桃と鬼 | ナノ
 10:片鱗

「(ったく…臭いったらありゃしないわ…!!)」


そんな風に思いながら、飛んできた一撃を避ける。

鼻につく、甘い匂い。
この匂いの源といえば…先程帯へ閉じ込めてやった鬼狩りの女しか思いつかない。

最初こそ少し臭いと思うくらいだったが、どういうわけか急に強くなった匂いに、頭まで痛くなってきそうな勢いだった。


「…百瀬さんを、返せっ!!!」


その間、市松模様の羽織を翻して斬りかかってきた少年の一撃を軽くいなし。

おまけに帯の先でぽんと弾き飛ばしてやると、隣の郭の屋根に背中から落ちて血反吐を吐いているのが見え、溜息が漏れる。


ああ、ヤダヤダ。
人はあんまりに脆すぎるから、鞠のかわりにもなりゃしない。

だのに、どうしてこうも群れて突っ込んでくるんだか。


溜息交じりに思った所で、前からは体勢をどうにか立て直したらしいさっきのと、斜め右から黄色い頭の不細工、後ろから猪頭のよく分からないの。

一つ増えた目玉で三匹全ての動きを見切り、帯を叩きつけるように振るえば、生じた風に顔を顰めて小賢しく身を捩り、追撃から逃れようと後ろへ飛び退っていく。


こういうのを、飛んで火に入る…何て言ったか。
ま、別に何だっていいけど。

合間に、広げた帯の隙からまだ自分の真上にある月を眺め。
夜明けがまだずっと先であるのだと分かり、思わず笑みがこぼれた。


長い夜は、いつだってこっちの味方だ。
今までもそうだったのだから、これからだってそうに決まっている。

現にこれまで来た鬼狩りだって、朝まで生きていられたのは一人もいなかったし。


「(…ただ、腹に収まりそうなのが二人、いや、一人しか居なさそうなのが惜しいわね。)」


そんな事を考えているうち、ぽつ…と。
自分の頬へ何かが滴り落ちてきて驚くが、もう一度見上げた空には雲などかかっていない。

なら、これは一体何だというのか。


頬を伝う不快な液体へ手を伸ばすと、指には赤くぬめりのある物が纏わりついた。

咄嗟に血だと断定出来なかったのは、それが甘い匂いを放っていたからに他ならない。


顔を汚された事に腹を立て、再度見上げると。
一際高い位置にある帯の中央がどす黒く変色しているのが目に付き、眉間に皺が寄る。


更に悪い事に、変色している箇所の一部には、煙草の火でも押し当てられたかのようにぽっかりと穴が空いており。

そこから件の女の物と思しき腕が一本、血を流しながらだらりと垂れ下がっているのが見えて……ついには、穴から目が離せなくなった。


今目に見えている物が、客の話す法螺話の中の出来事であったとしたなら、どんなに良かったか。

…柄にもなく願ってしまうくらいには現実味がなかった。


帯の中へしまった人間が向こうから出て来るなんて、これまであった試しがない。

それどころか、中の人間が怪我をしていても、その血が外の帯へ染み出してくるなんて事も絶対になかったはずなのに。


「(こんなのおかしい…絶対ありえないっ…!!!!)」


今までの『絶対』を踏み付け、いとも容易く覆してくる件の女がどうにも不快で…顔を引き攣らせながら帯を動かそうとした時。

背後に気配を感じて振り返ると、帯の間を掻い潜り、さっきの猪頭がこっちへ突っ込んでくるのが見える。

それをすんでの所で弾き飛ばし、息を荒げながら件の帯を手元へ寄越そうとした瞬間。


ひたり、と。
自身の左腕へ、何か滑らかな物が触れたのが感ぜられ、鳥肌が立った。

次は何だと勢い任せに振り返ると───そこに居たのは、見知らぬ女だった。


「……………は、」


本当は叫びたかったが、どう頑張ってもこれ以上声が出ないし、どういうわけか体も上手く動かない。

ただただ眺めるしかないそれは、今まで見てきた中でも群を抜いて不気味な出で立ちをしており、噎せ返るほど甘い桃の香りを纏っていた。


長すぎる黒髪と、相当昔の物と思しき痛んだ着物から伸びた手から辛うじて女だと分かりはしたが…本来顔があるはずの所は、ぽっかりと欠けている。

否。
欠けている、というよりか、体や首ははっきり見えるのに、何故か顔の部分にだけ黒い靄がかかっているかのような有様で。

顔を見てやろうとこちらかてどんなに覗き込んでも靄は頑なに女の顔面へ張り付いたまま、下の顔は杳として知れなかった。


悪戯で顔だけを真っ黒に塗りつぶされたようなその外観は見れば見る程不気味であり。
靄が晴れたところで、本当はこの下に顔なんか無く、ただぽっかりと黒い穴でも空いているだけではないのか…と。

あらぬ妄想を掻き立てられると同時に、ずっと眺めていると気が変になりそうで、思い切りそれから目を背けた。


不穏の権化のようなそれから離れたい一心で。
隙を見て後ろへ飛び退ると、女は追い縋ってくるでも無しにその場に留まり───瞬き一つの間に、忽然と姿を消した。

まるで、最初から何もなかったかのように。
顔の無い女はどこにも見当たらない。


「(見間違い?…いや、そんなはずは…。)」


雰囲気からして、味方というわけではなさそうなのは分かったが。

命知らずにも突っ込んできた黄色い頭の不細工を帯でいなし、そんな事を思う。


「(…そうだ、帯!!)」


鬼狩りの女を捕らえたあの帯は大丈夫だったろうか。

当初の目的を思い出し、さてどの帯だったかと頭上を見上げた途端。


ひたり、と。
今度は、自身の喉を何者かに触れられてぎょっとする。

まさかと思った。
恐々目線だけを下げて確認すると、先程の女が顔を覗き込むようにして纏わり付いているのが見えた瞬間、つい悲鳴が漏れる。


気配は全くしなかったし、丸腰で近付いてこられるわけがない。

なのに、どうやって…。


奇妙さよりか、恐ろしさが上回って。
顔を強張らせながら固まっていると、それはこちらの顔を覗き込むように首を捻り、ひゅぅひゅぅ、と息を吐き出しながら口をきく。


「あァ…ぁ……セ……、せ……きミ…?」


ごく近くで聞こえているのに、襖を二つ隔てた先の内緒話に耳をそばだてた時のような、篭もって不明瞭な感じのする声。


「セ、き…ミ…?せノ…キ、ミ…?セのキみ…?」


無貌の女は、幼子のように訳の分からぬ言葉を繰り返しながら、小刻みに体を震わせている。

語尾が上がっているのから察するに、何か問いかけて来ているようだが…それが何なのか知りたいとは思えなかった。


この女とは知り合いでも何でもないのは確実であるし、人か鬼か。
怪異の類であるのかも分からない。

これまで生きてきた中で一度だって関わった覚えがない、とはっきりと断言できるのに、急に流し込まれた誰かの記憶が『知っている、』と声高に叫んでいるかのような。
何とも形容しがたい奇妙な感覚に陥り、悶々とする事しばし。


刹那、わずかな頭痛を引き連れ、不意に目の前が暗転したような感じがして慌てたが。

脳裏では炙り出しのように、覚えの無い情景が浮かんでいた。


血の匂いの充満する、広い屋敷の中。
その最奥の座敷で、顔に黒い靄のかかった女が組み敷かれている。

柔く細い喉へは男の物と思しき生白い両手が添えられ。
ゆっくりと首を絞められながらも、女は気丈にこちらを見つめ、切れ切れに言葉を発した。


『…背の君。ああ、おいたわしや…あなた様が、もう少し…ほんの少しだけ耐え忍んで下さいましたら、きっと人に戻れましたものを…。』


その途端に、首へ回った手に血管が浮き出し…そこから一気に締め上げられる。

しかしながら、女の方は特に暴れる事も無しにじっとこちらを見つめ続け───やがて動かなくなった。


「(…これは、また細胞の……無惨様の記憶、)」


だとしたら、この女は無惨様の何だったと言うんだろう。

こうして記憶に焼き付いているという事は、良くも悪くも、そう簡単には忘れえぬ人物であったのかもしれないが……。


足下から寒い物が這い上がってくるような感覚に身震いし、とりあえず女を退けようと帯を翻した時。

先程同様、瞬き一つの間に女が消え去り、つい辺りを見回してしまう。


今度は何処へ行ったというのか。

性懲りも無くかかってきた黄色い不細工を再び帯で弾き、偶然見やった足下。
そこへ不自然に影が落ちているのを見つけて、目を見開いた。


黒く丸い。
大きなそれはたちどころに小さくなり、こちらへ近付いて。

見上げた時にはもう遅い。


ああ、ついに。
何をどうやったか知らないが、こっちへ出て来やがった。

帯で防ぐには余りに近すぎる距離。
まさに目と鼻の先で、鬼狩りの女は鞘から刀を振り抜く。


「激流___禄ノ型、滝裂き。」


静かな声を押し流すような水の音が耳に迫り、しばし呆然とし。
間近に迫った鬼狩りの女の顔には薄らと黒い靄がかかったように見え。


「(あ、れ………?)」


そういえば。
こいつ、どんな顔してたっけ?

どんなに目を凝らしても。
どうしても、顔が、分からなくて───。


***


「ギャアァアァアァ…ッ!?!?!?」


質量のある悲鳴を直に受けながらも、絶対に刀の柄からは手を離さない。

左手で柄を握り込み、右手でそれを押さえれば、どう悶えようとも簡単には抜け出せなくなる。


どういう了見か、帯に空いた穴から偶然抜け出られたと同時にかけた奇襲が功を奏し。
首尾良く鬼女の半身を吹き飛ばした勢いのまま、屋根の上へ不完全な体を縫い付ける事に成功したわけだが…。


「どけ、このっ…どけよクソ女ッ…!!甘ったるい匂いが、アタシにまで移るだろうがっ……!!!!」

「ぐっ…、」


体が半分しか残っていないとはいえ、そこはやはり上弦…そこそこの力で抵抗してくるものだからたまらない。

加えて、少々眠れた…というか、気絶していた合間で解毒が進んだのか、不快な症状は幾分マシになっている。

しかしながら、起き抜けで。
お世辞にも毒が抜けきったとは言い切れぬ傷だらけの体では、どう頑張ってもじき押し負けてしまうのが目に見えている。


かといって、ぱっと見た感じではこちらへ加勢出来そうな隊士はいない。

そのうち、早くも剥き出しの骨を肉が覆い。
失った半身を取り返そうとしだした鬼女の様子に気が付き、再生の始まった箇所を力一杯踏み付けてどうにか妨害する。


焼け石に水程度の時間稼ぎではあるけれど、しないよりはした方がましだろう。

ただ、これからどうするか…。

状況は目まぐるしく変化し、考えれば考えるほど煮詰まるような感じがあり。
短時間の内に案が浮かんでは潰えてを繰り返し、いよいよどうするべきか分からなくなりかけた時。


「オイ百瀬!!!!そいつそのまま押さえとけ!!!」


闇を裂くような大声に体を震わせ、それが飛んできた方向へ目をやれば、離れた場所にいたはずの伊之助が刀を持ち、こちらへ全速力で走ってくる。

次いで、その後ろを炭治郎と善逸が追いかけ。


「…止まりなさい!!早まっては駄目よ!!!」


咄嗟に言葉を返すも、下でじたばたしていた鬼女も伊之助達に気が付き、憤怒の形相で三人を捉え───渾身の力で帯を動かし、迎え撃たんとする。

当然、自身の腕や腹へは帯が掠り、押さえ付けたままの鬼女の体へ血潮が飛び散ったが。


「〜ッ!?熱い、熱いぃっ…!!」


どういうわけか。
鬼女は血のかかった箇所を押さえて『痛い!!』『熱い!!』と騒ぎ出す。

しかし、そちらへ構っている暇もなく、自身の目線は伊之助達に向いていた。


傷を負い、動かすのも辛いであろう体に鞭打って。
事前に申し合わせていたのか、後ろの二人が前を往く伊之助を帯から上手く守りつつ、凄い勢いでこちらへ向かってくる。

彼等は確実に鬼女の首を狙っているのだと分かったが、先程は柱の宇髄であったからこそ簡単に首を落とせたのだ。

加えて。


「(この鬼の首は、異様なまでに柔らかい…。)」


流れとして、伊之助に首斬りを任せるのだろうが。
果たして、彼自身どうするつもりでいるのか。

様々考えているうち、押さえ付けていた鬼の体は元のように再生しきってしまい。
その細腕から繰り出される拳で体を無茶苦茶に殴打され、これ以上は無理と踏んで刀と共に後退した途端、伊之助が鬼女へ突っ込む。


対して、鬼女は斬りかかられた衝撃を最小限に抑えようとしたのか、胸の前で腕を交差させたが。
これだけでは首を斬れないと判断するが早いか、彼は更に踏み込み、完全に鬼女の懐へ飛び込んで。


「…今度は決めるぜ、陸ノ牙!!!」


乱杭咬み───!!!

伊之助の大声と共に、彼の持つ二対の日輪刀が渾身の力で鬼の首へ振り下ろされ。


あまりの緊張に息を飲んだ次の瞬間、ぽろり…と。
鬼女の首が空中へ吹き飛んだ。

『斬れた』というよりかは『千切れた』とした方が適切な程断面の皮膚が波打っているのが見え、鋸のようにしてどうにか首をねじ切ったのか、と合点がいく。


土壇場でよくぞそんな事を考えついた。
いや…彼の場合、やってみたら出来てしまった、くらいのものかもしれないが。

この際、もうどちらでも構わない。

確かに、二体揃った状態であれば倒すには難儀するだろうが、片方が弱体化すれば。


「(勝機は十分。このまま押し切れば、きっと勝てる…!)」


伊之助が鬼女の首を掴み、体とは逆の方向へ走り去ったのを見送り。


「頸…くっつけらんねぇように、とりあえず持って逃げ回るからな!!お前らはオッサンに加勢しろ!!!」


その声に、炭治郎達が返事を返すか否か。

何と返しているのかを聞き取る余裕も無しに、息を潜めて。
一瞬の隙を縫い、首を失ってふらふらとよろめいている鬼女の生白い体へ、思い切り刀を振り下ろす。

当然、直撃を免れなかった体は胴と足が別れ別れになり、屋根の上へ力なく這いつくばった胴はそのまま捨て置き、足の方は下へ蹴り落とした。


これなら、幾ら再生力の強い鬼であろうと、しばらくはその場を漂っているしかなかろう。

さて。伊之助の言葉通り、今のうちに宇髄の元へ加勢に、と───振り返り、絶句した。


先程まで妓夫太郎と交戦していた宇髄は、今は地面の上へ倒れ伏し。
その近くへ彼の片腕が、刀を握ったまま転がっている。

よく見れば、相当毒が回っているのか。
斬られたと思しき箇所が赤黒く変色し、いつまでも乾かぬ血をたたえて潤んでいるのが分かった。


彼が生きているのか否か。
妓夫太郎がどこへ行ったのか。
考えるよりも先に、今すぐ介抱を…と。

そちらへ走り出そうとした時。


「…伊之助ーーっ!?!?」


突如上がった叫びに、弾かれたようにそちらを向けば、件の鬼が伊之助の背中から鎌を引き抜く所が目に止まる。

次いで、鬼女の首を取り返した妓夫太郎が、ゆっくり、ゆっくり振り向いて。


濁った瞳と確かに目が合ったと分かった途端、視界から妓夫太郎の姿が消えた。

そのうち、這い寄るように気配が斜め上へ移動し。
夜闇を切り裂くように円状の斬撃がこちらへ迫って来るのが目視できた。


「(五…いや、八…!?)」


弾き返すのは容易かろうが、目先には炭治郎と善逸が居る…なら、こちらも同じ質量の物を当ててどうにかするしかない。

とにかく、何でも良い。
何でも良いから、どうにか間にあえ。

半ば自棄になりつつも納刀し、シィ…と息を吐き出して。
斬撃が間合いへ入った所で一息に抜刀し、斬撃を迎え撃つ。


「水の呼吸、激流___参ノ型、露払い!!!」


一撃目をどうにか受けて斬り伏せ、二撃、三撃…と止めては斬りを繰り返したが、相殺するには随分と重い連激を繰り出さねばならず、若干押され気味になるが。

ここでやられるわけにはいかない。
是が非でも、踏み止まらなくては───。


そんな強い思いに突き動かされて、どうにかこうにか立ち続ける中、不意に嫌な気配が後ろへ立つ。

近付かれるだけで、肌が粟立つような…じっとりとした気味の悪い気配。
しかしながら、まだいなしきれていない斬撃を必死で受け止めているせいで、後ろを向く事は叶わない。


「(鬼が、居る…。)」


私の後ろへ、上弦の鬼が張り付くように立っている。

死ぬか、生きるか。
その瀬戸際は、どうしてこうも短いようでいて長く感ぜられるものなのだろう。

かの鬼は、僅かな血生臭さのある息を吐き出して。
同時に、長く鋭い爪に、つう…と背をなぞられるのが分かった。


「お前、やっぱ普通じゃねぇなぁ…。」


場違いにも、いやにのんびりした調子で声をかけられ、額へ青筋が立つ。

途端に、あれ程猛威を振るっていた斬撃はふっと姿を消し、刀を握っていた腕がだらりと垂れた。

けれど、どうしても振り返る勇気は出ず。
ただただ、まだ暗い空を呆然と見ているしかなかった。


「少なくとも、この面子の中じゃ大健闘の部類だぜ。根性だろうが、ただの運だろうが…ここまで生きてた事だけは素直に誉めてやらぁ、」


刹那、左の肩甲骨の下へ何か滑らかな物が当たり、息を飲む。

押し当てられているのは、もしかしなくとも鎌だろう。


「ただ、お前が俺の妹をズタズタにしやがった事は許せねぇ…だから、殺す前に。お前も同じように、ズタズタにしてやるからなぁ…!!!!」


楽しさと狂気の滲む声が上がってすぐ、屋根の上へ引き倒され…抵抗する暇も無しに、背中へ鎌が突き立てられた。


「…百瀬さんっ!?!?」


悲鳴のような炭治郎の叫びが、いやに遠くに感ぜられる。

骨のある所や、筋肉で引っかかる所等関係無しに鎌で胎内や骨を蹂躙され、勿論気持ちいい訳はなかったが───開いた背中から溢れ出す血潮の熱さを感じこそすれ、どんなに体を弄くり回されても痛みは全く無い。


いくら傷が塞がるのが早いといっても、毒の仕込まれた鎌で臓物を破られ、体の内側をつつき回されているのだから。
どちらにせよ、この状態から助かる道はどこにもないのだと静かに悟る。

だとすれば、これが所謂『今際の際』なのであろうが。
不思議と、間近に迫った死に対して恐ろしさを感じる事は無かった。


唯一の心配と言えば、後に残るであろう炭治郎と善逸が無事に逃げ切ってくれるかどうかだが…それを見届けるのは、どうも難しいらしい。

霞む視界の中、音まで遠くなって。


直後、ずるり…と。
鎌が体から抜かれてすぐ、脇腹へ衝撃が走る。

もう用済みなのか、放って置いても勝手に死ぬと思われたのか。


蹴飛ばされたのだと理解するまで然程時間はかからなかったものの、もうどこかへしがみつく程の力も残ってはおらず。

斜めに敷かれた瓦の上を勢い良く転がり、果ては突然の浮遊感に苛まれた。


「(あ、)」


落ちる、と。
分かったところで、もうどうにもしようがない。

落ち行く最中。
何とも言えぬ気持ちのまま未だ暗幕の張られた空を眺め上げると、遠くで星が光り、闇を裂くように流れていくのが目に留まる。


「(流れ星…。)」


珍しい事もあるものだ。

『流れ星を見たら、三回願い事を言わなきゃ。』

こんな時であるからか、子どもの頃に聞いた真偽の分からぬまじないを思い出してしまう。


願い事をする前に、私は死んでしまうかもしれないのに。

そういえば、随分昔にも流れ星を見た事があったっけ。

草の匂いのする実家の縁側に座り、隣には自分とよく似た顔の男の子が居て、一緒に星を────。


瞬間。
頭の方へ衝撃を感じ、やや遅れてドシャッ…という鈍い音がした。

prev / next

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -