさのあるその最奥で、女が男に組み敷かれ、首を絞められている。
「せの、きみ……。」
苦しげに息を吐きながらも、女は尚絶命せず。
涙で濡れそぼった瞳でこちらを睨み上げている…そんな気がしたのは何故なのか。
本当のところ、女が今どんな顔であるのかは分からない。
顔があって然るべき箇所をどんなに目を凝らして覗おうとも、首から上は墨で雑に塗りつぶされたかのように黒く靄がかかっており。
目に口。鼻も眉も…全てにおいて黒い靄の下へ覆い隠され、女の顔は杳として知れない。
おまけに、何でこんな事になっているのか。
この黒い物が晴れたところで、下へ本当に顔があるのかどうかも分からず、自然と眉間へ皺が寄っていくのが分かる。
この不気味極まりない女を眺めていると、足の先から寒い物が上がってくるどころか、言い知れぬ不安に駆られ。
とにかく、どこか遠く…この女の手の届かぬ所へ逃げ出したくなるのは、何故なんだろうか。
女の首にかけられていた手にはいよいよ力がかかり、その柔く白い喉へ男の指が食い込み。
早く…一刻も早く死んではくれないかと焦りだした頃。
女は最後の力を振り絞るようにして口をきいた。
「ああ、背の君…あなた様は一時の怒りに任せ、ご自分で人に戻る道を絶ってしまわれた。私にはそれが悲しくて、おいたわしくてなりません。ですから、せめて…ここで約束をいたします。あなたが下さった桃の枝を抱え、あなたの愛して下さったこの容貌と声で…いつの日か、必ず逢いに参ります。相見えるその日まで、どうかお待ち下さい。」
あなたへの道を阻む悉く。
遍く全てを打ち倒し、幾年月がかかろうと、必ずや逢いに参ります。
最後は消え入るようで、殆ど聞こえはしなかった。
けれど、女はそれきりぐったりとして動かなくなる。
ああ…ようやく死んだのだ。
誰に教えられるでもなく悟り、喉から手を離すと。
長く女の肌へ触れていたからか…自身の両の手のひらへ、鼻が曲がるような甘い桃の臭いが移っていて、舌打ちが零れる。
これで、何もかもが終わったのだと安堵すると同時に、畳の上へ放った死体の顔は相変わらず黒い靄がかかったきりだ。
足の先で死骸を蹴って文机の方へやってしまってから、簾を持ち上げて廊下を渡り。
辿り着いた庭へ素足のまま降り立ち、泉で手を洗うが。
────手についた桃の臭いが取れない。
そんな馬鹿なと思い、何度も洗い直したが。
皮膚がふやけるまで水に浸してみても、桃の臭いは一向に消えなかった。
不安に駆られ、誰一人生きた人間がいなくなった建物を睨むが、不気味な程音がない。
あの女は死んだ。
今しがたこの手で首を絞め、確かに殺した。
元より、神も仏も信じてはいないのだから、どんな事をしようと…呪いも罰も、自分の体へ降り掛かるはずがない。
なのに、これは何だ。
一体、如何してこうなった。
体を引っ掻き、歯を食いしばって…内から出る底知れない恐怖と憤りに酷く心をかき乱されて。
掻きむしった体から流れ出る血と、桃の臭気が混じった匂いを肺腑の奥へ吸い込みながら、自問自答を繰り返し────。
***
「お…にい、ちゃ……、」
遠くで、妹の呼び声がした。
どうやら、少し意識が飛んでいたらしい。
夢…とはまた違うような感じではあったが、先程の光景が妙に頭へこびりついて、何とも言えない心地にさせられる。
「(なんだぁ…何て言ってやがる……あぁ、よく聞こえねぇ。)」
用事があるなら、もう少し大きな声で。
ぼんやりした頭でそんな風に思っていると、首へ鋭い痛みが走り…跳ね起きようとするが、凄い力で押さえ込まれていて叶わない。
何が何やら。
分からぬまま抵抗を始めると。
「……お兄ちゃん!!!」
今度は、はっきりと聞こえた。
焦りを孕んだ自分を呼ぶ声に尻を叩かれるようにして、一気に意識が覚醒した。
見開いた目に映るのは、鬼狩りの少年の足。
首へ感じる痛みは、刀を当てられ…ほんの僅かに傷がついているからだと合点がいく。
そういえば、少し前。
毒が塗ってある苦無で脚を刺され、意識が朦朧としていたのも思い出し、舌打ちが転がり出た。
妙に派手ななりの柱に、猪頭。肌から桃の臭いがする女隊士と、黄色い頭の奴…思っていたより時間がかかりはしたが、面倒なのは順繰り処理出来たのだから、後は随分楽なはずだ。
「(…夜が明けねえうち、このガキも仕留めて。)」
そうすりゃ今夜も、俺達の勝ち。
体へ入った毒がようやく消えていくのを感じつつ、そろそろ軽く押し返してやるかと企むも、向こうも必死だ。
当てられたままの刀を更に首へ押し込められ、チリチリとした痛みに舌打ちが転がり出た。
「ちょっと、嘘でしょ!?そんな奴に頸斬られないでよっ…!!」
痺れを切らしたような妹の声が聞こえたが、今はそれに構っている場合ではない。
だが、このままではまずいのも確かなので、思い切り体へ力を込めた瞬間。
ドン、と。
空は晴れているのに、雷が落ちたような衝撃があってすぐ、妹の気配が急速に離れていくのが分かった。
はっとしてそっちを見やると、妹の頸を圧しきろうとしている…件の黄色い頭のアイツの姿が見え、意図せず眉間に皺が寄る。
「ぬうぅ、あぁあぁあ!!!」
こんな事をしてる場合じゃねえ。
一刻も早く、残ってる奴等全員仕留める。
渾身の力を振り絞り、血鎌を無数に飛ばしながら体を起こせば。
勢いに圧され、血鎌の追撃をどうにかいなしながら後退を余儀なくされている少年隊士の様子が見え、苛立ちが募った。
そのまま死んどきゃいいものを、いつまでもいつまでも。
一体何度死に損なったら気が済みやがる。
運が良いのにしぶといのも組み合わさるのは、面倒な事この上ない。
なら、ここでアイツに突っ込んでやりゃあ、本当に終いだ。
朝日が顔を出す、その前に。
少年隊士の懐へ踏み込まんとして、体勢を立て直した時。
ふわり、なんて生易しいものではない。
どこから流れてきたものか。
べっとりとした甘い桃の臭気が不意に鼻へ届き、冗談抜きで軽く嘔吐いた。
鼻が曲がる、目に染みる。
どんな表現ですら霞む程の凄まじく甘い臭いに当てられて目眩がし、ぐらりと体が傾くのを感じる。
それにしたって、ひでぇ臭いだ。
まるで、あの女がすぐ近くに居るみてえじゃねえか。
自分の内で悪態をつきながら頭を掻きむしり、血鎌に囲まれた少年隊士の方を再度睨んで…今度こそ仕留めに行かんと踏み出した瞬間。
また桃の臭気が漂ったと同時に右足が吹き飛び、上手く立っていられず、がくんと膝から崩れ落ちる。
「…………は?」
血飛沫が上がる自身の足を眺めながら、変な声が出た。
斬られたのは確かだが、こちらの足を削りに来られる余力がある者等いないはず。
そう言い聞かせながら足を再生させたはいいが…まだ立ち上がりもしない内、今度はごく間近で桃の強い臭いが漂い。
ついに胃から上がってきた苦い汁を堪えた隙に、頭へガツンと鈍い衝撃が走る。
殴られた、というよりか、抜き身の刃物で脳天を叩かれたのだろう。
鋭利な刀身が頭皮を抉って割り開き、頭蓋の硬さでようやっと刃が止まっているのだ。
やや遅れて痛みが来たが、それを貪る暇も無く、吐き気と目眩がした。
背後にある独特な気配と、周囲へ漂う甘い桃の臭気。
そんなはずはないと思う一方、自分の勘は『間違いなく殺したはずの女隊士が居る』と告げる。
「(さっき、確かにこの手で背中を裂いて。臓物に毒まで入れて…その上、二階から蹴落としてやったんだがなあ…。)」
多少驚きはしたが、所詮相手は人間だ。
あの状況で万に一つ生きてられたとしたって、どうせ満身創痍。
そうなりゃ、今し方の一撃だって最後の力をひり出して、って奴か。
なら、すぐに仕留められる…この際、あのガキは後回しだって構わねぇ。
しつこいだけが取り柄の死に損ないにゃ、引導をくれてやる。
いつもの調子を取り戻し、おおよそのあたりを付けて鎌を逆手に持ち直して。
自身の後頭部のすぐ上へ押し上げれば、やはり刀のような物に行き当たる。
そのまま力一杯押し上げれば、案外すぐに頭へ押し付けられていた物が離れたので、これ幸いと体を半回転させて後ろへ飛び…眺めた先には、やはり先程の女隊士が立っていた。
しかし、思っていたのとは大分違っていた。
火の手の上がる瓦礫の山を背後にして、そこにはやはり件の女隊士が刀の柄を確りと握り、ボロボロの服を身に纏ってこちらを見据えていたのだが。
───どういうわけか。
所々裂けた服の合間から否応なしに見える素肌には、毒で爛れた跡もなければ傷も無く、どこかの骨が折れているようにも見えない…まるで、最初から何事も無かったかのような有様でそこに立っており、訳が分からず呆けてしまう。
更に問題だったのは、女隊士の顔面だ。
先程までは、その首から上には確かに顔があったはずだったのだが。
今は本来顔のあるべき場所へ雑に墨で塗り潰されたかのように黒い靄がかかって…角度によっては、ぽっかりと穴が開いているように見えたのだ。
事の奇妙さと、あまりに忌々しい見た目も相まって怖気が走ると同時に、先程首を絞められていた女が目の前の女隊士と重なって。
『せのきみ、』
不意に耳元へやわく囁かれた気がした。
その途端に発狂しそうな程の恐怖に苛まれ、たまらず目の前の女の元へ走り出す。
何でもいい、何だっていい。
早く…一刻も早く、目の前の女を殺して安心したい。
湧き出る衝動に駆られるまま策略も無しに鎌を振りかぶり、相手の懐へ踏み入って。白く柔そうなその首へ鎌先をかけ、勝ったと確信した瞬間。
女の姿が霞のように掻き消え、鎌は空を切る。
「上弦の陸…妓夫太郎、と言いましたか。」
一つ、聞きたい事があります。
直後、背後から女の物と思しき声がしたので、弾かれるように振り向けば───果たして。
そこには、今し方確かに目の前にいたはずの女がおり、鞘へ刀を納めながら、真っ直ぐこちらを見据えている。
顔にかかった黒い靄は健在で、向こうがどんな表情をしているのかは分からぬままだったが、目線が何処へ向けられているのかは不思議と分かって。
それがまた不気味だった。
「(…嘘だろ、)」
あんな至近距離からどう抜けやがった。
歯を食いしばり、もう一撃繰り出そうとしたが…両手首へ痛みが走り、はっとして目線を下げる。
すると、眺めた先にあるはずであろう自身の掌はいつの間にやら綺麗に切り落とされ、泣き別れた手首から流れた血で真っ赤に汚れて地面へ転がり落ちているのを見つけたのと同時に、その横へ何滴か水のような物が滴ったのが分かって。
そこで初めて、自身が冷や汗をかいている事に気がつく。
「癖のある黒髪に、赤い瞳の───人間によく似た姿をした鬼に心当たりはありませんか?」
次いで女から寄越された問いは至極簡単なものだったが、聞かれたからと言って答えてやる程親切な質でもない。
「さて。どうだか、なあっ…!!!!」
すぐに生やした手に鎌を握り、話は終いだと伝える代わりに間髪を入れず襲い掛かれば、女は渾身の力で振るったはずの鎌先を難なく受け止める。
それを皮切りに、幾度か刃を交え…物理的に距離を取るべく、どうにか後ろへ圧してやろうとするも、その細腕からどうやって力を捻り出しているものか。
こちらが力で圧してやろうとすればする程、女の方も同じくらいの力かそれ以上で返してくる物だからたまらない。
これが続けば、いつかは必ずこちらが不利になる。
誰に教えられるでもなくそれが分かって、さて如何するかと考えだした頃。
長らく放置していたガキと血鎌の方から爆発音が聞こえ、意識がそっちへ引っ張られた。
一旦身を引き、ありったけ後退して。
女のいる場所から更に向こう側へ目を凝らせば。
濛々と立ち上がった煙の合間を掻い潜り、上背のある男がこちらへ走ってくるのを認め、舌打ちが漏れ出る…あれは紛れもなく、死んだと思っていた柱だった。
「(畜生が!!!あの野郎…心臓止めてやがったな!?)」
しぶとすぎるその様は、道端に生える雑草を思わせる物がある。
脳裏を苛立ちが占め始めたのを知ってか知らずか。
斬れた腕はそのままに。
残った片方の手だけで奇妙な形の刀を握り締め、口元へ笑みすら浮かべながら、奴は女やガキに向かって声を張り上げる。
「『譜面』が完成した───勝ちに行くぞオォ!!!!」
***
『譜面』が完成した。
長らく待っていたその言葉に今度こそ勝利を確信しながら道を空ければ、すぐ目の前を宇髄が駆けていき、程なくして妓夫太郎との最後の一騎打ちが始まる。
あまりに激しい剣戟に巻き込まれぬよう。
被弾を避けながら併走するのがやっとであったが、その更に後ろから『百瀬さん!!』と声をかけられ。
足を止めぬまま横目でそちらを見やれば、指が折れて変色した右手を申し訳程度に刀へ添え、もう片方の手は布で無理矢理に柄へ縛り付けた炭治郎がどうにか横へ並んで来たのが目に留まるが。
彼の怪我を見た瞬間に、つい『休んでいなさい!!』と言いたくなってしまったものの、すんでの所で呑み込んだ。
宇髄は彼も戦力として加味した上で譜面を作っているのだろうから、自分の独断でそれを削ぐわけにはいかない。
そのかわり。
「…首を切るまで、あともう少しです。辛いだろうけど、頑張って!!」
爆発音に負けぬように精一杯声を張り上げれば、炭治郎も負けじと返事を返してくれたので、少しばかりほっとした。
…具体的な作戦は特に聞かされてはいないが、宇髄の片腕が落とされている以上、彼自身は鬼の首を刈り取る事が出来ない。
となると、自分と炭治郎が首を斬る算段になるのだろうが。
そこまで考えた所で、機会は突然に巡ってきた。
宇髄は空中で妓夫太郎の腹部を刀で刺して捕らえたものの、反撃として一瞬の内に片目を切り裂かれ……驚いて声を上げた炭治郎に、すかさず『構うな、跳べ!!』と指示が入る。
言われた通り勢いを付けて跳び上がった彼の後に続いて跳ね。
黒刃の刀を構え直した途端、炭治郎の顎の下へ鎌の切っ先が刺さって。
痛みに揺らいだからか、一瞬だけその手に握られた刀が揺れるのを目にしたが…どうあっても、宇髄が命懸けで作ったこの機会を逃す事は出来ない。
そんな思いで後ろから必死に腕を伸ばし…固い皮の張った手が柄から離れぬよう、上から自身の手を添えて固定し、ついた勢いを殺さぬまま、今度こそ首目掛けて刃を振り下ろす。
だが。
「(…固すぎる、)」
二人分の力がかかっているというのに、刀は首へ少し入ったきり、びくともしなくなってしまう。
何かに引っかかっているのか、鬼の抵抗なのか……とにかく、もっともっと力を入れねば。
そうでなくては、首へ刃を押し込む事が出来ない。
煉獄と一緒に刀を握って鬼の首を刎ねようとした時もこうだった。
以前の事を思い起こしながら、歯を食いしばる。
あの時対峙したのは上弦の参であった上、状況が不利に働いて逃げられてしまったが、今目の前にいるのは上弦の陸…自身を猗窩座と名乗った件の鬼よりか、三つも数字が下である。
数字が違えば首の硬さだって違うのだろうから、首を斬る事も出来るはずだ。
「(逃がしはしない、絶対に……!!!)」
思いに突き動かされるように柄を握り直し、ありったけの力で刀を首へ押し込むと…急に刃がぐっと奥へ入る感じがあって、一気に半分まで首が斬れる。
「……よし!!!」
嬉しさのあまり声を上げてしまったが、いつもは何を言っても必ず反応してくれるはずの彼は、何故か黙ったままだ。
まさか、毒が回ったのと失血で……。
先を考えるのは憚られたが、刀を押さえながらその横顔を盗み見ると。
負った傷が痛むのだろう。
額へは脂汗が幾つも浮かんでいたが、意識を失っているわけではない。
だが、元々彼の額へついていた痣が燃え広がるかのように広がっていくのを確かに見た。
「………あぁあぁあ!!!!」
耳を劈くような叫び声が上がった直後、刀からギチ…と不快な音が上がり、手を添えていた柄がゆっくりと左へ動く。
鬼の首へ入ったままの刀身を見据えると、渾身と言わんばかりの力がかかった黒刀が僅かな炎を纏って震え。
瞬きをするか否かの間に黒刀の先がスッと首を抜け、一瞬呆けてしまう。
だが、鬼の首と胴が確かに離れたのを見届けた時。
ようやっと斬れたのかと実感が湧いたと同時に地へ足が着き、一心地ついたのも束の間…炭治郎の背が後ろへ倒れてきたので、慌てて支え、ひとまず地面に座らせた。
比喩ではなく、力を出し切った直後なわけであるし、かなり傷も負っていた上、毒だって回っていて。
本当に、今までどうやって保っていたのか不思議なくらいだ。
上から下まで。見える範囲を簡単に視診をしながら、そんな事を思う。
最中、額をちらりと見やったが…彼の額へ広がっていた炎のような形の奇妙な痣は跡形もなく消え、元の赤黒い痣に戻っていたので、少々驚きはしたが。
「…炭治郎君。炭治郎君、大丈夫ですか?」
それは後でゆっくり考える事とし、一応声をかけてみるも、彼の瞳はどこか虚ろで呼吸も浅い。
もしかすると体に負荷がかかりすぎて、瞬間的に耳が遠くなっているのかも…と思い至って。
手を握り、背中を擦ってどうにか落ち着かせようとするも、なかなか収まらなかった。
こういう時は、一時的にでも息を止めさせるのが良いのだったか。
ハ、ハ、ハ…と。
相も変わらず溺れる直前のような呼吸を繰り返す彼を眺め。
うろ覚えの知識でも、迷ってやらずに手遅れになるよりか、やって効果があった方がマシかと考えを改め、大真面目に彼の口を塞ごうと手を伸ばし。
「…百瀬っ、炭治郎を担いで今すぐ逃げろっ!!!」
背中へ大声をぶつけられて振り向くと、そこには焦ったような顔をした宇髄と。
首を斬られたために、後は崩れるだけと思われた鬼の体から、猛烈な勢いで血鎌が飛び出しているのが目に留まり、息を飲んだ。
残念ながら、上手く逃げたところでこの距離だ…血鎌の直撃は免れない。
なら、せめて。
悪いとは思ったが、炭治郎の体をやや手荒に地面へ引き倒し、近くに転がっていた障子の残骸を上から被せて…隠れなかった部分に覆い被さる。
今度こそ、本当に死ぬかもしれない。
こんな事をしても、全部無駄かも知れない。
もしかしたら、誰も生き残れないかも。
────仄暗い不安が胸を占める前に、腕や太股へ何かが掠った感じがしたが。
程なくして上がった爆発音と爆風に呑まれて、目も耳も効かなくなり…そして、何も分からなくなった。
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