桃と鬼 | ナノ
 10:大海は芥を選ばす

「お早う、皆。今日は良い天気だね…空は青いのかな?」


御息女二人に手を控えられ、そう挨拶しながら縁側手前の畳まで来たお館様は、笑みを崩さぬまま座敷に座る。

その間、冨岡を含めた柱達は、縁側近くへ移動し、横一列に並び始めた。


先程まであんなに多種多様な在り方であったにも関わらず、誰に言われるでも無く急に纏まりだした彼等を目にし、何かただならぬ物を感じたのか。

不安気に周囲を伺っていた炭治郎は、不死川に思い切り頭を掴まれ。
一瞬のうちに砂利へ頭を付けるような格好にさせられていた。


あんな事があった後だ───不死川の動きには情け容赦が一切無く、押さえつけられたままの炭治郎はかなり痛そうに顔を顰めている。


「(…もしかしなくとも『さっきの仕返し』なんでしょうね。)」


順番からすると、次に仕返しを受けるのは間違いなく自分なのだが。


そう考えるだけでも恐ろしいような感じがして、彼女はやや顔を顰める。

今後何があるが分かったものではないが、あいにくと今対策を練るわけにもいかない。


…とりあえず、これは心の隅に留めておいて。
後でゆっくり考えられる時のために取っておこうと、百瀬は人知れず問題を先送りにする。


「顔触れが変わらずに、半年に一度の柱合会議を迎えられた事、嬉しく思うよ。」


その言葉が聞こえるや否や、それに同意するかのように、柱は皆庭先へ一斉に膝を着いて頭を垂れた。

間髪を入れず、不死川が『お館様におかれましても、御壮健で何よりです…。』なぞと流暢に挨拶を始め、今回こそは自分が挨拶をしたかったらしい甘露寺が口惜しそうに下を向く。


普段の言動と見た目からは予想もつかないが、どうしてなかなか。
不死川はこういった事をそつなくこなす事の出来る部類の柱であった。


「ありがとう、実弥。ところで…百瀬は来ているかな?」


「はい…ここに。」


本題に入る前に自分の名前が出て来たのを意外に思いながらも、今居る場所から返事をすると。

お館様は依然として柔らかな笑みを崩さぬまま、こんな事を言い出す。


「おや…今日もまた随分と遠い場所にいるようだね?」


「───申し訳ございません。」


「いや、謝る事では無いよ…これはあくまで私の希望なんだが。百瀬さえ良ければ、出来るだけ近くへ来てはくれないだろうか?」


「…勿論で御座います。」


暫しお待ちを。


返事をするが早いか、彼女急いで縁側近くへ移動し。
柱が跪く横へ並ばぬよう、半歩下がった場所を選んでしゃがんで、また元のように砂利の上へ膝を着く。

そんな百瀬の様子を、鋭い目つきで一瞥し、不死川は重々しく口を開いた。


「畏れながら。柱合会議の前に、この竃門炭治郎なる鬼を連れた隊士についてご説明頂きたく存じますが…よろしいでしょうか?」


「───そうだね。驚かせてしまってすまなかった。」


お館様はそこで言葉を句切り。
かと思えば、いつも通り軽やかな口調で、ゆったりと話し出す。


「炭治郎と禰豆子の事は、私が容認していた…勿論、ただ存在を黙認しているわけではない。百瀬から、竃門兄妹についての定期報告を聞いて、私は彼等を認めると決めた。」


お館様がそう言ってすぐ、その場に居合わせた者の視線が百瀬の体に突き刺さる。

何しろ、百瀬がお館様直々に言い付かった件の任務───『竃門兄妹の後をつけて、様子を逐一報告する』という物自体、極秘で行われていたものであったが。


彼女の兄弟子で。

現役の水柱である冨岡にすら『絶対に話していけない、』と口止めされていた事から考えるに、柱全員が彼女の任務の全容を知らなかったとしても不思議はない。


どういう事かとざわつきの見える中、胡蝶が徐に問を発した。


「───失礼ながら。百瀬さんは、多い時で一晩に三つの任務地を梯子する程多忙な古参隊士ですから、彼女にこの坊や…いえ。竃門隊士の様子を見て、逐一報告するような余裕はないと思うのですが…。」


「確かに、百瀬は多忙だ。けれど、今から丁度一月半前。彼女を長期任務へ出すという伝達が回った事があっただろう?その時の長期任務こそが、炭治郎達の後を気付かれないようにつけていって、活躍や行動を記録し、私へ逐一報告して貰うという物だった。」


「なる程、そういう事なら辻褄が合いますね…。」


それきり黙った胡蝶の方を優しく眺め、お館様は尚も続ける。


「この場を借りて、という事になるが、百瀬には礼を言わねばならないね───この度は、本当に良くやってくれた。どうもありがとう、」


「…有難き御言葉、」


光栄にございます。

こちらが深々と頭を下げたのを感じ取ったのか、お館様が僅かに苦笑したのが分かる。


「それから…もう一つ良いかい?」


「何でございましょう?」


「百瀬は、今。面か何か…声を遮る物を身に付けているかい?もしそうなら、面を取り、炭治郎へお前の顔を見せてやりなさい。」


「───御意。」


百瀬は、言われた通り。

身に付けたままだった厄除の面を片手で押さえ、もう片方の手を後頭部へやり、紐を解く。


間もなくして。
半日ぶりに外気へ晒された顔に涼しい空気を感じながら、面が取り払われた。

ここで初めて。
彼女は炭治郎へ自身の顔を見せた事になるのだが。


「────!」


炭治郎がこちらを凝視してきたので、百瀬もじっと彼の目を見返して、視線が交わる………こんな時ではあるけれど、彼は少々恥ずかしそうにはにかみ。

いきなり、ふい…と視線を逸らした。


「…………。」


やや眉根を下げ。
少し気恥ずかしそうな表情をする炭治郎の頬は、ほんのりと赤いような気がする。

その様子を見て、甘露寺は自身の顔を輝かせ、場違いにそわそわとしていたのだが…それは見なかったこととした。


「…炭治郎、彼女の顔をよく覚えておくんだよ?君達兄妹を見守り続け、活躍や行動を漏れなく私に伝えてくれた恩人の顔だ。彼女は、本名を東百瀬という。」


お館様がそう言った途端、炭治郎は一瞬考えるような顔をして。

かと思えば、勢い良くこちらを見て、こんな事を問うてきた。


「───東百瀬さんは。もしかして、以前俺と共同任務をしてくれた東さんですか!?」


確信を持ってそう問うてきたのが分かり『なかなか鋭いな、』と思ったのも束の間。

それにも勝る彼の驚き様が、年相応で、何だかとても微笑ましく見えたので。


「ええ、確かにそうです。以前は正体を明かすわけにはいかなかったので、素性を誤魔化していましたが…誓って、竃門殿を騙すつもりはありませんでした。」


…ごめんなさいね。

小さく謝ると、彼は再び、僅かに顔を赤くして。


「い、いえ…だ、大丈夫です!誰も傷付くような嘘じゃないですし……俺も百瀬さんに何度も助けて頂いて助かりました。きっと、善逸もそう思ってると思います…!ところで、あの時の傷は…。」


一息に喋りはじめた途端、お館様は唇に指を当て『積もる話は後でゆっくりね、』と言ってくれたので、炭治郎は容易く引き下がった。


「このように、色々ありはしたけれど…炭治郎と禰豆子を、私と同じように、皆にも認めて貰いたいと思っている。」


柔らかな笑みで。
しかし、しっかりとお館様は言葉を発する。


───当然ながら、不死川を筆頭として反対する者は多数を占めたが、無言を貫く者や『どちらでもいい』と言った者も居たし『お館様が決めたのだから…。』と、全面的に従う意向を示した者も居た。

一頻り意見が出た後、不死川は目を血走らせ、絞り出すように言葉を発する。


「鬼を滅殺してこその鬼殺隊。竃門・冨岡・東…この三名の処罰を願います………!」


「……………。」


頑なにそう繰り返す彼を見て、お館様は、片方の御息女へ『手紙を』と告げると、その少女が着物の袂から大事そうに文を取り出し、慣れた手つきでそれを広げる。


「こちらの手紙は、元柱である鱗滝左近次様から頂いた物です。一部抜粋して読み上げます。」


その言葉から、一呼吸置いて。

可愛らしい少女の声で、手紙の内容が淡々と読み上げられる。


「───炭治郎が、鬼の妹と共にある事を、どうか御許し下さい。禰豆子は、強靱な精神力で人としての理性を保っています。飢餓状態であっても人を喰わず、そのまま二年以上の歳月が経過致しました。俄には信じ難い状況ですが、これは紛れもない事実です…もしも禰豆子が人に襲いかかった場合は、竃門炭治郎及び鱗滝左近次、冨岡義勇が腹を切ってお詫び致します。尚、東百瀬は鬼殺隊を辞め、今回の件のお詫びを致します。」


水を打ったような静寂が訪れ、しばらくの間、言葉を発する物は誰も居なかった。

たっぷり間を取って。
不死川は、吐き捨てるようにこんな事を言い出す。


「…腹を切るから、鬼殺隊を辞めるから───それが何だというのか。死にたいなら勝手に死に腐れよ…そんな物、何の保証にもなりはしません!!!」


「不死川の言う通りです!…万が一にでも人を喰い殺せば、取り返しがつかない。殺された人は戻らない!!」


間髪を入れず、そう同調したのは煉獄であった。

彼等の言う事は最もだ。
お館様もそれはよく分かっているようで、何度か頷き、言葉を返す。


「確かに、そうだね。『禰豆子が人を襲わない』という保証も出来なければ、証明も出来ない…ただ。人を襲うという事もまた、証明が出来ない。」


「……………!」


謎かけのような言葉が、昼の温い空気の中に解けて、消えていくようだった。

そんな中、お館様は不意にこちらを向き。


「この中では、炭治郎と禰豆子の事をより深く知り得ているのは百瀬であるわけなんだが。百瀬は、何か意見は無いかい?」


不死川の突き刺さるような視線を痛い程浴び、ここで何か言うべきか、それとも黙するべきか。

激しく迷ったが、御息女から『百瀬様、是非ともご意見をお願い致します。』と催促され、結局彼女は口を開く。


「………では、畏れながら。私個人の考えを述べさせて頂きます。あくまで一つの意見として聞き流して頂ければ幸いです。」


再度自身に視線が集まったのに緊張しながらも、彼女は淡々と話を始めた。


「…従来の鬼殺隊の考え方からすれば、風柱殿と炎柱殿の仰る事は最もです。しかしながら、時代と共に鬼殺の方法も多様化しつつある中『得体が知れないから殺す。』『実害があればたまったものではないので排除する。』という方法は、少々過激なように思います。」


ここまで言った所で、こちらを射殺さんばかりに見ていた不死川と目が合い、やや逃げ腰になるが。


『ここで踏みとどまらずして、何が鬼殺の隊士か。』

『不死川殿より、普通の鬼の方が余程恐ろしいではないか…!』と。

やや無茶な気合いの入れ方ではあったが、自身にそう渇を入れ、彼女はなおも話を続ける。


「お館様が仰られるように、今代の柱の皆様が、他の鬼とは違う竃門禰豆子の存在をお認めになられ、今後も鬼殺隊に貢献させていく事で、長らく拮抗したままの戦況へ何らかの変化が訪れるはずです。私の見立てとしましても、今後彼女を生かしておいて鬼殺隊に損はないかと───私は平の隊士ですので、この件についてこれ以上の言及は控えさせて頂きますが。柱の皆様には、そういった点も加味した上で、彼女の処遇を再度御検討頂ければ幸いでございます。」


『長々と、失礼致しました。』

そう締めくくり、どこへともなく深々と頭を下げると、お館様が静かに話し出す。


「実に貴重な意見だった。どうもありがとう、百瀬。…禰豆子が二年以上もの間、人を喰わずにいるという事実がある上、禰豆子の為に三人の者の命と、古参の隊士の引退がかけられている───これを否定するためには、否定する側もそれ以上の物を差し出さなければならない。」


柔らかな声音に乗る強い言葉に、不死川と煉獄は黙り込む。


「それに。百瀬からの報告によると、炭治郎は鬼舞辻と遭遇している。」


続いて。
お館様の口から、鬼の始祖の名が転がり出た瞬間、柱達は明らかにざわつき出す。

質問が嵐のように飛び交う中『まず鬼舞辻の能力を…。』と呟き、お館様が指を唇に当てる仕草をした途端に、周囲にはまた静けさが戻ってきた。


「鬼舞辻はね、炭治郎に向けて追っ手を放っているんだよ。その理由は、単なる口封じかもしれないが…私は、初めて鬼舞辻が見せた尻尾を掴んで離したくない───恐らくは、禰豆子にも。鬼舞辻にとって、予想外の何かが起きているのだと思うんだ。」


分かってくれるかな?

簡潔に述べ、また微笑んだお館様に物申す者はいないかのように思われたが。


「───分かりません、」


ぽつり、と。
酷く怒気をはらんだ声音で呟かれた言葉にはっとし、顔を上げると。

柱の列に並んだままの不死川が、額に青筋を立て、噛み締めすぎた唇から血を滴らせながら、ひたとお館様を見上げ、更に言葉を繋ぐ。


「分かりません、お館様…人間ならば生かしておいてもいいが、鬼は駄目です、承知できない……!!!」


言うが早いか、彼は自身の日輪刀を抜き。
ゆらり…と、その緑色に染まった刀身を昼の光の下へ晒す。


「(まずい………!!)」


何と言っても、さっきの今だ。

加えて、彼の近くには炭治郎と、禰豆子が入った箱がある。


禰豆子が箱の中に入ったままであるのを知りながら、箱に日輪刀を突き立てる、といった先程の過激な行動が思い起こされ、それがまた繰り返されるのかと青くなったが…日輪刀は箱に突き立てられる事なく。

かわりに彼自身の腕へ当てられ、ただでさえ傷だらけのそこへ雑に刃が入り、裂かれた皮膚からは、当然ながら勢い良く血液が流れ出す。


不死川の周辺の白い砂利は、彼の腕から流れ出た血で赤く染まり、周囲には一気に物々しい雰囲気が漂い出し、百瀬も他の柱同様、何も言えずに固まっていると。


「お館様…!!俺が証明しますよ、鬼という物の醜さを……!!」


そう宣言するやいなや、刀についた己の血も払う事無く、刀を鞘へ納めてしまってから、不死川は改めて憎々しげに箱と炭治郎を一瞥し。


「───オイ、鬼!!飯の時間だぞ、喰らいつけ!!」


そう叫ぶが早いか、箱の上へ腕を差し出し、ボタボタ…と。

自身の血を、躊躇なく箱に垂らした。


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