▼ 07:刮目
花街の窓に明かりが灯っていく様は何とも華やかで美しいものだが…この濁ったような匂いは、どれだけここに長く居たとしても、好きになれそうはない。
そんなふうに思いながら郭の屋根を伝い歩き、伊之助との待ち合わせ場所へ急ぐ。
結局、百瀬との問答の末、無理を承知で押しに押したところ…黙認という形ではあるが、自分達は条件付きで任務を続行出来る運びとなった。
その間中、彼女が何を思っていたのか。
…分かっているつもりではあるが。
どんなに理解しようと努めたとて、所詮は『つもり』の域を出ないのだろうな、とも思う。
問答の合間に彼女が話してくれた事の中には少しの嘘も無かったのであろうし、生きてほしいと何度も繰り返してくれたのだって、純粋に自分達の身を案じてくれていた故なんだろう。
「(俺も、百瀬さんみたいに…古参と呼ばれて、頼りにされる強い剣士になれたなら。)」
少しでも彼女の気持ちが分かるようになるんだろうか。
いつ訪れるか分からぬ先の事に思いを馳せていると、別れ際の百瀬の表情が脳裏を掠める。
その何とも中性的な容貌は、心配そうにこちらを見つつ。
紅の乗った唇が、夜になったら出来るだけ二人揃って動く事や、危なくなったらすぐ逃げる事等、細やかな指示を紡ぎ。
最後の最後。
どこか力強い笑みを浮かべて『私達…また絶対、生きて会いましょうね。』と言って送り出してくれたのだった。
連日激務が続いているためか、初めて顔を合わせた時より少々窶れてはいたけれど。
件の力強い微笑みは、これまで目にしてきた表情の中でも群を抜いて綺麗だったから───意図せず彼女を凝視してしまった事も思い出して、妙に気恥ずかしくなった。
あの時の自分は、どんな表情で彼女を見ていたんだろう。
だらしない顔だな、なんて思われていなければいいが…。
最中、急に甘い匂いがした。
甘いというよりかは、甘ったるいと言った方が正しいようなそれは鼻に纏わり付き、ぞわりと肌が粟立つ。
「(…これは、)」
鬼だ。
間違いなく近くに居るという確信を持ち、匂いの強くなる方へ足を向ける。
その先に見えたのは、自分が数日間世話になった郭であり…嫌な予感に追い立てられるように先を急いだ。
***
月が高くなってくる時刻。
大抵の日は最高潮の賑わいを見せるであろう時間帯であるにも関わらず、花街の入口には異様な雰囲気が漂っていた。
煌びやかな装飾の施された門の下。
いつもなら、春をひさぐ女達の待つ郭へ繋がる入口として機能するはずのそこには、浮かれた様子の者は誰一人として見受けられない…そのかわり、必至に花街の外を目指す男達が殺到し、押し合いへし合いしながら叫び声を上げている。
先程からはっきりと鬼の気配が感ぜられるようになったのと同事に、そこかしこから瓦が落ちる音や、何かが割れる音がし始めて。
彼等からしたら、何が起こっているか分からない上、なかなか外へ出られないときたなら、それこそ堪ったものではないだろう。
その様を入口近くの郭の屋根から見下ろし、やはりこうなるかと溜息が漏れ出た。
「あちゃー……やっぱ詰まるよなぁ……。」
隣から聞こえた声にはっとしてそちらを見やれば、いつの間にやら隠装束を身に纏った男が戻っており、自分と同じように往来を眺め下ろしていた。
「…後藤殿、お疲れ様です。早速で申し訳ないのですが、避難の方はどうなっていますか?」
控えめに声をかければ、彼はこちらを見て。
「あー…まずまずってとこですね。他の所も、端の方からちらほら…って感じみたいで。一応有事ってのにかこつけて、他の通路も開けて誘導しちゃいるんですが。やっぱ、一般客員なんかは馴染みのあるこっちの経路に流れて来ちまうみたいで。」
過不足無く。
こちらが欲している情報だけを伝え、また黙って往来を見下ろした。
正面の入口だけでこの騒ぎなのだから、後藤が言っていた『他の通路』とやらも似たり寄ったりな有様なのだろうか。
「この分だと、奥の方の店の連中が出て来るまではそこそこ時間かかりますね、」
「なかなかの広さがありますし、それは仕方がないかと…いざとなれば、後藤殿に直接誘導をお願いする事になるかもしれません。」
「やっぱそうなりますか。」
「…申し訳ありません。有事の際は、出来るだけ皆さんを守りながら戦うようにしますので……。」
「謝んなくてもいいっすよ。元より、そういうのは覚悟の上でこの仕事やってますし…ああ、それと。守るとかじゃなくて、鬼の首刎ねるのに全力出してもらって構わないんで。」
思ったより淡泊な返答に、こちらが何とも答えられなくなったのを見透かしたのか。
彼は徐にこちらを覗き込み、溜息をつく。
「百瀬さんは…普通の隊士が気にしないようなトコまで気にしますよね、」
「そんな事は、」
「いや、あるでしょ。」
「……………。」
暫しの沈黙が降り、大部分が隠装束で覆われた顔からは、表情がよく読み取れない。
ひょっとしたら、無自覚の内に彼の気に障るような事を言ってしまったのか…。
また謝罪が口をついて出たが、彼は頭を振ってそれを遮り、伏し目がちに話し始める。
「だから、謝んなくてもいいですって……!!あと、この際だから言っちまいますけどね…!?とにかく、大抵の隊士は、任務中隠の事まで気にしたり、社交辞令でも守るだの何だの言ったりしないもんなんですわ。百瀬さんは、階級が上がってもそういうトコきちんと考えてくれんだなって、個人的に思ったんすよ…だから、さっきのは悪い意味で言ったんじゃねえっていうか…。」
次第に尻すぼみになりながらではあったが、とんでもない早口で言ってのけ。
ふいと背けられた横顔は、勢い良く言葉を発したからか、暗闇の中でもほんのり上気しているように見えたが。
うっかりそれを指摘すると、今後口をきいて貰えなくなりそうだと思い至ったで。
「そうでしたか…、」
言及するのは避け『ありがとうございます。』とだけ伝えれば、高い位置にある肩が僅かに震えたのが見えた。
そうこうしているうち、門で詰まっていた行列の先頭が動き始め、押し合いへし合いが続いていた人波の中へようやっと流れが出来始めてほっとしたのも束の間。
急に伊藤から肩を叩かれ、何事かと振り向いた先。
彼の指が指し示す方角の空には、胸元に一片だけ白い毛の混ざった鴉が飛び、必死にこちらへ向かってきているのが目に入った。
次いで、鴉の来た方角から木が裂けるような怪音が響き。
下から、それを追い掛けるように土煙が上がったのを認め、いよいよ人手が入りような事態になったのかと冷や汗が噴き出す。
再び後藤と向き合った時には、流石にあの気安い雰囲気は消え失せていた。
「半端に手を着けて離脱する形になってしまって申し訳ないのですが…後の事、どうかよろしくお願いします。」
「…あいよ。余計なお世話かもしれませんが、百瀬さんもどうかお気を付けて。」
簡素な別れの挨拶を交わして、脇目も振らずに隣の屋根へ飛び移る。
目指す地点は、花街の中央だ。
途中、炭治郎や伊之助の事が頭を過ったが…きっと近いうちに会えるだろうと思い直す事とし。
目的地へ辿り着く事を第一に据え、とにかく先を急いだ。
***
鬼の気配が濃く感ぜられる、とある遊郭の一室。
いよいよご対面か、と。
崩れかかった窓からどうにか中へ踏み入れば。
「お前な…お館様の前であんだけ大見栄切ってたくせ、何だこの体たらくは。」
「エッ…そ、それは…!?」
「それに、お前が押さえ付けてんのは…竃門禰豆子か?派手に鬼化が進んでるようだが……。」
こんな調子で話をする宇髄と、日輪刀を鞘ごと禰豆子の口へ宛がって猿轡の代わりとし───全身傷だらけのまま、どうにか妹を押し止める炭治郎の姿があった。
「(まさかとは思ったけれど…、)」
珍妙な状況に目眩を覚えたのは言うまでもないが…なるほど。
状況を見てはっきりしたのは、合流した鎹鴉から道すがら聞かされた話が間違いではなかったという事だ。
鴉を信用していないというわけではないけれど。
何分、こうも忙しい状況下で方々から報告を受けるとなると、どう頑張っても誤報が混じる事があるので。
例に漏れず、炭治郎達の事に関する一件もあまりに突拍子もない物であったから、誤報の類ではないかと勘繰ってしまったのだった。
「んで、百瀬。」
随分急に話しかけられたので。
思いがけず肩が震えてしまったが、とりあえず『はい』とだけ返答すると、そのまま話が続く。
「ここに来る前、お前の鴉。いや、ミゾレとは会ったか?」
「ええ。先程、簡潔にですが報告を受けました。」
「なら話は早いな。じゃ、お前的に見て───向こうで突っ立ってるアレ、本物の上弦の鬼だと思うか?」
言いながら、宇髄が視線を向けた先。
つられるように座敷の中央を見やると…そこには、静かに立ちつくし。
半分焼け爛れた顔でじっとりとこちらを眺める鬼女が居た事に気が付く。
屋外に居る時には何とも濃い気配を感じたものの、実際対面してしまえばこんな物だろうか。
何となく肩透かしを食らったような感じがしたが、まじまじと鬼女の顔を眺めれば、鬼女もこちらを睨み返してくる。
「うーん……気配からして。私が数日前、ときと屋の屋根の上から刺したのは間違いなくあそこにいる鬼の一部であったのだと思いますが…これが上弦かと言われますと、」
「あー…やっぱそうか。大体、俺が探ってたのはコイツじゃねーしな…、」
しかし、宇髄が最後まで言い終わらぬうち、鬼女は声を張り上げる。
「あんた達…柱ね!?わざわざそっちから来るなんて……手間が省けたわ、」
「…うるせぇな、俺はお前となんか話してねーよ…失せろ。それにお前『上弦』っていうわりには弱すぎだぜ。」
宇髄からなかなかにきつい言葉を浴びせられながらも、柱を見つけたという喜びが勝っているのか。
どこか嬉しそうに歪められたその瞳は、次の瞬間。
───ぐらりと揺らめき、椿の花の如く首が落ちる。
「え…?」
不抜けた声を上げ。
音も無しに斬れた首を反射的に己の両の手で受け止めて、何が起こったか分からないと言った表情のまま。
鬼女はそれきり畳の上へ座り込んでしまう。
今し方宇髄が落としたばかりの首。
その顔へ付いた二つの瞳を再度まじまじと見ると、確かに『上陸』と数字が記されてはいたが。
「(こんなに簡単に隙を突かれた上、いとも容易く首を落とされるなんて…。)」
持っている数字が一番下だから、というのをありきとしても、これで『上弦』を名乗るにはあまりに貧弱な印象を受けた。
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