▼ 13
耀哉と話し込んだ為にすっかり遅くなってしまい、急いで帰ろうとしたのだが『今日は友人として来てもらったのだから、』と言いくるめられて夕餉を馳走になる運びとなり。
それが終わって今度こそ帰ろうとするも『折角来て頂いたのですから、もっとゆっくりしていって下さいな。』と通された二の間にて、耀哉の娘達と双六や花札をして遊んだり、耀哉の妻であるあまねと暫く話をしたりして過ごした。
その間に、柱合会議前の一悶着のせいで短くなった髪を綺麗に切り揃えてもらい。
『短くても髪を編んで、耳や項を出せるような結い方があるから、』と。
鏡の前で実際に髪を結い上げ、やり方を教えて貰ったのだが…これがなかなか複雑で、出来るようになるまでは暫く練習が入り用だな、と思ったのが半刻前である。
極めつけには『今夜はもう遅いですし、泊まって行かれてはどうですか?』と誘われ。
それは流石に…と断って、先程お暇してきたばかりであるのであるが。
───夜道を歩く彼女の数歩先には、豪奢な着物を着た少女が提灯を持って歩いていた。
彼女の着物には藤の香りがする香が焚きしめられている為か、品の良い香りが辺りに漂い、丁度肩口で切り揃えられた…耀哉とよく似た艶やかな黒髪は、提灯から漏れ出る柔らかな光に照らされ、彼女の纏う人形のような儚い雰囲気をより一層際立たせていた。
こんな具合に、見た目は完璧に『童女』であるが、彼女…もとい彼は、古くからある産屋敷家のしきたりにより、本来は男児であるものの、一時的に女児として育てられている。
彼がこのまま13歳まで育った折には、正式にお館様の後を継ぐ男児として鬼殺の隊士にも紹介されるのだが…先程の耀哉の話からして、きっと彼はもうすぐ女児では居られなくなってしまうだろう。
父である耀哉が亡くなれば、次に鬼殺の隊士を率いなければならなくなるのは、息子である輝利哉で。
…幼いながらも『お館様』と呼ばれる立場へ押し上げられた彼を友人として支えるのは、他でも無い百瀬自身である。
百瀬に子どもがいれば、幼い頃から輝利哉の元へ連れて行って度々遊ばせ、彼と年の近い友人とする事が出来たのだが…いかんせん彼女は未婚であり、勿論子どももいない。
そんな時は、先代のお館様の友人であった者がそのまま次代のお館様の友人となり、幼い産屋敷家当主を精神的に支える……これが、彼女の実家に伝わる古くからの倣わしの一つである。
「(…………こうして考えてみると、)」
輝利哉と自分とでは親子程に年の差があるが、その実。
いつの頃からあるのやもしれない、家の『古いしきたり』やら『古い倣わし』に抱き着かれて身動きの取れない者同士なのだなと思えてしまい、溜息が出た。
きっとそれは、耀哉や先代のお館様。
百瀬の実の父や、亡くなった叔母も例外ではないのだろう。
産屋敷家と、彼女の実家に全く関係の無い者が聞けば、皆一様に顔を顰めて黙りこくるような。
…酷く惨い決まり事や、果たしてそんな事をして意味があるのかどうかと首を傾げてしまうような倣わしがある中、彼女自身や彼の先祖の誰もが『それを忠実に守ってきた先祖や、それに巻き込まれてきた者達の思いを無下にするのは…。』『昔から続けてきた事を今更辞める事など決して出来ない。』という強い思いから、涙を飲んで決まり事を守り続けて。
────大正のこの世に至るまで一切決まりを破る事無く、ひっそりと命を繋いできた末に自分や輝利哉が存在しているのだと思うと、それだけで目眩がするようだった。
そんな中、相変わらず前を行って道を照らし出してくれていた輝利哉は急に歩みを遅くして彼女の隣に並ぶと、こちらへ話しかけてくる。
「…百瀬さん。今日は家へ遊びに来て頂いて、本当にありがとうございました。」
「いえ、こちらこそ。久々にお話しできて嬉しかったです…それに、こんなに遅い時間まで居座ってしまった上、夜道をお嬢様に送っていただくなんて……。」
『何ともお恥ずかしい限りです、』と苦笑いで返せば、彼は年相応に声を上げて笑った。
「そんな事はありません。百瀬さんになら、いつでも遊びに来て貰いたいんですよ。父上も母上も…勿論、姉や妹達だってそう思っているんですから、どうかお気になさらず…また遊びに来て下さいね。」
そう告げた直後、彼はまた話を続ける。
「……それに。最近の父上は、これまで以上に体調が優れないせいもあるのか、何だか元気がないようで…あんなに楽しそうに笑ったり、話をしたりしている所は本当に久し振りに見ましたから───また折を見て父上に会いに来て頂ければ嬉しいです。」
まだ高い声音に乗せてそう言い切ったのを受け取りつつも『これから彼が父の病状を知って何と思うのか、』と考えると、どうにも心が痛む。
だからといって、耀哉に遺された時間が残り少ない事を自身の口から告げる事は到底出来ず、彼女は微笑の裏にそれを隠して『ええ、きっと…また近いうちに伺いますわ。』とだけ返事をした。
そのまま、他愛のない会話を続けながら夜道を行くうち、いつの間にやら門の真下にまで来ていた。
それに気が付くが早いか、彼女は輝利哉に対して丁寧に礼を述べて会釈をし、門を潜ろうと一歩踏み出したが。
「……あ、あの!!」
いつになく大きな声で引き留められ、何か言い忘れた事でもあったのかと振り返れば、輝利哉が真面目な顔でこちらを見上げていた。
「…あの、百瀬さん。」
「………何でしょうか?」
よく話が聞けるよう、彼の背丈に合わせて屈めば、いつもは白樺の木のように真っ白な肌がほんのりと色付いているのが分かり、彼女は意図せず表情を引き締める。
「───実は。今日、父上から『輝利哉もそろそろ百瀬と二人きりで会って遊んだり、話をしてもいい頃だね。』と言って頂けたんです…それで……その、もし百瀬さんが嫌でなかったら……友人として正式に関係を結んで頂けませんか…?」
勢い良く言い切ったためか、提灯の薄明かりでもはっきり分かる程に彼の頬は紅潮し、僅かに乱れた息が彼女の頬を掠め。
その僅かな間でも、輝利哉は緊張した面持ちのまま真っ直ぐにこちらを眺めている。
そんな彼を無言で見返し、瞬きを一つして………輝利哉の姿を幼い頃の耀哉に重ね合わせながら、彼女はもう随分と前の事を思い出すに至った。
───あれは、私がまだ7つの時。
夏も間近で蒸し暑い昼の日中、父に連れられるまま生まれて初めて訪れた産屋敷邸で、小さな男の子と会った。
彼は名を産屋敷耀哉といい、屋敷に出入りしていた者からはお館様と呼ばれて大切にされていたようだが…あまり体が丈夫ではないらしく、人形やおはじきで一緒に遊んでいる最中に何度か咳き込み、その度に『ごめんね、』と力なく笑いかけてくるような子だった。
そうしているうち、もう帰るという間際になり。
別れの挨拶をしようと振り返った時。
彼は、私の着ていた着物の袖をそっと掴んで引き留め『……お友達になって。』と。
耳まで真っ赤にしながら…けれど、確りとこちらを見据えてそう言ったのだ。
…こんな具合に遙か昔の出来事を呼び起こし、懐かしさに頬を緩めて。
彼女は再び目の前の輝利哉に向き直った。
……思えば、彼女が耀哉と出会ったのは先代のお館様が自害なされ、まだ4歳だった彼が新しいお館様となって間もない頃であったから。
見知らぬ大人達に突然『お館様』と呼ばれ、訳も分からず担ぎ上げられる中、誰でも良いから他者に縋りたかったのかもしれないし、単に自分の兄弟以外の者が物珍しくて、どうしても次に会う約束を取り付けたかっただけなのかもしれない。
今となっては、そこにどんな意図があったのかは知る由もないけれど…あの日、彼は確かに百瀬を友人とする事を自分の意思で選んだのだ。
彼女が今のお館様と友人になったのは実に19年も前の出来事ではあったが、今の輝利哉はあの日の耀哉とよく似ていた。
…否、いっそ恐ろしい程に父譲りであった。
思い出に浸るのはひとまずそこまでと自分できりを付け、百瀬は鋭く輝利哉の瞳を覗き込む。
───ここで目を逸らしでもすれば、件の話は即刻断ろうと腹を決めていたが、彼が憶せずこちらを見返し、迷わず目線を合わせてきたのを認めて思わず溜息が出た。
「左様でしたか…正直。私達が友人関係を結ぶのは、お嬢様が13歳になられてかが良いのではないかと思っていたのですが……耀哉殿がそう仰られたのであれば、今が最適な頃合いという事なのでしょうね。」
独り言のようなぼやきと共に、彼女は一度目線を逸らす。
その間も彼は相変わらずこちらを見据えてはいたが…緊張のためか、薄く紅を差した小さな唇と提灯を持つ手が微かに震えていた。
二人の間に暫しの沈黙があり。
ややあって、彼女は視線を世闇の中へ彷徨わせた後。
再度輝利哉の方を見やり、軽く会釈をする。
「───私のような女でよければ。そのお役目、喜んで頂戴致します。」
覚悟を持ってそう告げれば、彼は一瞬呆けたような顔をし…かと思えば即座に笑顔になる。
「…ほ、本当ですか!?ありがとうございます………!!!早速父上にも伝えますね!!」
「どうか、宜しくお伝え下さいまし。それでは…これから私と二人きりで会う際は、私の事はただ『百瀬』とだけお呼び下さい。反対に、私はお嬢様の事を『輝利哉殿』と呼ばせて頂きますが…よろしいでしょうか?」
そう問えば、彼は頬を紅潮させたまま力強く頷く。
「…ああ、それから。輝利哉殿なら大丈夫かと思いますが。他の隊士から見れば私はただの一般隊士で、輝利哉殿はお館様とあまね様の御息女という事になりますから、」
「他の隊士が居る時には、百瀬と友人関係である事は悟られぬよう、あくまで他の一般隊士と変わらぬ接し方を貫く事…でしたよね?」
やや食い気味に…けれども、確信を持って。
彼女が輝利哉へ伝えようとしていた事をぴたりと言い当てたので、内心『血は争えないな、』と感じ、また出そうになった溜息を呑み込み。
つられるようにして笑みを浮かべながら『その通りです、』と伝えれば、彼は嬉しそうに頬を綻ばせた。
刹那、不意に辺りが明るくなり。
何事かと見上げた空には、これまで雲に覆われていた月がひょっこりと顔を出していた。
青白い澄まし顔の月を眺め、その高さにはっとする。
「…もうこんな時間でしたね。それでは、今日はこれにて失礼させて頂きます───また月が雲に隠れる前に、足元に気を付けてお帰り下さいまし。」
そう告げれば、彼は嬉しそうな笑みを浮かべ。
『今日はどうもありがとう…おやすみなさい、百瀬。』と言い置いて会釈をするが早いか、素直に踵を返した。
***
敷かれた砂利の上を、年の離れた友人が跳ねるようにして帰っていくのを見送ってから、さて自分も帰ろうと今度こそ門を潜る。
『今からなら、朝になる前に弟の所へ帰れるかもしれない。』
『手紙でのやり取りはあるから、そう離れている感じはないけれど…たまには顔を見たくなるものね。』
そんな事を考えながら歩いて暫し。
ふと背後に輝利哉の物とは違う気配を感じ、咄嗟に刀へ手を掛けたまま振り返れば────どこから来たものか。
仄白い月明かりを背負い、五歩程先へ不死川が立っていた。
思わぬ人物が唐突に現れたので、一瞬『疲れすぎて幻覚でも見えているのか、』とも思いはしたが。
何度瞬きをしても不死川が消えない事から、目の前の彼が幻覚の類ではないと分かり、百瀬は何とも言えない気持ちでそちらへ声をかける。
「…風柱殿でしたか、大変失礼致しました。」
彼に頭を下げ、柄にかけていた手をそろりと外すと、不死川は顔を顰め…一歩こちらへ踏み出す。
それを目にしてすぐ。
直感的に『昼の一件について意見を言いに来たのか。』と思い至った。
何しろ、さっきの今なので。
殺気こそ感ぜられないが、警戒して数歩後ろへ下がると、それ以上不死川が百瀬の方へ足を進めてくる事は無かった。
「あの───何か、ご用でしたか?」
緊張しながら。
絞り出すようにそう問えば、彼はとびきり渋い顔をして…そのままふいと視線を逸らす。
「……近付かれんのが嫌ならこれ以上そっちには行かねぇ…そのままで良いから聞け、」
ぶっきらぼうに言葉を放ると、彼は頭を掻き…どこか困ったような顔をして話し始める。
「お前と冨岡がやらかした事や、あの馬鹿隊士と鬼の事は認めるわけにはいかねぇが……。」
そこで一旦言葉を区切り、こちらを見て。
「お前の肌に刀傷付けちまったのも、切れて短くなっちまった髪も…取り返しがつかねぇだろ。昼間、俺が短気起こしてやっちまった事は謝らせてくれや───本当に悪かった、」
ごく簡潔に告げ、こちらへ深々と頭を下げる不死川を目の当たりにし、彼女は目を見開く。
てっきり文句を言い連ねられるものとばかり思っていただけに、彼がわざわざ謝りにきたというのが意外だった。
彼の言動には荒々しい所があるものの…鬼殺の隊士の中では、比較的良識のある部類であり『鬼が絡まなければ基本的に穏やかである』という事は、これまでの付き合いの中で知り得ていたが。
その認識は間違っていないらしく、不死川は相変わらずこちらへ頭を下げ続けている。
もう少し待っていれば顔を上げてもらえるかと思ったのだが、そんな事は無く。
慌ててそちらへ駆け寄り…少々迷いはしたが、不死川の肩へそっと手を乗せた。
「……どうか顔を上げて下さいな、私なら大丈夫です。竃門殿達の一件に関しては、お怒りになるのも当前でしょうし…私こそ、失礼な事ばかりしてしまって申し訳ありませんでした。」
そう伝えれば、彼はようやっと顔を上げたが…かと思えば、ばつが悪そうに視線を彷徨わせ。
編んでどうにか結い上げられた百瀬の髪と、ブラウスの襟で隠された喉や肩口の辺りを何度も眺めている。
「(昼間の一件…かなり気にしていらっしゃるのね。)」
大きな体躯を縮こまらせて申し訳なさそうにしている彼を見ていると、何だかこちらまで申し訳なくなってきて。
「髪はそのうち伸びますし、傷もすぐに消えますわ…どうかそんなにお気になさらずに、」
極力そっと言ってみたが、彼は首を横に振ってこちらを睨んだ。
「いや…嫁入り前の大事な体だってのに、頭に血が上った勢いであんな事されちまったんだぞ。普通、もっとこう…泣いたり、怒ったりする所じゃねぇのかよ………ああ、クソ。お人好が…お前と居ると、どうも…。」
急に悪態をつき始めた彼へ咄嗟に謝ろうとしたが『…いや、いい。謝んな、』と制止されてしまい、半端に出かかった言葉が喉の奥へ落ちていく。
それからややあって。
不死川は急に真剣な調子でこんな事を言ってきた。
「…お前より後に鬼殺隊に入った俺がこんな事言うのは間違ってるかもしれねえが。お前、立場としちゃあもっと文句言ったって良いんだぞ。」
「─────え、」
「ったく…『え』じゃねぇだろうが、百瀬よォ…。あの後、柱だけでもういっぺん集まって話をしたんだがなァ…元を正せば完全に冨岡の野郎のとばっちりじゃねぇか……。」
「あ…い、いえ。厳密には『とばっちり』とは、また違うかと…竃門殿の一件は、私も納得した末に与してしまったわけですから、」
即座にそう返せば、彼は『話をややこしくして上手く庇おうとしやがって…そういう所だぞ、』と渋い顔でこちらを見下ろす。
「前々から思っちゃいたが、お前はどうも義理堅いというか……生真面目すぎやしねぇか?三つか四つのガキでもあるまいし…同門の兄弟子だか幼馴染みだか知らねぇが、冨岡だって所詮は他人だろうが。冨岡に限らず、他人の言う事なんざ何でもかんでも素直に聞いて優しくしてやる必要なんかねぇんだからな。」
「………それは、そうですが…。」
口ごもって目線を下げると、少々の沈黙の後『おい…まさか、べそかいてるわけじゃねぇだろうな!?』と焦ったような声音が寄越され。
流石にこの歳でそれはあり得ないだろうに、と内心溜息交じりに顔を上げれば、眉根を寄せたままの彼と目が合った。
「…まあ、その。何だ……別にそれが悪いとは言わねぇ。それでこそお前って気もするしな……ただ、」
そう言い淀んで考え込むような素振りをしている彼を見ながら、先へ続くであろう言葉を待ったが…どれだけ待ってもそれが出てくる事は無い。
「…………………?」
『どうされたのですか、』と問う代わりに首を傾げると、不死川は一瞬だけとても寂しそうな顔をしてこちらを見やり…間もなく目を伏せた。
「…いや。やっぱ上手くまとまらねぇから止めとくわ。律儀に待っててもらってたとこ悪いが…忘れてくれや、」
「…左様でしたか、」
そう返しはしたが、きっと触れてはいけない所なのだろうなと思い至って『そんな事もありますものね、』と言葉を添えた時───俄に彼の纏う雰囲気が変わった。
不死川は百瀬の背後にのたばっているはずの闇を睨み。
何かあるのかと恐々彼の視線を追い掛けて振り向こうとすると、それより早く左手首をひやりとした何かに握られて鳥肌が立つ。
「……………っ!?」
大袈裟に肩が震え、生唾を呑み込みながら振り返った先には…特徴的な半々羽織を夜風にはためかせ、涼しい顔で百瀬の半歩後ろに佇む冨岡の姿があった。
「…………。」
無言で彼の顔を見上げた後、依然として冷たさを感じる左手首を恐々眺め下ろせば。
暗がりの中、半々羽織の袂から伸びた冨岡の手が確りと自分の左手首を掴んでいるのが見えて困惑した。
彼が彼なりの善意によって突然に突飛な行動を取るのは、今に始まった事ではないけれど。
───今回ばかりは上手く意図が読めずに固まっていると、冨岡はいつも通りの無表情でちらとこちらを見やり。
かと思えば、彼女の左手首を握ったまま更に一歩前へ踏み出す。
形としては不死川と百瀬の間に入ったようなあんばいのまま。
彼は唐突に不死川へ話しかけた。
「…話はもう終わったか?」
「あぁ…!?いきなり来た挙げ句何言ってやがんだァ……?」
たった一言交わしただけだというのに、絶え切れぬ程険悪な雰囲気が立ち込め、背筋が寒くなる。
この二人…同い年ではあるのだが、いかんせん考え方も価値観も何もかもが真逆である上、一度顔を会わせれば毎度こんな雰囲気になってしまう。
隊士達の間に流れている噂話によれば『以前冨岡が不死川に対して無愛想な物言いをしたせいで、長らく不仲な状態が続いている』上に。
『当の冨岡はそれに気が付いておらず、自分から不死川へ話しかけてはまた無愛想な物言いをして怒らせてしまう』という地獄のような状態であるらしいのだが…。
「『いきなり』というわけではない。少し前から近くには居たが、なかなか終わらないようなので進捗を聞きに来ただけだ。」
「………………。」
きっぱりと言い切った冨岡に対し、不死川の憎々しげな舌打ちが降ってきた所で、今度こそ体中の血がさぁ…と引いていくのを感じた。
噂話は噂話のままであってほしかったが、どうやら…いや。
まことしやかに囁かれる件の噂は本当らしいという事を目の当たりにしてしまい、何も言えなくなってしまう。
「…それで、百瀬との話は終わったろうか?」
同じ問いかけを繰り返す彼を一瞥し。
不死川はこちらを眺めて、小さく溜息をつき、吐き捨てるように言葉を投げる。
「お前が終わったと思うんならそうだろ、」
「…そうか。なら、俺達はこれで失礼する。」
ごく簡素に伝えて頭を下げるが早いか、こちらへ向き直って『行くぞ、』と声をかけられ、未だ繋がったままの手首を緩く引かれた。
こんな時間にどこへ行こうというのか…。
それ以前に、冨岡に聞きたい事は山ほどあったが、ひとまず不死川に挨拶をと思い至って振り返れば、彼は既に背を向け、反対方向へ歩いて行く所だった。
「あ…し、不死川殿……、」
咄嗟に声を上げるも、彼がこちらを振り返る事は無く。
冨岡が前へ前へと手を引くもので、彼との距離はあっという間に開いてしまう。
どうしようかと激しく迷ったものの、夜中に大声を上げる事は憚られたので、結局彼女はそのまま冨岡の方へ顔を向け、半々羽織の下に隠された広い背中を見つめる。
今度何かの折に、不死川に会えたら…いや。
きっと返事はないだろうが、後で彼宛の手紙を書いて鎹鴉に託そうと思いながら、冨岡に連れられるまま月明かりに照らされた道を歩いた。
prev /
next