桃と鬼 | ナノ
 02

季節は巡り、桜の咲き誇る頃。

あの後、一切連絡が取れなくなってしまった弟弟子...獪岳の事を思いながらも、彼女はお館様から直々に言い付かった密命を果たすべく、浅草から遙か南南東の方角へ向けて歩みを進めていた。



しかし、それはそれ、これはこれだ。

少々大変そうに思える任務でも、いざやってみれば案外何とかなるもの───それに則っていけば、今回は通常の任務とは事なり、様々制限があるけれど、どうにかこなす事は出来るはず。


そんな事を思いながら、彼女はお館様から届いた荷物の中から見つけた兎の面を取り出し、徐に自身の顔へ括りつけ、頭の後ろできつく紐を結ぶ。

丁度近くへ流れていた用水路を水鏡として姿を映し、面の位置を確認して、彼女はまた道を歩き出した。


目指すは、鎹鴉から通達のあった炭治郎との合流地点だが…辺りを見回しても、目印であるはずの大きな銀杏の木は、その陰すら見当たらない。

今彼女の目の前にあるのは、端から端まで綺麗に耕された広大な畑と、その真ん中へ通された一本道のみだ。


まさか、とは思ったが、念のために振り返ると、遙か後方に銀杏と思しき大木が見え───もしかしなくったって、合流地点を通り過ぎてしまった事は明らかである。

これまでも、かなり急いでいたとか、任務が立て込んでいたとか…そんな理由で何度か合流地点を素通りしてしまう事はあったものの。

見つけやすいから目印に指定されたのであろう物を見落としてあげく、素通りしてしまった、というのはこれが初めての事だった。


「(何だろう…?)」


月の物は一昨日終わったばかりだから、そのせい、という訳もなし…ともすれば、最近色々な事があったせいで疲れているのかもしれない。

ただ、仮にそうだとしても。
弛んでいる事には変わりないので、彼女は緩く頭を振る。


『私はこれから、お館様から頂いた大事な責務を果たさねばならないのだから…ぼんやりせずに、しっかりしなければ。』と。

面の下の表情を引き締め、急いで銀杏の木の方へ踵を返したその直後。


先程までは無かった物が視界に映り込み、意図せずそちらを注視してしまう。

前後へ延々と続く、一本道。
ここから見て、銀杏の木がある方へ一町程距離があるかと思しき道の方から、ふらふらと覚束ない足取りで誰かが歩いてくる。


見るからに不審な振る舞いにぎょっとし、つい後退ってしまったが…着ている物的に浮浪者ではないだろう。

まさか『さっきから居たけれど、気づかずに通り過ぎてしまった。』なんて事は流石に無さそうなので、恐らく彼女が物思いに耽っているうちに後ろから歩いてきていたと考えるのが妥当か。


声をかけるべきか否か迷っていると、右へ左へ。
相変わらずぐらぐら揺れながらおかしな歩き方をしていたその人物は、何の前触れもなくバタリと倒れてそれきり動かなくなる。


「(……………うそ、)」


急な流れに焦りながらも、百瀬はとりあえずそちらへ駆け出す。

その時。
道に倒れ臥した人物を挟み、遙か前方…即ち、銀杏の木よりも前の方から『そこの人ーっ!!!大丈夫ですかーっ!!!』という叫びと共に、市松模様の羽織を颯爽とはためかせ、見覚えのある少年がこちらへ走ってくるのが見えた。


***


丁度良く来てくれた炭治郎と共に、道端で倒れ伏した件の人物を銀杏の木の下へ運び、簡単な手当を施して様子を見る事暫し。


「ひとまず、これで大丈夫でしょうか?」


炭治郎はそう呟きながら、木陰で眠っている人物…もとい、自分達とあまり歳の変わらないであろう鬼殺隊士の少年の顔を覗き込み、心配そうな表情をしている。

それを眺めつつ、百瀬は帳面を取り出して言葉を書き付け、彼の方へと差し出した。


『顔以外に目立った傷は見当たりませんし…頭やお腹を強く打ったわけでもなさそうですから、あまり心配しなくても良いかと思われます。』


その文面を見て、彼はいくらか表情を和らげた。


「…それにしても。この人、ここに来るまでに喧嘩でもしてきたような感じですよね。」


確かに。
少年の頬には、冷やして薬を塗ったためか多少薄くなりはしたが…未だぼんやりと平手打ちをされた跡が張り付き、額や顎の辺りには爪で引っかかれたと思しき細かな傷が残っている。

大方、女性との喧嘩の末に付けられた物だろうなと直感的に分かってはいたが、本気で『痛そうだなぁ、』『大丈夫かな…?』と少年を心配している彼にそんな事を伝えられるはずもなく。


『せめて、この方に意識があればよかったのですが。何分、今はこんな状態ですから詳しい事情は分かりませんし…とりあえず、目が覚めるまで待つしかなさそうですね。』


思案の末、そう書き連ねた帳面を差し出すと、彼はこくりと頷き。
突然、何か思いついたようにぱっと顔を明るくした。


「そうだ…俺、もう一つ濡れ手拭いを作ってきますね!その人の額に乗せてあるそれ、そろそろ新しい物に替えた方が気持ちがいいでしょうし…もしかしたら、その方が早く目が覚めるかもしれません。」


人好きのする笑顔でそう言って、自身の懐から手拭いを取り出すが早いか、彼は近くの川へ下りていく。

『ありがとうございます、』と書き付けた帳面を見せる間もなく行ってしまった炭治郎を眺め、彼女は近くへ広げていた軟膏や薬を片付けながら考え事を始めた。


結論から言うと、助けた少年は今回炭治郎と共同で任務をこなすよう伝令を受け、任務地へ向かう途中であったようだ。

『近くに居た雀が教えてくれたので分かりました、』と大真面目に炭治郎が言っていたもので、その場は頷いてしまったのだが…どういう原理で雀の言葉が分かったのかは見当がつかないので、任務後にでも直接彼に聞いてみたいところである。


「(それはさておき、)」


彼女は荷物を整理する手を止め、すうすうと寝息を立てて眠る少年の姿をじっと見つめる。

自分達と同じ、黒い詰め襟の隊服と白鞘の日輪刀。
隊服の真新しさから、ここ数ヶ月の間で候補生から隊士に上がったばかりと思われるが…もしかすると、区分的には炭治郎の同期という事になるんだろうか?


そんな事を思いつつも、彼女の瞳は少年の頭髪を凝視してしまう。

…恐らく、こんな時でなくともまじまじと見つめてしまうような。
そう確信してしまうくらい、彼の髪は格別人の目を引く。


蜂蜜を思わせるような黄金色は、いつだったか。
港町へ立ち寄った折に見た『異人さん』の髪とよく似た色味をしていた。

彼女の知り合いの中にも特徴的な色の頭髪を持つ人物は一定数居るが、そのどれにも属さないとろりとした色に惹かれ、百瀬は僅かに少年の方へ躙り寄る。


少しだけ。
もう、ほんの少しだけ…と。

好奇心には勝てず、ギリギリまで。
それこそ、手を伸ばせば容易く少年の髪へ触れられてしまう程近くへ寄ってまじまじとその色を眺めていた時。

俄に彼の睫毛が細かく震え出したのを目にし、咄嗟に身を引こうとするが…もう遅い。


「ん………、」


掠れた唸り声と共に、髪と同じ色の眉が顰められ。
程なくして、すぅ…と怠そうに上がった目蓋の下から髪と揃いの色をした瞳が覗く。


「桃の…匂い………?どこから……、」


どこの訛りも入っていない綺麗な言葉が掠れた声に乗って吐き出されたのと同時に、彼女はベルトに挟んでいた帳面と鉛筆を手に取る。


『道端で倒れていらしたので、勝手ながら介抱させて頂きました。お加減はいかがでしょうか?』


少々迷いはしたが、事実を簡潔に書き付けた帳面を目の前に差し出すと、彼は文字を何度か見つめ。
かと思えば、蜂蜜色の瞳が唐突にこちらを見る。

それに応えるように、こちらもその瞳を見返した時───未だ寝転がったままの彼に異変が起こった。


先程まで意識が無かったという事も手伝い、まるで血色感の無かった少々の頬は何故か一瞬にして紅潮し。

それと同時に、不自然な発汗や呼吸の乱れがありありと見て取れ、百瀬は冷や汗をかく。


「(これは……まさか、流行病の類………?)」


『大丈夫ですか、』なぞと書き付ける暇も無しに帳面と鉛筆を放り出し、彼女は大慌てで少年の額に乗せていた濡れ手拭いを取り去って、代わりに自身の手の平でその額を覆う。

…明らかに妙な上がり方をした彼の体温を感じながら、今度は脈を取ろうと少年の手首に触れると、やや大げさなくらいに彼の体が跳ね上がった。


余程具合が悪いのかと心配し、その顔を眺め下ろしてすぐ…少年の額と手首に触れていた自身の手を引っ込めようと試みたが、一足及ばない。

いつの間にやら、手首に添えていたはずの自身の手は少年によって掬われ…器用な事に、指を絡めるようにしてやわやわと握られてしまっていた。


彼の顔は未だ赤かったが『幸せそう』という表現がこの上なく似合う程へにゃりと蕩け。

髪と揃いの蜂蜜色は、妙な熱っぽさを纏ったまま、とろりと絡みつくような視線を送ってくる。


先程までの焦りや心配は何処へやら。

何だかいたたまれなくなって目線を逸らそうとも、少年の熱っぽい視線が至る所に突き刺さるのを感じ、思わず現実逃避をしそうになる。


正直、手当てをしていた段階で『もしかすると…。』と、ある程度覚悟はしていたが───図らずもそれが的中してしまった事を察し、自分の中の冷静な部分がゆっくりと溶け出していくのを感じる。

この少年『もしかして』ではなく『ほぼ確実』に。


「(…とても惚れっぽい性格をしてらっしゃるのね、)」


握られたままの手をさり気なく振り解こうとすれば、絶妙な力加減で押さえられ、眉間に皺が寄った。


───仮に、面さえ付けていなければ。

『彼がこちらの表情から思いを察して自然と身を引いてくれたのではなかろうか、』と思いはしたが『仮にそうだったとしても、どう転ぶか予想のしようが無いな…。』なぞと考え出すと、もうお手上げだ。


自分は鬼殺の仕事をして長いが。
恥ずかしながら、鬼には勝てても、色恋に関する事はからきしである。

しかしながら、惚れっぽい者が一度恋をしてしまったが最後。
相手に対する己の気持ちが燃え尽きる…所謂、盛大に自爆するその時までは触れず突かず、放っておくのが良いという事だけはよく知っていた。


ただ困ったことに、自分が当事者になる……殊に、惚れる側ではなく、惚れられる側に回る日が来ようとは夢にも思わず、こんな時にどうするのが正しいのかは全くもって分からない。

苦し紛れに少年の方を眺めると、彼の顔は依然として緩いまま。
熱っぽい笑みを湛えるその顔は薄らと紅潮していて…うっとりとしたその表情は、恋をしたての少女のようでもあった。


「…………………………。」


さて、困った…本当に困った。

もしかすると、人生のうちで一番の困り事に数えられる出来事なのではなかろうか?


現実逃避の最中に、まだ握られたままの手が更に強く握られたのを感じて驚き、肩を震わせながら見下ろした先には、勿論件の少年が寝転がったままこちらを眺めていて。

目が合ってから一呼吸置くだとか、そういった工夫は全くなく。
彼は蕩けるような笑みはそのままに、ゆっくりと口を開く。


「…結婚しましょう、」


彼の口からその一言が転がり出した途端、耳鳴りがしたような気がする。

尚、それに被せるように『戻りました!』と。
元気な声が背後から聞こえ、濡れた手拭いを持った炭治郎が戻ってきたのであろう気配が近付いてくるのを感じ、内心泣きそうなくらいに安堵した。


***


名前も知らない少年から突然の求婚を受け、更に半刻後。

あまりの衝撃が続いた為、考える事を放棄し…今にも泣きそうだった百瀬の心の内を察してか、すかさず少年との間に割って入ってきてくれた炭治郎には感謝してもしきれない。


そのお陰もあり、件の少年は『我妻善逸』という名前で。

百瀬と炭治郎に介抱される前に通りすがりの女性に結婚を迫ったが、拒否され…命からがら逃げ延びた後に倒れ伏す羽目になったらしい。


ただ、これが分かった直後。
善逸が突然現れた炭治郎を百瀬の恋人だと勘違いしたせいで、危うく修羅場になりかけたが…事の詳細はあまりに悲惨すぎて、今は思い出す気にもならなかった。

……まだ鬼の討伐の前だというのに、妙に疲れたような感じがするのは気のせいではないだろう。


結果として、様々やっているうちに飛んできた鎹鴉からの『ソコナル三名!!即刻、任務へ向カヘ!!鬼ヲ退治セヨ!!』の一声でどうにか当初の目的を思い出し。

任務に行きたくないと駄々をこね、隙あらば『結婚してくれぇ…!』と、懲りもせず懇願してくる善逸を、時に宥め。また、時には無理矢理引き摺るようにして連れ歩き、どうにかこうにか任務地へ辿り着いたのだが。


目的地である一軒家へ辿り着いた途端。
彼は耳を塞ぎ『…何か、気持ち悪い音がする。』と呟くなり顔を青くし、急に大人しくなってしまう。

続いて『家の中から血の匂いがするな…、』という炭治郎の言葉を受け、林の中にぽつんと建っている屋敷をよく眺めてみた。


二階の部屋の障子は僅かに開いているものの、中は真夜中のように暗いために、詳しい様子は分からない。

続いて見やった玄関らしき引き戸も、不用心な事に開け放されたままだったが…こちらも二階同様。
異様な暗さに包まれており、中の様子を窺い知る事は出来なかった。


陽の光や、外界からの侵入者。
そのどちらをも拒むかのような独特の雰囲気に不気味さを感じていると、背後で『ひゃあぁっ!?!?』という甲高い叫び声が上がる。

どうかしたのかと振り返ると、案の定。
叫び声の主である善逸が今にも泣きそうな表情で近くの木を凝視していた。


『どうかしましたか、』

帳面へそう書き付けて差し出すと、彼は青い顔のまま頷き、歯の根も合わぬまま話を始めた。


「あ…あそこのっ…きっ、木の幹の、後ろ…さっきから、何か変な音がしてっ……!!」

「(幹の後ろ…?)」


善逸の言葉に導かれて見やった先には、確かに立派な木があり。
その幹の後ろには、微かながら何かの気配がある。

野鼠か兎でも居るのかと思い、何の気なしにそちらへ近付くと、幹の後ろから『ひゅっ』と、息を鋭く飲み込むような音がした。


一旦近付くのを止めて様子を窺ってみると、程なくして…明らかに一般人と思しき幼い少年少女が、木の幹の後ろから恐々顔を覗かせ、酷く怯えた様子でこちらを眺める。


「(───子ども?)」


ビー玉のように丸く澄んだ瞳に涙を溜め、体を震わせながら互いをきつく抱き締め合う彼等の姿を一目見た途端、彼女は首を傾げた。

一瞬友達同士かとも思ったが、見れば見る程互いの顔にどことなく似ている点があり、きっと兄妹なのだろうと合点がいく。


「(それが、何故こんな危ない場所に…。)」


そんな事を思いながら幼い兄妹を面越しに見返していると、不意に炭治郎が百瀬の前に歩み出て。


「君達、こんな所で何してるんだ?」


声音も柔らかに話しかけたのだが、兄妹はびくりと肩を震わせて木の後ろに引っ込んでしまう。

しかし、彼はめげずに木の後ろへ回り込み『どうしてこんな所に居るんだ?』『何か探しているのか?』『ここは二人の家?』等、優しく言葉をかけ続ける。


…その甲斐あってか、どうにかこうにか話を始めた少年曰く、彼等は百瀬の見立て通り兄妹で。

昨日の夜半、夜道で歳上の兄と三人で歩いていた時、何者かに兄を攫われ。
彼を助けるべく、妹と共に道へ残った血痕を追いかけた結果、ここへ辿り着いたのだそうだ。


精神的に辛い中であったにも関わらず、行動を起こした幼い兄妹の勇気を褒めつつ『これから悪い物を退治してくるので、ここで待っているように。』と優しく諭す炭治郎を眺めていると、これまで彼女の後ろで震えていたはずの善逸から突然隊服の袖を引かれ。

何か用かとそちらを向けば、善逸が青い顔のまま隣へ来て、こんな事を言い出す。


「さっきからずっと…なんですけど……屋敷の方から、何か気持ち悪い音しません?」


それに対し『特に何も、』と伝える意図を持って首を横に振る。

すると、彼は困ったように眉を寄せたが…また何か聞こえたのか、声を震わせながら尚も問うてくる。


「……屋敷の、二階の方から『ポンポン…』って。太鼓?いや…鼓を叩いてるような気持ち悪い音が、さっきからずっと聞こえててっ………!!」


皆まで言わぬうち、ポンポン…と。

一定の間隔で、太鼓…否。
善逸の言う通り、鼓を打っているような音が響き渡り、はっとして屋敷の方を見やった刹那。

開け放たれたままの二階の窓から、何かが空中へ放り出された。


「────!?」


そんなはずはないと思いたかったが、目に映る現実はいつでも非情だ。

…地面へ吸い寄せられるようにして落ちていくそれは、血濡れの人間で。
それも、男性である事が分かってしまい、さぁっと血の気が引いた。


炭治郎達もその事実に気が付いたのだろう。
皆一様に上を向き、青い顔のまま空中を眺めて。

地面に足を縫い付けられてしまったかのように誰も動けぬ中、百瀬は素早く向きを変え、一人後方へ前のめりに駆け出す。

目的地は、幼い兄妹の居る場所だ。


───果たして。
背後から、ドシャッ…という嫌な音が追い掛けてきたのを聞きながら、突如目の前へ迫ってきた百瀬に視線を奪われたのを良い事に、彼女は兄妹を力一杯に抱き締める。


「なっ…何なんですか!?」

「苦しいよぉ…!!」


腕の中で声を上げ、暴れる彼等を離さぬようにして。

…恐々背後を眺めると、落ちてきた男性は口から血を流し、虚ろに空を眺めなが深く呼吸をしていた。

可哀想ではあるが、全身の怪我の具合と出血の量からして、手の施しようがないのは明らかだった。


「(…この子ども達に、あの方が亡くなる所を見せる訳にはいかない。)」


そんな風に思いながら、炭治郎が男性の方に駆け寄っていくのを眺め。

気力を切らさないように、という事なのか、彼が男性へ必死に話しかけるのをどこか遠くに聞いていた。


そのくせ自身の心臓が早鐘を打っているのがやけに耳に響いて、百瀬は面の下の顔を歪ませ、強く唇を噛む。


『鬼の住処や縄張りへ放り込まれた人間がどうなるのか、』なんて。

これまでの任務の中で十分に分かっていたはずだし、鬼によって惨たらしく食い散らかされたり、弄ばれたりした亡骸を数え切れぬ程目にしてきた。


そんな状況を何度目にしたと言っても、到底慣れるような物では無く。

その人が絶命するまでにどれだけの痛みを味わったのか。
どれだけ長く苦しみ、恐怖した事か───と。

亡くなった人の心を思うと、堪え切れぬ程に『あと少し来るのが早ければ、』という思いに苛まれるのだ。


「俺…死ぬ……のか。折角…あの化け物からも、屋敷からも…逃げられたっていうのに……。」


掠れた、弱々しい声。

それを最後にして、男性の声が聞こえてくる事は無かった。

…間もなくして。
そちらへ着いていた炭治郎が息を飲み込むのが聞こえ、男性が絶命したのだと悟る。


「…………………。」


腕の中で暴れていた兄妹も何かを察したように静かになり、耳に痛い程の静寂が押し寄せる。

暫く、その場の誰もが動く事を躊躇し、今し方亡くなった男性の死を悼んでいた。

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