桃と鬼 | ナノ
 01

春のはじめの頃。

抜けるような青の中へどこか儚さを感じながら、百瀬は自身の懐へ一通の文を入れ、町を歩いていた。


文を持っているという事は、当然それを渡す相手が居るわけで。

今日の任務地へと足を向ける途中。
『ついで、』と称して、鎹鴉と共に文の受取人を探している最中なのだが。


…茶屋に小間物屋。
橋の上やら、宿屋の飯処等々。

とりあえず、受取人が居そうな所をくまなく探しているものの、探し人は一向に見つからない。


それでも一抹の希望を持ち、目を皿のようにしながら歩みを進めていくうち…とうとう町外れへ至ってしまい、彼女は一度立ち止まって、ぼんやりと空を見上げる。


「(今日も、一足遅かったのかしら…。)」


以前、短い間ではあるが大変世話になった師範から、その弟子宛の…即ち、彼女から見れば弟弟子に当たる隊士への文を預かり、早十日。

師範からは『急ぎではないので、今度顔を合わせた時にでも渡してくれればそれで良い。』と言われていたものの、流石に今日も受取人たる弟弟子に会えない…となると、いよいよ落ち込んでしまう。


こんなに擦れ違ってしまうのは、偶々なのか。
自分の運があまり良くないせいなのか。

顔を曇らせながら、一人そんな事を思う。


一応その弟弟子には、毎度百瀬から居場所を問う文を書いて鎹鴉に持たせ『今は奥多摩の方に居ります、』だとか『浅草の宿屋に泊まっていて…。』等という返事が返ってきてからそちらへ向かうようにしているのだが、互いに忙しく動き回っているせいであるのか。

結局会えずにまた文を書く羽目になる事が常だった。


立ち尽くしているうち、近くにあった飯処から良い香りが漂いだしたのを感じ、彼女は小さく溜息をつく。

そろそろ任務地に向かわねば、間に合わなくなる。


───非常に残念だが、今日のところも弟弟子に会って師範からの文を渡すのは見送る他あるまい。

そんな事を思い、町を出る為に鎹鴉を呼ぼうと笛を取り出した途端。


彼女が来た方から、胸元へ白い毛の混じった鴉が大急ぎでこちらへ飛んでくるのが見える。

これは呼ぶ手間が省けたな、と。
そちらへ向かって徐に腕を差し出すと、鴉はやはり大急ぎで彼女の腕へ降り来るが早いか、まくし立てるように言葉を発する。


「居タ、居タ…弟弟子殿、」


「────まあ、本当に!?」


思わぬ知らせに、食い付かんばかりに反応してしまうが、鴉も負けじと頷き。

彼女の腕から跳ね降りるが早いか、あっという間に市中の方へ飛び去っていく。


…もしかしなくとも、鴉についていけば確実に彼に出会う事が出来るのだろう。

ようやっと師範からの手紙を渡す事が出来るという安堵の気持ちと、久々に弟弟子に会える嬉しさを抱えながら踵を返し、昼時で混み合う市中へと足を進めた。


***


鴉を追いかけ、町を歩くこと暫し。

彼女の鎹鴉が、上空へ円を描くように飛び始めたのを眺め、その真下へ目線を真っ直ぐに落とすと。


雑踏の中、とある小店の隣へ立ち、鬼殺の隊士の証である黒い詰め襟の隊服を身に付け。

往来を行き交う人々をやや不機嫌そうに睨んでいる弟弟子の姿を見つけ、思わず名前を呼びそうになり…咄嗟の所で思いとどまった。


彼は元々、不特定多数の人が集まるような場所で自身の名を大声で呼ばれるのが苦手だ、という事は知り得ていたが───以前彼に文を渡しに行った際。

冨岡と任務に行く時の要領でうっかりそれをしてしまい、見た事が無いくらい渋い顔をされたのを思い出したのだ。


弟弟子が、何故それを極端に嫌がるのか。

彼からそれらしい理由を聞いた事はなかったが、多感な時期であるだろうし、込み入った理由は特になく『嫌な物は嫌、』というだけなのかもしれない。


…ひとまず落ち着き、百瀬は彼の近くへ歩いていって、出来るだけそっと声をかける。


「───獪岳殿、」


一般の人からすると、囁くような声であったけれど、彼にしたらこれだけで充分だ。

瞬時に百瀬の姿を認めるが早いか、彼は口をへの字に曲げたままではあったが、こちらへ軽く会釈をする。


それに応えるように彼女も会釈を返し、更に彼の近くへ寄った。


「良かった、今日は会えましたね…最近、仕事の方は如何ですか?」


「…お蔭様でどうにか、」


素っ気なく返されるが、獪岳に至ってはこれが常なので、彼女は然程気にせず話を続ける。


「───そうそう。先日一緒に仕事をした隠の方が『若いけれども、とても真面目に仕事をする良い隊士だ、』と、獪岳殿を褒めていましたよ!」


「そう、でしたか…、」


『褒められた、』という話を聞いて、ほんの少しだけ弟弟子の表情が緩くなったのを見計らって、彼女は預かっていた文を取り出す。


「これ…桑島先生からお預かりしていた文です。」


「お忙しいところ、いつもどうも…先生も、直接俺に出してくれたらいいのに。」


「桑島先生もきっと何かお考えがあってこうしていらっしゃるのでしょう───それはそうと、獪岳殿。最終選別が終わって以来、一度も桑島先生の所へ伺っていないと聞きましたが…。」


何の気なしにそう言えば、彼はあからさまに顔を強張らせ、警戒するような視線をこちらへ向ける。


しまった…とは思ったが、出した物は引っ込められず、彼女は苦笑いをしながら誤解を解くために言葉を重ねた。


「───すみません、責めようと思って言ったのではないんです…ただ。桑島先生が『もう一人の弟子も居なくなって最近めっきり寂しくなった、』と仰っていたもので…。」


彼女自身は名前も知らず、面識も無いが…獪岳と同時期に修行をしていた事もあったというもう一人の弟弟子の話出した途端。

彼はあからさまに不機嫌そうな顔をし、舌打ち混じりに呟く。


「アイツ…また脱走したって事かよ…、」


「え………脱走?」


急に話の中へ入り込んできた不穏な単語を拾い上げて繰り返すと、彼は慌てたように『…いいえ、何でもありません。』と付け加え、渋い顔のまま続ける。


「その…アイツが『居なくなった』って事は、行方不明とか。そういう意味で間違いないですか?」


「行方不明──?いえ、そういう訳ではないのですが…。」


ここでお互いに驚いた様な顔で見合い、沈黙する事数分。
話が若干かみ合っていない感じが否めなかった上、互いに何か酷い思い違いをしているらしい事を悟り。

彼女は困り顔の獪岳を上目に見つめながら、自身の知り得ている事実を話し始める。


「…その。とりあえず、私が聞いた話では───もう一人のお弟子さんの方も、少し前に無事候補生から鬼殺の隊士に上がられたそうで。それで近々、桑島先生の元から離れて鬼殺の仕事を………。」


その時。

まだ話し終わっていないのにも関わらず、獪岳は無表情のままふらりと歩き出し、彼女の隣をすり抜けていく。


「あ…獪岳殿?」


「………………。」


擦れ違いざま、先程と同じように控えめな声で彼を呼ぶも、当の本人は返事もせず。

明らかに腹を立てているかのように乱暴な足取りで往来の方へ歩いていく。


咄嗟にその背中を追い掛けようとするも、彼は人混みの中で一瞬だけ立ち止まり。
こちらを鋭く睨めつけたかと思えば、唇だけを動かし『今日はこれで。』と確かに吐き捨てて。

───それっきりこちらを振り返る事なく、雑踏の中へ消えていった。


一方、百瀬は弟弟子の後ろ姿が消えていった方を延々と眺めながら、しょんぼりと肩を落とす。


『私は何か、彼の気に触るような事を言ってしまったのかな……?』

先程の獪岳の表情を思い出し、尚更気分が沈んだのは言うまでもない。


後にも先にも、彼のそんな顔を見たのはこれが初めてであり───どういうわけか。

それきり桑島先生から彼宛の文を託される事も無くなったばかりか、彼とは縁が切れてしまったかのように、任務中一緒になる事も、東京の町中でばったり出会したりする事も一切無くなってしまったのだった。

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