桃と鬼 | ナノ
 03:寝覚めて見ゆ

妙な揺れを感じ、目を開けた途端、瞳に刺さるような明るさに目がくらむ。

…結果として、百瀬はまた目蓋を元のように閉じる羽目になり、思い切り渋い顔をした。


『一体全体、今度は何だというのか。』

鳩尾の辺りに若干の息苦しさを覚えながら、何度か瞬きをして目を慣らし。
状況を把握しようと頭をもたげようとしたが、それより先に。

百瀬は自身の手の内へ何か生々しい手応えが残っている事に気が付くが早いか、息を飲み込み、そろそろ…と、視線を自身の右手へ這わせる。


いつの間にか抜いていた自身の日輪刀。

その切っ先へ目を向けると、列車内の灯りの元、ぼんやりと鈍く光るそこへ、ほんの少し血がついていた。


自然と目線を下げると、彼女が無意識のうちに斬り殺してしまったらしい『異形の何か』が列車内の床の上へ転がって。

断面から未だ血を垂れ流しながら、ひくひくと痙攣するように動いているのを見て、彼女は何も言わず顔を顰める。


間もなく動かなくなったそれの気配は明らかに鬼の物であったが、形は今まで目にしてきたどの鬼とも異なる…理性があるとは到底思えないような、忌まわしいその見た目に厭悪を抱き始めたその時。


「よもや…君は、寝ている時であっても剣を取って闘う事が出来るのか…!やはり古参の隊士との合同任務に出ると、勉強になる事が多いな!」


煉獄の声を妙に近くへ聞いた瞬間、彼女は体を強張らせ…自身の置かれた状況を瞬時に理解し、さぁっと血の気が引いた。

───それがどれ程の時間であったのかは定かでないが、百瀬は煉獄に抱えられたまま、彼の肩でぐっすりと眠り込んでいたらしかった。


自分の失態に焦り、彼女は反射的に体を捩って煉獄に降ろしてもらおうとしたが。


「こら、そんなに動いては流石に落ちてしまうぞ…ここはもう少しで片付く。それまで大人しくしていなさい。」


諫めるような煉獄の声と重なるように、彼が刀を振るう音と、短い断末魔のような物が幾つも聞こえ。

───そこで、先程自分が無意識の内に斬り殺してしまった『何か』が、列車内へ無数に蠢いているのだと悟る。


首を捻って振り返ると、煉獄が振るう焔のような色の日輪刀が、雁首を揃えた異形のそれらを圧倒的な力で押し切り。

僅かに残った肉の部分へ細かく切れ込みを入れて深く傷をつけていくのが見えた。


そうしているうち、新たな目標を見定めたためか、彼は急に走り出す。

常人には出来ない機敏な身のこなしに合わせるようにして、未だ担がれたままの百瀬の体も不規則に揺れ、彼女は刀を鞘に戻す事も出来ずに慌てて煉獄の羽織を握りしめた。


一方、煉獄も彼女の行動に気が付いたのか。
今までは彼女の太股の裏を軽く押さえていただけだった左腕へ瞬時に力を込めてしっかりと固定し、そのまま刀を振るいながら激しい動きを繰り返す。

考えなくとも、この行為自体『振り落としてしまわぬように、』という意図によるものなのだろうが───有難いと思ったのも束の間。

彼女は、煉獄に押さえられた自身の足に妙な違和感を感じて身を固くする。


…相変わらず、痛いのかどうかは定かでなかったが、強く押さえつけられている皮膚越しに、というか。

肌色の温かな皮を隔てたすぐ下へひしめく脂肪や筋肉。
それらを掻き分けた更に先へあるであろう硬いはずの骨が軋んでいるような気がしてならず、冷や汗が噴き出す。


「(………………もしかしなくても、)」


このままいくと、自分の足の骨にひびが入るのではなかろうか。


普通なら『男に足を押さえられただけで何を大袈裟な、』と笑われるのだろうが。

…一見何気ないように思える煉獄の行動も、常人のするそれとは違う。


煉獄は柱の一人。

普通の隊士より身体能力が高く、力も強ければ、刀を振るう技術もあるわけで───そんな彼に、結構な力で足を固定されているのだ。

当然ながら、彼女の両の太股にはそれ相応の…今にも押し潰されんばかりの凄まじい圧が掛かり、少々まずい事になりつつある。


それに焦って少し体を動かそうとすると、まるで吸い付いてくるかのように益々力が込められて『ひっ…!』と情けない声が喉から漏れ出た。

ついでに、右手に握りしめたままだった愛刀も取り落とした。


さながら、自身の脳裏に浮き沈みしていた予想が、現実の問題となって自分へ覆い被さってきている真っ最中、といったところか。


とにもかくにも。
このままでは誰も幸せにならない未来しか見えないので、彼女は意を決し、ありったけの声で煉獄に話し掛ける。


「煉獄殿…れんごく、どのっ!!!お取り込み中、大変申し訳ないのですがっ…押さえて頂いている箇所が、潰れてしまいそうでして…少し力を緩めていただ、」


皆まで言わぬうち、何の前触れもなく煉獄の腕が太股から離れるが早いか、彼女の着ていた薄浅葱色の羽織の下へ入れられ。


「御免、」


その短い一言と共に、彼の大きな手が早々に探り当てた隊服のベルトを確りと掴んだ。


「あ、あの…、」


何をするのか、と問う暇も与えられず。

直後。
百瀬はベルトを引っ張られ、彼の肩からひょいと抱き下ろされる。

程なくして。
ようやっと列車の床へ足を着けるに至った彼女は、自身の愛刀を拾い上げ───こちらへ迫り来ようとしていた肉塊を力一杯切り上げた。


***


「君には、痛い思いをさせてしまったようだ…足は大事無いだろうか?」


自身が眠っている間に列車内で起こった事の経緯の説明もそこそこに、煉獄は刀を振るいながらそんな事を問うてくる。

対して、百瀬は彼と背中合わせで刀を構え『ご心配頂き、ありがとうございます。』と返して、目の前の異形の何か…もとい、鬼の体の一部をばっさりと切り落とした。


彼の話によると、この列車内は鬼と同化し、どこもかしこも鬼の胎内と化している状態であるらしい。

幸か不幸か。
鬼の血鬼術により、列車内の一般人は軒並み深く眠っており、一部を除いて誰もこの異形…鬼の一部を見てはいないため、混乱は起きていないようだが。


───驚くべきは、蝶屋敷で静養していたはずの炭治郎と、その同期の善逸…それから、伊之助の三名の隊士が今回の討伐に抜擢されていたという事である。

皆年若い隊士であるというのに、難易度の高い任務へ引き摺りだされてしまうとは何とも気の毒な…とも思ったが、ここ最近の最終選抜で生き残る隊士の数や、亡くなった隊士の数からして考えてみると『それも止むなし、』なぞと思わざるを得ない悲しい現状が浮き彫りになってくる。


ある意味、鬼殺の仕事は持ち前の実力と運が丁度良く揃っている者が生き残っていける職であると言えようか。

つまりは、実力はあれど運が無くてはそのうち死んでしまうし、運だけあっても実力が無くては、やはりすぐに死んでしまう。


加えて、当たり前の事ではあるが、鬼に常勝するという保証は無い上、鬼殺の隊士であるからには、死は誰の隣にも等しくあるもの…体感としては、そこを理解している隊士が多く生き残っている印象を受けるが、本当のところはどうなのだろうか。

鬼の一部をすっかり斬り伏せ終えたその時。
煉獄からの目配せに気付き、静かに頷いて。

彼女はそのまま、後ろの車両へ走った。
後方では、煉獄が前の車両へ移動した音が聞こえた。


開けっぱなしの扉から見えた列車の内部には、先程切り刻んだばかりだというのに、もう元の大きさに戻りつつある異形のそれらがひしめき合っているのが見えて、思わず顔を顰める。

肉塊のようにも見えるそれらを一瞥し、シィ…と深く息を吸い込んで。


「水の呼吸、激流。漆の型───懸河突き、」


呟くように言うが早いか、彼女は車内へ踏み込んで素早く刀を振るう。

妙に弾力のあるそれらを残らず斬り伏せながら移動し、一両分の脅威を殲滅して暫し。
背後に気配を感じ、そのまま振り返ると。


「…何度見ても、鮮やかなものだな。」


そこには、既に前方車両の敵の殲滅を終えたらしい煉獄が立って、こちらを見下ろしていた。


「技の切れといい、無駄のない動きといい、どこを取っても洗練された物を感じる。」


世辞や嘘偽りのない、真っ直ぐな褒め言葉に微笑し、百瀬は刀についた血を払い、彼に向かって軽く会釈をする。


「お褒め頂き、光栄です…次は、どの車両へ行かれますか?」


そう問えば、彼はじっとこちらを見ながら、安心したような笑みを浮かべた。


「───やはり。先程と比べて随分顔色が良くなったな。」


良かった。

酷く優しい一言に『さっきまではそんなに顔色が悪かったのか…。』と少々恥ずかしくなったが、過ぎたことはどうしようも無い。


「ええ…そのせいで、煉獄殿にはお手間を取らせてしまいましたが……。」


「なに、気にする事はない───現に、古参隊士の君へ任務が集中してしまっているのも、眠れない要因になっているやもしれんからな…まずは体が資本だ。この任務が終わったら、俺からもお館様へ君の仕事量に関して進言しておこう。」


彼はそこで一度言葉を句切り『それはそうと…、』と、また別の話を始める。


「百瀬の使う呼吸は、君が一番初めに世話になった師範…確か、華族出身で、君の養母の『東すゐ子』殿と言ったかな?その師範から賜った秘伝書を読み解いて修得した物と聞いているが、そうなのか?」


「確かに、生前の東先生から呼吸の秘伝書を頂いたのは事実ですが、それを自分だけで読み解けた訳ではありません…先生がお亡くなりになった後、新しく私の師範になって下さった方々から秘伝書の読み解きを手伝って頂いた結果、どうにか今の形にまで呼吸の形を整える事が出来たのです。東先生はもういらっしゃらないので、本当に呼吸を正しく使えているのかは、よく分かりませんが…。」


一息に言って俯くと、煉獄は思案するような表情をし、また言葉を重ねる。


「君は、その東すゐ子師範に弟子入りしてすぐ養子となったそうだが、それで『師範と弟子』から『養母と養女』というように関係が変わっただろう。つかぬ事を聞くが、それについて抵抗はなかったのか?」


「…ええ。養子縁組につきましては、私の実母実父共に賛成してくれましたし、私も抵抗はありませんでしたね。東先生は、とても素敵な方でしたので…義理であろうと、少しの間だけでも、あの人の子どもになれてとても嬉しかったんです。」


そう答えれば、彼は『仲が良かったのだな…、』と呟き、控えめに笑う。

彼の笑みがどことなく寂しそうに見えたのは、きっと気のせいではないだろう。


彼は早くに母を亡くしており、今は弟や元柱の父と共に暮らしているようなのだが。

その実…母が亡くなってからは、父との関係が長らく上手くいっていないのだと聞く。


人の噂程不確かな物はないし、彼女自身煉獄の家庭内事情を詳しく見知っているわけでは無いのだが。

彼が父母の話題となると少し饒舌になりがちなのは、そのせいもあるのかなと思うと、切ないものがある。


「(煉獄殿は、私のような平の隊士にも分け隔て無く察して下さる───。)」


『何か、私に出来る事があれば良いのだけれど。』

そんな事を考えながら彼の精悍な顔を眺めていると、煉獄と百瀬の居る車両が、カタカタと細かく震え。


程なくして、前方の方から耳をつんざくような断末魔が聞こえて、列車内に残っていた鬼の肉が肥大化し、最期の悪足掻きなのか、全車両がガタガタと激しく揺れる。

───このままでは、間もなく脱線する。


直感的にそう感じ取った瞬間、煉獄は彼女をきつく抱き、ひとまず…ということなのか、床に伏せる。

急に近くなった距離と、きつく抱かれている事により生じた多少の息苦しさに、先程感じた『押し潰されそう、』というような危機感が再び訪れるが、今は何と言っても離してもらえないだろうし、下手に離れて互いにしなくて良い怪我をするよりかは、このまま固まっていた方が賢い。


そう思う事として、百瀬は彼の腕の中で縮こまりながら、じっと揺れが収まるのを待った。

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