桃と鬼 | ナノ
 04:燃え盛り

激しい揺れと轟音を伴って横転した列車内から、煉獄と共に脱出してすぐ。

『俺は怪我をした者が居ないか見て回って来るので、本部への伝令を頼む。』という彼からの指示に従い、目に入った小高い丘の上へ移動し、空へ向かって鴉笛を吹いていると───ややあって。

近くの森のある方角から、何か黒い物が飛翔してくるのを見つけた。


べっとりと塗られたような濃紺が解け始めた空の下。

最初は爪の先程に小さかったそれは、徐々にこちらへ近付き。
ようやっとそれが鴉であると認識できる距離に近付いた時。

胸元へ僅かに白い毛が混じっているのを確認するが早いか、そちらへ向かって大きく手を振る。


すると、鴉もこちらへ気が付いたのか、緩やかに弧を描きながら降りて来るのが見えたので…徐に腕を上げて待っていると、鴉がひょいとそこへ乗ってきた。


たった半日程離れていただけであるというのに、会ったのが酷く久し振りなような気もして。
重さを確かめるように腕をそっと動かすと『どうしたのか、』と言わんばかりに小首を傾げて訝しげにこちらを覗き込んでくる。

その挙動が妙に可愛らしく感ぜられ、小さく笑みをこぼした。


本当は、黒い体へ一片だけ白い箇所があるという珍しい見た目から、天候になぞらえて『ミゾレ』という名が与えられているのだが…それを気にしてか、本名で呼ばれるのを非常に嫌がり。

何かの拍子にうっかり名前を呼んでしまったが最後。
嘴で思い切り突いてきて痛いので、もう久しく名前で呼んだ事は無かったな、とぼんやり思う。


…まあ、正直なところ。
自分からしてみれば『ミゾレ』というのは立派な名前であるように感ぜられるし、他の鴉には無い件の目印には大層助けられてもいるのだが。

人間には人間にしか分からぬ悩みが存在するように、鴉には鴉にしか分からぬ悩みがあるのだろうなと思えば、それを口にするのが野暮である事くらい分かる。


…物思いもそこそこに『本部への伝令を頼みたいのだけど、』と一声かければ、鴉はしゃんと背を伸ばし、耳があると思しき箇所をこちらへ傾ける。

一言一句聞き漏らすまい、と。
職務を全うせんとするその姿に感銘を受けながら、こちらも真面目に伝令の内容を口走ろうとしたその時。


────ドン!と。

何の前触れもなく大きな音がした。


下の方で、のたばるように横転している汽車。

音に導かれるようにして前方へ視点を投げると、機関車の車両付近で忙しなく動いていた…伊之助という名の隊士が、車体に体当たりを食らわしているのが目に入る。


よく見れば、車体の下には車掌と思しき男性が横たわっており、彼を助けようとしてあんな無茶をするに至ったわけかと納得したところで。

今度は、後方から何か固い物同士がかち合うような音が聞こえ、百瀬は弾かれたようにそちらを振り向く。


その時。

物凄い勢いで迫ってきた熱風に頬を叩かれて暫し呆然とするも、間髪を入れず火柱が上がり…すっかり火の粉が散り落ちた後に見えた光景に我が目を疑った。


横になった車両の隣には、動けない炭治郎を背に庇いながら刀に手をかけた煉獄と、見覚えのない鬼の姿。

一瞬、近くの森に住まっていた鬼が騒ぎを聞きつけて出て来たのかとも思ったが、ぽっと出の考えはすぐに息を潜める。


あれは。

今まさに煉獄と向き合い、不敵に笑っているあれは───先程まで討伐対象としていた鬼とは明らかに格が違う。


そう確信した途端、全身から血の気が引いていくのと同時に、嫌な汗が噴き出した。

この距離からであっても、はっきりと分かる。
威圧的で、その頭髪一本すら容易に触れる事を許さぬ…こんな気配を纏う鬼はそう多くない。


「(…多分。いえ、きっと。)」


今居る面子だけでこの鬼を討伐する事は極めて困難である。

迷うことなく判断を下し、百瀬はごくりと生唾を呑み込んだ。


柱の煉獄がいる事を加味したとて、手負いの隊士が半分を占めている以上、今無理をするのは得策とは言えない。

煉獄と何事か話をしているらしい鬼を一瞥し、彼女は永らく待たせたままだった鎹鴉に向き直る。


「申し訳ないのだけど、伝令はまた後で。本部と、今一番近くに居る隠部隊を探し『討伐目標以外の鬼が姿を現した。』『こちらの鬼は討伐ではなく、撃退を第一目標として応戦を行う。』と大至急伝えて。」


早口にそう言った直後。
鴉は何度か頷くが早いか、黒い翼をはためかせ、瞬く間に飛び去っていく。

対して、彼女はそれを見送る事も無く、急いで丘を降り出した。


自身の予感が外れていなければ、今あそこに居るのは『上弦の鬼』と呼ばれているような類の物で間違いないだろう。

普段潜んでいる場所も分からなければ、数百年前より一度も入れ替わっておらず。

…歴代の柱ですら幾人も屠っているのだというそれが、何故こんな時に現れたのかは分からないし、考えたとてそこに正当な理由があるようには思えない。


───けれど、出てしまった物は仕方が無い。

引っ込んでくれと頼んだ所でどうにもなりはしないのは最初から分かりきった事だ。


敵の強さが想像の範疇では収まらないであろう事や、件の鬼が上弦のどれに相当するのかさえ分からない事が分かっているのならば、平の隊士たる彼女に出来る事はある程度限られてくるが。

現時点で最善と思しき戦法は、煉獄が真正面から戦ってくれているうち、どうにか鬼の背後を取って奇襲をかけるといったところか。


…今回は相手の方が強いのは確実であるため、初手はほぼ防がれる物と想定し。

次の一撃は死に物狂いで当てに行く。

そうすれば相手に僅かでも隙を作れるだろうし、最悪自身が鬼と刺し違えたとて、煉獄ならきっと上手く動いてくれるだろう。


いよいよ現場近くにきた所で、あらん限り気配を消して。
足音を忍ばせ、煉獄達の居る方へ向かいながら眺めた空は、東の端が淡く白みかかっていた。

……今の状況において唯一幸運と言えるのは、夜明けがそう遠くない事くらいか。


「(どれだけ強い鬼とて、太陽が顔を出す前に自ら身を引くはず…。)」


日の出まで、どうにか鬼の攻撃を凌ぎきる事が出来さえすれば───。

手を刀の柄に添えながら、そんな考えが頭を過った。


ざわざわと鳴り止む事の無い嫌な胸騒ぎを宥めながら少しずつ歩みを進め、丁度鬼の背後…死角になると思しき場所にあった車両の影に陣取る。

極度の緊張の為に浅くなりかけていた呼吸を整えながら鬼の背を凝視し『どうにか近付けそうな場面がないか、』と。

その瞬間が巡ってくるのを静かに待ち始めた。


***


絶えず火花が飛び散り、熱気を孕んだ空気が充満する。

目を凝らしてやっと追える程に激しい命のやり取りを眺める中、軽い目眩を覚える。


鬼が攻撃を仕掛ければ、煉獄はすかさず刀を振るってそれをいなし、隙を突いて果敢に斬り掛かっていく。

他者の入る隙の無い激しい攻防の中、互いに何かを言い合っているらしい事は分かるのだが…鬼の拳と煉獄の刀がかち合う音が大きすぎて、傍からはそれを聞き取る事が出来ない。


僅かに圧されたかと思えばどうにか圧し返し、相手が引いた途端食らい付くようにそれへついていく。

最早『このまま行けば勝ててしまうのではないか、』という気もしてくるが、相手は鬼だ。


理由はどうあれ、世の理から外れて人外へと成り下がり、不死に近い肉体を得た…そんな滅茶苦茶な相手と対峙しているのは、刀を持っただけの生身の人間である。


『鬼と対峙した際、自分がどれだけ優勢であったとしても、最後まで気を抜いてはいけない。』

百瀬の一番最初の育手であった老婦人…東師範がよくそう言っていた。


自分がただの人間である以上は必ず隙が生じ、体を動かせば動かすほどに疲れは蓄積されていく。

疲れは積み重なり、やがてそれは逃れられない枷となって…ふとした拍子に足元を掬われ、戦況がひっくり返ってしまう事も珍しくない。


誰しもがそうなのだから、煉獄とて例外では無い。

鬼殺の仕事をする上で忘れてはいけないのは『自分があくまで生身の人間である』という事実を常に念頭に置いておく事。

それから。


「(例え、戦況が芳しくなくとも。どれだけ強い相手と相対しても───常に最善の戦い方を考える事だけは止めない事。)」


心の中で自身に言い聞かせた後、彼女は懐から短刀を取り出す。

煉獄の動きを注視しながら、音を立てぬようそろりと刀を抜きさり。
勿論呼吸は止めず、強く柄を握って飛び出すべき時をうかがう。


………そのうち、彼は鬼との距離を一息に詰め。
完全に間合いに入り込んですぐ、激しい打ち合いが始まった。


「(出るなら───今!!!)」


目を見開き、百瀬は車両の隙間から飛び出すが早いか、短刀を構えたまま走り出す。

目指すは一点…鬼の背後だ。


詰まっていく距離と炎の匂いを間近に感じながら順手で短刀を持ち、刃が上向きになるよう準備をした瞬間…何の前触れも無く、煉獄が叫んだ。


「───百瀬、早まるな!!それから、竃門少年…今動けば傷が開いて致命傷になるぞ…総員、待機命令!!」


顔に振動を感じる程の大声に驚いたのも確かだが、煉獄の気迫に押され、彼女はやむを得ず足を止めた。

後方の炭治郎もそうであるのか、動きをぴたりと止めたのが見える…そこで、今更ながらではあるが。

彼の隣に、先程までは機関車の近くに居たはずの伊の助の姿がある事に気が付いた。


一方で、煉獄は刀を振るいながらも器用に周囲を見渡し、命令違反をしている者が一人もいない事を確かめると、また目の前の鬼を見据える。

鬼が拳を振り上げたのを認めたのと同時に、彼も刀を構え直し…重い一撃がぶつかり合った。


絶えず飛び散る火花と、彼が刀を振るう度に巻き起こる熱風。

その刃の軌道に沿うようにして、大きな炎が口を開いたと思った時。
炎の纏う熱によって靄が立ち昇り、彼の姿を薄く隠してしまう。


いくら目を凝らしたとて、そこに見えるのは彼と鬼の影のみで、戦況がどうなのかは窺い知れない。

そんな中、一向に治まらぬ胸のざわつきに違和感を覚えて、彼女はその場に立ち尽くしたまま震えた。


何か…とてつもなく嫌な予感がするのだ。

今までに無い程の悪寒に苛まれながら、百瀬は土埃の向こうの光景を求めて目を凝らす。


これが晴れれば、今回は永らく形を成さぬまま彼女に寄り掛かっていた『嫌な予感』の正体が割れる。

他でもない彼女自身の勘がそう確信していたが…その実『嫌な予感』が形を取り、目の前へ表出してくる事自体が恐ろしいような気もして、やはり震えが来る。


『知りたい、知りたくない。』

自分の中でひたすら問答を繰り返すも、現実とは非常なものだ…彼女の意思なぞ顧みず。
俄に空気が動き、さあっと靄が晴れる。


果たして。

そこにあったのは、噴き出した血を拭おうともせずに煉獄を真っ直ぐに見据える鬼と。

───左目や口。肩等、体中の様々な箇所から血を流し、浅い呼吸を繰り返しながら立っている煉獄の姿だった。


「………………。」


自分の口は、薄く開いていた。
けれども、そこから何かが漏れ出る事は無い。

嗚咽も怒声も。
はたまた、泣き声一つ這い出す事は無かった。


指先は冷たく、口は渇いていて…五月蠅いほどにはっきりと自身の心音が聞こえるくせに、体を自由に動かす事は出来なかった。


…カラン、と。
左手に持っていた短刀の鞘を取り落としたのすら気付かず、傷つきながらも尚立ち続ける煉獄の姿を見つめる事しか出来ない。

何事か、鬼が煉獄へ話しかけている声が聞こえたが、話の内容はさっぱりと言っていい程入ってこなかった。

けれども、彼は潰れていない右目を瞬かせ。
こんな時だというのに笑みすら見せながら、ゆっくり刀を構える。


「俺は、俺の責務を全うする。ここにいる者は、誰も死なせない───!!」


彼が、いつものようによく通る声でそう告げたのを耳にし、百瀬は必死で首を横に振る。


『駄目』

『止めて』

『お願い』

『逃げて』

声になれぬ言葉達が頭の中で無数に渦巻き、浅く息を吸った拍子に、ヒュッ…と喉が音を立てる。


『駄目よ』

『今、全力で刀を振るってしまったら』

『────あなたが、死んでしまうわ』


自分の目に涙が溜まったせいで、彼の姿だけではなく、周りの景色すら滲んで見えた。

そのうちに、炎の色を写し取ったような彼の瞳がゆっくりとこちらを見て…ついに煉獄と目が合う。


刹那、彼は驚いたように目を見開き。

…ほんの一瞬。
確かに百瀬の方を見返すと、少し困ったように笑って見せた。


「…………ぁ、」


ようやっと出た声だったが、煉獄に言葉を伝えるには遠く至らない。

彼女が一つ瞬いたその時。


彼が刀を振るったのに合わせて凄まじい炎が湧き起こり、それは轟音を伴いながら辺りを真昼のように明るく照らし出す。

辺りは濛々と立つ砂煙に呑み込まれ───やがて、恐ろしいほどに静かになった。


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