桃と鬼 | ナノ
 06:果断

あれからまた一晩が過ぎ、太陽が顔を出す時間が来ていた。

蝶屋敷に厄介になって以来、一睡も出来ていない事も手伝って…自身の顔は血色が悪く、目の下には薄らと隈が張りついている。


自分で言うのもなんだが、辛気くさい顔というのはこういうのを指すのだろう。

寝床から這い出してすぐ、眺めた鏡に映った自身の顔を思い起こす度に溜息が出てしまう。


どうにかこうにか見られる顔に仕立て上げるために、明け方から紅を肌へ叩き込み、いつもの倍の時間をかけて化粧を済ませ。

今ようやっと、宇髄から指定のあった遊郭の壁をよじ登っている最中、上から話し声が聞こえた。


「だぁーかーらッ!!俺ん所にこういうのがいたって言ってんだろうが!!」

「ええと……いや…申し訳ないんだが、よく分からない…。」

てっきり、自分が一番乗りとばかり思っていたが、既に炭治郎と伊之助が到着していたらしい。


「なら、こうか!?こうなら分かるか!?」

「うーん…それなら、鬼にしては形がおかしいような…?」


尚も続く会話を聞きつつ、大急ぎで壁を登り切って。

屋根の上へ顔を出し、彼等に向かって軽く手を振ると。
遊女に扮した姿…つまりは、装をした彼等が、頭を下げたり、同じように手を振ってくれたりと、各々に反応を返してくれる。


「遅れてしまってすみません…炭治郎殿、伊之助殿、潜入任務お疲れ様です。ところで、先程のお話ししていらした事についてな「ほれみろ根八郎!!!天瀬もしってるって言ってんだろ!!」」


…突如勝ち誇ったように上がった伊之助の声によって、言葉尻が完全に掻き消えた。

一瞬、呆気に取られ。
次いで、伊之助の発した聞き覚えのない名称の人物が、どうも炭治郎と自分を指しているらしい事に気が付く。


「こら、伊之助…俺は『炭治郎』でこっちは『百瀬さん』だ。それに、人の話を途中で遮るのはいけないぞ。話す事があるなら、きちんと相手の話を聞いてからだろう。」


動じずすぐ話し始めた炭治郎の様子を見る限り、伊之助が人の名前を言い間違えるのはよくある事のようだ。

しかしながら、当の本人はそれを聞いているのか、いないのか。
困ったような表情の炭治郎を一瞥し、彼はこちらへ詰め寄ってきた。


「お前、あのとき真上にいたんだろ!?アイツ、こういうのだったか!?」


綺麗な着物の合間から伸びた逞しい腕。

さらにその先へ付いた大きな掌がさわさわと動かされ、一瞬で蜘蛛のような形を作ったかと思えば、それが目の前に突き出される。


「いえ…流石に、姿までは……。」


件の鬼は、蜘蛛というよりかは蛇に近い形状をしているような気がするが…。

伊之助は更にこちらへ身を乗り出し『じゃあこうか!?』と、また掌で怪しげな形を作りながら問い掛けてくる。


話しながら距離を詰めてくるのは、彼の癖なんだろうか?

これまでの任務では顕わになってこなかった彼の顔は、近くで見れば見るほど妙に女性的であるが、その口から転がり出す言葉は驚く程無骨で声も野太い。

そういえば、宇髄から『アイツには潜入中、絶対喋んなって言っといた。』と聞いていた。
伊之助には悪いが、これでは確かにそう注意せざるをえなかったろうと納得してしまう。


どうなんだ、と再度問われて頭を振れば、綺麗な顔があらん限り顰められる。

伝わりそうで伝わらない感じに苛立っているからか、伊之助は炭治郎の方とこちらを交互に眺めやり。
しばらく考えてから…目を見開き、両手を勢い良く空へと突き上げた。


「───こうなら分かんだろ!?!?」


さも自信があると言わんばかりの口調であったが、それが何を表したものか分からない。


「なあ、伊之助…もう少しで善逸や宇髄さんも来ての定期報告会になるから、詳しい事はそこで伝えた方が…。」


炭治郎と顔を見合わせていると。
いつの間にやら、ここ数日で幾度も見てきた広い背中が視界の端に映り込む。


「…宇髄殿、」


名を呼んだが、彼が振り返る事は無い。


「気付かず申し訳ありませんでした…偵察任務、お疲れ様です。」


何か進展はありましたでしょうか?

月並みな言葉が転がり出たのと同時に、横並びで座っていた彼等も宇髄に話しかけんとして口を開いたが。


「善逸は来ない、」


二人が何か言うより早く、彼はぽつりと呟く。


「…それは、どういう事です?」


感情の読み取れぬ淡々とした口調に不穏な物を覚え、恐々問うと…宇髄はゆっくりと振り向いた。

一度こちらを見やり…次に、炭治郎と伊之助を見やって。


「お前達には、申し訳ない事をしたと思っている。」


そこで宇髄は一度言葉を区切り。
何時になく真剣な表情のまま、また話し出した。


「俺は嫁を助けたいが為に幾つもの判断を誤った。そのせいで、善逸は昨日の夜から行方知れずだ……お前ら二人も、下手すりゃ鬼に目を付けられてるかもしれねぇ。この定期報告会が終わり次第、街の外まで百瀬に送ってもらえ。ここに巣食ってる鬼が上弦だった場合、階級の低すぎるお前らじゃ対処は無理だ。」


それを耳にした途端、隣の少年隊士達の表情は険しい物になる。


「それから…例の応援の件、誰が来るか話はついたか?」

「はい。昨日の内に、蛇柱殿から直接お返事を頂きまして…任務が終わり次第、こちらへ合流して下さるそうです。」

「…そうか、ご苦労だった。ここから先は、主に俺とお前の二人で動く事になる。今後の方針としては、お前が消息を絶った時点で死んだものと見なす。万が一俺と連絡が付かなくなった場合は───。」


淡々と続く会話の中、炭治郎は僅かに肩を震わせ。

待って下さい…!
と、急に大きな声を上げた。


「宇髄さん、俺は…いえ、俺達は……!」


相当勇気を出して会話に割り込んだのだろうが。

当然ながら、宇髄はそれ以上彼が話そうとするのを良しとはせず、頭を振って炭治郎を制す。


「逃げる事を恥じるな。何をどうしたって、最後に生きてる奴の勝ちなんだ。いいか、一時の感情に流されて機会を見誤るなよ……。」


毅然とした調子のまま言い置き、宇髄は煙のように掻き消える。


「待てよ…オッサン!!」


間髪を入れず、伊之助が大声で叫んだものの。
彼がそれを聞いたかどうかは皆目分からぬままであった。


***


「百瀬さん、お願い、お願いです…!」

「いけません、」

「そこを何とか…!!俺と伊之助は、善逸も宇髄さんのお嫁さん達もまだ生きてると思ってます。皆絶対に助けたい……この先、足手まといにはならないと約束しますし、危ない状況になっても、必ず自分で何とかすると約束します!!だから…どうか、最後まで任務に参加させて下さい…!」

「そうだ!!オッサンも七瀬も、俺と兼八郎を勝手に任務からはずそうとすんじゃねぇ!!」

「伊之助殿…隣の方のお名前は、兼八郎殿ではなく炭治郎殿です。それから、私の名前は百瀬ですよ…何と言われようと、今回ばかりは任務の続行を許可する事は出来ません。後生ですから、諦めて下さい……。」


宇髄が居なくなってからというもの、ずっとこんなやり取りが続いていた。

炭治郎が頼めば伊之助が加勢に入り、その度にこちらから諦めろと諭す。


今のところ、この不毛な話し合いが交わる点はどこにもなさそうで…彼等を花街の外へ送り出し、戻ってくる事を考えれば、いい加減出立せねばならぬ時刻なのだが。

何度断ろうと、諭そうと、厳しい物言いをしようと…目の前の少年隊士達は、絶対に首を縦に振ろうとはしない。

いよいよ何度目か分からぬ炭治郎の『お願いです、』が耳に入って来た時。


「では、あなた方のお願いを聞くか否か…判断を下す前に、私からのお願いを一つ叶えて下さい。炭治郎殿も伊之助殿も、握り拳を作って頂いて…そのまま、手の甲をこちらへ見せて頂けますか?」


静かに告げてすぐ、彼等は互いの顔を見合わせ。
小さく頷き合った後、揃って己の利き手で握り拳を作り、こちらへ差し出してくる。

躊躇したり怪しんだりしないのかと思いつつ、二つの握り拳に触れ、少しばかり力を入れていてくれるよう頼んで。


「……階級を示せ、」


お決まりの言葉を囁いたと同事に、彼等の手の甲へすぅ…っと『庚』の文字が浮かび上がった。

煉獄との任務の際の功労と、その後の活躍が正しく反映されている為か、思ったより階級は上がっているようだが。


「(最低でも、戊か丁くらいの階級だったなら、任務の続行を考えなくもなかったのだけど……。)」


今の階級のまま任務をさせたところで、結果は知れているようなものだ。

それに、昨日遭遇した…奇天烈な形状をした鬼が、今も何処かの妓楼の床や壁を気配を殺しながら這い回っているとすれば。
尚更、これ以上炭治郎達をここに置いて危険に晒すわけにはいかない。


施された藤花彫りに気付いていなかったらしい炭治郎を自分なりの言葉で慰めている伊之助を見やりつつ『残念ですが…』と前置きし。

やはり、階級的にも任務へ参加させ続ける事は難しいと告げれば、二人は押し黙ってしまう。


「急に任務から外される事になって戸惑う気持ちは分かりますが…宇髄殿が先程仰った事は、概ね正しいと思うんです。」

「オオネム…?どういうことだ……?」

「おおむね、ですよ…分かりやすい言い方に直すと、大体は合っている、という意味合いの言葉になるでしょうか。」


分かっているのか、いないのか。
綺麗な顔を歪める伊之助を尻目に、今度は炭治郎に向き直る。


「炭治郎殿が最後まで任務に参加したいと仰るのは…善逸殿は勿論、宇髄殿の奥様方の事も心配しての事なのでしょう?」


出来るだけ優しく問えば、彼は真っ直ぐこちらを見つめ返して頷く。


「ここだけの話……私も彼等はまだ生きていると思っていますし、炭治郎殿の気持ちも多少なりとは分かっているつもりです。」

「…ほ、本当ですか!?じゃあ……。」


一瞬炭治郎の顔色が明るくなるも。

期待したような事は起こらないのだ、と無言のうちに伝える為に頭を振れば、また表情が曇る。


「思っているのは本当ですが、それとこれとは話が別です。仮に、ここに居るのが上弦の鬼だったとして。いざ対峙するとなれば、この前のように五体満足で生き延びられる保障はありません。鬼が数字持ちでなかったとしても、気配の消し方や隠れ方の上手さから見て、相当な人数を喰っているでしょうから…どちらにせよ、難しい任務になるのは確実でしょうね。」

「それは、良く分かっているつもりです。何度も言っていますが、俺達は自分の身は自分で守りますし、宇髄さんや百瀬さんの邪魔にならない範囲で出来る事をやるつもりでいて……!」


言葉を止まらせまいとする必死さは、心に訴えかけてくる物があるのも確かで。
正直な話、ここまで意思を貫いてきているとなると、もう止めようがないような気もしてくるが。

…向こうがこれだけ本気で来ているのだから、こちらも本気でぶつかっても差し支えが無いように思えた。


一か八か。
これでどちらが折れる羽目になっても、恨みっこ無しだ。

…だから。
いつもの丁寧な言葉ではなく、自分の言葉で思いの丈を伝えようという気になり、意を決して炭治郎の手を強めに握った。


「ねえ……炭治郎君。少しの間で良いから、私の話を聞いてくれる?」


優しげな色を宿した赤い瞳を鋭く見つめ。
彼が驚きつつも口を噤んだのを認めてから、言葉を選びながら話をする。


「私は、鬼殺をやって大分長いのだけど…君と同じ年頃の隊士が死んでいくのを、すぐ傍で、何度も看取ってきたの───宇髄殿も、きっとそう。」


…握ったままの硬い手は僅かに震え、掌へ薄らと汗が滲んでいた。


「本当の事を言うとね…私は。いえ…私達は、若いあなた達にもっと生きて欲しいの。私達よりも先に逝かないで。生き急いだりしないで、もっとずっと先まで生きて欲しいの。誰にほめられる事だって無いだろうに、たくさん努力をして、剣を握って……勿論、戦うのは立派な事よ?でも、やっぱり生きていて欲しいから…少し先を生きている者として、目に見える危険は避けて通らせてあげたいし、あまりに危険すぎる事は出来る限り代わってあげたいと思ってしまう。」

「……………。」

「君達にとって、余計な事をしているという自覚はあるの。『古参』と呼ばれている剣士なら、大抵は私と似たような経験をしているし…もし私と同じような状況に置かれたとするなら、誰でも同じような事を言うでしょう。私は、君達に任務を続けてほしくないわ───君達はどう?」


ここまで話をしても、やっぱり気持ちは変わらない?

そう結んでしばし。
己の見つめる先にある赤い瞳は、迷うようにゆらゆらと揺れ動いていた。

急にこんな事を言われては、誰でも戸惑うだろう。

…もしかすると、別の隊士に同じような話をされた事があるのかもしれないが、そういった積み重ねがあればある程、若い隊士は慎重に動くようになる。


彼は彼なりに思う所があるのか、しばらく黙り込み。

それから、珍しく神妙な面持ちで話を聞いていた伊之助と目線を合わせ、少し俯いて…再びこちらに向き直った炭治郎の表情からは、何かを決意したような気迫が感ぜられた。


「…もし、俺が百瀬さんや宇髄さんの立場だったら。階級が低い隊士に対して、同じ事をしようとすると思います。俺達を大事に思ってもらえるのは、本当にありがたい事ですが…やっぱり、俺達は善逸や宇髄さんのお嫁さん達を助けたい。そのためには、何があっても…今、任務から抜けるわけにはいかないんです……!!」


放たれた言葉は勢いもそのままこちらへ跳ね飛んで、深く心に突き刺さる。

どれだけ話をしようとも、彼等を留める事は出来まいと…初めから薄らと結果が見えている上で掴まされてしまった惨敗というのは、些か来るものがあった。

───どうしたって。
折れねばならないのは、やはりこちらだったというわけだ。


「君達の思い、十分によく分かりました。」


握っていた手を離し、双方の顔を眺めてから一呼吸置いて。


「あまり時間はありませんが…簡単に、これからの方針と作戦を話し合って決めましょうか。」


我ながら大概だなと思いながらも、表情を綻ばせ、こちらへ身を乗り出して来るこの二人も似たようなものかと思えば、苦笑いが零れる。

この判断が良いか悪いかで言えば、限りなく悪い方であるのだろうけれど。

…何とはなしに。
宇髄は、二人がこう来る事を予測していたからこそ、今後の事をこちらへ委ねてきたのではないかという気もしてきて、本日何度目か分からぬ溜息が漏れた。

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