桃と鬼 | ナノ
 05:灼け落つ

舞い上がっていた土煙が風に流され出した頃。

百瀬は再度目を凝らし、はっきりとしない視界の中で煉獄の姿を探す。


体にはびっしょりと嫌な汗をかき、浅く息をしたままひたすらに彼の姿を求め。

果たして。

徐々に晴れだした砂塵の合間。
煉獄の物らしき影を見つけて一瞬安堵するも、それはすぐ苦い絶望に変わる。


煉獄はまだ立っていた。

けれども、彼は刀を振り上げたまま虚空を見つめ…急所である鳩尾を鬼の拳に貫かれていたのだ。

医学をやっていない者でもはっきりと分かる───致命的な怪我を負っていた。


「………そんな、」


最も恐れていた結末が来てしまったためにそれ以上の言葉が出ず、彼女は真っ青な顔のまま瞳を瞬かせる。


「死ぬ…死んでしまうぞ杏寿郎!!鬼になれ!!鬼になると言え!!」


『お前は選ばれし強き者なのだ!!!』と。
鬼が声高に叫ぶが、煉獄がそれに答える事は無い。

炎のような色の瞳は、どこか遠くを見ているようだった。


「(このままでは、本当に…。)」


絶望的な状況の中、現実を直視し続ける事に辛さを覚え、彼女はとうとう顔を俯ける。


その時。
自身がずっと抜き身のまま握り締めていた短刀が目に留まった。

海を思わせるような紺色の刀身。
自分だけの日輪刀の色を眺め下ろし、暫し考え込んで…かと思えば彼女は再び顔を上げ、鬼の背中を睨みつけた。

元々の経緯もあって、そこまで距離が離れているわけではない。


『…今全力で短刀を投げれば、一瞬でも鬼の意識がこちらに向くのではないか。』

浅はかと言われればそれまでだが、これより他に最善の行動は思いつかない。


急げ急げ…と。
自分で自分を急かしながら、彼女は肩幅に足を開き、手の中で短刀を持ち直す。

そうして、勢いよく息を吸い込むと同時に刀を振りかぶり───思い切り投擲した。


ビュッ、と。
紺色の刀が空気を裂き、ぶれることなく飛んでいく。

続けて。
百瀬は腰に差していた刀を抜き、煉獄に向かってあらん限りの声で叫んだ。


「…炎柱殿っ……気を確りお持ち下さい!!夜明けはすぐそこですよ───!!」


途端に、鬼ははっとしたように東の空を見上げ。

迫り来る刀に気付いて振り返った頃にはもう遅かった。


刃を叩き落とそうとしたためか、中途半端に上げられた鬼の右腕。

彼女の投げた短刀は、妙に生白い鬼の肌を容赦なく刺し、裂けた肉の合間から血が噴き出す。


それをゆっくりと抜いて地面に捨て───鬼がこちらを見た。

赤い頭髪と、生白い肌。
爛々と輝く金色の瞳には、確かに『上弦』『参』と刻まれているのを見て、自分の読みが外れていなかった事が分かる。


凄まじい怒気を孕んだ目を気丈に見返し『なんなら、もう一つ投げてやろうか。』と半ば自棄になりながら、手にしていた刀を持ち直した時。

…これまで静止していた煉獄に動きがあった。


彼は、振りかざしていた刀を確りと握り直し。
勢いもそのまま、迷いなく目の前の鬼の首へと刃を振り下ろす。


キチキチ……と。
細かく刀を震わせながら、彼は確実に首へ刃を沈め。

ついに血潮が首から噴き出したのと同時に、鬼の呻き声が辺りへ反響する。


鬼も負けじと右腕を振るい、煉獄を殴りつけんとしたが…彼はすかさず左手を伸ばし、迫り来る腕を掴んで止める。

彼がまだ動ける事に驚いたのか、鬼は呆けた顔をしたがそれも一瞬だ。

『それならば、』というかのように鬼は煉獄の鳩尾へ入れていた腕を抜こうと試み始めたが、それも無駄に終わる。


いつしか空は色を変え、夜明けも間近に迫る中。

拮抗したままの状態に痺れを切らし、鬼は再び唸りを上げるが…煉獄は鬼を確りと見据え、決して離そうとはしない。


そこで『彼はこの鬼の首を切ろうとしているのだ、』と悟り…彼女は自身の刀を放り出すが早いか、煉獄の背後を目指して疾走した。


鬼の隣を大回りですり抜け、転びそうになりながらもどうにか煉獄の背後に立ち。

血で濡れた羽織を捲って彼の腰に手を添え、あらん限り背伸びをして───その大きな手が刀の柄を握った上から自身の手を添えてきっちり握り込み、鬼の首へ入り掛かった刃を共に持つ。


二人分の力が掛かったために、彼の刀はギリギリと不機嫌そうな音を立てたが、そんな事に構っている暇はない。


「(やはり…上弦だからか、とても首が固い………、)」


もっと。
もっともっと力を入れなければ…首を落とす前に逃げられてしまう。

歯を食いしばり。
持てる力の全てを刀に込めて、百瀬は生白い首へ必死に刀を押し込む。


…すると、少しずつ。
本当に少しずつではあったが、ずぶずぶと首へ食い込んでいく刃。

確実に横へ横へと進む刀を目にし、俄に焦ったのか。


「退けえぇぇ………っ!!!!」


鬼は絶叫し、どうにか抜けようと足に力を込めて藻掻いていたが、煉獄が全力で押さえているからか、思うような動きが出来ないでいるようだった。


その甲斐あってか、ギチ…ギチ……と。
微かな音を立て、異様に固い筋肉を食い破りながら、更に奥へと入っていく刀。

それが遂に首の半分まで来たか…という時。


「…伊之助、動けーーっ!!煉獄さんのために…百瀬さんに続けーーーっ!!!!」


炭治郎が声を上げた途端、弾かれるようにして伊之助が背後から近付いてくる気配を感じる。

刀を勢いよく振る音がすぐ近くで聞こえ、押し込んだ刃は更に進み───いよいよ決着がつくかと思われた刹那。


ドンッ!!!という大きな音と共に柄の先がふっと軽くなり、刀身が折れたのと一緒に鬼の姿が見えなくなる。


「…………なっ!?」


突然の事に辺りを見回すが、目の前には未だ二人で握ったままの柄が残っているばかりで、鬼も、折れたはずの刀も見当たらない。

直後『馬鹿、上だ!!』という伊之助の怒声に突き動かされてそちらを向くと。


両方の腕を自ら千切り、首に刃が入ったまま空中へ飛び上がった鬼と目が合ったか、金色の瞳はすぐに背けられ。

代わりに、もう顔を出しかけている太陽を憎々しげに睨むと、首の刃を振り落とし、転がるように森の中へと走っていく。


生白い背があっという間に遠くなっていくのを見て『追い掛けなければ…!』と反射的に体を動かそうとした時。

彼女と同様、遠離る鬼の背を見ていた煉獄が緩やかに地へ膝を着いたのを目にし、追撃を諦めた。

そうして、百瀬は彼の手の上からきつく握り込んでいた柄を離し、そっと正面に回って顔を覗き込む。


「…煉獄殿、」


大丈夫ですか、という言葉はぐっと呑み込み、最後の望みを持って彼の体を軽く視診してみたが…もう手の打ちようがないのは明らかであった。

流れ出た血の量と外側の怪我もさることながら、臓器等といった体の内側の損傷もかなりのもので───正直に言えば、まだ生きているのが不思議なくらいだ。


…こんな時に何と声をかけたらよいものか。

どれだけ考えても言葉が出て来ず、顔を俯けた。


「────逃げるな、卑怯者!!!」


いつの間に近くへ来ていたのか。
鬼に向かって怒鳴る炭治郎の声が聞こえたが、それすらどこか遠くに感じつつ、彼女は両膝に置いたままの手をぎゅっと握り締めた。


「(きっと、煉獄殿の感じている痛みは並の物ではないはず…けど、私にはそれを理解する事も出来なければ、痛みを和らげる事も出来ない………。)」


今の私には、何も出来る事が無い。

無力感に苛まれ、強く握り締めすぎて震え出した手…そこへ、前から伸びてきた傷だらけの大きな手が乗る。


「百瀬、」


掠れた声で名を呼ばれて恐々顔を上げると、潰れていない方の目で真っ直ぐにこちらを見る煉獄の姿があり、彼女は息を飲む。


「……俺から君への、最後の頼み事だ。竃門少年と、猪頭の少年を近くへ呼んでくれ…俺が生きていられるうち、彼等に話しておきたいことがある。」


いつもより細く。

静かささえ感ぜられるような彼の声音に涙ぐみながら頷き、すぐに立ち上がって一旦背中を向けた時。


「…ああ、それから。君にも、伝えたい事があるんだが…いかんせん、沢山ありすぎて上手くまとまらない………だから、竃門少年達への話が終わるまで、少しだけ待っていてくれないだろうか?」


真っ直ぐ投げられた言葉に体が震え、ついに溢れた涙が頬を伝うのが分かったが、それは慌てて袖で拭い。

顔は見せぬまま『…分かりました、お待ちしております。』と返して、彼女は炭治郎達の居る方へと歩き出した。


***


「俺がここで死ぬ事は気にするな───柱ならば、後輩の盾となるのは当然だ。」


煉獄が炭治郎と伊之助に話しているのを聞きながら、ぼんやりと東の空を眺める。

列車が横転してからは、時間にして一時間も経っていないだろう。


彼等が座って話をしている場所から数十歩程離れた所で、百瀬は一人青空を眺めていた。


───夜が明けるまでの僅かな時間、あまりにも色々な事がありすぎた。


嵐のような出来事を反芻しながらも、心のどこかで『煉獄殿が助かる道があったはず、』と思わずにはいられない。


列車が横転してすぐ、自分が彼の側を離れずにいたのなら…彼の盾くらいにはなれたのではないか。

捨て身で鬼を狙うと計画をした後、あそこで止まらず、鬼を刺しに行っていたら…少なくとも、今のような結果にはならなかったのではないか。

そもそも、本部への報告を行う際。
報告と共に索敵もしていれば、鬼が来る瞬間をある程度想定出来ただろうから『鬼と戦わずしてどうにかやり過ごす』という方法もあったのではないか。


───今となってはもう選びようのない選択肢が、泡のよう浮かんでは消えていく。

けれど、そうでもしなければやりきれない気持ちに押し潰されそうで…だから、彼女はひたすらに『数時間前の自分ならば選ぶ事の出来た選択』を無数に広げ、涙を堪えながら空を眺め続ける。


こうしている間にも、彼の命が少しずつ磨り減っていくのだと思うと、悲しくて悲しくて堪らなかった。

濡れそぼった目で掬い上げるように空を見つめ、既に湿りきっていた隊服の袖で乱暴に目を拭った刹那。


「百瀬さん、」


背後に人の立つ気配を感じて振り返ると、そこには涙で顔をぐしゃぐしゃにした炭治郎が居た。


「…煉獄さんが、百瀬さんを呼んでいます……。」


それに頷き、彼女は静かに煉獄の元へと足を進める。

彼との距離が詰まる毎に、先程よりも荒い息遣いが感ぜられ、胸が苦しくなった。


「───煉獄殿。」


彼に目線を合わせるためにしゃがみ込み、声をかけると。

『待たせてすまない、』という言葉を一つ挟んですぐ、最後の会話が始まった。


「…まずは、先程の礼を言わせてくれ。君が臆せず…二度も力を貸してくれたお陰で、どうにか危ない所を持ちこたえる事が出来た───本当にありがとう。」


少々口元を緩ませ、彼はこちらへ頭を下げた。

それに驚き『そんな事は…、』と言いかけたが、炎の色の瞳に見つめられ、その先へ続く言葉は焼け落ちてしまう。


「…この際、謙遜や忖度はなしにしよう。君は本当に素晴らしい剣士だ。誰が何と言おうと、そこは俺が保証する。君は俺よりも古参の隊士なのだから、もっと自信を持つべきだ。」


強い意志を宿したままの瞳は、絶えずじっとこちらを見て…けれども、彼の声音は次第に小さくなっていく。


「竃門少年にはもう伝えたが、俺がここで死ぬ事は気にしないでくれ。君には君の成すべき事があるように、俺にも俺の成すべき事があって……それがこれだったというだけの事なのだから。」

「………はい、」


『彼の前でだけは決して泣くまい、』と。

必死に涙を堪えながら絞り出すように答えれば、煉獄は少しだけこちらへ躙り寄り…殆ど囁くように言葉を重ねる。


「この先……君と、君の一族が永らく欲していた結末を迎えられるよう祈っている…どうかその時まで、息災でな────、」


言いきってから、彼は少々疲れたように息を着き…ゆらりと瞳を逸らして、百瀬の背後をぼんやりと眺め出す。

つられて後ろを振り返ったが、当然、そこには誰の姿もない。


………けれども、視線を煉獄の方へ戻した時。

彼は今まで見たことが無い程に晴れやかな笑みを浮かべていた。


「煉獄殿………?」


「………………。」


「れんごく、どの───。」


「……………………。」


それきり、彼から返事が返される事は無かった。

最後まで柱としての勤めを果たし終えた彼の亡骸に深々と頭を下げた拍子に、地面へぽたぽたと涙が落ち───心の奥底まで暗く重い悲しみが入り込んでくるのを感じながら、百瀬は顔を両の手で覆った。

声は出さず。
肩を細かく震わせ、声を押し殺して泣きながら、ひたすら涙が止まるのを待つ。


鬼と戦っている際には何より待ち遠しいはずの陽の光が、冷たくなっていくばかりの煉獄の背を慰めるように抱いていた。

指の合間からそれを呆然と眺めながら、脳裏には様々な事が過る。


『───彼の死を方々へ伝えねばならない。』

『横転した車両の後片付けが…。』

『若い隊士達の傷の手当てを。』

『煉獄殿の亡骸を、彼の生家へ。』


彼が亡くなった今、この場にいる隊士の中で一番階位が高いのは自分なのだから、彼の代わりにやらねばならない事は山ほどある。

しかし、今。
この時ばかりはどうしても気持ちの切り替えが出来ず、彼女は暫し一人で涙を流し続けた。

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