桃と鬼 | ナノ
 04:追憶

蝶屋敷を後にし、一人で夜道を歩く事暫し。

茶店が建ち並ぶ通りを抜けたその先に『吉原』への出入り口を認め…その煌びやかさに気圧されて、自然と歩みが遅くなる。


ここへ来る途中で受け取った新しい隊服は大事に風呂敷へ包み、腰へ差していた打刀や脇差と共に鼠へ託し。
貴重品の入った巾着と短刀を懐へ入れている他に荷物も無く歩いているのだが。

ふと気付けば、自分の前や後ろには遊郭を目指して歩く男性の姿があり。
総じて皆、どこか楽しそうな表情をしている事に気が付く。


「(これから『春を買う』わけだから、浮き足立つ気持ちは分かるけれど…。)」


男性というのは、吉原に行く時はこうもあからさまなものなのだろうか?

仮に、それが世の全ての男性に当てはまる物なのだとして。


「(平生から感情の起伏が激しくない者であったとしても、春をひさぐ女を目の前にすれば───。)」


やはり、あんな風に楽しそうな顔をするのだろうか。

考えてみたところで、性別が違うためかはっきりとした結論には至らなかったが…結論に至ったところで何か得になる事があるわけでも無し。


世の善良な男性達の名誉を守るためにも、もうこの事について考えるのは止そうと顔を上げると。

いつの間にやら、煌びやかな装飾の施された門を潜り。
人波に紛れながら、吉原の通りを歩いていた。


…決してぼんやりとしていたわけではないけれど、邪な思考に気を取られていたのは確かで。

『これから鬼の潜む所へ潜っていくのだから、これではいけない。』と自分を律しながら歩いている途中、目の前を連れ立って歩く男性達の会話が耳に入ってきた。


「そういやお前、この前の花魁道中は見たか!?あれは確か、京極屋の『蕨姫花魁』とか言ったかな…俺は初めて見たんだが、ありゃあこの世のお人とは思えねぇ程の別嬪さね!いっぺん見たら他の女なんぞ霞んじまう……お前もそう思わねぇか!?」

「馬鹿言うない!花魁といやあ、ときと屋の『鯉夏花魁』で決まりさね!!あの品の良い笑い方と愛想の良さが可愛らしくてたまらんよ、ただ───最近、どっかの若旦那の所へ身請けが決まっちまったらしくてねぇ。鯉夏花魁はもういなくなっちまうのかと思うと、こう、胸の辺りがきゅうっと絞られるような心地がして……。」

「それにしたって、花魁が女房に…か。もしそんな事になったら、毎日が楽しかろうなぁ。ああ、羨ましい羨ましい……!」


こんな調子で話をしながらぶらぶら道を歩く男性が幾人もいる光景を眺め、やはりここは花街なのだなと溜息が出る。

直後、どこからともなく香の匂いがしてきて。
その甘ったるさに思いがけず噎せそうになり、慌てて道の端に避けたは良いが───今度は、そこかしこへ隣り合って建つ郭の紅い檻の奥からじっとこちらを見つめられているような気がして居心地が悪くなる。


軽い頭痛を覚えつつも振り返れば、紅い格子の中で煙草をふかしていた女と意図せず視線が交わり。

途端ににっこりと微笑まれてしまったが最後…その女が纏う色気に当てられたからか、かあっと頬が上気したのが分かった。


「(……なんて綺麗な方、)」


あまり長く目を合わせていられず俯くも、何とはなしに女の微笑が頭の中へこびり付いて、あまりの気恥ずかしさに目線が泳いだ。

同性の自分であってもこんな具合になってしまうのだから、男性ともなればひとたまりも無いのだろう。


そう思い直す事とし、今度こそ藤の家紋の家を目指して歩きながら、郭へ備え付けられた紅い格子の中を眺める。

中には人形のように美しい女達がひしめき、今宵も春を売る相手を誘い寄せるため、静かにこちらを見返していた。


***


「(吉原に来たのは今日が初めてだからかもしれないけれど…色々とすごかったなぁ、)」


藤の家紋の家に着いて早々、通された小部屋で温かい茶を馳走になりながら自然と溜息が漏れる。

先程まで歩いてきた通りの風景といい、あちらこちらから売られてきたであろう女達の艶めかしい様といい、ここにはあまりに刺激のある物が多すぎる。


花街の洗礼を浴び、大分参ってしまっている自分の気持ちを宥めようと、一緒に出してもらった金平糖を食べてみるが…口に入れても味を感ぜられるわけでなし。

遠くの方へ微かに感じる甘味を茶と一緒に流し込む。


「(せめてもう少しでも食べ物の味が分かれば気も紛れるのに…。)」


そんな事を思いながらもう一粒金平糖を摘まんだ時。

襖が音も無く開かれ、長身の男が俯き加減に部屋へ入ってくる。


予期せぬ訪問に一瞬身構えてしまったが───よく見れば、髪を下ろして着物を着た宇髄である事に気が付き、咄嗟に挨拶をした。


「…度々のお気遣いを頂きましてありがとうございました、今回はどうかよろしくお願い致します。」


平静を装って話せば、彼はちらりとこちらを見て。
何かを言おうとして開いた唇を瞬時に引き結び、その赤い瞳をあらん限り見開く。


「………お前、百瀬……だよな?」


たっぷり間を取って寄越された言葉に頷き、宇随のいる方向へ膝を繰って。


「そこそこ努力をしたんですが…話さなければ、一応は男性のように見えますでしょうか?」


はにかみながらそう問い掛ければ、彼は珍しく困ったような顔をしたので。


「あの…やっぱり、短髪は似合わなかったでしょうか…?」


恐々聞けば、宇髄は首を横に振り、音も無くこちらへやって来る。

…直後。
彼がこちらと目線を合わせるように膝立ちになったかと思えば、がしりと肩を掴まれた。


「お前な…そこまでしろたぁ言ってねぇだろ!?何勝手にざっくりいっちまってんだ!?髪なんか、結うだの、編んで纏めて帽子で隠すだの…とにかく、もっと上手いやりようがあっただろうが!!」


語気は荒いが、何時になく真剣な調子で叱りつけられ。
つい、目を逸らしてしまう。


「(そうは言っても、女と分かるような要素を表に出しては花街に入れなかったわけだし…。)」


内心そんな風に思っているのを知ってか知らずか。
宇髄は更に言葉を重ねる。


「大体、何でそこまで短く切りやがったんだ…お前、仮にも嫁入り前なんだぞ!?いくら任務だからったってこんなにしちまって…これからどうするつもりだよ…。」


後半になるにつれ、最初のような勢いは無くなっていき。


「…いや。これ、どう考えたって俺が後々袋叩き待った無しの流れじゃねぇか………?」


肩から手を離し、独りごちながら頭を抱えだした彼を眺める一方。
脳裏には、思い出すと辛いからと意識的に蓋をしていた記憶が、そろりと頭を擡げだしていた。


あれは、まだ暑さの厳しかった夏の日。
鬼が出ると噂の立った夜汽車へ乗り込んでの任務中であったか。

心地よく揺れる客車の中の空気と、独特の薄暗さ。
自分と向かい合って座る…炎のような色の頭髪と瞳を持つ、一人の青年の姿がはっきりと浮かび始めた時点で、もう思い出すのを止めるべきだった。


けれど、頭を振ったり、どうにか記憶に蓋をしようと試みたりしたとてもう間に合うわけもなく。
とうに口を開ききっていた箱からは、あの日の出来事が溢れ出すばかりであった。


「(煉獄、殿……。)」


彼の纏う香りと、肩へ掛かった髪の質感。
ちらめく炎のような模様の羽織と、黒い隊服から覗く鍛え上げられた体躯の一部。

普段は広く周りを見ている為、滅多に合う事の無いその瞳は、その時ばかりは真っ直ぐ。優しく此方を見つめて。


「(確か『顔色が悪い』と心配して頂いて。でも、大丈夫ですと言った時だったかしら………、)」


いつものような調子ではあったけれど、どこか気恥ずかしそうに。

『嫁入り前の大事な体だ。くれぐれも、無理だけはしないように。』と───彼はそう言ってくれた。


あの時は久々にそんな事を言われた恥ずかしさもあって、茶化したようになってしまったけれど。
本当は、あそこで確り礼を言うべきだったのだと思う。

自分を心配してかけてくれた言葉を流すのではなく、受け止めて。
少しでも長く、話をするべきだったのだ。

苦い物が胸の奥底へ広がり、鼻の奥がつんとした気がしたが…それには目を瞑って。


「宇髄殿は…煉獄殿と同じような事を仰るんですのね。」


思い切ってそう言えば、宇髄ははっとしたようにこちらを眺めた。


「は…煉獄が?」

「ええ。最後の任務の前───私を心配して、宇髄殿と同じような事を言って下さったのを思い出したんです。宇髄殿も、私を心配して下さっているのですよね…確かに、この髪はやり過ぎでした。」


すみません…と。
囁くように呟けば、何故だか涙が滲む。

ここで泣いては彼を困らせるだけだと分かっていたから、意地でも涙を零すまいとしたが。


膝の上へ握り締めた拳へ、熱い雫が一滴落ちれば…もう溢れるそれを止める事は出来なかった。

ぱたぱた、と。
滴り落ち、畳や着物を濡らす涙の雫を見送りながら、幾度も鼻を啜り、袖で涙を拭って。
その間中、宇髄は何も聞く事はなく…ただ静かに背中を擦ってくれていた。

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