桃と鬼 | ナノ
 08

あれから、やや暫く経って。

ようやっと冨岡の羽織の中から這い出した後、百瀬はただならぬ雰囲気の中で周囲を見回し、思わず戦慄する。


彼女から見て、右隣には少々面倒くさそうにしている冨岡と。
その前方には、笑顔ではあるが、僅かに怒っているような雰囲気を醸し出している胡蝶。

加えて、彼女の後ろには、禰豆子を庇うように掻き抱き、不安そうな面持ちでこちらを眺めている炭治郎が居た。


こうしてみると、滅多にない。

いや、下手をすれば今後二度と見る事がないかもしれないような珍妙極まりない絵面であったが、今はそれを楽しむ余裕はない。


今、自分は何か言うべきか否か。

悩みに悩んだが───とりあえず、今は空気を読んで静かにしている事に決め、薄く開けた自身の唇をそっと合わせる。


「…ところで、さっきから気になっていたんですが。冨岡さんだけではなく、どうして百瀬さんまでこちらへ?」


「───今回の討伐に同行させるため、俺が呼んだ。」


急に放られた問いに冨岡が淡々と答えたが、彼女は嫋やかな微笑を浮かべて緩く首を振る。


「私は、冨岡さんじゃなくて百瀬さんに聞いているんです───それにしても、妙ですね。百瀬さんは、今日は七里も先の町で幾つか任務を掛け持ちしていらっしゃったはずなのに……でも、百瀬さんに限って『手持ちの任務を放り出してまでこちらへ来る、』というような事もないでしょうし。」


「……………。」


「…よく考えれば、意地の悪い質問でしたね、ごめんなさい。大方、任務終わりに冨岡さんの都合で呼び出されてすぐ、七里の夜道を走って来た…というところでしょうか?」


冨岡も百瀬も、何も詳しい説明はしていないはずであるが。

ぴたりと事の経緯を言い当てられてしまい、彼女は面の下で小さく溜息をついた。


胡蝶はかねてから、妙に察しが良いというか。

とにもかくにも、目端の利く彼女の前ではどれだけ上手く取り繕ったとて、あるがままの事実を見抜かれてしまうのだった。


…まあ、実際の所。
冨岡との間にやましい事があるわけでもなし。

別段、その事実を言い当てられたとて何かがある、というわけでもないが。

そんな事を思いながら冨岡の方を見やると、彼は相変わらず黙ったまま胡蝶の方を眺めている。


対して、彼女は笑顔のまま。
しかし、確りと冨岡の目を見据えながら、こんな事を言い出した。


「───まったく。年上の妹弟子を自分の都合で七里も先から呼びつけてこき使ったり…その挙げ句に、自分の羽織の中に入れて私から隠そうとしたり…一体何なんでしょうか?そんなだから皆に嫌われるんですよ。」


「…………………。」


続いて。

彼女は百瀬に向き直り、冨岡に投げ掛けたのよりかは幾らか優しい声音で言葉を続けた。


「百瀬さんは、冨岡さんと『同門の兄弟子と妹弟子』というだけの関係なのに、事ある毎に呼び出されて、良いようにこき使われ続けて…一門の弟子同士の助け合いの情や愛というのは美しい物ですし、部外者の私がお二方の間に口を出すのはおかしいのかもしれませんが───。」


そこで言葉を句切り、胡蝶は困ったように眉を潜めながら、尚言葉を重ねる。


「…百瀬さんは、些か従順過ぎではありませんか?いくら冨岡さんが兄弟子だからって、何でもかんでも『はい、承知しました。』と言う事を聞いている必要はないんですよ?…といっても、百瀬さんは立派ですから、今日も───勿論、今までだって文句を仰った試しなんてないんでしょうが…時には、断る勇気も持って下さいね?」


夜闇の中、僅かな沈黙が訪れ、百瀬はまたこっそりと冨岡の方を見てみる。

対して、今度は彼もこちらを見ていたので、互いに互いの顔を見合わせるような格好になり、微妙な空気感が漂いだす。


しかし、そんな中でも笑顔を崩さず。
ごく冷静に口を開いたのは、やはり胡蝶だった。


「…さて、お喋りはこの辺りにして。冨岡さんも百瀬さんも、そこをどいて下さいね。」


彼女が刀を構え直し、見据えた先には、炭治郎の腕の中で寝息を立てている禰豆子の姿がある。

───つまり。
胡蝶は、冨岡と炭治郎の間にあった僅かな隙間を掻い潜り、初めから禰豆子を仕留めんとして斬り掛かってきたのだ。

判断力もさる事ながら、一瞬のうちに鬼を見つける目敏さに背筋が寒くなった。


その直後。
邪魔にならないよう一つに結わえていた髪の先をいきなりきゅっと掴まれ、全身が跳ねた。

ひとまず首を捻り、現状を把握しようと試みる。
…しかし、今度は髪の房の一部がひょいと持ち上げられる感覚があり、まさか、と恐々右隣を見やると。


百瀬の髪を掬い上げ。

いつの間にやら、毛先へ絡まっていたらしい木の葉を摘まんでは地面へ落としている冨岡の姿が目に留まる。


「───あの、冨岡殿?」


やや困惑しながらそう問えば、彼は『じっとしていろ、』とだけ言って、作業を再開してしまう。

…当然ながら、彼の触れ方には下心等という物は微塵もなく、むしろ事務的な物すら感ぜられる。


彼がどうしてこんな時にこの行動を取るに至ったのかはよく分からないけれど、一つ確かなのは『これが彼なりの善意による行動』による物であり。


こういう時に彼の行動を無理に止めたり拒否したりすると、実際そうでは無いのかもしれないが…昔から、若干傷付いたような顔をされるので。

こういう場合は何もせず、ただ静かに───それこそ、彼に身を任せておくのが良い。


今回も、彼との長い付き合いの中で編み出された策を取る事とし、彼女はそれ以上何をする事も無く、そっと周囲を見やる。

…胡蝶はやや顔を顰め、炭治郎は驚いたようにぽかんと口を開けながらこちらを見るばかりであったが。

ここで下手に彼から施された行為を拒んで物悲しげな顔をされたり、それを思い出して後々罪悪感に苛まれたりするよりかは余程ましだろう。


何とも微妙な空気の中、自分に必死で言い聞かせ、冨岡が髪についた木の葉を取り終えるのを待ち続ける事暫し。

最初と同様。
急に彼の手を離れた黒髪は空中へ零れ落ち、幾度か揺れて、元の通り彼女の背後へ戻ってくる。


「…ありがとうございます。」


とりあえず控え目に礼を言えば、彼は小さく。
けれど、少々満足そうに頷いて見せた。

…直後。前方から、胡蝶の盛大な溜息が聞こえてくる。


「冨岡さん…あなたという人は……………もう『どんな所が、』とは言いませんが。そんなだから皆に嫌われるんですよ…?」


『嫌われる』という箇所を強調し、先程よりかややきつめにそう言って、彼女は自身のこめかみを押してまた溜息をつく。

対して冨岡は一瞬だけ、ちらとこちらを見やり。
かと思えば、氷の容を崩さぬまま、静かに言う。


「───俺は嫌われてない。」


明らかな否定が来るとは思わなかったのか、胡蝶は眉根を寄せて顰め面を作り『この人、どうにかして下さいよ…。』とでも言いたげにこちらを見上げてきたが。

百瀬が面越しに曖昧な表情を浮かべているのを察したのか、彼女は頭を振り、肩をすくめて。
冨岡宛に再び言葉を発する。


「あぁそれ…すみません。嫌われている自覚が無かったんですね?余計な事を言ってしまって、申し訳ないです…。」


そう言いきってしまってから、彼女は炭治郎の方へ向き直り。

先程とは打って変わり、やわらかな表情を浮かべつつ、彼へ小声で話しかける。


「坊や、」


「はいっ!?」


今まで散々放って置かれたというのに。

急に話し掛けられた事にびっくりしたのか、ややどぎまぎしながら答える彼を確りと見据えたまま、胡蝶は言葉を続ける。


「坊やが庇っているのは鬼ですよ?危ないですから、離れて下さい。」


彼女がそう言った途端、炭治郎は反射的に表情を固くしたが。

彼は禰豆子を抱き寄せ、どうにかこれまでの経緯を説明しようと懸命に話を始める。


「ちっ…違うんです、いや違わないけど…あの、俺の妹なんです!!それで、」


しかし、その後に続くはずだった言葉は、難なく遮られた。


「まあ、そうなのですか。可哀想に…。」


眉根を下げ、本当に気の毒そうな表情のまま、胡蝶は刀を構え直し。

その形の良い唇へ笑みを浮かべたまま、滑らかに。


「では───苦しまないよう、優しい毒で殺してあげましょうね。」


それが、さも当然の道理であるかのように、とびきり優しく言葉を発する。

途端に、炭治郎は青ざめた顔で息を飲み、目を見開いた。


…再び訪れた沈黙は決して気持ちの良い物ではなく、むしろ息苦しささえあるように感ぜられる。

のたり、くたりと。
酷く重く。それでいてゆっくり時間が進んでいるような空気の中、冨岡は彼に向かって声をかけた。


「…動けるか?」


その一言に弾かれたように顔を上げ、びっくりしたような顔を向ける炭治郎に対して、冨岡は言葉を重ねる。


「動けなくても根性で動け、妹を連れて逃げろ…それから、百瀬。」


「…はい、何でしょう?」


「お前も一緒に行ってやれ。」


そう言うが早いか、彼は此方へ背を向け、胡蝶と対峙するように向き合った。

彼の右手は既に柄へと添えられ、いつでも刀を抜けるようにしているのが分かる。


…物々しい空気が漂い出したのを感じ取ってすぐ。

何とはなしに、竃門兄妹と初めて会った日の事が思い出されて、百瀬はそっと彼の背中を見つめた。


更にその先へ視線を漂わせると、胡蝶と目が合い。

彼女がこちらへ何かを訴えかけているのが分かったが───それを察知する前に百瀬は自分の意思の元、目を伏せる。


小雪のちらついていたあの日。
彼女は冨岡に促されるまま、炭治郎と禰豆子を助ける事に与したが。

ここ数カ月の間、竃門兄妹の働きぶりを近くで目にし、その在り方に触れていく中で、彼等に対する認識が随分と変わってきていたし、実を言えば炭治郎との共同任務を終えた後には、もう『誰に何と言われようと、最期まで彼等の味方をする。』と腹を決めてもいた。


長い沈黙を破り、彼女は已然として黙り込んだままの冨岡の背中へ、言葉を放る。


「───承知しました。冨岡殿もどうかお気をつけて、」


簡素に告げてすぐ、炭治郎に目配せをして走り出すと、後ろから禰豆子を抱えたままぎこちなく付いてくる彼の足音が聞こえる。

暫くすると、冨岡が刀を抜いた音と共に『………これ、隊律違反では?』と、こちらの行為を咎める胡蝶の言葉が追い掛けてくるが、今はそれに構っている暇はない。


兎にも角にも、今はどうにか彼等を逃がす事が先決だ…と自分を奮い立たせ、百瀬はやや遅れて併走してきた炭治郎と共に、暗い山道をひた走った。


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