桃と鬼 | ナノ
 02:来訪

「今夜の見回りの割り当ては、きよが西、すみが東…なほは北、私が南とします。何かあったら、大きな声で知らせる事。それから、脱走等がないかも気を付けて見回りをして。」


お馴染みの面々へいつも通りの声がけをし、各々がランプを片手に見回りへ赴く頃には、月は高い所へ昇っているのが常だ。

窓の外に見える庭には、暗闇の中であっても薄や桔梗の花が揺れているのが見えた。


いつも行き来をして見慣れているはずの蝶屋敷の廊下は、今し方別れた三人の足音が各方向へ散っていく他はほとんど音がせず、静かなものである。

その静けさに薄ら不気味な感じがしたのも確かだが、今日も今日とて寝台は殆ど埋まっているのだから、怖い等と子どものような事を言って見回りを投げ出すわけにはいかないだろう。


「(何より…私は前線に出ていないのだから。)」


前線へ駆り出されている隊士達の感じている恐怖に比べれば、これくらいどうという事はないはず。

再度自分に言い聞かせつつ暗い廊下へ足を踏み出せば、寒々とした闇が体に纏わり付いたが…それには気が付かぬふりをして。


ランプを掲げ、一つ。
また一つ、と隊士が療養している部屋へ入っては様子を確認してはまた廊下に出て。

大部屋をあらかた見終わり、より重篤な状態の隊士の寝かされている小部屋の方へと向かっている途中、一瞬だけふわりと甘い匂いがした。


「………桃の香り、」


思わず足を止めて香りの源を探してしまったが、今は初秋だ。

季節外れにも程があると苦笑いしたところで、この香りと縁のある隊士の事が頭を過る。


永らく甲の階級を維持し続け、これまでの過酷な討伐を全て勝ち抜いてきた東百瀬という名の女性隊士。

その強い在り方に憧れを抱かないわけもなかったが、現実とは非常なもので。

…どれだけ酷い怪我をしても、翌日にはけろりとして任務へ向かう彼女の姿を見る度『例え私が前線に出られていたとしたって、この人には敵わないのだろうな。』と思えてしまうのと、互いに多忙という事も手伝って、結局まともに話が出来た試しはない。


けれど、彼女は今。
この棟の奥の小部屋に寝かされている。

その事実を知った時は大層驚いたのと同時に心配になったのだが、たまたま現場に居合わせてここまで彼女を運んできた宇随の見立て通り。

『睡眠不足と任務疲れによる一時的なもの』だと、蝶屋敷の主であるしのぶから告げられてすぐ、酷い怪我をしたわけではないのだと安堵した。


「(…百瀬さんは、しばらく安静にしていなければいけないようだし。)」


蝶屋敷にいるうち、少しでもお話しが出来たらいいのだけど。

そんな風に思いながら見回りを続け、ついに奥の部屋の前まで来た時。


扉の向こうから話し声のような物が聞こえてきてぎょっとした。

…こんな時間にお見舞いに来る者がいるなんて聞いていないし、元よりそんな非常識な事をする輩が入り込むような余地はないのだから、寝言とした方が妥当だろうか。


ひょっとすると魘されているのかもしれないと不安になり、扉へ耳をつけて中の様子を探っているうち、彼女の物とも思えぬ高い声…所謂、子どものような声がしている事に気がつき、自分の眉間に皺が寄っていくのが分かった。

板を一枚隔てた先で何が起こっているのか。

良く分からぬまま、やはり耳を澄ましていると───どうも会話が成立しているわけではなく、幼い声が一方的に何かを話しているようである。


如何せん、それはとても小さい声であるため、大半は何と言っているのか聞き取れた物ではなかったが…その端々に『姉さん』とはっきりした言葉が出るのを拾ってしまってからは、益々状況が分からなくなった。

何時だったか『百瀬には弟が三人居たらしい』と、誰かに教えて貰った事があったが。
皆、彼女が鬼殺の隊士になるまでに亡くなっている、という事も合わせて聞かされていたので。

彼女には、事実上兄弟と言える人物は居ないはずである。


「…………………。」


なら、今彼女と一緒に部屋の中に居るのはどこの誰で、彼女の何であるのか。

そこまで考えた所で妙に怖くなり、頭を振る。


ああ、いけない…今は見回り中だ。

あれやこれやと余計な事ばかり考えていないで、まず自分の役割を全うしなくては。


「(もし…中へ本当に人が居るのなら帰ってもらわなくてはいけないし、誰も居なかったら、もうそれで構わない。)」


若干手が震えているのは見なかった事とし、覚悟を決めて扉の窪みへ手をかけ。

すす…と、なるべく音がしないように扉を引いて中の様子を覗き込んだ途端。


芳醇な桃の香りが漂ってきたのと同時に、ランプの明かりに照らされた狭い部屋の中へ小さな影が見え、少々驚いた。

肝心の百瀬は、運ばれてきた時と同じように寝台に寝かされ、寝息を立てているのが分かったのだが───問題はその横。

つまりは、こちらへ背を向けるようにして彼女の眠る寝台を覗き込んでいる子どもが居たのだ。


背格好からして、齢は十…いや、それよりもう少し上かもしれない。
黒髪を一つにまとめ上げたその子どもは、眠っている彼女に向かってまだ話しかけているものだから、呆気に取られてしまったが。

ランプの明かりに照らされた小さなその背と、確り床に着けられた足を目にして、どうやら妙な物では無さそうだと胸をなで下ろした。


「あの…、すみません。どちら様でしょうか?」


どうにか声を振り絞って話しかけると、子どもはこちらを振り返り。

解れてきた髪を耳にかける仕草の最中に見えたその顔は、百瀬と似て…否。
最早『同じ』と言って差し支えが無いくらいにそっくりであり、吐き出そうとした息を飲み込んでしまう。


男か女か。
ぱっと見で区別をつけるのが難しい中性的な容は、表情もなしに上目でこちらを見ている。

痛いくらいの眼差しを受けつつ、どうにか言葉を吐き出した。


「あなたは、百瀬さんの身内の方なのでしょうけど。夜の面会は、原則として余程の事がない限りお断りしているんです…お見舞いでしたら、また明日にして頂けませんか?」

「……………。」


返事は無いが、その子は何度か瞳を瞬かせ…かと思えば、急に笑顔で頷き、ぺこっと頭を下げてきた。

つられてこちらもお辞儀を返し、少し考えて。


どこからどう紛れ込んだのか、何故こんな時間に面会に来ようと思ったのか。

聞きたい事は山程あれど、分かって貰えたのならとりあえず良しとするべきだろう。

とりあえずこっちへ…と手招きすると、案外素直に来てくれたので、勝手に何処かへ行ってしまわぬように手を繋いで外へ出た。


***


後ろ手に扉を閉める最中、割に確りとした手の感触に『ああ、この子は男の子なんだ。』と察した。


「(この子の家は、遠い所にあるのかしら。)」


最近は何かと物騒だから、この齢の男児とはいえ、夜の一人歩きは危険だろう。

なら、誰かに送っていってもらった方が良いのでは…?


握ったままの手からは子ども特有の暖かな体温が伝わり、仄かにではあるが桃の香りもする。

───この子をどう帰そうか。

揺れるランプの明かりを眺めながら考えていると、耳慣れた声が自分を呼んだ。


「アオイ、見回りご苦労様です。」


はっとして声がした方を見ると、任務から帰ってきたばかりと思しき様子のしのぶが目の前に立っていた。


「いえ、これぐらいはやって当然ですから…。」


そう返せば、彼女は嫋やかに笑ってみせた。


「ところで、右手に握っている物は何ですか?」


急にそんな事を言われて少々びくついてしまったものの、この子の事を言っているのだと思い至り、視線を右下へやる。

けれど、しのぶと話をしている間中も確かにあった彼の手の感触は既に何処かへ消え失せ、代わりに自分が握っている物に驚愕する。


ランプの前まで右手を持ってきて、ようやっと確認できたそれ。

───自分が握っていたのは、零れんばかりに花を付けた桃の一枝だった。


「は………?」


突然の事に理解が追い付かず、枝を握り締めたまま首を傾げる。

さっきまで私は、百瀬さんとよく似た顔の男の子と一緒に居たはず。
今までずっと手を繋いでいて、何処かへ行くなんて出来ないはずだったのに。


ぶわ…と冷たい汗が噴き出し、体が震えだしたのを認めたのか、しのぶが心配そうに『どうしました?』と問うてきていたが。

構わず枝を放り投げ、百瀬の寝ている部屋の戸を開けて中を照らす。


続いて部屋の中へ踏み入り、寝台の下や戸棚の後ろ。
はたまた、暗い部屋の隅や布団の中等、隠れ場所となり得そうな所を虱潰しに探し、何処にも少年が居ない事が分かる頃にはすっかり息が上がってしまっていた。

未だ布団を握ったままだった自分の手へ、しのぶのひんやりとした手が触れ。
薄いそれを取り上げると、慣れた手つきで百瀬の体の上へかける。


「……アオイ、」


再び呼ばれた名に肩が震えるが、振り向いた彼女が何とも曖昧な表情をしている事に気が付き、顔を伏せた。


「もしかして…ここで、何か妙な物を見ましたか?」

「……妙な物、と言いますと。」


やや食い気味に質問すれば、少し考えるような素振りをした後、彼女は言葉を選ぶように話し出す。


「そうね…本当に色々あるのだけれど。よくあるのは、十歳前後の齢の男の子や、一昔前の鬼殺隊の隊服を着た男の人が、寝ている百瀬さんに話しかけているのを見たとか。それから、その人達の顔はみんな百瀬さんとそっくりだった、とか。」

「………!」


途端に、さあ…と血の気が引いていくのが分かった。


「じゃ、じゃあ…私が見た彼は…幽霊、なのですか…?」


震えながらようやっと声を絞り出して噛みつくように聞けば、難しい顔をしたものの。

少し間を置くと、恐らくそうではないと言いきる。


「見てしまったら、びっくりするのは当たり前ですよね。これについての詳しい事情は私にも良く分からないんですが───百瀬さん自身は、数多くの優れた剣士を排出してきた名家出身の方です。それこそ、先祖代々…鬼殺に込めてきた思いや願いの質量が、私達とは違うのかも知れません。」


最後の方は言葉を濁して。
しのぶはいつものように綺麗な笑みを浮かべ、こう続けた。


「この事は、百瀬さんにも、他の方にも、どうか内緒にしていて下さいね?それから…これはお館様からのお申し付けでもありますから、くれぐれも『うっかり』がないようお願いします。」


アオイに限ってそんな事はないとは思いますが。

有無を言わさぬ物言いに気圧されてただ頷けば…彼女は何事も無かったかのように扉を開け、廊下へ踏み出す。


「話をしていたら、こんなに遅くなってしまいましたね…そろそろ部屋に戻って休みましょう。」

「………そう、ですね。」


さあさあ、と促されるまま部屋を出る刹那。
もう一度だけ見回した部屋の中にはやはり百瀬意外の気配は感じられず、何とも言えない気分になる。

結局何も分からぬまま。
この場を去る事を余儀なくされる中、甘く優しい桃の香りだけが何時までも体の一部に纏わり付いているようだった。


「(しのぶ様がここまで仰るという事は、きっとこの一件は触れてはいけない事なんだわ…。)」


ひしひしとそう感じながら、ひたすら無言で廊下を歩く。

今夜の事は完全に忘れられないにしても、なるべく気にしないようにして───絶対、誰にも漏らさぬよう、記憶の奥底へ止めておこう。


これだけで少しでも百瀬の助けになるのであれば安いものだ。

そんなふうに思いながら、蝶屋敷の長い廊下をしのぶと連れ立って歩き続けた。

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