桃と鬼 | ナノ
 12

先程まではあんなに高く上がっていた太陽は早くも落ちかけ、今や辺りは茜色の光に包まれている。

産屋敷邸の縁側に腰掛け、ぼんやりと庭先の様子を眺めながら、百瀬は欠伸を一つ噛み殺した。


今日といい、昨日といい…一日。

否、一刻一刻があまりに長かったような気がする。


禰豆子の件を巡り、不死川と一揉めしてしまった事や、お館様がいらしてから柱合裁判が終わるまでにあった衝撃的な出来事。

更にその後、別室で行われた柱合会議へ村田と共に呼び出される事となったのだが…あまりにも悲惨な格好をしていたためか、簡単な傷の手当てを受けた後、隠に無言で手渡されたブラウス一枚を身に纏ってすぐ、那他蜘蛛山の状況や細々とした事柄を柱に報告して…。


一つ一つ思い起こせばきりがないのだが…それだけ沢山の事があったのだから、むしろ疲れない方がおかしいというものだろう。

珍しく立て続けに沸いて出た欠伸を再度噛み潰し、彼女は自身の左隣に目を向ける。


そこには、鬼殺隊を束ねる産屋敷家の当主───産屋敷耀哉本人が座っていた。

両者の間には、人が一人座れるだけの隙間が空けられ、この何とも言えない適度な距離感が居心地の良さを保っている。


『整った顔立ち、』と言えば月並みな気はするが、品の良さを感じさせるその横顔には、火傷をした時に出来るような爛れが広がっており、件の噂は嘘ではなかったのだな、と思い至る。


確か、二月程前…彼女が『竃門兄妹の動向を見守り、行く先々での行動を逐一報告する』という密命を直に賜るより前から、彼の片目の周りに紫色の爛れのような物が出ていたのは気が付いていたが。

丁度、彼女が件の長期任務に出てから半月も経たぬうち。
隊士や隠の間で『お館様が両の目を病んでいらっしゃるらしい、』という噂が流れ始めた。


元々、あまり体が丈夫でないらしい事はよく知り得ていたし、子どもの頃から今に至るまで、月に何度かは熱を出して寝込んでいた事を考えれば『目を病む事もあるだろうな、』『そんなに酷い物で無ければよいのだけれど…。』くらいに思っていたが。


今日の柱合会議で久々に彼の顔を合わせた時。

最早片目だけではなく、顔の半分を覆う程にまでなったそれを一目見て『ああ、これは───。』と確信してしまった。


噂で聞くより余程酷い…それこそ、両の目を病んでいるらしい、という生温い言葉で片付けられる状態ではない。

普通の感覚でいけば、お館様のそれは病として見えるだろうが…病の根本にあるのは、最早呪いと言っても差し支えのない物だ。


『いつの頃からそうなのかは定かでないが、過去の因果により、産屋敷家の当主は三十手前までしか生きられない。』

『当主の体には、年齢が上がるにつれて必ず爛れのような物が発現し…紫色のそれが全身に広がり始めると、大抵の場合は一年ともたずに命を落とす。』

…以前、実家の父親が話してくれた事を思い出しながら、彼女は唇を噛んで俯いた。


その話を聞いた際、父自身が現役の鬼殺隊士だった時分に先代のお館様と一緒に撮ったものだ、という写真も見せてくれたが。

幾分か若い父の隣に座って映っている先代のお館様…即ち、耀哉の父に当たるその人の顔も、目の下辺りにまで爛れが及んでおり。

顔に浮き出ているのと同じような爛れが、着物から僅かに見える足首や手首にまで広がっていたのをはっきりと覚えている。


「(父君もそうだったのだから、恐らくは耀哉殿も───。)」


仄暗い予感が脳裏を過ったその時。


「…百瀬、」


左隣から優しく名前を呼ばれたために、彼女は考える事を止め、出来る限りゆっくりとそちらを向いた。


「疲れていたろうに、呼びだてしてしまってすまなかったね。随分迷ったのだけど、君と久々に話がしたくて…。」


疲れているのだろうか。
以前よりも幾分か窶れた顔に朗らかな笑みを浮かべ、彼は少々照れくさそうに言う。

けれど、視線は絶えずゆらゆらと動いていて───あまりよく目が見えていないのは確かなようだった。


「ご心配頂きまして、ありがとうございます。私は大丈夫ですから…では、何からお話しましょうか、」


今は諸々を気にしない事として、普段通りに笑みを浮かべたまま返せば、彼は何だか楽しそうな表情をして見せた。


「───ありがとう。こうして君と二人きりで座っていると、いつでも子どもの時分に戻ったような気分になれるから不思議だね。君とは、ここで本当によく遊んだものだから…。」


そう呟きながら、彼はいつの間にやら幼い子どものように悪戯っぽい笑みを浮かべている。

それにつられ、頬を緩ませて。


「ええ…昔の事を次々に思い出しますね、」


何処かしみじみとした思いで同調すれば、今度こそ彼は破顔した。


───表向きとして、百瀬は平の鬼殺隊士であり、産屋敷耀哉は『お館様』として鬼殺の隊士を束ねる者である。

しかしながら、その実。百瀬と耀哉は、幼少の砌より互いをよく知る友人同士でもあった。


二人の間柄を知る隊士は一握りしか居らず、更に事の詳細を知り得ているのは、悲鳴嶼か煉獄くらいだろうか。

ともかく、公にはされていないが『お館様』───もとい、耀哉と百瀬は、両家の祖先の代に結ばれた古い約束に倣い、物心つかぬ頃から交流があった。


そのため、彼女が鬼殺隊の隊士となった今も尚。

人目のない時には、仲の良い友人として一緒に過ごしたり、昔話に花を咲かせたりするのだった。


「君と座敷でおはじきをした事もあったし…一度『どうしても』とせがんで、庭で羽子板をした事もあったね。」

「そんな事もありましたね…ああ、それから。お屋敷全部を使って隠れ鬼もしましたね。覚えていらっしゃいますか?耀哉殿だけがとうとう見つからなくて、本当に焦ったものです。」

「そうだったね……そういえば、君に日輪刀を借りて素振りをした事もあったけれど、」

「そのすぐ後、お倒れになったんでしたね…駆け付けて下さったお医者様から『脈が狂って倒れただけだ、』と聞かされるまでは、もう生きた心地がしなくて…。」


こうしていると、大変な事も、辛かった事も…何もかもが遠くに行ってしまったように思えるのが不思議だ。

いつしか、彼と彼女の間にあった距離は狭まり。
まるで子どもの頃に戻ったように夢中で話をした。


***


夜の帳が降り始める頃。
夕日は完全に姿を消し、辺りは薄暗さを増していく。

屋敷の屋根へ止まっていた鎹鴉が一匹、また一匹…と方々へ飛び去っていくのを眺めながら、百瀬は縁側に腰掛けたまま耀哉と会話を続けていた。


いくら話しても話題は尽きる事がなく、疲れよりも楽しさが勝る。

次は何を話そう…それとも、彼が何か話してくれるのを待とうか?

そんな事を考えていると、彼は不意にこちらを向く。


「君に聞いて欲しい事があるんだけど、話をしても良いかな?」


急に改まってそんな事を問うて来たものだから、何かあるのだろうとは思った。

けれども、断る理由もないので『勿論です、どうぞ。』と返せば、彼はにこりと笑ってみせる。


「実は……まだ誰にも云ってはいないんだけど。少し前、いつも面倒をみてもらっている医者から『この分だと、もって半年だ。』と言われたんだ。」


直後。
声音を攫うかの如く、ざあっ…と一陣風が吹いたが、百瀬は一語一句違えず彼の言葉を拾っていた。

それどころか、医者から寄越されたという『半年』という言葉が耳にこびりつき、恐ろしいわけでもないのに肌が粟立っていくのを感じる。


「…長らく良い友人として隣に居てくれた君や、私の妻や子ども達とも、近いうちに別れる事になるかもしれない……とても残念な事だけれど、私が子どもの頃からずっと診察をしてきてくれた医者が確かにそう言ったのだから、きっと『外れる』なんて事はないのだろうね。」


何でもない、というようなふうで。
世間話をした時と変わらない口調のまま、さらりと寄越された言葉。

突然の告白に心底驚きはしたが。
彼に残された命が残り少ないという事を認めたくない気持ちと『ああ、そうなのか。』と静かに納得し、受け入れようとしている気持ちとがせめぎ合い、彼女は何も言えなくなる。


…そのまま口を噤んで暫く。

彼は相変わらず笑みを崩さぬまま、躊躇なく沈黙を破る。


「…流石に驚かせてしまったかな?ごめんね───でも、何故だか…君には一番に知って欲しかったんだ。勿論、家族にも、柱達にも…これからきちんと伝えるつもりだよ。」


優しい口調で告げると同時に『ああ、すっきりした。』と呑気に呟き、彼は脱力したような笑みを浮かべた。

恐々左隣を見ると、おおよそ『死が間近に迫っている』とは思えない程穏やかな表情をした耀哉が見え。

それにつられるようにして、ひとりでに体へ込めていた余計な力が抜けていくのが分かる。


だから、というのは言い訳がましいかもしれないが、気が緩んだのと同時に口も動き。

気が付いた時には、考えていた事が一語一句違わず自身の声に乗り、喉から這い出していた。


「こんな事を伺うのは失礼かもしれませんが…耀哉殿には、 恐ろしい物が無いのですか?」


ついに聞いてしまった、とは思ったが、気まずさを感じたのは僅かな間だけ。

彼女が発した言葉の語尾を捕まえるような勢いで、『あるよ、』と即座に切り返された。


「薬に、病に、死…私にとっての恐ろしい物なんて、それこそ山程ある───むしろ、百瀬はどうなんだい?」


『何か恐ろしい物は無いのかい?』と。

質問を返され、俄に困る。


人に『恐ろしい物はないのか』と聞いておきながら、いざ問い返されると、どうしてなかなか…それらしい物は出て来ないもので。

『鬼』『怪我』『死』なぞと順繰りに考えた辺りで、左隣から声がかかる。


「もしかして…『恐ろしい物』が特に思い当たらなくて困っているのかな?」


「…ええと、」


図星とは言えずに苦笑いをすると、見えないながらそれを察してくれたらしく、彼は緩く笑った。


「…やっぱり、君は『心根が強い』というか『肝が据わっている』というか。そういう所が、百枝殿…君の亡くなった叔母上とよく似ているね。」


「───そうなのでしょうか?」


父に似ている、と言われるのはまだ分かるのだが。

百瀬がまだ生まれぬ頃、二十五の若さで未婚のまま亡くなったという叔母の名が急に出て来たので少々驚いた。


確か叔母は、父が鬼殺の隊士になった際。
父と共に実家から出て、産屋敷家に住み込みながら女中奉公をしていた、とは聞いていたが。

…何故だか、父は昔から叔母の話をしたがらなかったので、彼女が叔母について知り得ているのはこれくらいであった。


叔母は生前、耀哉の兄弟の世話をしていたこともあったようなので、彼が兄弟や親伝に叔母の事を知っているのは当然と言えるのだが。

自分と血縁関係にはあれど、殆ど接触のなかった叔母の事を、彼が知っていて。
『君は叔母上に似ている、』なぞと言ってくるというのは、少し不思議な感じがした。


そんなこちらの心中を知ってか知らずか。
彼はこんな事を言い出す。


「よくよく考えてみれば、君はやっぱり叔母上似かもしれない。顔も、髪の色も…写真の中の百枝殿とそっくりだ。」

「…私は叔母の事はよく知らないのですが、耀哉殿がそう仰るくらいですから、相当似ているのでしょうね───。」


何の気なしにそう返した所で不意に左隣を見やると、彼は穏やかな表情を崩さぬまま、徐に人差し指を立てて…そっと自身の唇の前にかざした。


「これは、ここだけの話なんだが。」


その前置きがとびきり小さな声で発せられたのを合図に、彼女は軽く頷き、耳をあらん限りそばだてた。


「君の父上は、君に叔母上の事を話したがらないだろう?それは恐らく…君が叔母上に似すぎているからではないかと思うんだ。」


再度出てくる『似ている』という言葉にどきりとしながら、彼の話をもっとよく聞こうと、体をそちらへ近付ける。


「叔母上が産まれたのは、君と同じ初夏の頃。桃と契り、賜り物を受け取ったのも君と同じ歳で…家へ奉公に来てからは、君と同様に未婚のまま働き続け───そろそろ二十五にもなろうかという年の瀬の朝、この屋敷の台所で事切れていたんだ。」


「………………。」


「君の父上は、君が叔母上と同じ道を辿らぬよう、君に叔母上の事を教えなかったんだろう…けれど、私は君の友人として。君が叔母上と同じ道へ迷い込んでしまわぬよう、事実を伝えようと思った。君も私も、今は互いに残された時間が少ない者同士だけれど……君ならきっと、まだ間に合うはずだ。」


はらりと落ちてきた髪を耳にかけ。
彼はよく見えない目を懸命に凝らし、こちらを真っ直ぐに見つめて…静かに言葉を続けた。


「これまで追い続けてきた鬼の始祖は、姿を現しかけている……その尻尾を掴んだまま離さなければ、年内に片をつける事も出来るだろう。君の一族が桃との約束を果たして祝福を手にし、私の一族が鬼の始祖との因縁を断ち切れるよう───これからも手を貸してくれるかい?」


いつの間にか笑みの消えた顔で真剣に問われ、それに応えるように自らの心臓が早鐘を打ち始めたのを感じながら、百瀬は深く頷く。


「勿論でございます……どこまで出来るかは分かりませんが、きっとお役にたってみせますわ…元より、鬼に負ける事は許されぬ身の上。鬼殺の方は、どうかお任せを。」

「頼もしいね…どうもありがとう。君が友達で居てくれた事を、心から嬉しく思うよ……これまでより、ずっと厳しい戦いにはなると思うけれど。最後まで、どうかよろしく。」


はっきりと告げ、こちらへ向かって深々と頭を下げる彼は、正しく立派な『お館様』であり、彼女の親しい友人でもある。

その影で、これから幾度となく繰り広げられるであろう激しい戦いを予想し、彼女はそっと目を伏せた。


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