桃と鬼 | ナノ
 03:出立

『目が覚め次第、その日の夜二十時過ぎまでに、吉原遊郭内の藤の家紋の家まで来い───×月×日、正午の記』

差し出し人の名前が無い簡素な手紙が窓へ挟まれているのを見つけたのは、目が覚めてすぐの事であった。


丁度その辺りの時間帯は外が妙に騒がしかったので、何事かと思い、飛び起きたのだが…。

窓の桟へひっそりと差し込まれているそれが目に留まった途端。
極秘の書簡か何かかと思い至り、人が来る前にと大慌てで回収したのが記憶に新しい。


図らずもその予想は的中し、さっと目を通してすぐ畳んだそれをさらしの間へ挟んで隠した途端。

息を切らしたアオイが部屋へ飛び込んできて、鬼気迫る表情で『無事ですね!?』と聞いてきたので頷けば、それ以降は『よかったよかった、』と涙を滲ませるので、とりあえず何があったのか問うてみたところ。


先程急にやって来た宇髄により、アオイ自身となほが任務へ連れ出されそうになった事や、そこへ割って入ってくれた炭治郎達が代わりに任務へ行ってしまった事。

宇髄が妙にこちらを気にしていたため、念には念を…とここまで走ってきた事等、詳しい経緯を聞き出せた所で、きよ、すみ、なほも部屋へ駆け付け、アオイ同様『よかった』と泣き出し。


『昨日の朝、宇髄様に運ばれてきてからずっと眠ったままだったので…とっても心配してました。』

『百瀬さんはいつも色々な方に呼ばれて共同任務をこなしていらっしゃるから、その疲れが出て倒れてしまったのかもしれません。』

『しのぶ様は、特に問題は無いって仰ってましたけれど、無理はしないで…疲れた時は疲れたって教えて下さいね。』


…いつもの如く三者三様に話をしてくれている最中。

寝台の下にも先程の手紙の続きと思しき物を発見し、大層肝を冷やしたのは言うまでもない。


アオイ達が出て行った後、周囲から完全に人の気配が無くなるまで待ち、寝台の下へ手を伸ばして何の気なしに紙を拾い上げると。


『道中着られそうな服は鼠に持たせてあるが、蝶屋敷を抜け出て来る時は細心の注意を払え。』


相変わらず差出人が分からぬ挙げ句、文字にも見覚えがなかったが…鼠の下りや、先程のアオイ達の話を総合すれば、これを仕込んだのは宇髄だろうと合点がいく。


「(確かに、ここを出る時には変に怪しまれないようにしなくては……。)」


急に姿を消したのでは後々尾を引く事態になりかねないし、これだけ心配してもらっておいてそれでは申し訳がない。

ならば『久々に実家へ帰ってみる気になったので。』とでも誰かに言付け、玄関から普通に出て行く事にしようと思い付き、ひとまず息をついて。


続いて、宇髄の手紙にあった鼠を小声で呼んでみる。

すると、小動物特有の軽い足音が聞こえ、こちらへ向かってきて。
程なくして、天井裏へ続く板がひとりでに外れた。


そちらへ近付き、上を見ると───暗闇の中へ妙に派手な格好の。

否、妙にがたいの良い鼠の姿が見えてしまい、鳥肌が立つ。


「ムキ!ムキムキ!」

「(…チュウチュウとか、キィキィではなくて…ムキムキ……?)」


向こうから手を振られたので、つい手を振り返すが…果たして、鼠という生き物はこんなだったろうか。


「(私の知っている鼠とは色々違うような…。)」


あれこれ考えていると、鼠が首を傾げてこちらを眺めているのと目が合い。

そうしているうち、ようやっと用件があって呼び出した事を思い出した。


「……ええと、着物を預かってくれているって聞いたのだけど、それをここまで持ってきて欲しいの…お願いできる?」


恐々問えば、やはり『ムキ!』という鳴き声が寄越され。

顔を出している一匹の後ろへ控えていたらしいもう一匹がひょこりと顔を覗かせ、こちらへ向かって濃紺の風呂敷包みを放った。


それを受け取り『ありがとう。何かあったらまた助けてね、』と声をかければ、二匹は確りと頷いた。

天井の板が元のようにはめられたのを見届けてから、さて何が入っているかと早速風呂敷包みを解くと……中には男性が着るような暗く濃い色合いの着物と袴が入っており、何とはなしに宇髄の考えている事が分かる。


「(女の格好のままでは、一人で遊郭に入り込むのは難儀する。かといって、下手な経路で侵入するれば鬼に怪しまれて逃げられるかもしれない……ならばいっそ、男のふりをして堂々と正面から入っていけば良い、という事なのでしょうね。)」


相も変わらず、考え方も華々しい───。

呆れ半分、感心半分といった具合でありつつも、悲しいかな。
やはり自分は平の隊士であるので、柱の命令には原則として従わなくてはならない。


一度招集がかかれば、指定された場所へ指定された格好で向かう他ないのである。

何より、ここまでお膳立てをしてもらっておいて半端な格好なぞしていこうものなら、それこそ宇髄に対して失礼というものだろう。


「(…やると決めたら徹底的に。普通の客の中へ混じっても、目立たないくらいの見た目にしなくては。)」


そんなふうに考えつつ、今し方手に入った着物を取り出しながら徐に窓を見ると、髪の長い自分と目が合った。

前髪と異なり、殆ど鋏を入れた記憶の無い後ろ髪は、結い纏めなければ自身の体の半分を易々と覆い隠してしまうくらいの長さがある。


鬼殺の仕事について以来、忙しいからと髪はずっとこうであり、もう長いこと短く切り揃えた試しは無かったが…生きている限りは放っておけば自然と伸びる物なのだから、そこまで深刻に考える必要もなかろう。

とりあえず何とかなると自分に言い聞かせ。
再度鼠を呼べば、やはり『ムキ!』という鳴き声を上げ、彼等が天井裏へ続く板を剥がして現れる。


「…何度も呼び立てしてしまってごめんなさいね。鋏と鏡…それから、何本か髪紐を借りてきて欲しいの、」


静かな調子で頼めば、二匹は力強く頷き、別々の方向へ走っていく。

それを見送りながら白い病衣を脱ぎ、着物に腕を通して静かにここを出る準備を始めた。


***


「アオイ殿もお忙しいでしょうに…わざわざ申し訳ありません。」

「いえ、これも仕事のうちですから。」


どうかお気になさらず。

そう言いながら南京錠の鍵穴へ鍵を差し込み、一番手前の棚から三振りの刀と小さな巾着を取り出す。


原則として、蝶屋敷で療養する事になった隊士の荷物は、その隊士自身で管理をお願いしているのだが…症状があまりに重篤であるか、昏睡状態が続くようであれば、蝶屋敷内にある鍵のついた部屋で貴重品を預かるという措置を取っている。

それに乗っ取り、昨日の昼に宇随に運ばれてきて以来、随分長いこと眠っていた百瀬の荷物を鍵のついた部屋で保管していたのだが。


『療養も兼ねてしばらく実家に戻ろうと思いますので、荷物を取らせて頂けませんか?』

厨へ立って夕餉の支度に追われていた折、いつの間にか後ろに居た彼女がそう声をかけてきたので───今はその流れのまま、荷物の引き渡しをしているのであった。


彼女は鬼殺の隊士の中では珍しく両親が健在している部類であり、実家は中野の方にあるらしい。

以前『実家にはもう随分帰っていない、』と零していたのを聞いた事があるが…何はともあれ、安心出来る場所に戻るのは良いことである。


ただ一つ気掛かりがあるとすれば。


「物の保管の際は細心の注意をはらっているのですが、万が一があってはいけませんから……中身の確認は確りとお願いします。」

「左様でしたか、それでは失礼して……。」


短く言い置き、受け取った荷物の確認を始めた彼女を尻目に、自然と自分の顔が強張っていくのが分かる。


彼女曰く『適当に持ってきてもらった』という袴と着物は妙に色合いが暗く…どの年代の女性であろうと、まず好んで着るような色味ではない。

加えて、いつもよりもかなりきつくさらしを巻かれている為に限界まで膨らみを潰された胸元。
どういう心境の変化があったのかは分からないが、町で見かける洋髪よりも大分短めに切り揃えられ、申し訳程度に後ろで結わえられた髪。

贔屓目に見ずとも、今の百瀬の容姿は女性というよりか、限りなく男性に近しい物であった。


尚、そこへ彼女の中性的な容も相まって、眺める角度によっては本当に男性のようにも見え───否。

昨夜見た少年と彼女があまりにも似て見えるせいで、早く忘れようと決心した出来事が追い縋ってくるようで、ひとりでに冷や汗が溢れる。

同時に、昨夜自分が目にした物の正体を彼女に直接問いただしてみたいという気持ちにも苛まれ出した瞬間。


「あの、」

「…っ、はい?」


急に話しかけられたので、受け答えの際に思い切り声が裏返ってしまう。

流石にこれは不自然極まりない上、なんといっても相手は百瀬だ。
もしかすると、自分の考えている事はすっかり見透かされているのでは……。

早鐘を打つような心臓の音をつぶさに感じ取りながら息を飲んでいると。


「……すみません、私の隊服はどうなったのでしょうか?」

「…………………。」


たっぷり間を取って寄越された何でもない問いかけに、ひゅ…と自分の喉が鳴ったのが分かった。

良かったと思ったのが勿論であったが、心の片隅で『昨晩の事について何も触れてこないのか、』とがっかりしたのも確かで、複雑な心地になる。


「元々着ていらした隊服はかなり痛んでいたので、新しい物に替えてもらえるよう話をつけておきました───ご実家へ帰られる前に田中さんの所へ寄って頂くと、新品の隊服を支給して貰えるはずですよ。」

「そうだったのですね、何から何まですっかりお世話になってしまって…本当にありがとうございました。預かって頂いていた物も無事でしたので、そろそろお暇させて頂きます。」


蟲柱殿にもよろしくお伝え下さいね。

笑顔でそう告げてこちらへ深々と頭を下げれば、彼女は玄関口へと歩いて行く。

…勿論、こちらは振り向かず。
ひたすら前へ前へと進むその足取りには、少しの迷いすら無いように見える。


その最中に、二振りの刀を腰へ鶺鴒差しにし、短刀と巾着を懐へしまって。

やけに手慣れたその仕草はまさに熟練隊士のそれであり、背中から滲み出る貫禄に圧倒されてしまう。


「(結局、今回もゆっくりお話しできる機会はなかったけれど…むしろ、これで良かったのかもしれない。)」


理由はともあれ、とりあえず納得する事として。
夕闇に呑まれつつある廊下に揺れ、次第に遠くなる彼女の背を見ながら溜息が漏れた。


自分は彼女と格別親しいわけでもなければ、任務へ出ているわけでもない。
ならば、彼女の抱える何かを興味本位で暴く権利なぞあるわけもない。


「(だから、これで良い…『これで良い』に決まっている。)」


強く思い込めば、昨夜の出来事も、彼女へのほんの少しの未練も早く忘れられるような気がして。

ふわ…と薫った甘い残り香を振り払うように頭を振り。
百瀬の方を振り返らないようにして、小走りで厨へと向かった。

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