桃と鬼 | ナノ
 14

不死川と別れ、田畑や山の続く長閑な景色の中を冨岡に連れられるまま往き、大分経って。


今はガス灯がずらりと立ち並ぶ東京の街中…月明かりすら霞んで見える程に煌々と明かりのついた浅草の表通りを歩いていた。

時刻的には、所謂『真夜中』に区分される頃合いであるために、表通りと言えども人はまばらだ。


真っ暗な活動写真館の前を足早に通り過ぎ、串カツやら蕎麦を売る屋台が並ぶ辻を抜けて。

先程から無言のまま迷い無く足を進め続ける冨岡の背を眺めながら、百瀬は僅かに顔を顰めた。


「(冨岡殿、どこまで行かれるおつもりかしら…。)」


大分前から思ってはいたが、何とはなしに聞いてはいけないような雰囲気があったため…今の今まで聞けず終いだったのだが。


「(もし任務地に向かっている途中なら、着いたらすぐ鬼と斬り合う事になるのかもしれないし…。)」


そんな考えも浮かび始めた所で、彼女は思い切って冨岡に話しかける。


「…あの、冨岡殿。お急ぎの所申し訳ないのですが、少しお伺いしたい事がありまして……、」


随分と仰々しい聞き方になってしまった感じは否めないが、幸いにも彼は特に気を悪くしたでもなく。

『何だ、』という簡素な言葉を返してゆっくりと立ち止まる。


その際に、長らく彼女の手首を掴んでいた固い手の平が離れた。

最初の方こそひやりとしていたものの、今や握られていた箇所には冨岡の手から伝わった仄かな温もりが残り…夜風が冷やかすようにそこを撫ぜていくのに合わせて、少々の気恥ずかしさが生じる。


その間も、凪いだ瞳は静かにこちらを眺め。

氷の容は崩されないながらも、彼女が問い掛けを寄越すのをじっと待っている風であった。


「今更ではあるのですが…これから浅草で任務があるのでしょうか?もしそうでしたら、鬼に遭遇する前に…何か討伐対象に関する情報等、教えて頂ければ嬉しいのですが。」


人知れず恥ずかしさを振り切り、ごく真面目にそう問い掛けた瞬間。

冨岡は目を見開き…かと思えば、ゆらゆらと目線を彷徨わせ『…いや。すまないが、任務があるわけではない。』と前置き、少々考え込むような素振りを見せて。


「…幸い、目的地はすぐ先だ。着けば分かるだろう、」


そう言ったきり。
彼は再び無言で背を向けて歩き出してしまった。

あまりに簡素すぎる物言いに『結局のところどこに行くのかは分からないけれど…、』と困ったのはさておき。


ここまで何も聞かずに着いてきてしまったのも自分なのだから最後まで付き合おうと腹を決め、冨岡を追いかける。

ガス灯の灯りの下、鮮やかに翻る半々羽織が細い路地へ音もなく入って行ったのに倣い、彼女も同じ路地へ駆け込むと。


狭い路地の突き当たりへ、こんな時間だというのに煌々と明かりを灯した西洋風の作りの家があった。

四角い窓には布か何かで覆いがしてあるためか、中の様子はよく見えなかったが…布を透かして見える柔らかな橙色の明かりの中で、誰かの影が忙しなく動き回っているのは分かる。


そちらの方へ迷い無く歩く冨岡の姿を認め、数歩後ろに着いて近付いていく内、鬼殺の隊士であれば誰しも一度は目にした事があるであろう。

…お馴染みの『藤の家紋』が描かれた木綿の旗が、出入口と思しきドアの近くへ上げられているのを見つけ、彼女は緩く首を傾げる。


こんな浅草のただ中の。
それも、路地裏に藤の家紋の家があったなんて聞いた事もなかったが。

…いつものように泊めて貰うにしたって、ここへ至る道中にも藤の家紋の家は幾つかあったのだから、歩き出した地点から見てより近いはずのそちらを使わぬ理由が思い浮かばない。


そうとなれば、ここでなくてはならない理由があるはずだが。


そんな事を考えながら、百瀬は彼がドアを開け、中に入ったのに続き───当然ながら、そこへ西洋式の玄関があるとばかり思って足を踏み出したのだが。

中に入った途端に見えた光景があまりに想像とかけ離れていた物であったので、意図せず体を硬くしてしまった。


外観に似合わず広々とした印象を受ける空間へ、端の方でひっそりと焚かれているらしい白檀の香りが仄かに漂って。

気を付けて辺りを見回さなくとも、邪魔にならない所へ置かれた籠やら盆やら…値札の付いた大小様々な物品を見るに、ここはどうやら小間物屋であるらしかった。


そういえば、恋柱の甘露寺が『私の実家からそう遠くない所へ、藤の家紋の家の方が鬼殺隊の隊士向けにお店を開く事になったみたいで…、』と話してくれたのを今更ながらに思い出し、合点がいった。

それはさておき、置いてある品物の珍しさに辺りを見回していたその時。


「…こんばんは、隊士様。ようこそいらっしゃいました。」


お決まりの台詞が奥の方から飛んできたためにそちらを向けば、洋服を着た若い男性がこちらに笑いかけていた。

人好きのする笑みにほっとしながらも、つられて『ありがとうございます、』と返せば、男性は笑顔を崩さぬまま軽く会釈をしてくれる。


…すると、これまで黙ったままだった冨岡がゆっくりとこちらを振り向き。
かと思えば百瀬の腰にそっと手を添え、徐に前へと押し出す。

今度は何かと動揺しているうち、冨岡の立っている場所よりも僅かに前…洋服の男性と互いに顔がよく見える位置まで押し出されてしまい、気まずいような気分になって目を伏せた。

しかし、男性の方は何か察する物があったのか、優しげな声音に乗せてこんな事を問うてくる。


「───こちらの方への贈り物をお探しでしょうか?」

「…え、」


思いもよらぬ言葉に、自身の足元ばかりを眺めていた目を見開いて後ろの冨岡を見やり。

しかし、彼と視線が合う事は無く…かわりに、男性の言葉に対して冨岡が何度か頷くのが見えて、更に困惑した。


「この隊士の髪に飾れそうな簪か、それに準ずる物を探している…何か良さそうな物があれば見繕ってやってくれ。」


いつもと全く変わらぬ調子のまま。
けれど、はっきりそう言い終えたのを見計らい『あの…そんな事は聞いていないのですが、』と主張したのだが、彼女の発したか細い言葉は張り切ったような男性の声に掻き消された。


「承知しました、そういう事でしたらお任せ下さい…実は今日、舶来品のリボンやら髪留めがどっさり入ってきまして、今丁度品出しが終わった所だったんですよ。」

「そうか…では、先にそちらから見せてくれ。」

「勿論でございます…そうだ、折角ですから、髪に飾りながら決めましょうか。特にリボンなんかは、見るだけよりも、実際に髪へかけてみた方が色味の映えも分かりやすいですしね。」

「そういうものか…では、それで頼む。」

「はい、承知しました…では少し準備を致しますので、隊士様方はこのままお待ち下さいね。」


口を挟む間もなければ、一言問い掛ける時間すら与えられずに事態だけが動いていく。

もしかしなくとも、このままいけばとんでもない所にまで事態が転がっていってしまうのは目に見えていたので。


「…あの……待って下さい、私、そんなつもりで来たのでは無いのですが………、」


取り返しが付かなくなる前に、と決死の覚悟で声を上げたが、何を勘違いしたのか。

男性はにこやかに頷きながら『男性から髪留めを贈られる、というのは何だか緊張しますよね…お気持ち、良く分かります。』と言ったきり、奥へ引っ込んでしまう。

それを慌てて追い掛けようと一歩踏み出した途端、再度自分の手首が温い体温を纏った手に掴まれたのを感じて、溜息交じりに振り返った。


「………冨岡殿、」


彼を呼ぶ声はいつもの何倍も低く。
自分でも驚く程であったけれど、さっきの今なのだからそれも当然だ。


「少なからず他の鬼殺隊員と交流があるような方の前で軽々しくあんな事を仰ってしまって……万が一私との間で妙な噂でも立ってしまったらどうなさるおつもりですか…。」

「俺は別に気にしない、」

「『気にしない』って……私はそういう事を言っているのではないのです───竃門殿の一件がどうにか纏まった今、更に隊の風紀を乱すような言動を取るのは避けるべきかと。」


冨岡の瞳を見据えながら問い掛けると、反対に彼はそっと目を伏せた。


「百瀬は……他の連中から俺とそういった仲だと思われるのは嫌か?」


ぽつり、と。
小さく…本当に小さくそう言い、彼女の手首を握る力を僅かに強めて。

こちらと目も合わせぬまま黙ってしまう。


───もしこれが何でも無い二人きりでの任務中の会話であったなら。

『ご冗談を、』とか『もう…私の方が三つも上なんですから、あまり揶揄わないで下さいね。』と、冷静なまま笑って流せていたのだろうが。

この時ばかりは、いつもの調子でなあなあにしてはいけないような…妙な雰囲気があり、彼女は戸惑いながらも声を発してみる。


「……あ…その………、」


こんな具合に言葉を発してみたものの、その先へ続くはずだった言葉は潰えてしまった。

これは単なる自惚れでしかないのかもしれないが『嫌ではありません。』なぞと自分の口から一度でも言ってしまったが最後。


『同門で仲の良い兄弟子と妹弟子』や『柱と一般隊士』といった、清く正しい…純粋さの延長線上へ繊細に築いてきた気楽な関係が終わってしまうような予感がして。

どうする事も出来ずにいるうち、俄に奥の方から足音が聞こえ『準備が出来ましたので、こちらへお越し下さい。』と声をかけられたのだった。


***


「毎度ありがとうございました、どうかまたご贔屓に…。」


爽やかな笑みで送り出してくれた店主に軽く会釈をし、百瀬は窶れた面持ちで店を後にする。

そんな彼女の髪には、今や紺色のリボンがかけられ。
後頭部で綺麗に蝶々結びにされたそれは彼女の動きに合わせて、さやさや…と微かな音を立てている。


件のそれは例に漏れず舶来の品であり。
ほんの僅かな長さの布きれだというのにも関わらず『弐拾円』というべらぼうな値段がついていた代物であった。

───先程、冨岡と共に通された部屋で髪留めを眺めていた時の事を思い出し、眉間へ皺が寄るのを感じたが、それも致し方なし。


理由は単純明快。
そこに置いてあったのはどれも値の張る物ばかりであったので。

『流石にこんな高い物を買って頂くわけには…。』
『沢山種類がありすぎて選べませんので……。』

こんな具合で頑なに品物は選ばず、何度も遠回しに断っては食い下がってを繰り返していたのだが。
あわや夜明けまで平行線のまま続くかと思われたやり取りは、彼の突飛な行動によって終わりを迎える。


冨岡は溜息混じりに『それなら俺が選ぶ、』と簡素に告げて、一番高かった紺色のリボンを迷い無く摘まみ上げ、即座に会計を済ませてしまったのだった。

その後はリボンを半ば強引に渡され『髪にかけてみろ、』と促されるまま近くにあった鏡台を借り、女学生の頃の要領で後ろ髪にリボンを結んで。

直後『大変良くお似合いですね…!!』と、店主の男性から感嘆の声が上がった所までをやけに鮮明に思い起こしながら、百瀬は相変わらずふらふらとした足取りで考えを巡らせる。


「(弐拾円…弐拾円て…、)」


彼女は冨岡が柱であること…即ち、鬼殺隊士の中でもかなりの高給取りの部類である事はよく知っている。
───ただ、弐拾円という金額はそう簡単に出せる物でないという事もよく知っているため。

『素敵な贈り物を貰って嬉しい』なぞと手放しで喜べるはずもなく『どうしようかな…困ったな…、』という思いが心の内を占めていた。


無論、それをありありと表に出したのでは彼に失礼になるだろうと思い、表向きとしては厚く礼を述べたのだが。

順当に考えれば、何か…このリボンの金額に相当するようなお返しをするのが作法だろう。


だとしたら、一体何が良いものか───あれやこれやと品物を脳裏に思い浮かべながら歩いていると、前を歩いていた冨岡から、徐に『話をしても構わないか?』と問いかけられたもので。

珍しいなとは思いながら答えを返すと、彼は歩みを止めてこちらを振り返った。


凪いだ瞳がじっとこちらを見下ろして。
硬い皮の張った彼の右手がするりと伸び、結い上げられたままの百瀬の髪へ酷く躊躇いがちに触れる。

その手は撫ぜるようにそっと髪をなぞり…それに応じて生じた擽ったさに堪らず目を細めると、彼はやはり躊躇うようにゆっくりと話し始めた。


「髪………すまなかったな、」


たっぷり間を取って寄越された言葉にはっとした時には、もう彼の手は元のように引っ込められていた。


「二年前『一切迷惑は掛けない』『何も心配する事はない』なぞと言って様々手伝わせておきながら、結局お前を酷い目に遭わせてしまった……。」


余りに沈んだ調子で淡々と言葉を発する冨岡に、堪らず『それはあなたのせいではないと思います』と告げようとするも、彼は首を横に振って百瀬の言葉を遮った。


「こんな物を買って押しつけた所で……到底許してもらえないのは分かっているし、髪にかけているそれも、気に入らなかったら捨ててもらっていい。」


『本当にすまなかった。』

そう締めくくって黙り込んだ彼の顔は無表情であったけれど、どことなく落ち込んでいるのが見て取れて、百瀬もつられるように無言になる。


けれど、言葉の切れ端から、冨岡が自分を案じてくれていたが故、彼なりに様々気を遣って行動してくれていたのだという事が痛い程に伝わってきて。


───先程振り払ったはずの何とも言えぬ気恥ずかしさが再び取り縋ってくるような感覚に苛まれた。

どういうわけか、柄にもなく浮つこうとする自身の気持ちを慌てて押さえつけながらも、彼女はいつもの調子を保ちながら話を進める。


「冨岡殿、どうかそんな事を仰らないで下さい。」

「………………。」

「私なら平気です。それに…このリボンは冨岡殿が私の為に選んで買って下さった物ですから、捨てるだなんて罰当たりな事は出来ません───わざわざお心遣い頂きまして、ありがとうございます……大切にしますね、」


やわらかくそう伝えれば、彼は何か言いたそうな顔をしてこちらを眺めていたが。

長々と間を取った末に、とうとう『………そうか、』とだけ呟き、また元のようにこちらへ背を向けた。


間髪を入れず。

急に歩き始めた彼の後ろを慌てて追い掛けると、百瀬の動きに合わせて後ろのリボンがさやさやと音を立てる。


いつの間にか白み始めていた空の下。

今し方兄弟子から買い与えてもらった舶来の品の囁きに耳をそばだてながら、一歩先を往く彼の背中を追い掛けた。

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