桃と鬼 | ナノ
 08:遭遇

「…こんこん、小山の子うさぎは…なぁぜにお耳が長うござる、小さい時に、母さまが……。」


崩れかけた窓の外からは、炭治郎が禰豆子を押さえながら必死に子守歌を歌っているのが聞こえている。

本当ならそちらへ付き添うべきなのだろうが…何しろあの有様だ。
ともすると、禰豆子にうっかり怪我をさせてしまうかもしれないと判断し、下へ降りていくのは止めた。


「───さて。これからどうすっか、」


宇髄が何とも気怠そうに放った言葉尻を追い掛けるかのように。

鬼女は落とされた自身の首を抱え、憎々しげに彼を睨みつける。


「ちょっと、待ちなさいよ…どこ行く気!?」

「…………。」

「よくもアタシの頸を斬ったわね!!許さない…許さないわよ…絶対ただじゃおかないんだから!!」


凄い剣幕で言い放つも、対する宇髄はやはり気怠そうに。
加えて、溜息交じりでそちらを振り向き、何とも珍妙な有様の鬼女を見下ろすだけだ。


「まだギャアギャア言ってんのか…ハナからお前に用なんかねぇよ。もう首も落ちてんだ、地味に死にな。」


その淡泊な物言いが気に食わないのか。

爛れが出来る前はさぞかし美しかったであろうその面に似合わぬ雑言を次から次へと吐き続けるも、全てのらりくらりとかわされ、その度にまた噛みつき…という具合である。


さてどちらが先に飽きて切り上げるだろうかと眺めているうち。
いくつかおかしな点がある事に気付いてしまい、思考がそちらへ引っ張られた。


「(…さっきは感ぜられた気配が微妙だったのと、簡単に首を落とされてしまった隙の多さから『上弦とは思えない、』なんて言ってしまったけど。)」


首を落とされた割にはまだ随分と余裕があるようにも思えるし、胴と首が泣き別れているというのに…体が崩れる兆候も一向に無い。


「(…もしかすると『上弦の陸』を冠する鬼は、本体と影武者と、と言う具合に自分の体を分ける事が出来るとか?)」


仮にそれが正しいのなら、本体はどこか別の場所に潜んでいるのだろうか。

そこまで考えた所で、前方から急に子どものような泣き声がしたので。
徐に声のした場所へ目をやると…件の鬼女が大粒の涙を流して泣きじゃくっているのが見えてしまい、ぎょっとする。


「嘘じゃない…本物だもん!!アタシは本当に上弦の陸だもん…!!数字だってもらったんだから!!アタシ、本当に凄いんだから…っ!!」


宇髄に何と返されようともそれを曲げようとはせず、鬼女は依然大きく口を開け、大粒の涙を溢しながら泣き続ける。

しばらくそうしていたろうか…今度は怒りが募ってきたからか。
畳の上へ滑らかな肢体を前倒しにし、両の拳で畳を叩いて八つ当たりを始める。


うっかりすると、大事な箇所がまろび出てしまいそうな。
小さな布切れを纏っただけの青白い背面を何気なく眺め下ろし───途端に、肌が粟立つ。

腰へ括られた肉色の帯。
その少し上の辺りに、言葉では形容しがたい程の気配が隠れているのに気が付いた。


「…宇髄殿、」

「何だ?」


ああ、聞きたくない。
本当は心底聞きたくないとは思ったが、気付いてしまったからには知らぬふりは出来ない。

若干震えながらも脇差を鞘から引き抜き、鬼女の方へ数歩近寄って。


「元々宇髄殿が探っていらしたのは、この鬼ではなかったのですよね?」

「そうだ。」

「では……この他にも鬼が潜んでいる、という事で間違いありませんか?」

「ああ、」


これだけの会話の中で何を勘繰ったのか。
言葉少なになる彼を背後に置いたまま足を進め、そのまま鬼女の前に立つ。

最中、決してわざとではないのだが。
丁度体の前に転がっていた鬼女の首から垂れた髪の一房を踏み付けてしまい、大層文句を言われたのは分かったのだが…生憎と構っていられる暇はない。


「我ながら、ぞっとしない考えに辿り着いたものだと思いますけれど…古来より、木を隠すなら森の中と言います。もし、鬼も例外でないのなら───。」


宇髄が息を飲んだ音を聞きつつ、両腕で刀を確り握り。
振りかぶった切っ先を帯の上辺り目掛けて躊躇なく押し込む。


「ギャッ…!?」


…当然ながら、鬼女が痛みで仰け反り、体に刺さった刀を抜こうと激しく抵抗してくるが、足で何とか肩を押さえ付け、握った刀の先でその背の中を探る。

すると、大分奥の方で筋肉や骨とは違った手応えを感じたものの、それは素早く逃げていってしまう。


見た目は随分柔らかそうであるのに、内側は思いの外硬かったため、ぎちぎちと筋肉を裂きながら。

刃の先で得体の知れぬそれを追い掛けるうち、当然ながら鬼女の背中の傷は広がり、青白い背は溢れた血潮で汚れていく。

見ていて気持ちの良い光景ではない上、早くしなくてはと焦る気持ちもあって。
背骨と思しき物を刃の先でごりっ…と思い切り擦ってしまったその時。


「〜っ、この…っ、クソ!!クソ女っ…私の肌に何て事しやがるんだ!!ああ、もう…!!死ね!!死ねっ…!!みんな死ねっ…アタシ、頸も斬られちゃった!!背中もズタズタにされちゃったぁっ!!お兄ちゃぁあんっ…!!!」


一際大きな泣き声が上がったかと思えば、背中を弄っていた刃がぐっと押し上げられる感じがあり。

身の危険を感じ、刀から手を離して…そのまま距離を取る。


強引にこじ開けられた背中。

まず始めに、血潮の合間を掻き分けて。
節くれ立った大きな両手がぬろりと現れ、鬼女の背中に刺さったままの脇差の柄を握り、乱暴に畳の上へ放った。

次いで、自身が感じ取った違和感の正体が、じわりじわりと形を取り───青白く滑らかな背から、それがゆらりと体を起こす。


離れた場所にあっても、はっきり分かる…肌を刺すような禍々しい気配。

それは正しく、これまで討伐に送られた鬼殺の隊士を悉く返り討ちにし、相当の数の人間を喰らって長らえてきたであろう鬼の姿であった。


***


「…うぅうん、」


あたかも起き抜けであるかのように。
禍々しい気配を放つ体躯をくねらせ、鬼は低い唸り声を上げる。

直後。


「…伏せろ!!」


背後から放られた宇髄の声にはっとし、指示通り畳のに伏せた途端。
今し方頭があった位置を刀が掠める音がして。

二体の鬼を捉えんと振るわれた日輪刀が幾度も唸りを上げるも、斬撃が止む頃には鬼の姿は無かった。


千切れ、畳の上へ散った肉色の帯の端を一瞥し。
隠れる事の無い禍々しい気配を辿ると、部屋の隅に身を寄せ合うようにして何か話している鬼達が目に留まる。


「泣いてたってしょうがねぇからなあ、頸くらい自分でくっつけろよなぁ。」


おめぇは本当に頭が足りねぇなぁ…。

人外の生き物へ成り果てているというのに。
鬼女の首を拾い上げて胴に乗せてやるその手つきは、恐ろしく優しい。


黒い染みが張り付いた皮膚と、短くごわついた髪。
肋の浮き出た細身の体。

───独特な言い回しで話し続け、鬼女を慰めるかのように頬や頭を撫ぜるそれは、男の姿をした鬼であった。


「(…二体共、さっきは完全に宇髄殿の間合いの範疇に居たはず。加えて、あれ程隙の無い斬撃を掻い潜った上に殆ど無傷とは。)」


現れたばかりの鬼に底知れぬ不気味さを感じ、背中を冷や汗が伝った。

それにしたって『こっちが本命のようだ』というのは、誰の目から見ても明らかで。


「いいか、そっから動くなよ!!」


ぶっきらぼうに言い置いてすぐ、追撃を入れようとそちらへ深く踏み込んだ宇髄の背中越しに、鬼と目が合う。

鬼女とは逆に刻まれた『上弦』『陸』という漢字。
血走った瞳は、絡みつくような視線で確かにこちらを見返していた。


隙を詰めるかの如く。
両者が擦れ違うように交錯したのを認めた直後。
ビチッ…と嫌な音が追いかけてくる。

振り返りざまようやく見えた宇髄の顔の半分は血で濡れ、額当てにはひびが入った。

…僅かな間を置いて。
顔の両側に下がっていた装飾品が畳へ散り、邪魔にならぬようきっちり纏められていた白髪が無造作に垂れ下がる。


「…宇髄殿っ!?」


大丈夫ですか、

ひとまず体を起こし、そう問い掛けようとしたのだが。
───肝心の鬼の姿が無い。


今度はどこへ行ったというのか。

冷や汗をかきながら辺りを見回しているうち、自身の背中へ不穏な気配を感じて…いよいよ動けなくなった。


移動するにしても、攻撃を仕掛けてくるにしても、何と凄まじい速度か。

現に後ろから間合いを詰められているのだから、無理に動けば確実に死ぬ。

だとすれば、多少の被弾は覚悟で振り返り、一番大きな攻撃を受け流すのが無難か…。


震える手で刀の柄を握って、気配を感じ取るために神経を尖らせ。
背後で鬼が動いたのに合わせ、勢い良く振り返るのと同事に刀を抜いて応じた瞬間、ガチン!!という固い音を伴って派手に火花が散り、思わず目を閉じてしまう。

見えない中でも、刀へ確かな手応えがあり───その重さに負けて後ろへ押し下げられる。

勢いを殺すため、咄嗟に刀を畳に突き立てたが…完全に止まった場所から目蓋を上げて確認すれば、元いた箇所からゆうに五畳分は引き離されていた。


自然と上がっていた息を整えながら睨んだ先。
果たして、男の鬼は鎌のような形状の武器を両手に持ち、相変わらず血走った目でこちらを見ていた。

続いて、左の頬と右の腕、脇腹…それから、両方の太股へ焼けるように熱い物が迸るのを感じ、やはり連撃を繰り出してきていたのだと悟る。


「(体感として、然程深く抉られた感じはない…。)」


下手をすると腕がなくなるのも覚悟していたから、これくらいで済んだ事に喜ぶべきなのだろうが。


「へぇ、気付いちまうのかあ。案外やるなぁ…普通なら、何にも分からず『ぽっくり』逝っちまうところなのになあ。」

「…………。」

「特に、男か女か分かんねぇような顔したお前…おかしいなぁあ…?今まで来た鬼狩りは、オレの居所なんざ一度も見つけた試しがねぇのに。しっかし、うぅんんん…?その妙な勘の良さといい、刀の色といい…昔、どっかで会ったかぁ……?」


自問自答するように言い、鬼は猫背でゆらゆらと揺れている。

その暇を掻い潜り、宇髄が鬼の背後へ回り込むが…やはり、先程と同じように多少の傷を負わせあっただけとなってしまい、場の空気がより一層冷え込んだように感ぜられた。


「お前もやるなぁ…殺す気で斬ったのに、二度も攻撃止めたなあぁ…!」


ぐっと低くなった声は宇髄に向けられ、どろりとした瞳が確かに彼を捉えて。


「お前…いいなぁ、いいなぁ…!」


呟くように言い捨て、鬼は自身の顔に浮き出た黒い染みを掻きむしりながら、やや上目に宇髄を睨みつけた。

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