桃と鬼 | ナノ
 09:口は禍の門

早いもので、那谷蜘蛛山の一件から既に半日が経過していた。

あの後。
有無を言わさず本部へ連行され、休む間もなく柱合会議が行われる庭園へと足を向け。

その出入り口付近に、冨岡と共に待機するよう言われたのだが。


庭には既に冨岡以外の柱が勢揃いしており、そこから少し離れた場所に、依然として意識のないまま縄で体をきつく縛られ、筵も敷かれぬ砂利の上へ乱雑に転がされたままの炭治郎の姿があるのを認め、彼女は目を見開く。


それと同時に、自分達は、いよいよ裁判にかけられるらしいという事を誰に教えられるでも無く悟ったが。

砂利の上へ寝たきりの彼の近くへ、いつものように禰豆子の入った箱がない事にも気が付き、ひやりと背中を冷たい汗が伝う。


───もしや、本部へ来るまでの間に始末されてしまったのでなかろうか、と嫌な考えが脳裏を過ったのだ。

鬼殺隊の隊士は、その半数以上が鬼に対して負の感情を持つ者で構成されているのだから、いくら本部から『鬼の禰豆子を生きたまま連れて来い、』と言われた所で、その指令に疑問や嫌悪を抱く者も多いのは当たり前である。

仮に命までは取られずとも、百瀬の保護下から離れ、本部へ来る途中で何か惨い扱いを受けたのでは…なぞと思うと、冷や汗が止まらない。


「(あの箱は今、どこにあるのだろう………?)」


一人で気を揉み、面に空いた覗き穴から必死に箱を探して周囲を見回していると、余程見るに堪えなかったのか。

冨岡から『落ち着け、』と声をかけられたので、百瀬は彼の居る方を振り返る。

すると、物は言わないながらも、彼は耳に手を当て、他の柱の居る方を指差す動作をしたので、その通りに耳をすましてみると。


「件の鬼の首は、やはり今のうちに刎ねておくのが良いと思うのだが、」


「かわいそうに…ああ、かわいそうに、」


「───しかし、お館様のご指示がなくては。勝手に事を進めない方が良いんじゃないでしょうか?」


「馬鹿言え、相手は鬼だ。構いやしねぇよ…こういうのはさっさと済まさねぇと、後々示しってモンがつかなくるなるだろうが。」


傍目から見れば物騒極まりない会話であるが、柱になる者にはこれくらいの事を軽々しく口に出来る程の気概がいるのだろう。


禰豆子の処遇をどうするのか。

次々巡っていく会話を聞いている内に分かったのだが『最低限の配慮』という事で、件の箱は日陰に置かれており、今は隠が一人見張りについているらしい。


それならよかった、と胸をなで下ろしたのも束の間。


「起きろ、起きるんだ…起き…オイ。オイ、コラ…ヤイ、てめえ……!」


こんな具合に、炭治郎の傍らについていた隠の男が、少々手荒く彼を起こしにかかったのを見て、彼女は厄除の面の下の顔を青くした。


恐らく、炭治郎は怪我の手当すらまだ受けさせてもらっていないのだろう。

自分ならまだしも、彼は正真正銘、傷の治りが特別早いわけでもなければ、痛覚が鈍いわけでもない、至って普通の隊士である。


那谷蜘蛛山で軽く彼の怪我を視診した際には『骨が折れている』とか『特別大きな裂傷が出来ている』とか…重篤な怪我こそなかったものの、肉体的な疲労が著しかったように見えた。


ここに来るまでの間はずっと眠っていたようなので、多少は疲れが取れているかもしれないが。

完全ではない状態のまま大声で強制的に起こされ、訳も分からぬまま裁判にかけられるなんて、彼にとってあまりに不利なのではなかろうか。


しかし、正直なところ。
裁判の結果は、今までの炭治郎の在り方や、これまで上げてきた白星の数からしても、然程悪いようにはならないとは思う。

───事実として、百瀬が彼等の後ろをつけて仕事ぶりを見ている時にも、禰豆子は決して人を襲う事は無かったし、炭治郎も鬼殺の隊士として立派に仕事をこなし、手を抜くような事は一切無かった。

以前お館様から届いた文の感じからしても『禰豆子は生かしておく、』というように腹が決まっているような気がしたのだが。


そのうち、炭治郎が酷くゆっくりと目を覚ましたところで、また禰豆子の処遇についての議論が再開される。


しかし、重要な議論の最中であろうとも。
霞柱の時透と同じように、そこに居こそすれ、議論には参加せず。

一人松の木の上から、何も言わずに事態を静観していた蛇柱…伊黒が、じっとりとこちらを眺めている事に気が付き、百瀬は思わず身構えた。


右と左とで色の違う両の目が、最初は彼女の後ろに居る冨岡を睨み付け。

続いて、こちらをじっと眺める間に、すぅ…とその目を細めて。


伊黒の口元には、いつものように何十にも布が巻かれており、本当はどんな表情を浮かべているのか定かではなかったが、その雰囲気からして『さて、今回の一件についてどう言ってやろうか。』と画策しているらしいのは読み取る事が出来た。


「───そんな事より、冨岡と百瀬はどうするのかね。」


満を持して、というように放たれた伊黒の一言で、その場に居合わせた者の視線が全てこちらへ向き、何とも言えない居心地の悪さが生じる。

しかし、視線を逸らす事も出来ず、仕方なしに集まった柱の面々をよく見てみると、こういう時に真っ先に食ってかかってきそうな風柱…不死川の姿が見えない事に気が付く。


「(風柱殿は、いつも早くにいらっしゃるのに。)」


彼がまだ顔を出さないなんて、珍しい事もあるものだ。

もしかすると、明日は槍が降るかもしれない。

そんな事を考えて多少は気が紛れたが、再び寄越された伊黒の言葉により、彼女は強引に現実へ引き摺り戻される。


「拘束もしてない様に、俺は頭痛がしてくるんだが…胡蝶めの話によると、隊律違反は冨岡も百瀬も同じなのだろう。どう処分する?どう責任を取らせる?どんなめに合わせてやろうか…、」


「…………。」


伊黒の言っている事は、至極正しい。

だからこそ、何も言う事が出来ず、黙っている他に選択肢はない。


冨岡も百瀬も。
勿論伊黒も、こちらを睨み付けたまま黙っていたので、周囲にやたらと重苦しい空気が漂い始めるが…それを破ったのは、胡蝶だった。


「…まぁ、いいじゃないですか。お二人とも、大人しくついてきてくれましたし───それに、隊律違反がどうのこうのというのは、冨岡さんならまだしも、百瀬さんについては何とも言えないかと。」


「『何とも言えない、』とは…つまり、どういう事だろうか?」


胡蝶の言葉に大きな声で疑問を投げ掛けたのは、炎柱の煉獄だ。

彼女はたおやかな仕草で軽く頷いてみせ『要は、平の隊士は、基本的に柱からの命に逆らう事が出来ない、という前提を踏まえた上で彼女の処遇を考えて頂きたい、という話なのですが。』と前置きをして。


「事実、彼女は冨岡さんからの命令を受けてから坊や達を連れ、他の隊士と隠の皆さんを退けつつ下山していたわけですから。一連の百瀬さんの行動は、冨岡さんの指示による物が大半と言う事が出来ますし、客観的に見れば、彼女は『柱からの命令に逆らわず、それらを忠実にこなしていただけ。』───果たして、それが隊律違反に値するかどうかはまた別問題だと思うのですが。」


まあ、それは後からゆっくり考えれば良いとして…私は坊やから話を聞きたいですよ。

胡蝶が一息にそう言い終えた途端、どうにか上体を起こそうとしていた炭治郎が急に激しく咳き込む。


それを見て、胡蝶は『水を飲んだ方がいいですね、』と呟き、懐から小さな瓢箪を取り出して。
彼の口元へ瓢箪を当て、中の物を全て飲ませてしまってから、ゆっくり話をするよう促した。

───やや間を置き。
炭治郎は砂利の上に転がったまま、真剣な表情で柱の面々を見上げて静かに話し始める。


「………俺の妹は、鬼になりました。だけど、人を喰った事はないんです。今までもこれからも、人を傷つける事は、絶対にしません…!!」


炭治郎の話を聞いて、目を見開く者もいれば、顔を顰める者もいるわけであるが…ざわつく柱の中で、やはり伊黒が真っ先に異を唱えた。


「くだらない妄言を吐き散らすな…!!そもそも、身内なら庇って当たり前。言う事全て、信用できない。俺は信用しない。」


続いて、彼に同調するように。
岩柱の悲鳴嶼が、数珠を鳴らし、涙を流しながら淡々と言葉を発する。


「ああ…鬼に取り憑かれているのだ。早くこの哀れな子どもを殺して、解き放ってあげよう…。」


この時点で、既に二つも否定的な意見が出てしまったが。
それに臆せず、炭治郎は必死に妹の事を伝えようと試みる。


「聞いて下さい!!俺は、禰豆子を治す為に剣士になったんです…禰豆子が鬼になったのは二年以上前の事で、その間、禰豆子は人を喰ったりしてない!!」


尚も続けようとした所で、鳴柱の宇髄が呆れたように溜息をつき、それを遮るように、きっぱりと言い放つ。


「おい、話が地味にぐるぐる回ってるぞ…アホが。お前の妹とやらが、人を喰っていない事、これからも喰わない事…口先だけでなく、ド派手に証明して見せろ。」


「それは…、」


宇髄の言うことは最もで、炭治郎も上手い言い回しが思い浮かばなかったのか、唇を噛んで黙り込んだ。

しばし訪れた沈黙の中。
これまで一度も発言していなかった恋柱の甘露寺が、おずおずと話し始める。


「あのぉ…でも、疑問があるんですけど…。お館様が、この事を把握してないとは思えないんです。そんな中で、勝手に処分しちゃって良いんでしょうか…?」


お館様がいらっしゃるまで、とりあえず待った方が………。

彼女の発言を受け『確かにそうか』とでも思ったのか、悲鳴嶼と宇髄は揃って黙り込む。

それを好機と見たのか、炭治郎は先程よりも大きな声で、とにかく必死に訴えかけ始めた。


「妹は、俺と一緒に戦えます!!鬼殺隊として、人を守るために戦えるんです…だから───!!」


その時。
庭園の隅から砂利を踏みしめる音が聞こえ、聞き覚えのある低い声が放られる。


「オイオイ、何だか面白い事になってるなァ…!!」


「………!!」


恐る恐る声のした方を見ると、どこから持ってきたものか。
不死川が、禰豆子の入った箱を片手に持ち、大股でこちらへ歩いてきていた。


「困ります、不死川様!!どうか箱を手放して下さいませ…!!」


後ろからは、箱の見張りをしていたらしい隠が真っ青な顔で追い縋っているが、そんな事はお構いなしで。

彼はゆったりとした歩みでこちらを目指す最中、薄らと怒気をはらんだ口調で、誰に言うともなくこんな言葉を放る。


「鬼を連れてた馬鹿隊員はそいつかィ…一体全体、どういうつもりだァ?」


「───不死川さん、勝手な事をしないで下さい。」


胡蝶が無表情で、淡々と彼の行動を咎めるも、不死川はやはり止まらない。

彼は、炭治郎と胡蝶の目の前でやって来ると、不敵な笑みを浮かべたまま、片手で自身の刀の柄に手をかけて。


「鬼が何だって?坊主ゥ…『鬼殺隊として、人を守るために戦える、』だァ?───いいか、そんな事は、ありえねぇんだよ馬鹿がァ!!!」


刹那。
彼は止める間もなく刀を抜くが早いか、箱に向かって斜めに突き立て───当然ながら彼の刀は箱を貫き、中に入ったままの禰豆子を、躊躇も慈悲も無しに傷つける。

位置としては、左肩に日輪刀が貫通している事になるだろうか。
不死川は、恐らく刺しても死なない部位を狙ったのだろうが、中の有様を想像するだけでかなり惨いし、された方としては痛いなんてものではないだろう。


箱からは禰豆子の痛みを堪えるような唸り声が微かに聞こえ。

箱の僅かな隙間から、ぽたぽた…と、彼女の血が溢れ出し、庭の白い砂利に赤い染みを作った。


「あぁ、なんて惨い…!!不死川殿、何て事をなさるのです!?」


あまりの所業に黙ってはいられず、百瀬は不死川の方をしっかりと睨みながらそう叫んだが、そう言われて引き下がる彼ではない。

案の定、不死川は額に青筋を立て、彼女に向かって噛みつくように言葉を返してくる。


「『惨い』だと…?オイ、何寝惚けた事言ってやがるんだァ百瀬!!中のこいつは鬼。つまりは、ちょっとやそっとじゃ死んだりしねぇ化け物って事だろうがよォ…!!そもそも、俺達の仕事ってぇのは、鬼を一匹残らず狩り殺す事のはずだぜ…だってのに、お前も冨岡も、いつからそれを忘れやがったんだァ?」


「断じて、忘れてなどおりませんとも…!!お館様は『禰豆子をここに連れてくるように』とだけ仰っていたはず。しかし『殺せ』『傷つけろ』とは、一度も仰ってはおりません……不死川殿、あなたほどの方が、お館様からの御言葉を聞き違える等、あってはならない事ですよ………!!」


彼の気迫に怯む事なく気丈に言い返すと、彼は目を見開き、しばしその動きを止め───それどころか、時透以外の柱が皆こちらを驚いたように見ているのに気が付き百瀬は『ついにやってしまった、』と、厄除の面に隠れた自身の顔を青くする。


確かに、悲鳴嶼以外の柱は彼女より皆歳下ではあるのだが、階級的には彼等の方が上である。

その柱の一人である不死川と、頭に血が上った勢いで口喧嘩をした挙げ句、言い負かしてしまったようなあんばいになるなんて…。


いつもいつも『言葉遣いは丁寧に、』『柱の方へ失礼な事は言わないように、』と気をつけていたつもりであったし、その甲斐あってか、ボロが出た事は一度たりともなかったが。


「(よりにもよって、今失敗してしまうなんて……。)」


後悔しても、もう遅い。
『口は禍の門』とは、よく言ったものである。

今更何を言った所でどうにもならないのは分かっていたが、あまりの失態に謝らずにはいられず、彼女は自身の身をあらん限り小さくし、再び口を開く。


「不死川殿…僭越な物言いを致しました事、大変申し訳ございませんでした。処罰は如何様にも、」


しかし、彼女が言い終わらぬうち。
百瀬の過激な物言いに誘発されたのか、最初から頭に血が上っていたのか。

とちらなのかは定かでないが、炭治郎が怒りを顕わにした形相のまま駆け出し『俺の妹を傷付ける奴は、柱だろうが何だろうが許さない!!』と吼えるように叫びながら、箱を持ったまま立ち尽くす不死川に向かって突っ込んでいく。


それに気が付くが早いか、不死川は箱に刺したままだった刀を引き抜き、炭治郎目がけて低く振るが。

炭治郎はその動きを見切り、上へ跳んだかと思えば───事もあろうに、そのまま自身の頭を振りかぶり、不死川の顔面に頭突きを食らわしたのだ。


ゴツ…という鈍い音が周囲に響き、不死川は鼻血を出しながら砂利の上へ倒れ伏した。


「し、不死川殿っ…!?!?」


大丈夫ですか、という言葉はぐっと飲み込む。

大丈夫でなさそうなのは聞かずとも分かる上、これ以上失言を重ねるわけにはいかない。


…しかし、あまりに珍事が続いたせいだろうか。

流石の冨岡もその顔を引き攣らせたまま固まり、甘露寺に至っては思い切り吹き出して『すみません…、』なぞと謝り出す始末。

おまけに、炭治郎が箱を取り戻して自身の背後に庇い、不死川と睨みあい、言い合いを始める…状況が混迷を極める中。


手前に鎮座し、沈黙を貫くばかりであった屋敷の方から、凛とした子どもの声が聞こえてくる。


「皆々様、どうかご静粛に───お館様のお成りです!!」


その声に反応して座敷の方を見やると、いつの間にやら襖の前には、お館様の御息女が二人座っており。

御息女により、音もなく開けられた襖から、お館様がゆっくりとした足取りで畳を踏みしめ、こちらへ向かってくる御姿が見える。


「───よく来たね。私の可愛い剣士達。」


そう言って笑みを浮かべるお館様は、以前会ったときよりも痩せたように見えた気がして。

けれど、そんな事は決して口に出さず、彼女は誰より早く庭の隅で膝を着き、お館様へ向かって深々と頭を下げた。


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