桃と鬼 | ナノ
 01:行きはよいよい

『汽車』という乗り物は、非常に便利だ。

切符を買い、座席に腰掛けて。
移動中はぼんやり外を眺めてさえいれば、目的地やその近くへ連れて行ってくれる。


そんな事を思いつつ、車窓から眺めた空はぼんやりとした茜色を食い潰し、深い紺に染まり始めていた。

───こんな夜は、言わずもがな鬼が出る。


森であろうと町であろうと…勿論、それが汽車の中で有ろうとも。

鬼というのは、存外何でもないような日常の中。
殊更、少しでも普通の人間が居るような場所へ必ず潜んでいるものだ。


それが、人を取って喰うためであるのか。
それとも人外の生物と成り下がっても尚、人肌恋しく思う時があるからなのか。

どちらなのかは分からないし、もしかするとどちらでも無いのかもしれない。


「百瀬……百瀬、」


不意に呼ばれた名に反応し、窓の外から車内へ視線を移すと。

今回、合同で任務を行う事となった───炎柱の煉獄杏寿郎が、彼女の向かいの座席に腰を降ろしたまま、真っ直ぐにこちらを見ていた。


「あ………も、申し訳ございません、炎柱殿!!」


何か、ご用でしたか…?

慌てて笑みを取り繕うも、彼は口の端を緩く釣り上げたままの表情でこちらをじっと眺めるだけで何も言わない。


これから、この列車内で鬼を討伐せんとしている所だというのに、車窓から景色を眺めてぼんやりするなんて『弛んでいるぞ、』と叱責されてしまうだろうか。

本当に穴の開くほど顔を凝視されてしまい、自分の顔に何かついているだろうか、と思い始めた頃。


「つかぬ事を聞くが。君は最近、忙しいのか?」


「………え、」


突如寄越された言葉に間の抜けた声が出たのは、致し方ない事だとしておいてほしい。

…てっきり、叱られるものとばかり思っていたものだから、少々驚いてしまったのだ。


「かなり顔色が悪いな…幸い、日没はもう少し先だ。遠慮せず、少し眠っておくと良い。それに、次の駅から他の隊員が乗ってくる。なんなら、君はそこで降りて、今回の討伐作戦から外れても構わないが───。」


どこまで聞いても、先程の行動を責めるような言葉はなく。

…それどころか、終始こちらを労るような物言いをする彼を眺め、百瀬は一人『こういう所が、彼が人に慕われる所以なのだろうな。』と思い至る。


事実として。
煉獄杏寿郎という男は、鬼殺の柱の中でもとりわけ人望厚く、人気のある柱であった。

自身の脳裏には、兄弟子の───水柱である冨岡義勇の顔が浮かんだが。
途端に百瀬は考える事を放棄する。


…冨岡とは、何だかんだで持ちつ持たれつの関係を保ち続けてきたのだ。

何より、若くして柱に座った…尊敬すべき年下の兄弟子を、更に年若い他の柱と無意識のうちに比べようというのは、明らかに良くない事である。


自分は、彼等より少し長く生きているだけ。
それなのに、自分の事は棚に上げ、一丁前に彼等を比較しようとするなぞ笑止千万である。

痛烈に自身の浅はかさを恥じつつ、寝不足のためにひたすら白い顔に笑みを浮かべ。
彼女は目の前の青年を見つめ返した。


「…ご心配頂きまして、ありがとうございます。私なら平気ですわ。元より、鬼に負ける事は許されていない身ですもの…どうかご一緒させて下さいませ、」


「むぅ…そこまで言うのならば、これ以上止めはしないが───嫁入り前の大事な体だ。くれぐれも、無理だけはしないように。」


どこか神妙に言う彼の言葉に、一度は頷くが。

次の瞬間。
堪えきれず、彼女は盛大に笑ってしまった。


間一髪。口元は覆ったので、吹き出した拍子に僅かに出た唾は煉獄に掛からず済んだが、彼はこちらを見て、困ったように眉根を下げる。


「……俺は、今何か妙な事を言ってしまっただろうか?」


「い、いいえ…申し訳ございません、炎柱殿が悪いわけではないのです…ただ『嫁入り前』なぞという言葉を使って頂いたのが久々だったもので、つい…おかしくなってしまいまして。」


「実際のところを言ったまでなのだが…そんなに楽しんで貰えるとは思わなんだ。」


よもやよもやだ。

いつものようにそう言って、彼は年相応な顔で笑った。


そうして、二人の間に僅かな沈黙が落ち。
互いに目を逸らしたのを合図として、彼女は再び車窓から外の景色を眺め出し、煉獄は先程読んでいた報告書へ目を落とす。


まだ夏が終わりきらない為に、車両内に籠もった薄らとした暑さに辟易しつつ、瞬きを一つ。

空はいよいよ暗くなり始め、遙か彼方には、駅らしき建物が見える。

───頬杖をついて。
やはり何をするでもなく窓の外を眺めながら、百瀬はまたぼんやりとしだした。


***


動く列車のやや不規則な揺れと、頬へ温い夜風が当たるのを感じ、百瀬はゆっくりと目蓋を上げる。

どうやら、煉獄と会話をした後、自分でも気が付かないうちに眠ってしまったらしい。


『大丈夫』と言い切ったそばから眠ってしまうなんて、我ながらなんとだらしのない…。

そうは思ったが、事実、煉獄も『無理をするな』と言ってくれていたのだし、呆れられはしても、叱責はされないだろう。


───それにしても。
何だか、やけに暗い感じがするのは気のせいだろうか?

目を擦り、軽くこめかみを押して再び目を開けると、本当に辺りは真っ暗でぎょっとしてしまう。

彼女の座っている座席の左隣にある窓は中途半端に上げられたままで。
生温い風はその隙間から夜の匂いを伴って、未だのたりくたりと車内へ入り込んでおり、窓の外に見える里山も妙に暗く見える気がした。


しかし、異様なのは暗さだけではなかった。

辺りを見回すと、先程まで周囲に居た他の乗客達や、彼女の目の前の長椅子に腰掛けていたはずの煉獄の姿はない。


タタン、タタン…と微かな音をさせながら揺れ、動き続けている車両内で立ち上がり、一応座席よりも高い位置から辺りを見回してみてが。

前後に繋がった車両へ続く扉についた硝子の向こうには、酷く無機質な暗闇が横たわっているだけで、ここにも。
勿論、両隣の車両にも、百瀬以外の乗客が居ないのは明らかだった。


「これは…。」


一体、どういう事なのだろうか?

このまま立ちっぱなしでいても仕方がないので、ひとまず元いた座席へ座り直し、考えを巡らせてみる。


…まさか、彼女が寝ている内に『ひとまず乗客全員を避難させ、鬼を殲滅する。』という作戦が練られ。
まさに今、それが施行されている最中なのだろうか?


勝手に頭の中で状況を解釈した所までは良かったが、もし仮に彼女が考えた通りであったとしたって、不可解な点が多すぎる。

今は夜なのだから、わざわざ明かりを落とさずとも鬼は出て来られるはずだし『視界の確保』や『狭い場所で戦わねばならない』という点から考えても、車内の明かりを全て消して戦闘を行う、というのは自殺行為に近い。

第一『狭い』『暗い』『足場が揺れる』等という特定の条件が揃ってしまえば、余程鬼狩りの経験が長い一般隊員が複数で事に当たるか、柱の単独任務か───そのどちらかでなければ、勝率が著しく下がってしまうからだ。


煉獄ならその辺りの判断をし損ねる事はないだろうし、途中から若い一般隊士も討伐に参加する事も加味すれば、彼女が考えたような一か八かの作戦を決行せずとも、白星を挙げる方法はいくらでもあるはずである。

…となると。
それはさすがにない、と思いたかったが。
この異様な状況こそが鬼の血鬼術によるものではないかという可能性が出て来るわけだ。


今のところ、どこの時点で鬼血術にかけられたのか見当もつかないが…寝ている間、間接的に何かされたと考えるのが最も自然な気がした。

まあ、何はともあれ。
こういう時は、一箇所に留まるよりか、動いた方が良いと相場が決まっている。


ややもすると、煉獄や他の隊士達も鬼血術にかかり、同じ空間で彷徨い歩いているかもしれない。

その可能性が少しでもあるのだから、当面の目標は彼等との合流及び、鬼の撃退としておいた方がよさそうだ。


記憶が正しければ、今自分が居るのは、列車の真ん中の車両であったはず。

…ならば、まずは後方車両から探索し。
誰とも合わず、鬼とも遭遇しないようなら、前の方へ折り返してくればむらなく列車内を探索する事が出来るだろう。


そんな事を考えながら、彼女は未だ半端に開けられたままだった窓を閉め。
座席から立ち上がって揺れる車内を歩き、後方車両へと続く長方形の出入り口の前へと至る。


「(もしかすると…。)」


出入り口は使えないようにされているかもしれない、とも思ったが、物は試しだ。

とりあえず、扉へ取り付けられた僅かな窪みへ指を添えて静かに横へ動かすと、拍子抜けするくらいにするする…となめらかに扉が開く。

当然ながら、扉の先に見える後方車両も彼女が居た車両と変わらず、真っ暗で人気がなかった。


…嫌な予感もないかわりに、人の気配も鬼の気配もない。

何か仕掛けがあるのではと勘繰り、試しに一歩踏み出して完全に後方車両へ乗り移ったが。
予想したような罠もしかけもなく、ただただ無人の車両が、タタン、タタン…と揺れているだけだ。


ここにも先程感じたような生温い風が吹いており、辺りを見回すと。

───丁度、前の車両で彼女が座っていたのと同じ位置へ配置された座席の左隣。

そこへ備え付けられた窓が、先程と全く同じように、中途半端に開けられたままになっているのが目に入る。


何の気なしにそこへ近付き、やっぱり先程と同じように窓を閉めて。

彼女は最後尾の車両を目指し、この車両の後方へ取り付けられた長方形の扉へと歩みを進めた。

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