桃と鬼 | ナノ
 05

鬼の討伐に『行く』『行かない』の問答を経て暫し。

一応『万が一』の場合を想定し、禰豆子の入った箱を屋外へ置くことと話を決め。
あの兄妹に、ここで待っているよう言い聞かせて、いざ三人で屋敷へ入ったはいいが。


「炭治郎、なぁ…炭治郎…守ってくれるよな?俺を守ってくれるよな?」


先頭を行く炭治郎へ小声で話しかけ、相も変わらずべそべそと泣きながら、善逸はのろのろと彼の後ろについて行く。

今の並びとしては、先頭が炭治郎。真ん中が善逸。最後尾が百瀬…こんな具合に、各々ある程度自由な動きの出来る順番となっているのだが。


当初は、百瀬が先頭で、炭治郎と善逸が横並びで後ろからついてくる…という物にしようかと話していたものの『俺は先頭も嫌だし、最後尾も絶対嫌だ!!』と、ごねにごねた善逸に負け、結局この並びに落ち着いたのだった。

いつまで経っても返事を返さない炭治郎に痺れを切らしたのか、善逸は再び彼の名を呼ぶが。


炭治郎は赤い瞳を揺らし、眉根を下げ…困ったような顔をしながら『ちょっと申し訳ないが、』と前置きをして。


「前の戦いで、俺は肋と脚が折れている。そしてそれがまだ完治していない。だから…、」


恐らく、優しい炭治郎の事だから『守り切るのは難しいかもしれないが、出来る限りは頑張る。』とでも続けようとしたのだろう。

…しかし、皆まで言わぬうち。
彼の言葉は、善逸が突如として上げたけたたましい悲鳴に飲まれるように掻き消された。


あまりに質量のある大声を後ろから直に食らったために、耳の聞こえが悪くなったような気がしたが。

彼女の方はというと、そんな事に構っていられぬ程、面に隠れた自身の顔を青くしていた。


「(なんて事…肋ならまだしも、脚も折れているなんて……。)」


一番気になるのは、彼の怪我についてだった。

…やはり、炭治郎は彼女が危惧した通り。

肋の骨のみならず脚の骨も折っていながら、彼女の隣に並んで何事もないかのように歩き、世間話をしていたのである。


骨折した箇所に応急手当てくらいは受けているかもしれないが、休む間もなく浅草を出て今の任務地へ来たのだ。

ならば、折れている箇所は相当痛いはずだが…。


面に開いた穴からそっと炭治郎を眺めると、顔こそ笑ってはいるが、額には薄らと脂汗をかいて。
折れた箇所を無意識の内に庇っているためか、重心がやや片側に傾いているように見える。

───これは、本来ならば明らかに任務に出てこられない怪我の範疇に入るはずだが。


しかし、彼女の考えなど歯牙にも掛けず、善逸はとにかくけたたましく騒ぎ立て。

…遂には、開き直ったように百瀬の手を握って炭治郎の方を見やる。


「炭治郎…お前が折れているって事と、折れてるお前じゃ俺を守り切れないって事はよぉーく分かった。なら、俺は東さんに守ってもらう!!そして、ここを出たら、俺と彼女は最寄りの神社に即刻駆け込んで祝言を挙げる!!以上!!!」


「またそんな事を言って…あんまり東さんを困らせちゃ駄目だろう。」


さ、手を離すんだ。

幼子に言い聞かせるように優しく話しかけるも、善逸は首を横に振り、涙目のままさらに言葉を重ねる。


「何言ってんだよ!!東さんは困ってない!!断じて、これっぽっちも困ってないんだからな!!ほら、よぉーく。よぉおぉーく見てみろよ、この和やかな御尊顔を…!!」


「善逸…それは東さんの付けている兎面の表情だろう?面の下の表情までは流石に…、」

「いーや、俺には分かるね!!東さんはこのお面の下でも、きっと天女様みたいな笑みを浮かべてんだからな!!!」


絶対そうに決まってる!!

…っていうか、そうじゃないともう泣くしかないでしょ!?ねぇ!?!?


最早鼻水さえ啜りながら捲したてる彼の勢いに気圧され。

別段、申し合わせたわけではないのだが、また炭治郎と黙り込んだためか、辺りは妙に静かになる。


耳が痛くなる程の静けさにたまりかねた善逸が痺れを切らし、また口を開こうとしたが。

───うるさくなる事を察したであろう炭治郎はいち早くそれを手で制し、かわりに百瀬の方へ向き直り『そういえば…、』と話し掛けてくる。


「鎹鴉から、東さんは鬼殺の隊士の中でもかなり古参の部類に当たる…と聞いたんですが。一体、いつ頃から鬼殺の仕事をしているんですか?」


何の脈略もなく、彼から突然投げられた問いに目を丸くし。

そういえば自分はいくつの時から隊士をしていたのだったか。
そんな風に考えながら、ひい、ふう、みい…と数を数えてみる。


その作業をしている間、鎹鴉が隊士と世間話をするとは…なぞと、少々意外に思う。

まあ、人間も色々であるように、鴉だって色々である可能性はなきにしもあらず。

それに則っていけば、話し好きな鎹鴉が居ても不思議はないかと思う事にして、百瀬は帳面へ言葉を書き付け、少年二人の目の前に差し出す。


『私は十一の秋頃から隊士になりましたので、そこから計算して…鬼殺の仕事は今年で7年目になりますね。』


その文面を眺めてすぐ。
炭治郎は年相応にぱあっと顔を輝かせ『もう七年も!?すごいですね!!』等と言いながら、きらきらした笑みを浮かべていたが…一方で隣の善逸は難しい顔をし。


「鬼相手に生身で戦って、鬼殺隊士平均生存年数の二倍は生き残り続けてるって、相当強い人なんじゃないの!?───って事は、東さんはいよいよ俺の運命の女性なのでは…?」


こんな具合に、また自分に都合の良い解釈を口にし始めたので、あえて語尾の『運命云々、』という所は聞かなかった事にし、また帳面へ答えを書く。


『私は別段、とても強いだとか、そういうわけではありません。』


「…なら、すごく運が良いとか。そういう事ですか?」


首を傾げながらそう問うてくる炭治郎の赤い瞳を見上げ。
彼女は面の下の顔に苦笑いを浮かべながら、緩やかに頭を振る。


『確かに、一理ありますね。』

そう書き付けた帳面を差し出すと、善逸はその大きな瞳を潤ませ───次の瞬間、何故かおいおい泣きながら床を転がり出した。


「……何なの?結論から言うと、なけなしの運を振り絞って自力で生き残ってどうぞって感じなの!?東さんは玄人だから、何かこう…具体的な長期生存の為の虎の巻とか、それに相当するような秘伝書を持ってると思ったのに。期待した俺が馬鹿だったよ…もう駄目、無理、今度こそ本当に死ぬ…死んじまうよ…俺はもう、色んな意味で終わった!!もう九分九厘死んだ!!!!!」


いっそ気持ちが良いほどきっぱり言い切り、善逸は干からびるのではないかと心配になるような量の涙を流しながら、依然としてヤイヤイと騒ぎたてる。


「善逸、静かにするんだ…お前は大丈夫だよ、」


見かねた炭治郎が慰めるように言葉を掛けたが、今の善逸には焼け石に水だったようで。


「───気休めは止せよおぉおぉおぉ!!!」


間髪を入れず、彼の悲痛な声が屋敷中に響き渡る。


「違うんだ。俺には分かる…善逸は、」


たっぷり間を取って。
この後は、さぞかし優しい言葉の雨が続くのだろう。

そんな事を思いながら炭治郎の言葉に耳を傾けていると、次の瞬間。


「────駄目だ!!!!」


急に上げられた声と、予想だにしなかった言葉が鼓膜に突き刺さり、彼女は肩を震わせる。

しかし、炭治郎が視線を向けている先を同じようにして眺め、合点がいった。


彼が見ていたのは、善逸の背後───即ち、こちらから見て、玄関口のある方。
屋敷に入った時は、きちんと閉めて入ってきたはずのそこは、今や開け放たれ。

禰豆子の入った箱を一時的に託し、外で待っているように言い聞かせてきたはずのあの兄妹が、青い顔をしながら、やや小走りにこちらへやって来る姿が見えた。


「───入ってきたら駄目じゃないか!!」


そちらへ駆け寄り。
珍しく強めに注意する炭治郎に、兄妹は必死の形相で頭を振り、彼に縋りながら訴えかける。


「……だって…お兄ちゃんが置いてってくれたあの箱、中から変な音がして…。」


「だ、だからって置いてこられたら切ないぞ…あれは、俺の命より大切な物なのに………。」


炭治郎がそう呟いたのと同時に、二階から物音がした。

ミシミシ、と。
大きな体躯をした何者かが、床を踏みしめて歩いているような音。


「(恐らくは…、)」


この足音の主は、まず間違いなく人外のそれ───鬼であるという確信を持ち、彼女は手にしたままだった帳面をやや乱暴にベルトへ挟み。

かわりに、腰に差したままだった短刀を鞘ごと手にするが早いか、いつでも抜けるよう構える。


………続いて。

何処からともなく、先程屋敷の外で聞いた物と同じ鼓の音がして、いよいよ近くに鬼の気配を感じ出した途端。

善逸もその事実に気が付いたのか、青い顔のまま頭を抱え、突如けたたましい叫び声を上げた。


それとほぼ同時に、彼が勢い良く体勢を変え…何の前触れもなく突き出した尻に弾かれるようにして、炭治郎と百瀬と女の子は隣の部屋へ。

反対に、善逸と男の子は、元いた廊下側へ残るような配置になり、百瀬は俄に焦る。


───何故そんなに焦るのか、理由は分からない。

分かりはしないが、気味の悪いほどの胸のざわつき…即ち、彼女の直感が『今、少しでも仲間と離れるのはまずい。』と強く告げているのだ。


「ご、ごめん…尻が…。」


善逸の謝罪に被せるようにして、彼女は刀をベルトに挟み。

直感に従うまま『早く早く…!!』と、廊下の方へ両の手を伸ばし、彼等を座敷側に引き寄せようとしたが────僅かに一歩及ばなかった。


ポン、と。

再び聞こえてきた鼓の音と共に、廊下との境にあった襖は勝手に閉められ、あと少しで善逸と男の子の方へ届きそうだった彼女の手は、虚しく空を撫ぜるばかりになってしまう。


しかし、諦めるのはまだ早い。

襖を開けさえすれば、彼等はまだそこへ居るはず…そう思い直す事とし、襖の窪みへ手を触れようとしたその時。


今度は、ポンポンポン…と。

連続した鼓の音がする度、それに合わせるようにして次々に部屋が変わっていき───それ以降、善逸達の居るであろう廊下へ続く襖が目の前へ現れる事はなく、ようやっと音が止んだ時。


彼女は炭治郎達と共に、見慣れぬ座敷の中へ立っていたのだった。


***


部屋の移動が完全に止まった頃を見計らい、百瀬は炭治郎へ女の子と共に部屋の中心に居るよう言い置き、先に部屋の探索を行っていた。

何しろ、先程の鼓の音と共に部屋が変わった…否。


自分達が強制的に空間移動をさせられてしまった奇妙な現象からして。

今回の討伐目標となっている鬼は、鼓の音を用い、この屋敷内にある部屋の位置を自由自在に変える血鬼術を使うと見て良いようだ。


紙と墨の香り……それに混じった仄かなかび臭さや血の匂いを感じながら、納戸を時折叩いたり、妙に出っ張った畳の角を踏み付けたりしつつ、慎重に部屋の中を探っていく。

今のところ、小刀が飛び出してくる仕掛けや、落とし穴のような物は無いようだが、鬼の討伐を屋内で行う場合には、用心に用心を重ねるに越した事はない。


この度、炭治郎に探索を手伝って貰わなかったのは、様々理由があるのだが…彼が怪我人である事や、屋内に罠がしかけられている可能性がある事。

それから、この任務が意図せず一般人を巻き込む形での物となってしまったため、人命を第一にした結果こうなった次第なのである。


「(現に…、)」


まだ外は真昼だというのに、日の光は何処からも差し込む事なく。
その代わり、不気味な暗さと薄ら寒い様を保ち続ける屋内は、異様な程広い。

屋敷の外観からして、部屋数自体は然程無いはずであるし、普通なら家の中を一回りするのに五分とかからぬのだろうが───。

鬼の血鬼術により、部屋の広さや天井の高さ等…本来の家の在り方が捻じ曲がり『既に屋敷全体が常識の一切通用しない別空間に作り替えられてしまっている、』と見て良さそうだ。


…実際の問題として、件の鬼がどこまで血鬼術を使いこなせているかにもよってくるが。

もしかしなくとも、この得体の知れない室内での戦いは非常に不利な物となるだろうし、骨の折れる討伐になるのは想像に難くない。


運良く鬼を見つけたところで、目が合った瞬間に部屋の移動を使われ、上手く逃げられてしまうだろうし、もし鬼が頭の良い部類であると仮定するなら、更に厄介な事この上ない。

そこを抜きにして考えるとしても、鬼はこちらの戦力分散のために血鬼術を使い、間接的にあの手この手でちょっかいをかけてくるだろう。


そして、これだけはどうあっても避けたいが。

───刀を持たぬ者が狙ったように引き離され、容赦なく食い殺されるという展開もあり得なくは無い。


「(ともかく、これ以上引き離されないよう…。)」


十二分に気をつけなけば。

未だ脳裏を掠める血生臭い展開をどうにか掻き消し、百瀬は部屋の端へ足を運び、隅に置かれた箪笥を上から順に開ける。


……一段、二段、三段と。

中に何か危ない物が入っていないか確認し、それらをまた元のように戻しても部屋の様子が変わらない事を認め。

彼女はそこでようやっと息をつく。


大まかな探索に区切りをつけて、炭治郎と女の子が居る場所へ足を向けると。

訳の分からない状況下に置かれている恐怖や混乱。
それから、先程まで一緒に居た兄と突然離された心細さからか、女の子が声を殺して静かに泣いていた。


その小さな背をさすってやりながら、炭治郎はそっと屈んで目線を合わせ、優しく問いかける。


「───お兄ちゃんの事も、善逸が守るよ。名前は?」


「…てる子、」


「そうか。良い名前をつけてもらっ、」


その会話の途中。

炭治郎と百瀬は、弾かれたように座敷の手前側───半端に開けられた襖の方を見やる。


生憎と、今居る位置からは、廊下全体を見渡す事は出来ない。

しかし、意味深に開け放たれたままの襖の先。
そちらの方から、先程感じ取った物と同じ気配が着実にこちらへ迫っていて来ているのを感じ、彼女は面の下に隠した目をすぅと細めた。


まさか、鬼とこんなに早く遭遇する事になろうとは思っていなかったが、来てしまったものは仕方が無い。

彼女はベルトに挟んだままだった短刀の柄を確りと握り、炭治郎とてる子を背中に庇うようにして立つ。


そして、出来るだけ静かに刀を鞘から抜き取ると、深い水底を連想させるような紺色の刀身が姿を現し、背後でてる子が息を飲むのが聞こえた。

そちらに構うこと無く胸の前で短刀を構え、襖越しに感じる鬼の気配を感じながら待つ事暫し。


───程なくして、重い足音を伴いつつ、襖の影からぬっと現れた大きな足。

続いて、酷くゆっくりともう片方の足が板の間を踏みしめるのと同時に、肩や胸部から鼓を生やした鬼が、彼女達の目の前へゆらりと姿を現した。


その色の悪い体から発せられる生臭い匂いに、百瀬は面の下の顔を僅かに歪ませる。

普通の鬼は然程匂いが強くないのだが、強い鬼…即ち、沢山の人間を食い殺している鬼というのは、否応なしに生臭いような匂いがするのだ。


それにしたって、これはなかなかのものであったが。


「(…もしかすると、この鬼は下弦に匹敵する程人間を食っているのではなかろうか。)」


頭を掠めた忌々しい憶測を振り払わんとして、彼女は緩く頭を振った。


気を取り直し、鬼を面越しに睨み付け───さて、いつ襲ってくるものか、と。

短刀を構えたまま様子を伺うも、鬼の方はこちらをちらと見る事も無ければ、やや摺り足気味に廊下をゆっくりと歩き、何事かぶつぶつと呟くのみで、何か仕掛けてくるような素振りは一切ない。


…ならば、やるべき事は一つだ。


「(───先手必勝、)」


一瞬の判断で彼女は刀を鞘に戻し。

そのかわり、鞘へ特注で取り付けてもらっていた小柄を抜き取り、細い紺色の刀身を鬼に向けて投擲せんと構えた。


この小柄というのは、短刀の半分以下の小さな刃物で、爪楊枝を作る時に使用するような…まあ、お世辞にも実践向きとは言えない代物である。


それに加え、普通の隊士なら『鞘が痛むから、』『あっても別に使わないから。』等と、まず付ける者は居ないのだそうだが。

百瀬は担当の刀鍛冶から『はて、物好きな奴もいたもんだ…。』等と小言を貰いながらも、普段使いの刀全てに付けて貰っていた。


彼女からすると、例え小さくとも刃物は刃物。

人外の者と戦うのであるから、武器は多すぎて困るという事はない…というのが持論である為、いつもはこれの他に、脇差と打刀を腰に挿して持ち歩き、その場その場で振り回すのに最適な種類の刀を選んで使っている。


今回に限ってはお館様のお許しが出なかったため、日輪刀は今腰にさした短刀とこの小さい小柄しか持ち合わせていないわけだけれど。

文句を垂れ流すのではなく、とりあえず今ある物を使って、お館様の望まれる成果を上げるのが『出来る隊士』というものだろう。


それに、小柄を投擲して。
あの鬼の皮膚へ少し擦りでもすれば、炭治郎の側とお館様の側───どちらにとっても利になり、尚かつ満足出来る結果を産み出せる事は明白である。


まさに、当たれば万々歳というやつだろうか。

…そんな事を思いながら、百瀬はよく鬼を狙っい、あまり期待はしないながらも小柄を投げた。

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