桃と鬼 | ナノ
 03

薄暗く黴臭い屋敷の敷居を跨ぎ、炭治郎に続いて中へ入ろうとした瞬間。


「ふっ…二人共、本当に行くの…!?今はまだ昼間、昼間なんだよ…?夜までまだ半日あるんだからさ、ちょっと考え直さない……ねぇ!?」


いつの間にやら、ちゃっかり百瀬の隊服の端を掴んでいた善逸が声高に叫び、それに驚いて肩を震わせる。

内心『またか…。』と呆れたけれど、それも致し方なし。


───ここ数時間一緒に居ただけであったが、件の『我妻善逸』という人物は、ごく稀な部類の。

簡潔に言うなれば、あまり鬼殺に向かない性格の隊士らしいという事が誰に教えられるともなく分かったからだ。


今現在の並びとしては、炭治郎が先頭で百瀬が真ん中、善逸が最後尾…というような物であったが、別段何か策があってこの並びを取っているわけではない。

善逸が『屋敷に入りたくない、』と渋りに渋り。
それなら二人だけでも討伐に、と屋敷に足を踏み入れた途端、彼が泣きながら追い縋ってきた結果こうなったというだけの話である。


『別に無理強いをするつもりはないから、俺が置いてきた箱と一緒にあそこに居てもらっても構わない。』と。

普段は優しい炭治郎がきっぱりとそう言い切ったのがやけに鮮明に思い出されたものの。
それでも付いてきたという事は、口ではあれこれ文句を言っていようとも、一応仕事をしようという気はあるのだろう…きっと。


果たして、これを真面目と捉えるべきか否か。

一瞬迷いはしたが、今後の事を考えると気力体力共に温存しておきたいという思考に至り、彼女は無言のまま前に進んだ。

それに倣い、善逸は相変わらず彼女の隊服の端を掴んだまま『あぁあぁあ…行きたくない行きたくない行きたくない……死ぬ死ぬ死ぬ…死んでしまうぞ…!!』なぞと呪文のように唱えながらも、屋敷の中へ踏み入る。


並びは崩さぬまま無言で歩き、玄関口から漏れる陽の光が完全に見えなくなる頃。

背後から鼻を啜るような音が聞こえてきたのと同時に、細かな振動を感じ…振り返って確かめるまでもなく、後ろの彼が泣きながら震えているのだと察した。


「炭治郎、なぁ…炭治郎……守ってくれるよな?俺を守ってくれるよな?」


先程の一件を気にしているのだろうか?

彼はべそべそと泣きながら、百瀬越しに先頭の炭治郎に向かって話しかける。


暫し降りる沈黙と、善逸に握られたままの…というか、最早『握り締める』と言っても差し支えの無いような力で後ろに引かれている隊服を通じ、彼が怯えているのが直に伝わってくる。

その内、炭治郎は徐に立ち止まって振り向き。


「………善逸、ちょっと申し訳ないんだが。俺はここに来る前に肋と脚を折っていて、それがまだ完治していない。だから…、」


皆まで言わぬうち、背後から耳をつんざくような悲鳴が上がり、思わず自分の両耳を塞いだ。

…多少判断が遅れ、数秒は直に悲鳴を浴びてしまっために耳鳴りがしたが、勿論それだけで終わるはずもなく。


耳鳴りに輪をかけて目眩まで生じ始めた所へ間髪入れず。

後ろから凄い速さで自身の肩と腰へ手が回り───それが何か分かった時にはもう遅かった。


背中全体を包み込むような温もりと、早鐘を打つような誰かの鼓動。
それで自分が抱き竦められている事に気付いて身を固くするも『あっ…ごめんね、痛かった!?』という言葉と共に、抜けるに抜けられない絶妙な力加減で再度  抱き直されてしまい、どうにもしようがなくなった。

しかし、こちらの思いなぞ察する余裕もないのか。
善逸はとにかくやかましく騒ぎ立て、彼女を巻き込んだまま炭治郎と向かい合って問答を繰り返すばかりだ。


「おい善逸、東さんにいきなりそんな事をしたら失礼だろう!?今すぐ離して…、」

「だから、さっきも言っただろ!?東さんは俺の運命の人なのっ!!この機会を逃したらもう二度と会えなくなっちゃうかもしれないんだぞ!?そうなったらお前どうやって責任取るつもりなんだよぉおぉ…!!!」

「…いや、運命の人って……とにかく、東さんは俺達よりも階級の高い隊士の人なんだから、そんな失礼な事は止めるべきだ。それに、人にはそれぞれの人生がある…善逸の一目惚れで相手の今後を無責任に決めるのはいけな、」
「階級が、上?────なら、尚更結婚してもらわなきゃ困るだろ!?俺は今すぐここを出て、東さんと結婚する!!それでもって、これからは東さんに守ってもらう!!だから、この任務が終わってさよならする前に何としてでも俺と結婚の約束をしてもらわなきゃいけないんだよおぉおぉっ!!!!」


嵐のような会話を聞き流しながら、各所に散りばめられたとんでもない言葉を理解する元気も無く。

とうとう『何でも良いから早く終わってくれないものか…、』と思い始めた頃。


困ったように善逸とこちらを交互に眺めていた炭治郎の瞳が、不意に出入り口の方を睨み。

とたとた…という軽い足音が二つ聞こえてきたのにかぶせ、彼はあらん限りの声で『駄目だ!!』と叫ぶ。


それに驚いたのか、背後の善逸が息を飲んで縮こまったのをいいことに、するりと腕の中から抜け出し。

...振り返って善逸の体越しに玄関の方を眺め、状況を把握した。


開けっぱなしの玄関口からは僅かな陽光が差し込んでいたが、それを遮るようにして遠慮がちに立つ影が二つ。

言わずもがな。
件の影の持ち主は、禰豆子の入った箱を一時的に託し、外で待っているように言い聞かせてきたはずのあの兄妹であった。

付けていた兎面越しに、どちらとも目が合ったと感じた途端。
彼等は青い顔をし、意を決したようにこちらへ走って来るなり、百瀬の腰回りへ纏わり付いた。


「こら───入ってきたら駄目じゃないか!!」


そんな二人を目にするなり、珍しく強い口調で外へ戻るよう窘めた炭治郎だったが。

彼等は頭を振ってそれを拒否し、必死に言葉を発する。


「だって…お兄ちゃんが置いてってくれたあの箱、中から変な音がして…。」

「だからって置いてこられたら切ないぞ…あれは俺の命より大切な物なのに……。」


その時。
彼女の隊服を掴む手がまた増え、近くに居た善逸が息を飲む音が聞こえた。

今度は何だとそちらを見やれば、彼は額に薄らと汗をかいて…蜂蜜色の瞳を不安げに細めたまま、じっと天井を凝視しているばかりだ。


「(そういえば…、)」


彼はさっきも『変な音がする、』と言っていたから、今回も何かを察知しているのかもしれない。

それで迫り来る危機を回避出来るのならば良いに越した事はないし、何より今は戦えない者が近くに居るのだから、当然安全確保が最優先事項となる。


炭治郎と幼い兄弟のやり取りはさておき、善逸の真似をしてそっと耳を澄ましてみると───屋敷の二階。

それも奥の部屋の方から、何者かが床を踏みしめて歩く音がしているのが聞こえてくる。


一瞬。
今二階を歩いている誰かが、この兄弟の兄ではないかと思いはしたが…暫く足音を聞いているうち、そんな考えは霧散した。

…というのも、こちらの居る位置を探っているかのような足取りは、人間の物とするにはあまりに歩幅が大きく。
上を歩き回っている足音の主が人外の何か───即ち、大きな体躯をした鬼であるのが容易に想像できてしまい、面の下に隠れた眉間へ皺が寄る。

腰に差したままだった短刀を鞘ごと取って構えれば、その辺りでまた善逸が震えだした。


直後、足音が止み。

ポン…と、不気味な響きを伴った鼓の音がして、いよいよ近くに鬼の気配を感じ出した途端。

恐ろしさが許容範囲を超えたのだろう。
彼は自らの蜂蜜色の髪を掻きむしるように頭を抱え、突如けたたましい叫び声を上げた。


それと同時に善逸は勢い良く体勢を変え、何の前触れもなく突き出した尻に弾かれるようにして、炭治郎と女の子は隣の部屋へ。

反対に、百瀬と善逸と男の子は元いた廊下側へ残るような配置になってしまい、唖然としたのも束の間。


「ご、ごめん…尻が…。」


弱々しい善逸の謝罪に被せるようにして、炭治郎が苦笑したのが分かったが、ここの位置から見て斜め上の天井から、また床の軋む音がして……ポン、と。

再び聞こえてきた鼓の音と共に廊下との境にあった襖がぴしゃりと閉まり、座敷に居た炭治郎と女の子の姿が見えなくなってしまう。


「あっ…ど、どうしよう東さん…炭治郎が…!」


泣きそうな顔でしがみついてくる善逸の背を何度か擦って落ち着かせ、今し方閉じたばかりの襖へ手をかける。

この向こうには炭治郎達がいるはずだが、座敷の中は妙に静かで。

何かおかしいとは感じながら丁寧に襖を開けると───そこには誰の姿も無く、ただ黴臭い座敷が広がっているだけであった。


***


炭治郎達と意図せず離れてしまって暫し。

廊下に残った三人で互いに簡単な自己紹介をした後、座敷へ踏み入って他の襖を開けてみるも、炭治郎の姿は無く。

何だか嫌な予感がしたので一度玄関の方まで戻り、いつの間にやら閉じてしまっていた戸を開けてみるも…黒ずんだ桐箪笥と薄汚れた座布団が数枚放置された部屋へ繋がっているばかりである。


もののついでと近くの襖や引き戸を手当たり次第に開けてみたが、やはり出口に相当する物は見つからず。

全て見覚えのない座敷や部屋へ繋がっているのを確認したところで、予感は確信に変わる。


「え、つまりこれって……。」


引き攣った顔で察し良く独りごちた善逸に向き直り、百瀬は文字を書き付けた帳面を差し出す。


『退路が断たれましたね。今後は竃門殿との合流を最優先とし、正一君の護衛しながら辺りの調査と索敵を行う、という方針でいきましょうか。』

「…そ、ソウデスヨネ!?いや、何となくそういう感じかなとは思わないでもなかったんだけど……いや、ちょっと待って、無理だコレ…この流れでいくとどう考えたって俺死ぬしかないんじゃないの?どうすんのよ…?屋敷の中には鬼がいっぱい居て、出口も無くて…いや、嘘でしょ、嘘じゃ無いけど嘘だと思いたいよ!?だってこんなの完全に詰みで、」


落ち着かない様子の彼を宥めようと縮こまったその背へ手を添えるも、彼は自らを抱き締めるようにして腕を擦り、やや震えているようだった。

その一連のやり取りを見ながら、不安そうな面持ちで善逸を見ている正一に気付き、少々考えて。

安直ではあったが、正一に向けた言葉を帳面に書き付け、目線を合わせるようにして差し出す。


『怖い事に巻き込んでしまってごめんなさいね。正一君の事は、私と我妻殿で必ず守ります。ここを出るまではまだ時間が掛かるかもしれませんが、少しだけ頑張ってくれますか?』

読み終わるなり頷いたが『あの、てる子は…?』と、妹の物らしき名を口にしたので、不安にならないよう機転を利かせて返事を書き付ける。


『今は離れてしまいましたが、屋敷を出ればきっとまた会えます。てる子さんの事は竃門殿がきっと守ってくれますから、大丈夫ですよ。』

文章という形ではあったが、そう伝えれば彼は幾らか表情を和らげてくれた。


「(さて…。)」


こちらはどうにかなったが、問題は善逸の方だろう。

…状況が状況なだけに、極度な緊張と恐怖のせいで、彼は大分参っているらしい。


青い顔をして冷や汗をかき、身を縮こまらせて震える姿はいっそ気の毒なようにも見えて。

こういう場合、大抵の隊士は発破をかけたり、叱咤激励してどうにかこうにか刀を握らせるものなのだろうが。

こんな様子の相手に『役目なのだから鬼の討伐を、』と無理強いするのは酷というものだろう。


幸いと言って良いかどうか分からないが、今回の任務においては炭治郎の手助けをしなければ良いという縛りがあるだけで、他の隊士の事については明記が無かった。

ならば…と思いついた策があり、彼女は善逸の肩を叩いて帳面を見せる。


『我妻殿、少しお願いがあるんですが…宜しいでしょうか?』

「…へ?俺に…お願い?」


面食らったように帳面を凝視する彼に頷き、大急ぎで鉛筆を走らせる。


『お嫌で無ければ、役割分担をお願いしたいのです。私が鬼の討伐、我妻殿は哨戒と正一君の護衛…こんな具合に分担が出来れば、大分楽に屋敷の中を進めると思うのですが。』


いかがでしょう?

相変わらず文章で問い掛けると、彼は困ったように眉を下げる。


「哨戒…って、周囲を見張るって事だよね?今までそういうのやった事ないし、あんまり自信ないな…。」

『いいえ、耳の良い我妻殿だからこそ、是非お願いしたいのです。先程から、気付いた事は惜しみなく私に教えて下さっていましたし…我妻殿が哨戒も引き受けて下さるなら、鬼が出ても先手を打つ事が出来るでしょうし、勝率も上がると思うんです。全員生きて屋敷を出るため…どうか力を貸して頂けないでしょうか、』


我ながら飾り気のない文章に、些か単刀直入過ぎたかもしれないと後悔したけれど…出してしまった物はどうしようもない。

その間、善逸は蜂蜜色の頭髪を揺らし、考え込むような素振りを見せ…ちらりとこちらを眺めてすぐ。


何故か顔を赤くしながら、慌てたように片耳を押さえて俯く。

もしかすると気を悪くしたかと不安になり、すかさず帳面へ文字を書き付けようとすると、善逸は先程よりかはっきりとした声で話し出す。


「…分かった。俺、こんなだから…どこまで出来るかは分かんないけど、でも、頑張ってみる…。」

「………!」

「あ…で、でも、完璧には出来ないと思うから、あんまり期待はしない方向でお願いしたい…です…、」


最後の方は何故か敬語だったが、どうにか先へ進む算段がついて心の底から安堵したのは言うまでも無い。

こうして、未だ薄暗い屋敷の中。
先程の分担の通り百瀬を先頭としてようやっと探索が始まったのであった。

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